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闇の王国と光の魔物編

第十一話 ヴェルヌ川にて(4)

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 腹に刃を刺されたクラーケンは、声にならない叫びを上げた。
 クラーケンと同種とされるイカは、声帯を持たず叫ぶことは不可能だが、それでもクラーケンは間違いなく絶叫した。
 刺された激痛に、身を震えさせ足をバタバタさせて荒れ狂った。

『うるさいねえ……大人しく捌かれちゃいなさい!』

 魔剣を刺したジンメは、さらに力を入れ深く突き立てる。クラーケンの身はより大きく暴れた。
 しかし、クラーケンとてただ刺されっぱなしでは済まなかった。

「ジンメ、後ろ!」

 レッドが叫ぶ。

 クラーケンの触手たちは、我が身を傷つけた小人を許すまじと、その全てが真っ直ぐレッドの体に押しかけてくる。

『――ふん』

 だが、今現在体の主導権を握っているジンメは動ずることもなく魔剣を抜き、振り返りざまに触手たちを薙ぎ払う。
 何本もの触手が、ぶつ切りになって宙を舞った。

『そんなチンタラしたゲソなんかで、僕を捕まえられるものか!』 

 薙ぎ払った勢いのまま、今度は足下の胴体をちょうど半分あたりで切断してしまう。先ほどまでとは比べものにならない緑色の血が、大量に飛び散った。

「うわっ!」

 慌ててレッドは顔を手で覆うが、間に合わず今度は体が緑まみれになる。ちなみに左手と顔の左半分は無事だった。

「――てめえ、さっきからわざとやってるだろ」
『さあ、なんのことかな?』

 素知らぬ顔をする左手に付いた顔を睨みながら、レッドは魔剣を奪い返した。

「終わった、かな……?」

 レッドは息を一つ吐くと、そう呟いた。

 胴体を裂かれたクラーケンはしばし暴れていたが、今やまったく身動きせず緑色の血を川へと放出しているだけだった。さっきジンメが斬った足たちもその辺に漂っている。
 唯一残った目からは光が感じられず、濁っているようにも見えた。
 恐らくは死んでいる。素人目にはそう判断した。

『大丈夫大丈夫、こりゃ確実に死んでるよ。やれやれ、一時はどうなるかと思ったけど、なんとか終わったね。ふふん、僕の活躍あってこそだよ、感謝してくれていいさね君も。どうだい? 崇めたてまつる気になったかい?』
「その台詞さえなきゃ、二秒くらい感謝の言葉を言っても良かったんだがな」
『二秒じゃありがとうございます程度しか言えないでしょうが! んな早口言葉での感謝なんか嬉しくないわい!』

 ジンメがそう苛立つのをレッドは無視したが、実際のところ役立ったのは事実だった。

 ジンメに体を預け、奴の感知魔術による相手の動作予測で回避と攻撃を行う。流石に体術も極めていると豪語していただけあって、あれだけ機敏に動けるのは大したものだ。レッドには、襲いかかる触手を足場代わりに飛び回るなんて出来そうもない。

 ただ、剣術は素人らしく、魔剣の切れ味が良すぎて問題ないが、振りがだいぶ甘くレッドからすれば笑いものだった。
 何より、どうもジンメには鎧を召喚することは出来ないようで、黒き鎧はレッドの許可がないと使えないという弱点があり、一長一短である。

「とにかく、なんとか無事で良かったよ。クラーケン退治は終了……だけど……」

 ふと、息絶えたクラーケンに向けられていた顔を上げる。

 遠巻きにレッドを囲っている船の乗員たちは、今もなお呆然としていた。
 ただし、彼らが今呆けているのは、さっきまでと違う理由だったが。

「――やり過ぎたな」
『目立ち過ぎだよ。あんだけ大暴れして、この街に潜入する気で来たの忘れたかい?』
「忘れちゃいないが……」

 レッドは頭を抱えたくなる。

 自警団の連中は、当然の反応をしていた。まあ、誰だって目の前で大型の魔物がたった一人の青年にあっさりとぶった切られれば、我が目を疑い正気を疑うのが当然だ。最初の作戦が失敗し、皆が絶望したのが強ければその驚愕もより強くなる。

 無我夢中でやってしまったが、これははっきり言って悪手だった。これでは、怪しまれない訳がない。彼らに取り入って探る計画は、完全に失敗したと言っていい。

 とりあえず、この場をどう乗り切るか――などとレッドが悩んでいたところ、

『――!? レッド!』

 急に、ジンメが叫ぶ。

「ど、どうした?」

 いきなり切羽詰まった声を出すので、レッドは何事かと焦る。

『まだだ、あいつまだ生きてやがる!』
「はぁ!?」

 レッドは仰天し、足下にあるクラーケンの死体を見下ろした。
 けれど、死体は死体らしく微動だにしていない。

『そっちじゃない! 向こうだ!』
「なに!?」

 ジンメの声に従い、振り返る。
 だが、やはりそこには何も無かった。せいぜい、切り落としたクラーケンの足くらい。

 いや、何も無いように見えた。

「……!?」

 その時、

 切り落とされて浮かんでいたはずの足たちが、ピクピクと脈動し始めた。
 そして、バタバタ水面で暴れ出したと思うと、こちらへ向けて飛び跳ねてきた。

「んな……っ!?」

 レッドは動揺しつつ、魔剣で足たちを弾き飛ばす。

 弾かれた足たちは、しかしなおもこっちへ向かってくる。
 その足の先には、猛獣のような鋭い牙を持った口があった。

「な、なんだこいつら!?」
『――やはり、魔物化していたか』

 驚きを露わにするレッドと違い、ジンメは極めて冷静にそう答えた。

 魔物化。

 現代において一般的に知られている魔物という獣は、かつては魔力を持った獣、すなわち魔獣と呼ばれていた。今では混合されているが、魔獣と魔物は全く別の生物だ、とはジンメの弁である。

 では、本来の魔物とはどういうものかというと、邪気、つまり汚れた魔力を吸収し、その生態が変貌してしまった生物を指すという。

 邪気により変質したものは、本来の肉体から逸脱した別個の存在と化す。二つ首の竜となったり腕が何本も生えてきたり、口が頭部から無数に湧き出たりとその異形化に法則も何も無く、まさにおぞましい怪物となるのだ。

 そして魔物化したものは、無尽蔵の食欲で手当たり次第あらゆるものを喰いまくるようになる。恐らく、元々海の生物であるクラーケンが川へ登ってきたのも船を目に付く限り襲ったのも、魔物化へと至る課程で生態が変質したからだろう。

 何にせよ、今はこちらへ襲いかかってくる異形の足たちを止めるのが大事だった。次々飛びかかってくる触手たちを、切り裂いていく。

 けれど、普通に切断しても無意味だった。

「こいつら……!」

 レッドは、思わず息を呑む。

 両断された足が、また新しい口を生み出して別個の触手として活動しだしたのだ。これでは、斬るたびに数を増やしているのと同じ事だ。

「し、しかし、なんでこいつら俺を襲ってくるんだ!?」

 レッドはそう疑問を口にする。

 先ほどから、異形の足たちはレッドしか狙っていない。人を喰らうのが目当てなら、周りの船を襲撃してもいいはずなのだが、一心不乱にこちらへ向かってきていた。

『――いや、こいつらの狙いはお前じゃないよ』
「は? どういう……」

 ジンメからの予想外の返答に、レッドが困惑していると、とんでもないことを言い出した。

『川に飛び込め!』
「はぁ!?」

 思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。こんな獰猛な水棲生物がいる中で、川に入ってしまえばどうなるかは火を見るより明らかであろう。
 だが、ジンメはなおも声を張り上げ叫ぶ。

『いいから早くしろ!』
「っ……喰われるときは、真っ先にお前を差し出してやる!」

 ジンメの必死な姿に、レッドは何か分からないままだったが川へダイブする。

 水の冷たさに体を震わせつつも、とにかく泳いで距離を取った。

 ――?

 レッドは、すぐにおかしいことに気づいた。

 すぐさま襲ってくるだろうと思った異形の足たちが、全然来ない。何事もなく泳げている。先ほどまで一心不乱に飛びかかってきた事を考えると、異様な事態だった。

 何が起きたのか、と思い、浮かび上がったレッドが見た光景は、

「うわっ……」

 目を覆いたくなるような、おぞましい代物だった。

 異形の足たちは、かつて自らの肉体だったもの、つまりクラーケンの胴体部分に喰らい付いていた。クラーケンの裂かれた死体が、大量の触手たちに見る間もなく喰われて無くなっていく。

「……同化しようとか考えてんのかな」
『まさか。一番デカい獲物だからだろ』

 冷ややかなジンメの返答がより怖い。
 そうこうしている間に、クラーケンの胴体は食い尽くされて消滅してしまう。
 やがて足だけが残ったとき、それら異形の存在たちはさらに醜悪な変化を遂げる。

 一本一本バラバラだった足たちが、膨れ上がりひっついていく。
 ネトネトした表面を覆う粘液が絡んでいき、肉体自体が融合していった。
 そうして、大量に分裂した足たちは、黒い靄、邪気を伴いながら一個の魔物と生まれ変わった。

 長い足たちが纏まったその姿は、イカというより蛇に近い。
 白無垢の全身は吸盤がイボのように乱立し覆われており、気持ち悪さをより強調していた。

 頭部はガバッと開き、口の中に無数の口があるという正常な生物から逸脱した醜さを持つ変貌ぶりは、もはや生物とは言えなかった。

 まさに怪物。何者をも喰らうしか能の無い、恐るべき魔物がそこにはいた。
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