上 下
7 / 11

【6】リュミエールの誤算

しおりを挟む
 リュミエールが雨を降らせてから一昼夜が過ぎた。
 そろそろ神力が尽きた頃合いかと、リュミエールは昼寝から目を覚まし、泉から顔を覗かせ外の様子を伺った。


 しかし、リュミエールの予想に反して未だに雨は降り続いていた。


「何てことだ。あの娘の祈りがこれ程の力となるとは……」

 自身の神力が途切れることなく、今も尚雨を降らせている事実にリュミエールは驚いた。

 (久しぶりの神力試しにとりあえず雨を降らせてみたのだが……)

 リュミエールは伯爵とアメリアの喜ぶ顔が頭に浮かび、何となく面白くない気持ちで泉の周りをぐるりと見回した。

「ん?」

 ふと、リュミエールの口から思わず間の抜けた声が洩れる。
 それもそのはず、リュミエールの目の前には驚く程変化を遂げた風景が広がっていた。

 鬱陶しい程に泉を覆い隠していた草木が綺麗に刈り取られ、数十年ぶりにドルガ谷の神の泉と祠がはっきりとその姿を現していた。
 更に丁寧なことに、祠には摘みたての花と果実が申し訳程度にちょこんと供えられていた。


「……これは……」


 綺麗になった泉を前に、リュミエールは確かめるようにゆっくりと辺りを散策した。
    リュミエールはすぐに刈り取った大量の草木に埋もれるように眠るアメリアの姿を発見した。

 山の中で探して見つけたのかボロ切れのような布を身体に巻き、顔と両手は土で汚れ、草を刈り取る際に擦りきれたのか、指先からは何ヵ所も血が滲んでいた。

「……なんなんだ一体、この女は」

 とても伯爵令嬢とは思えないアメリアの行動とみすぼらしさ極まりない姿にリュミエールは心底呆れ、心の奥底から沸き起こる訳の分からない感情に苛立ちを覚えた。

 そんなリュミエールの感情など知るはずもない裸同然の姿で眠るアメリアに、容赦なく雨が降り注ぐ。

「おい、そんな格好で寝てると流石に風邪を引くぞ」

 そんな格好にした元凶のリュミエールが謎に苛立つ感情を抑えながら、アメリアに声をかける。
 しかし、アメリアはリュミエールの声掛けにピクリとも反応せず眠ったままだった。

「おい、コラ」

 業を煮やしたリュミエールはアメリアに近付くと、剥き出しの肩に手を当てた。

「ん?  お前何か身体冷たくないか?」

 思った以上にリュミエールの手から伝わるアメリアの体温が冷たくて、リュミエールはアメリアの顔を覗き込んだ。
 よく見ると顔色は真っ青で、呼吸も浅い。

「――お前っ、もしかして倒れたのか!?」

 アメリアの異変にようやく気が付いたリュミエールは、咄嗟にアメリアの身体を両腕に抱え上げると、勢いのまま泉へと飛び込んだ。

 腕に抱えたアメリアの身体が胸まで泉に浸かると、一刻を争う状況に、リュミエールは惜しむことなく自身の残っていた神力を泉へと放出し始めた。

 泉が金色に光輝き、水の温度が上昇する。



 温泉のように温まった泉のお陰で冷たくなっていたアメリアの身体は徐々に体温が戻り始めていった。

 リュミエールはアメリアの体温を両腕に感じ取ると、大きく安堵の息を吐いた。






 しばらくするとリュミエールの腕の中でゆっくりとアメリアが意識を取り戻した。


 (温かい……)


 アメリアはぼんやりとする意識の中、うっすらと目を開いた。
 そして、絵画のような美しい顔を曇らせて、自分を不機嫌そうに見下ろしているリュミエールと目が合った。

「龍……リュミエール様。私……」

 アメリアが目を覚まし口を開いた途端に、リュミエールは安堵から一変、ふつふつと腹の底から怒りが沸き起こってきた。

「こんの馬鹿女がっ!」

 リュミエールはアメリアに向かって大声で怒鳴り付けたが、それでも怒りが収まらないリュミエールは、苛立つ感情を抑えきれず、怒りのままに自分の腕に抱くアメリアを泉へと放り投げた。

 ――バシャーン!!

 激しい水音が辺りに響く。

 泉に沈んだアメリアは咄嗟に何をされたか分からず目を白黒させながら、慌てて泉から顔を出した。

「ぷはっ!!   な、何するんですか!?」

 放り投げられた場所がアメリアの胸辺りまでの深さであったので、命に関わる行為ではないものの、とても神様とは思えないリュミエールの粗暴な行動にアメリアは非難の声を上げた。

「うるさい!  倒れていたお前を救ってやったんだ。文句を言われる筋合いはない!   お陰でまた私の神力はすっからかんだ!」

 ご立腹な様子でそう言うとリュミエールは口を尖らせながら空を見上げた。
 リュミエールの言葉にアメリアも釣られて空を見上げる。

「あ……」

 いつの間にか止んでしまった雨に、アメリアは思わず声を洩らした。

 アメリアはそれと同時に泉に浸かっている自分の身体に違和感を覚えた。
    アメリアはその違和感を確かめる為に、ゆっくりと泉から陸地に上がると、自分の身体に視線を向けた。

「え?」

 思わずアメリアから声が洩れた。
    それもそのはず、先程まで冷たくなっていたアメリアの体温が元に戻っただけではなく、アメリアの身体中に出来ていた無数の傷や痣までもが綺麗に消えていたのだ。
 呆然としながらアメリアは傷のあった場所を確かめるように手で撫でながら、リュミエールに自分の身体に起きた奇跡について尋ねた。

「リュミエール様。これは……?」
「ふん、私の祠の前で死なれては色々と面倒臭いから、私の神力をぶちこんだ泉にその身体を浸からせてやったのだ。当然身体は万全に回復するだろうな」

 素っ気ない口調で説明するリュミエールの言葉を聞きながら、アメリアは綺麗になった自分の身体を未だに信じられない面持ちで、まじまじと眺めた。

 リュミエールの思いがけない厚意に、先程受けた粗暴な振る舞いに対する彼への非難の気持ちは小さく萎み、変わりにじんわりとアメリアの心が温かさで満ちてくる。


「……これで私リュミエール様の番になることは出来ますか?」

 その気持ちに引っ張られたかのように、アメリアの口からポツリと無意識に言葉が洩れた。

「はぁ?」

 アメリアの言葉にリュミエールは再び間の抜けた声を上げると、呆れたような視線を彼女へと向けた。

 アメリアは自分の口から思わず漏れてしまった言葉を咄嗟に隠すように、パッと口元に手を当てた。
 しかし今更言ってしまった言葉を取り消すことも出来ず、上目遣いでチラリとリュミエールの表情を伺う。
   リュミエールはじっと不審な目をアメリアへと向けていた。

(うっ……。『何を言っているんだ。この馬鹿女』という心の声が聞こえてくるようだわ)

   リュミエールからの威圧的な視線に気まずさを感じるものの、アメリアは腹を括り、非難を覚悟の上でもう一度リュミエールに向かって口を開いた。

「その、身体の傷や痣が消えてリュミエール様がおっしゃられていた醜い身体じゃなくなりました。……ひ、貧相な所はどうしようもないですけど、で、でも、どうかこの身体で我慢して下さいませんか? 」  

 リュミエールの反応に身構えながらもアメリアが思いの丈を必死で伝える。リュミエールは縮こまりながらも自分を売り込むアメリアから珍しく視線を離さずじっと彼女の話を聞いていた。
   そんなリュミエールに気を良くしたアメリアは言葉を続けた。

「そして是非また雨を――」
「しつこい!!」

    “雨”という単語が聞こえた瞬間、それまで黙っていたリュミエールが弾かれたように大声をあげた。

「また雨雨と言い出したな!  お前みたいなしつこくてうるさくて、図々しくて、面倒臭い女、どんなに身体が綺麗になろうと真っ平御免だ!!」

 リュミエールはアメリアに向かってあらゆる罵倒を一気に捲し立てると、最後はげんなりした様子でアメリアから背を向けた。

「で、ですよね……」

 リュミエールの言葉にアメリアはしゅんと目に見えて落ち込んだ。

「全く!」

     そんなアメリアの姿に、リュミエールは感情的になっていた気持ちが僅かに削がれ、何を思ったか自分の着ていた上着を乱暴に脱ぐと、勢いよくそれをアメリアへと放り投げた。

「わっぷっ!」

 リュミエールの上着がアメリア身体を頭から覆う。

「これ以上は相手にしておれん!」

 言い捨てるようにそう言うと、リュミエールは自身の表現し難い感情を持て余すかのように、アメリアの前から逃げるように姿を消した。





  先程の喧騒が嘘のようにリュミエールの消えた泉は静寂に包まれた。

 アメリアは身体を覆うリュミエールの上着を頭から外し、ゆっくりと手に取った。

 冷たいのか優しいのかよく分からないリュミエールだが、彼のぶっきらぼうに放り投げたその服はとても温かった。
    アメリアはリュミエールの服にそっと顔を埋めると温もりを逃がさないよう大事そうにその上着を抱き締めた。




 *  *  *



 アメリアを犠牲にし、小さな国に数ヶ月振りに降りだした雨は一日で終わりを告げた。

 ――ドンッ!!

「くそっ、 龍神め!  アメリア一人では足りないと言うのか!!」


 伯爵が忌々しそうに執務室のテーブルに拳を打ち付けた。
 一日では到底枯れた土を蘇らせることは出来ない。
 これではまたいつ民達が伯爵が家に押し掛けるか分かったものではない。


「生け贄がもっと必要か……」


 伯爵は感情の消えた表情でボソリと呟くと執務室を後にしたのだった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

平凡令嬢の婚活事情〜あの人だけは、絶対ナイから!〜

本見りん
恋愛
「……だから、ミランダは無理だって!!」  王立学園に通う、ミランダ シュミット伯爵令嬢17歳。  偶然通りかかった学園の裏庭でミランダ本人がここにいるとも知らず噂しているのはこの学園の貴族令息たち。  ……彼らは、決して『高嶺の花ミランダ』として噂している訳ではない。  それは、ミランダが『平凡令嬢』だから。  いつからか『平凡令嬢』と噂されるようになっていたミランダ。『絶賛婚約者募集中』の彼女にはかなり不利な状況。  チラリと向こうを見てみれば、1人の女子生徒に3人の男子学生が。あちらも良くない噂の方々。  ……ミランダは、『あの人達だけはナイ!』と思っていだのだが……。 3万字少しの短編です。『完結保証』『ハッピーエンド』です!

傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。

石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。 そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。 新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。 初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、別サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

【悪役令嬢は婚約破棄されても溺愛される】~私は王子様よりも執事様が好きなんです!~

六角
恋愛
エリザベス・ローズウッドは、貴族の令嬢でありながら、自分が前世で読んだ乙女ゲームの悪役令嬢だと気づく。しかも、ゲームでは王子様と婚約しているはずなのに、現実では王子様に婚約破棄されてしまうという最悪の展開になっていた。エリザベスは、王子様に捨てられたことで自分の人生が終わったと思うが、そこに現れたのは、彼女がずっと憧れていた執事様だった。執事様は、エリザベスに対して深い愛情を抱いており、彼女を守るために何でもすると言う。エリザベスは、執事様に惹かれていくが、彼にはある秘密があった……。

キモデブ王子と結婚したくないと妹がごねたので、有難くいただくことにしました ~復縁? そんなの無理に決まっているではありませんか~

小倉みち
恋愛
 公爵令嬢ヘスティアの妹、アイリスは我がままだった。  なんでもかんでも自分が1番じゃないと、自分の思う通りに話が進まないと気の済まない性格。 「あれがほしい」 「これがほしい」  ヘスティアが断ると、ヒステリックを起こす。  両親は妹に甘く、ヘスティアに、 「お姉ちゃんでしょ? 譲ってあげなさい」  と言い出す。  こうしてヘスティアは、妹に色んなものを奪われていった。  そんな折、彼女はまた悲鳴をあげる。 「いやいやいやいや! あんなキモデブと結婚したくない!」  キモデブと揶揄された彼は、この国の第一王子。 「お姉様の婚約者の、イケメンの公爵が良い。お姉様、交換して!」 「はあ」  公爵も了承し、あれよあれよという間に婚約者交換が決まった。  でも私は内心、喜んでいた。  顔だけの公爵よりも、性格の良い第一王子の方がよっぽどマシよ。  妹から有難く「第一王子の婚約者」という立場を貰ったヘスティア。  第一王子とともに穏やかな生活を送っていたある日。  なぜか城へ殴り込んできた妹と元婚約者。  ……は?  復縁?  そんなの無理に決まってるじゃないの。

骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方

ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。 注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。

【完結】私はいてもいなくても同じなのですね ~三人姉妹の中でハズレの私~

紺青
恋愛
マルティナはスコールズ伯爵家の三姉妹の中でハズレの存在だ。才媛で美人な姉と愛嬌があり可愛い妹に挟まれた地味で不器用な次女として、家族の世話やフォローに振り回される生活を送っている。そんな自分を諦めて受け入れているマルティナの前に、マルティナの思い込みや常識を覆す存在が現れて―――家族にめぐまれなかったマルティナが、強引だけど優しいブラッドリーと出会って、少しずつ成長し、別離を経て、再生していく物語。 ※三章まで上げて落とされる鬱展開続きます。 ※因果応報はありますが、痛快爽快なざまぁはありません。 ※なろうにも掲載しています。

大嫌いな令嬢

緑谷めい
恋愛
 ボージェ侯爵家令嬢アンヌはアシャール侯爵家令嬢オレリアが大嫌いである。ほとんど「憎んでいる」と言っていい程に。  同家格の侯爵家に、たまたま同じ年、同じ性別で産まれたアンヌとオレリア。アンヌには5歳年上の兄がいてオレリアには1つ下の弟がいる、という点は少し違うが、ともに実家を継ぐ男兄弟がいて、自らは将来他家に嫁ぐ立場である、という事は同じだ。その為、幼い頃から何かにつけて、二人の令嬢は周囲から比較をされ続けて来た。  アンヌはうんざりしていた。  アンヌは可愛らしい容姿している。だが、オレリアは幼い頃から「可愛い」では表現しきれぬ、特別な美しさに恵まれた令嬢だった。そして、成長するにつれ、ますますその美貌に磨きがかかっている。  そんな二人は今年13歳になり、ともに王立貴族学園に入学した。

果たされなかった約束

家紋武範
恋愛
 子爵家の次男と伯爵の妾の娘の恋。貴族の血筋と言えども不遇な二人は将来を誓い合う。  しかし、ヒロインの妹は伯爵の正妻の子であり、伯爵のご令嗣さま。その妹は優しき主人公に密かに心奪われており、結婚したいと思っていた。  このままでは結婚させられてしまうと主人公はヒロインに他領に逃げようと言うのだが、ヒロインは妹を裏切れないから妹と結婚して欲しいと身を引く。  怒った主人公は、この姉妹に復讐を誓うのであった。 ※サディスティックな内容が含まれます。苦手なかたはご注意ください。

処理中です...