UQ(アーカム・クエスト)

心桜鶉

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第一章 1.アーカム技術

第7話 交差

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田中は窓越しにバイオフロンティア社の裏口玄関側から出ていく、一人の少女を見かけた。立ってはいるが後ろ姿、髪型は紛れもなく彼女――博士の娘、旭川ヒナだった。

「こんな昼間からどこに行くんだ?」

 確か、学生は今は長期休み中か。いいよな、学生は休みで。働いていると長期休みなんて年末年始くらいだぞ。旅行に行けるほど長く休みなんて取れやしない。
 彼女が車椅子ではないということは、例の発明品のおかげだろう。これは証拠を集める絶好のチャンスなのではないだろうか――。彼女に付き添いもいない。完全に一人だ。
 田中はパソコン作業をしていたが、『離席中』と画面に表示させ席を外すと、いそいで彼女のあとを追った。

 道中、物陰に隠れながら写真を何枚か撮った。写真で確認しても顔はやはり旭川ヒナだ。彼女の父親であり、博士でもある旭川秀樹は一体どんな発明をしたんだ。
 もしあれが本当に歩行困難者を歩行可能にまでする薬なら――そんな素晴らしい発明をなぜすぐ公表しない。もしかして完全に歩行可能にするのではなく、一時的にしか回復しないのか?
 それも含めて俺がこの目で確かめてやる――田中は大型施設が多い、駅周辺エリアを目指している旭川ヒナを20メートルほど間隔を開けて追跡するのであった。


 ――三十分前。


「お父さん、外行きたいんだけど、これ使っても良い?」

 旭川博士の部屋に入ってきた娘――車椅子に乗ったヒナはアーカロイド接続用のUDPを膝の上においていた。
 先日、初めてアーカロイドを使い擬似的にも自分の足で歩けるようになってからアーカロイドのことを随分と気に入っているようだった。
 博士は3台あるアーカロイドのうち予備とした1台を除き、それぞれ弟子の三輪大輔と娘のヒナにわたした。
 そのため、そのアーカロイドはほぼヒナの物といっていい。だが、外に出るからには扱い方には気をつけなければならない。そのことを気にして博士に聞いたのだろう。

「もうそれはヒナのものなんだから自由に使っていいさ。でも早く帰ってくるんだよ。私はここで作業しているからなにかあったら連絡よろしく」

 ヒナは頷くとアーカロイドに接続するため、自室に戻った。ヒナの自室は一階上の地下2階にあり、地下三階は主に研究スペース、二階が居住スペースになっている。普段、車椅子のヒナはエレベータを使って階の移動をする。
 接続は遠距離専用通信を使うため、どこからでもアーカロイドに接続することができる。そのため、地下2階にいても地上にいても地下三階の保管してあるアーカロイドに接続することができるのだ。
 接続して使用している間、使用者の体は寝ている体勢が多い。そのため、ベッドなどの柔らかいところで接続すると戻ったときに体に負担がなくて楽だ。ヒナが接続するアーカロイドは私の部屋にある。接続し終わったら、メンテナンスも兼ねて私の部屋に戻して保管するようにしている。
 そろそろヒナが接続してくる頃合いだろう。博士はアーカロイドが保管してあるくぼみのほうを向いた。今はまだケースに入っておりマネキンのような状態だが、接続をするとUDPが体のスキャンをし、寸分違わず、ヒナの体に変化する。それはケース内で行われる。ケースに戻らず外で一度外すだけなら元のマネキン姿に戻ることはない。その体型は維持され続ける。
 ケースが青色に光り出した。ヒナが接続しているのだろう、接続中ということを表す発光だ。ものの数秒でケースの蓋が開いた。
 私の部屋から出たヒナが、ここから出てくるのは不思議な感覚だが、自分でもそのように錯覚してしまうほどリアルにできているのだ。

「じゃあ、お父さん行ってくるね!」

 ヒナは嬉しそうに一歩を踏み出した。

「いってらっしゃい」

 ヒナを玄関まで送り、見送る。町まで小走りで向かうヒナの足取りは軽やかだった。

 博士は自室に戻るとPCの前に座った。弟子からの進捗の報告メールがそろそろ来てもいいじゃないか、と思いつつメールボックスを開く。受信メールフォルダには2件の新着メッセージが届いていた。だが、それは弟子からではなく、ここバイオフロンティア社の清掃業務を委託している会社――ベニトーテクノロジー社、からだった。経営不振により総合事業社――スペランツァ Ltd.により買収されたとのこと。スペランツァ Ltd.の傘下に入っただけで事業形態は変わらず、ベニトーテクノロジー社が行うそうだ。

「なんだそりゃ……」

 この世の中、上が変わることはよくあることだが、時期が急だなと思いつつ、もう一つのメッセージを開く。もう一つは開発部からの新薬治験の報告書だった。

「三輪は何をしているんだ……。何でも良いから報告してくれ」


 弟子からの報告書と出かけたばかりの娘の帰宅を待つ間、新薬治験の報告書を読むことにした。




            ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
            
            
            
 バイオフロンティア社――裏口ドアを開けると秋風が木の葉をさわさわ揺さぶっているのを耳にひやりと聞く。アーカロイドを使用していなければ、実際の秋の涼しげな風はどんなものだろうか――と旭川ヒナは思った。アーカロイドでも触感はあるようだが、音や視覚からのイメージにより、記憶が呼び出されて再現されている感じがする。
 秋といえば、食欲の秋だが私の大好きなほくほくの焼き芋や、さつまいも料理や栗ご飯といった、秋の味覚はアーカロイドでは味わえない。口はあれど食べることはできないのだ。食べるのはいつでもできるので使い終わったらすればよいが、アーカロイド使用中でも食べれたらな――と思うとお腹が空いてきた。
 もし、すべてこの機械で何でもできてしまうと、もう人間に戻れなくなってしまうのではないか?
だからこそ、一部出来ないことがあるのだろう。食べることができないのは別に良いが、電源が切れてしまうことはないのだろうか。アーカロイドの動力源はお父さんからは知らされていない。お父さんは、心配しなくても大丈夫――と言っていたが、その点だけは不安である。

 私は駅がある大通りまで向かっていた。普段、車椅子を使用している私は通行人が少ない時間帯に行くことが多いので、今日のような時間帯を気にせず、好きなときに行けるのはアーカロイドだからかもしれない。今の私が通行人からはどう映るのだろうか。私は私に映るだろうか。
 後ろを振り返っても、先ほどから歩いてきた町並みが続いている。ゲームのように処理を軽くするため、今見えているものだけを鮮明に写しているのではない。アーカロイドがその場にいる限りレンズで視えていない後ろの町並みもちゃんと存在している。まるでその場にいるかのようにアーカロイドを通して私は見ることができているのだ。
 だが、アーカロイドもおそらく人の目と同じように、レンズに入ってきた物体に当たって反射した光が何らかの形で電気信号として変換されているはず。
 人の目は反射したその光を視神経を通して信号として脳に伝達されることで、 物体を像として認識でき、ものを見ることができる。そう考えると、人の脳は常に膨大な情報を処理していることになる――改めて考えると人間はすごいな。

 もう一度その場でぐるっと周り目に映る風景を眺めながら、何気ないこの一コマを切り取りたいな、と思ったとき、一瞬、視界全体が切り取られたようになった。

「え!?」

 すぐに左下に小さくリサイズされ、その下に

『※所有している携帯端末に送信しますか?』

 と表示された。
 これは写真なのか……?
 どうやら私は今みえている視界を撮影したようだ。アーカロイドの機能にこんな『視界撮影』があったなんて!
 携帯には……入れなくていいか。目に視えている視界が膨大な情報量ならこの鮮明な画像一枚はどれだけのデータ量なのか計り知れないし、今保存してしまったら、クラウド領域が一瞬で圧迫されてしまうかもしれない。

 そのとき、私はなにか視界左下で何かがくるくると回っているものに気がついた。目の前に表示されたのは先程撮った写真と、一度後ろを振り返ったときの映像記憶だった。
 それをみて私はあることに気づく――気づいてしまった。よく見ないと気が付かないが私の後方数十メートルのところにある、電柱に隠れている人影がいる。
 私がそのことに認識したと同時に、アーカロイドのアーカム・システムはそれを強調表示した。

 ――間違いない。

 その人物は常におよそ20メートルの間隔を開けて私の跡をつけていた。
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