楽園よ俺の腕に眠れ〜金の灼熱と終末の王〜

楢川えりか

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第1話 呪いの子

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 新月。ついに決行の夜が来た。
 外はあの男が言うように雨。
「玉髄様、こちらにいらして」
 俺は、背中を玉髄に見せながら、少し肩から服を落としてやつを誘った。前を見せたら、このなんにも隠すことのできない衣装で、ナイフを見られてしまう。
「ああ、黒曜。おまえの髪は本当に素晴らしい黒曜だね」
 玉髄は長くなってきた俺の髪を撫でてきた。
 その喉元をめがけて、俺はナイフを突き立てる。
 人間をひとり殺すのは、簡単なことではなかった。
 表現しようがない悲鳴が玉髄から漏れていた。これが人間を殺すときの音なのだ。
 彼は暴れて手を動かし、彼が手にした寝台の脇の燭台が俺の顔にぶつかった。左頬に鋭い痛みが走る。その先がさらに俺の耳飾りに引っかかって、耳たぶに焼けるような痛みがあって、耳飾りが砕けて寝台に散らばった。でも、自分の痛みに構っていられない。
 大きな声を上げられて、人が寄ってくるのはまずい。俺は返り血で服が汚れるのも忘れて、何度もナイフを突き刺した。抜けなくなって、自分の顔にぶつかってきた燭台も奪って、何度も殴りつける。
 やがて玉髄が動かなくなり、静けさが戻ってきた。
「あ、逃げなきゃ……」
 向かいの、緑の屋根の家。
 あいつはそう言っていた。こんなところでぐずぐずしている場合ではない。
 俺は慌てて、玉髄がいつも鍵をしまう腰のポケットから部屋の鍵を取り出して部屋の鍵を外したが、手が震えて思ったより時間がかかった。
 逃げなくてはいけない。
 誰にも見られないように……。
 あいつの声を思い出して、俺はそっとドアの外を伺った。だいぶ騒いでいたように思ったが、周囲には誰もいなかった。いつも仕事のときは俺の声がかなりうるさいから、いつものことだと思っているのかもしれない。
 俺は、必死で庭に出たときのことを思い出した。途中に渡り廊下があって、そこから庭に出られる。そんなに遠くなかったはずだ。
「……黒曜?」
 しばらく行ったところで声をかけられた。俺はビクっとしてそちらに目をやる。
 楔だった。
 大丈夫だ。こいつは耳はいいけど、俺の姿は見えていないはず。俺の足音だとわかっているかもしれないけど、あまり頭も回らないはず。
 あどけない、彼のまなざしが宙を動いた。
 一瞬、こいつに一緒に逃げないかと、誘ってみようかという思いが頭をかすめる。でもダメだ。
 こいつは目が見えなくて足手まといだし、そもそも反対されるかもしれない。そんなことをしても逃げきれないとか、主人への忠誠心とか。少なくとも、俺ほどにここから出ていきたいと思っていないことは確かだ。そんなやつと一緒にいたら、俺はきっと生きのびられない。
 俺は黙って、楔のそばを通り抜けた。
 楔。俺を、はじめて友達だと呼んでくれたやつ。
 しばらく行くと、渡り廊下に出た。庭が見える。
 俺は庭を出口だと思える方角に駆け抜けた。
 緑の屋根の家。あれだ。
 雨に濡れるのもかまわず、俺はそこまで一気に走った。
「助けて!」
 俺がどんどんと扉を叩くと、すぐに扉が開く。
 金髪の男が俺を中に引きこんだ。
「おまえ、やってきたんだな」
「やってきた! でも、これからどうすればいいのか」
「逃げるぞ」
「逃げるって、どこに?」
「どこか、ここじゃないどこか遠いところだよ。この街の領主の息子を殺して、俺たちはお尋ね者だ。とにかくここから離れないと。とりあえずそれは脱げ」
 俺は返り血で染まった服を脱いで、渡された手ぬぐいで体についていた血を拭った。金髪が俺に上衣を投げる。こいつのらしい。それは大きくて、俺の膝くらいまでは隠れた。
 外に、黒い馬が待っていた。結んでいた手綱を解いて、金髪は俺の体を持ち上げて馬の上に乗せる。
「待ちなさい!」
 突然後ろから声をかけられた。見つかったかと思って振り返ると、足取りも覚束ないひとりの老婆が追いかけてきていた。
「大奥様……」
 涙を流しながら襲いかかってくる老婆を抱きとめながら、金髪はそう言った。誰なのか俺にはわからなかったが、年齢からして玉髄の祖母かなにかだろうか。
 周囲を見回したが、まだ俺たちの周りにいるのはその老婆だけだった。
「その子が、あの子を殺したのね!」
 彼女が金髪の腕の中で叫んでいる。
「あの子は、こんなふうに死んでいい子ではなかったのに……約束された未来があったのに……っ!」
「じゃあこいつは、『こんなふうに死んでいい子』だったのか?」
 「あ……」
 俺は思わず声を上げた。老婆が崩れ落ちていく。ためらいもなく金髪は腕の中の彼女を刺し殺したのだ。
 こんなふうに彼女を殺すことができるなら、彼はもうとっくに玉随も殺せただろう。
 俺もさっき人を殺してきたところだったが、なんの抵抗もできそうもない老婆が殺されるのを見るのは、さっきとは違ういやな気持ちがした。その場に老婆を投げ捨てて、彼も馬に飛び乗ってくる。
「西の森を抜けたところに、隣の大陸まで行ける港があるんだ。とりあえずはそこまで行こう」
 男は俺に説明したが、どこのことか俺にはまったくわからない。それでも、この男がいなければ逃げきれないだろうということはわかっている。俺はうなずいた。
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