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闇の王国と光の魔物編

第十話 ヴェルヌ川にて(3)

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 意気揚々と船に乗り、魔物討伐作戦に参加した自警団の豪傑たち。
 彼らは今一様にして、言葉を失っていた。

 予想を遙かに越える異様を持つ、クラーケンのその巨体。
 触手の一本一本、吸盤の一つでも吸い付けば人の身など容易に引き千切られるだろう。そんな確信を、誰もが持っていた。

 この場のほとんどの人間が、言葉を失うだけでなく体の自由まで失われていた。作戦は既に開始されているのだから動かねばならないが、皆が圧倒されてしまい正気に戻ることは困難そうだった。

「――くそっ!」

 などと悪態をついたのは、数少ない正気な人間のレッドだった。

『だから、素人だけで魔物退治なんて無理なんだよなあ……しかもクラーケンなんてさ』
「ゴタゴタ言うな。今すぐ行くぞっ!」

 そう叫ぶと、レッドは船に出来た己の影に手をかざし、魔剣を取り出そうとしたが、

『待てレッド。出すのはやめな』

 とジンメに止められてしまう。

「は!? なんでだよ、すぐにやらないと……!」
『待てって言ってるでしょ。よく見な』
「なに?」

 ジンメに促され、クラーケンの方に視線を移すと、レッドはすぐさま気がついた。

 クラーケンの様子がおかしい。
 最初に水面から飛び出してから、ずっと浮いたままだ。こちらを襲うにしても、一旦潜水し水の中から襲った方がいいはずなのに。

 それに、浮いている今の状態、クラーケンは何もしてこなかった。時々触手を動かしたりもするが、ダラリとしてこちらへ触手を伸ばそうともしなかった。気のせいかクラーケンの体が僅かに紅潮しているようにも見える。

 まるで――酒を飲んでへべれけになった酔っぱらいの姿だった。

「――酒、効いてるのか?」
『効いてるみたいだねえ。あの量じゃちょっと無理かとも思ったけど、ちょうどよかったみたい』

 言うとおり、クラーケンの様子はまともでなかった。大きさは想定外であったが、作戦は成功と思っていいらしい。

『でも、いつまで効くか分からないよ。今のうちに仕留めた方がいいね』
「分かってるって……!」

 レッドは両手を振って、周囲の船に攻撃の合図をする。呆けていた彼らも、それを見て気がついたように慌てて準備しだした。レッドもオールを漕いで、なるべくクラーケンから離れる。

 船に積まれた爆薬入りの樽を、全部水面に落とす。レッドはてっきり、爆弾を投下すると思っていたが、作戦会議の時に違うことを告げられる。

 クラーケンに対して正面を向けられた樽は、突如反対側、樽の上部に対して下部のところが、凄まじい勢いで水しぶきを上げてクラーケンへ突っ込んでいく。
 すぐにクラーケンの肉体に衝突した樽たちは、一斉に爆発し辺りに強烈な爆風を生んだ。

「すげえ……」

 思わずレッドは感嘆してしまった。

 話を聞いたジンメが、異界の兵器である魚雷っぽいと語っていた。下部のところに魔術式が刻まれており、水面を滑るように直進してクラーケンに激突、爆発するよう組まれているとギリーの説明にあったが、実際この目で見ると圧巻の光景である。

「自警団の奴ら、あんな樽をどこで仕入れてきたんだ? とんでもない威力じゃないか」
『いや、彼らが買ってきたのは爆薬だけだね。樽に刻まれた術式は誰かが別に刻んだものさ』
「別に……自警団に、魔術師がいるってのか?」
『ああ。それも、割とセンスある奴だね。あれだけ綺麗に水面を走って、当たった途端に爆発させられるよう組むのは面倒さ』

 レッドは驚いてしまう。とんだ素人どもの集まりと思っていた自警団に、そんな腕の立つ魔術師がいるとは意外だった。

 しかし、それは後で聞いてみることにして、今一番気にせねばならないのはクラーケンのことだった。激しい爆風と水しぶきが生まれ、カーテンのように辺りを白く覆っているため状況が分からないが、本当に倒せたのだろうか。

「どうだ、ジンメ?」
『んー……」

 などと、妙に気を持たせる感じでしばらく唸っていると、

 カーテンの先から、強烈な勢いで白い影が飛びかかってきた。

「うわっ!」

 動揺したレッドは、船の上で体を反らして避ける。あまりに急に体勢を変えたため危うく船が転覆しそうになったが、なんとか助かった。

 と同時に、白く長い影がレッドがいたその空間を突っ切っていった。

「これは……!」

 獲物を外れ、うねうねと空中で乱れる白い足が何かなど、馬鹿でも容易に分かることだった。

 白いカーテンが消えたその先に、クラーケンがその触手を蠢かせて佇んでいた。

『あーごめんごめん、無事だったわ。いやあ僕の感知も鈍くなっちゃったかなあ?
「てめえ、わざと言わなかったろ!」

 そう怒ってみるも、ジンメは平然とした様子だった。こちらを驚かす目的で、たまにこんなイタズラをするのがこいつの嫌なところだとレッドは内心で愚痴る。

 しかし今はそんなことは後と振り切り、起き上がったレッドは身構える。あれだけの爆薬を喰らって生きているとは、恐ろしい生命力だった。

『――いや、無事とは言い難いみたいだね』

 ジンメがそう指摘する。眉をひそめたレッドがクラーケンの方をよく見ると、その意味が理解できた。

 露わになったクラーケンの姿は、酷いものだった。
 自慢の触手は何本か途中で千切れており、目玉も一つ潰れてしまっている。
 内蔵が透けている体の部分も、ところどころに痛々しい傷跡があり、緑色の血を噴き出していた。

 爆弾の影響なのは明白である。確かに、爆弾攻撃が無効というわけではないようだった。

「そりゃ嬉しいけど、ねえ……」

 レッドは再び周囲に視線を巡らせる。

 自警団の連中は、クラーケンがまだ生きていることに愕然としていた。まあ、あれだけの爆薬を喰らわせて生きているなど想像もしていなかったろうから無理もない。案山子のように身動きが取れなくなった彼らに、支援を期待するのは無理そうだった。

「だから後詰めの作戦考えろって言おうとしたのに……」
『別に大した差無いって。あいつらに爆薬以外のアイディア浮かんだと思う?』
「――さて、ね」

 質問には答えず、クラーケンの方に視線を戻す。

 何の偶然か、クラーケンと目が合ってしまった。
 特有の真っ黒い目が、こちらへの敵意を主張するように鋭く光っていた。

「……狙いはこっちか」
『まあ、一番近いしねえ』
「俺爆弾撃って無いんだけどなあ……しゃーないか」

 レッドは、今度は止められることなく自らの影から魔剣を取り出した。
 一切の光沢を持たない闇色の、凶暴で凶悪な剣を構えると、今まさに触手を伸ばし襲いかかろうとしたクラーケンが一瞬怯えたような止まる。

『待てレッド。僕にやらせてくれよ』
「なに?」
『この状況なら、僕の方が向いてると思うけど?』
「――鎧は使わないからな」
『必要ないよ、こんな雑魚相手にさ』

 それを聞くと、レッドは左手に魔剣を渡して、力を抜く。
 すると、レッドの意思に反して左目が見開かれ、燃えるような紅蓮に輝く瞳をクラーケンに晒した。

 その赤目に恐怖を覚えたのか、クラーケンは震えるような仕草をした後、残った触手を全てレッドへ叩きつけようとする。

 一斉に俊敏な白い足たちに襲われたレッドの船は、船の形を留めないほど粉々に砕かれる。

 しかし、砕かれたのは船だけであった。
 レッドの姿は、何処にもない。

 クラーケンは、戸惑った事だろう。何が起きたか、分からなかったのに違いない。
 だが、その謎はすぐさま解かれることとなった。

『デカいだけだね……ウスノロがっ!』

 トンと、レッドの体が伸ばされたクラーケンの触手の上に着地する。
 レッドの体を借りたジンメは、船から高く飛び上がり触手を避け、しかも足場代わりにしたのだ。
 当然、ただ船の代わりにするため乗ったわけではない。

『さて……行くぞっと!』

 ジンメはレッドの足を軽快に走らせ、触手の先にいるクラーケンへと走り抜けた。

 無論クラーケンとてそんな無謀をただ黙って見守るわけがない。
 触手を動かし、自らを狙う敵をはたき落とそうとする。

『よっ! はっ! ほっ!』

 けれど、ジンメはレッドの体を縦横無尽に動かして、時に躱し時に足場代わりに、触手の間を飛び回ってどんどんクラーケンに接近していく。

 やがて、クラーケンを捉えられるほど接近したとき、ジンメが叫んだ。

『ちょっとキツいの来るよ、気をつけな!』
「な、なに!?」

 レッドが何のことだと言う前に、答えがクラーケンの方から飛んできた。

 クラーケンが持つ墨袋という部分から吐き出される、イカスミと呼ばれる黒い液体。それを勢いよく吹き出したのだ。

「わぷっ!?」

 避けようとするが、体の主導権を預けてしまっていたので避けられない。せいぜい右手で顔を覆うくらいで、思い切り浴びてしまった。

 だが、顔の左側は魔剣で防いでいたため無事だった。ジンメはニヤリと笑いながら、触手を走り抜けて胴体部分に足をつける。

『レッド、腹減ってるそうだから――今すぐイカ刺し作ってあげる……よっ!』 

 なんて嗤いながら、ジンメは魔剣をクラーケンに突き刺した。
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