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【10】それからの二人

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 (何か必死で私に向かって呼び掛ける声が聞こえる……)

 アメリアは薄れゆく意識の中で、確かに聞き覚えのある声に耳を澄ませた。


「おい、私の声が聞こえるか?  聞こえているなら私にお前の祈りを捧げろ!  今の私ではお前を助けてやれる力がないのだ!  お前の祈りの力を私に注いでくれ! 」

 (祈りを? 何をお祈りすればいいの?  だって私、お父様に撃たれて……。私を必要としてくれる人なんてもうこの世にはいないのに…… )

 アメリアの閉じられた目から一筋の涙が頬を伝う。

 実の父親から見放され、生きることを諦めたアメリアに、それでも必死で呼び掛ける声は続く。

 (もう、疲れたの……。優しいお母様を亡くし、新しいお義母様、姉妹達に虐げられ、それでも頑張れたのはお父様がいたから……)


『この役立たずが!!』


 それが伯爵がアメリアに向けて放った最後の言葉となった。


 (ごめんなさい、ごめんなさい。ああ、私は何て無価値な人間だったのだろう……。せめて私の存在が誰かの助けになれれば良かったのに……)


 自分がこの世に生まれてきた意味を。
 家族から虐げられ、実の父親に殺される人生。
 アメリアの心が深い悲しみの底に落ちようとしていたその時。


「そうか、お前こそが真に私の番となるにふさわしい存在だったのか……」


 (え?)


 誰かが底に沈みそうなアメリアの手を掴んだような気がした。
 アメリアを必要とし、求めてくれている声が聞こえる。


「おい、よく聞け。私にはお前が必要だ。お前が側にいてくれれば私は最高の神になれる。死んだ大地でも何でも蘇らせられる。お前さえずっと私の側にいてくれれば……」

 アメリアがその言葉を理解する前に、不意にアメリアの唇に温かいものが触れた。

 深い深い底に落ちかけていたアメリアの意識が、僅かに熱を帯びた唇へと向けられる。

「温かい……」

 ポツリとアメリアが呟いた。
 アメリアの意識が戻るのを感じたリュミエールは更に深い口付けを落とした。

「娘よ、もっと欲しいと願え。この温もりがもっと欲しいと」

「もっと……、もっと欲しい……」

 アメリアはリュミエールから与えられる熱の心地良さに釣られて、言われるがままに言葉を反芻した。

 アメリアのその言葉を聞いて、リュミエールは満足そうに口元を綻ばすと、僅かに開かれたアメリアの口内へ彼の熱い舌を押し入れた。
 突然の侵入物にアメリアは驚きで咄嗟に身を竦めたが、それに構わずリュミエールは強引にアメリアの舌を絡めとり、唾液ごと舌を吸った。

「あ、……」

 アメリアは息苦しさに呼吸をしようと思わず声を漏らすが、その声ごとリュミエールに奪われる。

 ちゅっ、ちゅっと何度も角度を変えて熱い口付けが落とされる。

 いつしかアメリアの身体は、彼から与えられる刺激で熱く火照り出していた。

 リュミエールは彼女に自身の力を直接分け与えようと口付けという手段で力を注いでいたが、アメリアの清らかな祈りの力と彼女との口付けが余りにも甘美で、思わず目的も忘れ夢中で彼女の唇を貪った。

「は、ふっ……」

 アメリアの指先が苦しさでわななく。そして、遂には空気を求めるように腕が空へと伸びると、自分の身体を覆い隠している大きな背中に向かってその手を振り降ろした。

 リュミエールの背中をアメリアがバンバンと叩き、行為の中止を合図する。
 しかし、リュミエールは少しも動じる様子なく、尚もアメリアの唇を貪った。
 更に調子に乗ったリュミエールはそれ以上の行為を続けようと、アメリアの剥き出しの足に手を回した。

 その瞬間アメリアは閉じていた目を驚きでギョっと見開くと、リュミエールの腕にガッチリと抑えられ身動き出来ない身体で必死に手足をバタつかせ、これ以上の行為を阻止しようと奮闘した。

「こ、これ以上はダメです!」
「何だ、元気になったのなら邪魔をするな。あれ程自分から番にしてくれと懇願していたではないか」
「そ、それはそうなんですけど……」

 行為を邪魔されたリュミエールがぼやきながら恨みがましい表情をアメリアに向ける。
 恥ずかしさに真っ赤な顔で俯くアメリアを見下ろし、リュミエールは名残惜しげにもう一度ちゅっと軽い口付けをアメリアに落とすと、唾液で濡れた自身の口元をアメリアに見せつけるように、舌でペロリと拭い取った。
 リュミエールのその仕草が、とても妖しく魅惑的でアメリアは軽い眩暈を覚えたが、突然起きたあらゆる出来事に思考が追い付かず、一旦気持ちを落ち着けようと深呼吸を繰り返した。

「い、一体何が起きたのでしょうか?」
「んー、狂気を纏った伯爵に神の鉄槌を落としてやった」

 アメリアの質問にしれっとリュミエールは答えると、事実を示そうとアメリアに空を見るように促した。
 促されるままアメリアは空を見上げる。

 ドルガ谷の空には黒い雲が覆い、いつ地上に落ちても不思議ではないような雷鳴が轟いていることに、漸くアメリアは気が付いた。

「……お父様は雷に撃たれて亡くなったのですか?」
「さぁな」

 恐る恐る尋ねるアメリアを尻目にリュミエールはしれっと答えを濁した。

「お前を殺そうとした父親などもう気にすることなどないだろ?」
「あ……」

 受け止めたくない事実をリュミエールの口から告げられ、アメリアは再び気持ちが重く沈んだ。

「ふん、それでもお前はこうして生きている。全ては私のお陰だ。感謝しろ」

 そういうとリュミエールは俯くアメリアの顎を持ち上げ自分の方へと向けさせた。

「お前が着ていた私の衣のお陰で弾丸がギリギリの所でお前の心臓を貫くのを防いだ。何せそれは神の着ていた服だからな」

 リュミエールの着ていた服は神の力が宿っており、咄嗟の出来事に神の加護が働いたと、リュミエールは得意気にアメリアに説明した。

 それからリュミエールは、アメリアの両目をじっと見つめると、真剣な表情でアメリアに尋ねた。

「お前は生け贄として私の元に連れてこられた。しかし最早伯爵の為にその身を捧げる必要はなくなった。それでもまだ尚この地に雨を降らせたいと思うか?」

 リュミエールの問いにアメリアは考える間もなく即答した。

「はい。この国の人々は長い間飢えで苦しんでいます。私のこの身ひとつで人々を救うことが出来たならこれ以上の喜びはありません」

 誰からも必要とされず、死んでいくのなら、せめて誰かの役に立って死にたい。

 アメリアは唯一の肉親である伯爵に見捨てられた今、自分の存在意義の為に心から強くそう思った。

「ならばお前は永遠に私の側にいて、私に力を注ぎ続けなくてはならない」

 アメリアの自己犠牲の精神を利用してリュミエールは甘い言葉で囁いた。

「永遠に……ですか?」

 人の命はやがて尽きる。アメリアはリュミエールの言葉に自身では成し遂げられない言葉を聞き、返答に詰まった。

「そうだ。私の番になってお前が私に愛を注ぎ続けてくれるなら、私の神力は尽きることなくこの地を永遠に潤すだろう。もちろん私の番になるということは最早お前も人ではなくなり、私と共に永遠を生きる存在となる」

 (思ったより壮大な話だった……)

 晴天の霹靂のような話でアメリアは言葉を失い、あんぐりと口を開いた間抜けな顔をリュミエールへと晒した。

「おい、私の前で阿呆みたいな顔をするなと言ったろ」

 (この口の悪い神は自分を永遠に愛するようにと言っていたはず)


「で、ですが私ではリュミエール様の番に役不足なのでは……」


 散々罵られ、拒絶されてきたこともあり、突然の意趣返しにアメリアも素直にリュミエールの言葉を受け入れることが出来なかった。

「ふん。お前は、その……」

 面と向かって言うのが憚れるのか、アメリアを見下ろすリュミエールの美しい顔が内心の葛藤でぐるぐると表情を変える。

 (どうしよう、見ていて飽きないわ……)

 答えを待つアメリアであったが、苦いものを噛み潰すような、声に出して言いたくないのか口をパクパクして中々答えられず、苦悶するリュミエールを見てアメリアは段々と面白くなってきた。


「言うほど悪くない」


 漸くそれだけ言うと、リュミエールは照れた顔を隠すようにアメリアの唇に再び口付けを落とした。

 リュミエールの不器用な言葉と行為に、アメリアの心はいつかのようにポカポカと温かさで満たされる。

 誰かに求められる喜びにアメリアの心は震え、閉じられた瞳にじんわりと涙が浮かぶ。

 そんなアメリアに気付いたリュミエールはそっとアメリアの目尻に浮かんだ涙を指で優しく拭き取ると両手で頬を包み、アメリアの顔中に口付けの雨を降らせた。

 その行為のくすぐったさにアメリアが僅かに身体を捩る。

 (何だ、この可愛い生き物は!)

 初めての感情に理性が効かなくなったリュミエールはその場にアメリアを押し倒した。

「リュ、リュミエール様!」

 相変わらず、行動が読めないリュミエールにアメリアが焦った声を上げるが、自分に対して不器用ながらも愛情を示してくれた神様に、アメリアも答えるようにそっと目を閉じた。





 その後ドルガ谷の上空にあった黒い雲は、モルシェルの国全体を覆い尽くし、暫く止むことのない雨を降らせ続けた。



 * * *



 当主が消えたラングラム伯爵家はそのまま朽ち果て、没落して消えた。
 残された家族がどうなったかを知るものはいない。



 今やモルシェルの大地は上質な水と土によりとても見事な穀物が育ち、王国からの依頼があとを立たない。
 国は豊かさに溢れ、人々は生き生きと暮らしている。


 ラングラム伯爵の代わりに王国から新たに遣わされた伯爵は大層立派な人徳者であり、この地を蘇らせた土地神を長きに渡って手厚く称えた。



 ドルガ谷の神の泉の祠はいつしか数が増え、二人の神を祀るようになったという。


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