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第2話 炎の子
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しおりを挟む眠ったのか眠らなかったのか、よくわからない。
気がつくと砂漠の端が紫に染まり始めて、朝がやってきた。
長い時間食事もとっていなかったし、夜は死ぬほど寒かった。
俺は、琥珀が抱きしめてくれていたからいいけど、琥珀はマント一枚で大丈夫だっただろうか。
イラスだった煙はもうほとんど残っていなくて、風が灰を少しずつ攫っていった。
このままこうして太陽が上るのを待っていたら、今度は暑くて死んでしまいそうだ。
「琥珀、起きてますか?」
「うん」
返ってくる琥珀の言葉は、いつもより子供っぽい言い方だった。彼は気づいているんだろうか。
「これから、どうするんですか?」
俺があの家でベルデに会ってからもう一日経っている。でも、琥珀は彼を助けに行くだろうか。
ベルデが、みんなのために生贄になることを望んでいるのに?
「何もしない」
駄々っ子のようなそんな言葉を聞いて、俺はベルデから琥珀に、伝言を預かっていたのを思い出した。
でも今の琥珀に伝えるべきだろうか。琥珀は今、自分がイラスに言ったことでイラスがこうなってしまったことに、深く傷ついているのに? 琥珀は、自分が最初にイラスを助けなければ、イラスもベルデも、一昨日の夜に襲われていなくなったひとも、犠牲にならなかったと思っている。
そんな矢先だった。
「……!」
ぼんやり眺めていた砂漠の向こうに、うっすら煙が見えた。それから立て続けに、たくさんの黒煙が上がっている。
何が起こったのか、嫌な予感しかしなくて、俺はもうしゃべりたくなかった。
俺が何を言っても、これ以上琥珀が苦しまない方法が思いつかなかった。
俺はものすごく行きたくなかった。たぶん琥珀も同じだったと思う。
それでも、琥珀が感情の見えない声で「行こう」と言って、俺たちは黒煙の上がった砂漠の向こうに向かった。
何時間か移動して、俺たちはもともといたところにたどりついた。
そうだ、そこはジャイマたち、しばらくの間一緒に行動をともにしていた<純血>のみんながいたところだった。
予想していたとおり、そこには十人ほどの死体があった。ジャイマも含めて、どちらかと言えば大人のひとたち。
年若い少年たちの姿はなかった。
「たぶん、若い子たちは、<光>に……」
琥珀がかすれた声で言う。
ベルデが生贄になると言ったのに、それでは足りなかったんだろうか?
琥珀はその場に座り込んでいた。
俺は彼の後ろに立っていた。彼はどうするんだろう。こんなにたくさんのひとを<楽園>に還す儀式なんて無理だろう。薪が足りない。
ベルデからの言葉を、今言うべきだろうか? 苦しんでいる琥珀に、追い打ちをかけるような気がする。
それでも、今言わないと、彼はもう壊れてしまうような気もした。
「琥珀。ベルデがあなたに伝言を」
彼は黙っている。
「『あなたは希望です』」
琥珀は俺を見た。今にも泣きそうな顔だった。
それを見て、俺はドキリとした。琥珀は苦しそうなのに、今それを見られるのが俺しかいないのに、後ろ暗い悦びを感じて。
「……なあ灰簾」
彼はそっと、その手を俺の方に伸ばした。
「はい」
俺は彼のそばに近づいた。彼の手が、俺の頭に触れる。
「俺が、おまえにやってほしかったことを言うよ」
低い、かすれた声。
その言葉を聞いて、俺は思い出す。
そうだ、最初にこの大陸に来たときに、彼が俺に言ったのだった。いつか、俺にやってほしいこと。
彼が俺を、あの場所から救い出して、ここまで連れてきた理由。
俺は琥珀を見た。それは、俺が聞かなくてはいけないこと。
彼が俺に望んでいる唯一のこと。
「灰簾。俺が間違っていると思ったら、おまえが俺を殺してほしい」
殺してほしい。
その言葉にドキリとして、俺は琥珀の顔をもう一度見た。びっくりするぐらい、穏やかな顔になっていた。
「琥珀?」
「灰簾。おまえには、利害がない。<火の一族>のみんなは、俺がやっていることが正しいのか、客観的には見られないから」
彼の指が移動して、そっと俺の頬の傷に触れた。
「今でもいいよ、灰簾」
この男はこういうとき、なぜ微笑んで俺を見るんだろう。まるでやさしい人間みたいに。
「琥珀、あなたは最初からそのつもりで、」
なんて重い役割だろう。俺は彼に彼が大切だと言ったのに!
彼は俺の額にかかった髪を撫でて、その生え際に唇を落とした。
「おまえはそれができる子供だよ。俺はそういうやつを探してた」
そうだ。彼は自分のナイフで、ひとを殺せる俺を仲間にしたんだった。
「琥珀」
「ごめんな。俺はずるいだろう? でももう俺にはわからないんだ。自分がいつから間違っているのか、それとももっと進むべきなのか。たくさんのひとが俺に期待していて、自分でやめていいのかもわからない」
琥珀の翠の目が、俺を見る。その目尻が潤んでいた。
それが彼の心からの望みだと俺にはわかって、俺は何を言っていいのかわからない。
俺にひどいことを頼んでいるのを知っていて、でもそれをしてくれる誰かを、心の底から探している琥珀。
彼が望んでいるものを与えたいと思って、俺は手を伸ばして彼の首に手を回した。
「はい、わかりました」
琥珀の腕が俺の腰に回る。ぎゅっと抱きしめられる。まるで、甘えているように。
琥珀。あなたは間違ってなんかいませんよ。悪いのは、<光の一族>のやつらです。
そんなふうにささやいて彼を赦したい気持ちを抑えて、俺は彼を抱きしめかえす。
だって、あなたが俺に望んだことは、あなたを赦すことじゃない。あなたを裁くことだから。
第2話 炎の子 終
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