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転生勇者と魔剣編
第六十九話 亡郷(1)
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邪気溜まりと魔物の大量発生で、王都は大混乱に陥った。
王都の目の前でダンジョン形成という異常事態に、誰もが騒ぎ、困惑し、慌ててしまった。
王都から逃げようとする者、冒険者ギルドから護衛を雇う者、王城に向かって喚き散らす者、実に多岐に亘ってこの混迷を表現する彩となっていた。
しかし、そんな喧騒とは、縁のない者たちもいた。
正確には、縁がある奴らは残っていない場所だったが。
そこは、王都ティマイオのスラム街。
貧困層が隔離されて暮らす、王都の掃きだめであった。
今この場所は、異様なほどの静けさで満ちていた。
というのも、スラム街に住む人々のほとんどが、出払ってしまったからだ。
普段は王都の賑わいから外れ、煌びやかな世界を避けるように暮らしている彼ら。
しかし、今日は違っていた。
何しろ近衛騎士団は壊滅し、王都を守護する衛兵すら出払ってしまい、門番すら足りないくらい王都の防衛は緩くなっていた。
屈強な男たちはこの機に金持ちの家へ盗みに入ったり、店から店へ品物を奪いに行ったり、好き勝手に暴れまくっていた。王都へ別邸を構える大貴族辺りだと私兵くらい置いているものだが、全員がそれを出来るほど財源があるとは限らない。酷いところになると家を襲って住民を襲ったり、家に火を放っている者もいるだろう。
他の元気な者は、この非常事態に脱出しようとこっそり門を抜けようと企てていた。普段は非常に出入りが厳しいが、門番すら欠けている今は難しくない。そう判断し、着々と準備しているようだった。
というわけで、スラム街を根城とする貧民たちも色々忙しいため、こんな場所でダラダラ過ごしている者など、病人か老人、要は自ら動けず見捨てられた者ばかりだった。彼らだけが、この静寂に染まったスラム街の平和を満喫していた。
そんな、静寂を満喫していた者たちの中に、
「……あー、痛い。風呂入りたいなホント……」
レッド・H・カーティスが、ボロ布に身を包んだ状態で寝転がっていた。
「あー体中痛い。魔剣使うといつもこれだよ……戦っている間は気分がいいのに」
ゴロゴロしながら呻いている彼の顔は、同じくボロ布が巻かれていた。無論、焼かれた顔の左側を隠すためだが、痛み自体は引いていた。無論、失明したのはそのままであるが。
これも黒き鎧の力である。絶大な力と共に体の怪我などを回復する。ただし、鎧を外した後は全身筋肉痛のような痛みが走って大変だが。
なので、戦い終わったらこんな時間が必要となる。昨日は前回とは比べ物にならない激戦だったため、痛みは比較にならないほど酷かった。
「ま、助かっただけマシか……今は体力回復と……逃げること考えないとな」
などとダラダラしつつ思案する。実のところ体の痛みと共に、レッドが今一番頭を悩ませていることだった。
昨夜、というか今日の夜明け前に王都を襲撃した後飛んでいったのは、グリフォンだけだった。
レッドは、王都を適当に破壊した後、グリフォンを降りてスラム街に隠れたのだ。
理由は、勿論囮作戦である。
普通に逃げたのではすぐに追っ手が来ると思ったレッドは、施設を破壊することで注目を集め、敢えて目立つようグリフォンに飛ばせて、王都から逃がすことで注意を逸らすことにしたのだ。まさか王都を襲った賊が、足代わりのグリフォンを捨てて王都に残っているとは考えもしない。
無論グリフォンはただ逃がしたのではなく、今日の深夜に戻ってくる手筈である。魔道具を介せばそれくらいの命令は出せる。それぐらいまでには回復しているだろうから、自分を探しに外へ向かった奴らの穴を突いて逃げるつもりだった――のだが。
「こんな事態に発展するなら、普通に逃げて良かったかもな……まったく、どうしてこうなっちゃったかね」
上半身だけ起こすと、閑散としたスラム街を見やりながら耳を澄ませる。ほんの僅かではあるが、外の喧騒が耳に入ってきた。
夜中に潜り込んでから、朝までスラム街もごちゃごちゃ騒いでいたので、大体の事情は把握している。かなりの大事になってしまっていることも。
あの時発生した魔物が、そこまで大問題になっているとは知らなかった。邪気溜まりだとかダンジョンとか聞いたが、レッドとてその意味くらいは分かるものの、それがそう簡単に発生しないことも授業で習っていた。だからこそ、どうしてそんな事態になってのか理解不能だった。
心当たりなら、一つあるが。
――あの時だよな、多分。
レッドが思い浮かべたのは、アレンとレッドが、いや、白き鎧と黒き鎧が、光と闇の刃をぶつけ合った時だった。
あの激しい力が激突した直後、あの黒い靄と大量のアンデッドが出現した。ならば、関係があると考えるのが自然だろう。
それにもう一つ、レッドには思い当たることがあった。
『あの馬鹿ども……とんでもない量の邪気をばら撒きやがって……!』
そう、アンデッドが発生した時、枢機卿長は言っていた。どうもあの男だけが、何が起きているかを把握していたらしい。
黒き鎧が原因というのは、まあ分かる。レッド自身、あれがまともな力でないことは理解できた。前回の自分の最後を考えなくても、黒き鎧が禍々しく恐ろしい代物だとは、実際使っている自分が肌で感じている。仮に邪気で動いていると言われても驚きはしないだろう。
しかし、馬鹿どもとはどういうことであろうか? あれでは、原因が黒き鎧だけでなく、白き鎧にもあると言っているようなものだ。いったいどのような意味で、あんなことを言ったのか、皆目見当がつかなかった。
「――ダメだ、これ以上はいくら考えても無駄だな。今は、体力回復に専念するか」
などと思い直して、再び寝転がる。
どうやら国は、大量に発生した魔物の対処に忙しくてレッドを探す暇など無さそうだ。これならグリフォンにそのまま乗って逃げた方が良かったと後悔していたが、今更どうにもならない。
とにかく今は、休みを取ることを優先する。改めて寝よう、と思ったのだが、
それに合わせたように、腹の音が響いた。
「……腹、減ったな」
今くるまっているボロ布は、道端に捨ててあった物を拾って使っているものだ。スラム街には何も無いというのは間違いで、結構いろいろなものがそこら辺に落ちている。大概、表で暮らせる人間が捨てたゴミだが。そうしたゴミを利用していけば、意外と物には不自由しなかったりする。
食料品を除けば、の話だが。
「どうすっかな……」
どこかから食べ物でも盗もうか、とも思ったが、体中痛いままなのでやはり寝ることにした。
盗みなんて前回の時スラム街で生活していた頃以来かもな、と思ったが、そういえば昨日魔剣盗んだっけと変な笑いを漏らす。
王都を存続の危機に陥らせておきながら、その実行犯は呑気なものだった。
***
グリフォンに自分のところに戻るよう命じていたとはいえ、まさか王都で待っているわけにはいかない。いくら混乱状態とはいえ、のこのこグリフォンを飛ばしてしまえばすぐに落とされることだろう。
そこで、レッドは夜中になった後で、グリフォンが来る時刻より早く王都へ脱出することにした。見つかった時は戦闘を覚悟していたが、意外と簡単に抜けられた。
まあ、正確には、抜けたというよりは魔物が城壁を破壊して、衛兵や住民がパニックになっている間に、破壊された壁から出ただけだが。とにかくこれで、王都から脱出してグリフォンを迎える事が可能となった。まだ痛みの残る体に鞭打ち、なるべく距離を取るよう走る。
程なくして、グリフォンがこちらへ飛んできた。あの後無事だったか案じていたものの、何処にも怪我などしておらず平気そうだ。
「よしよし、よく来てくれたぞ……」
そう言ってグリフォンを撫でるが、それがかつてスケイプがしていたのと同じだと気付きふと手が止まる。
「…………」
今はこうして、グリフォンは自分の言うことを聞いている。
しかし、こんなものは一時のものでしかない。所詮本来のテイマーであるスケイプがいない今、明日か明後日には使役は解ける。そうなれば、グリフォンは解放され逃げていくだろう。
あるいは、自分に復讐でもするかもしれない。所詮は魔力で従えただけの魔物だ、支配から逃れれば大概そうなるのが常だという。
「スケイプ……」
感傷に浸りそうになったが、振り払ってグリフォンに乗り込む。今は、そんな余裕などない。
気を取り直して、目的地に向けてグリフォンを飛ばす。
目指す場所は、カーティス領地だ。
***
王都に逃げ込んだ後、レッドはカーティス家の別邸に行こうとは思わなかった。
別に前回の時のトラウマがあるからではない。行ったって無意味だと思ったからだ。
ガーズ団長の言うことが本当ならば、両親も兄たちも拘束されていることだろう。――助けに行くかとも思ったが、何処に捕らわれているのか、そもそも生きているかも不明だし、やはり何よりそんな気になれなかったということで止めることにした。
そして、別邸も捜索されているはずだ。捜索と言えば聞こえはいいが、今回の件からすると捜索というより証拠の捏造と都合の悪い事の揉み消し、あと略奪目的だ。特にカーティス家と裏の繋がりが深い者たちは、死に物狂いで家を荒らしまくっていることだろう。
なので、別邸に行ったところで何も得られず、むしろ警戒されているであろう場所に自ら飛び込むようなものだと判断し止めておいた。
しかし今、レッドはグリフォンを飛ばしてカーティス家本家屋敷へ向かっている。
「――さて、もう少しで見えるはずだが……」
グリフォンの速度はワイバーンより速く、思ったより時間を取らず到着しそうだった。スケイプが所有していたグリフォンは、かなり優秀な個体らしかった。
「どうなってるかな、ホント……」
なんて呟きながら、レッドは考えていた。
捜索の手が回っているのは、本家の方も一緒だろう。本家より王都の別邸の方が豪勢なアトール王国貴族の特徴からすれば、そんな大掛かりではない可能性はあるが、全然調べないわけがない。ベヒモス討伐作戦開始前から、衛兵が家探ししていたこともあり得る。
この王都の大騒ぎを考えれば呼び戻されているとは思うが、レッドが逃走したことで張っている者もいるかもしれない。そうなればせっかく追跡の目から逃れたというのに全てがパアだ。
はっきり言って、本家に戻る価値など無い。
本家でゆっくり休むなんて出来る訳ないし、逃走の資金が欲しければその辺の家を適当に漁れば済む話だ。わざわざリスクを負って、行く価値など微塵もありはしない。
だとしても、レッドは生家に行くことを決意した。
「……くそっ」
内心、理由はは分かっていた。
単に、本家がどうなっているのか知りたかったのだ。
多分、ここで逃走すれば、二度と本家に訪れることは無い。王都には自らの復讐の相手がいる以上、いずれ戻る必要があるが、カーティス領地に戻る理由は無い。
仮に時間が経って戻ったところで、そこはもう『カーティス家領地』ではなくなっていることだろう。
だから――最後に、一望だけでもしたかった。
あんな何も無い場所でも、まだ自分の故郷であるうちに、目に焼き付けておきたかった。
愚劣だ、阿呆のようなくだらない感傷だと自分を嗤う自分がいた。
それでも、レッドは生家へ帰ろうとしていた。
しかし、そんなレッドの生ぬるい感傷は、実際に目をした時に終わることとなる。
「――うん?」
カーティス領地が視界に入るころ、遠目で小さな光が見えた。
「なんだ、あれ……?」
レッドは奇妙な違和感を覚えた。
大きな都市や発展した領地なら、夜中でも何らかの明るい輝きを放つ施設などあって当然ではある。
けれど、カーティス領など本家屋敷以外何も無いような場所。あんな風に夜中でもピカピカ輝くほど明るい施設の類など、何処にもありはしないはず。レッドは不思議に思った。
やがてようやくカーティス領地に到着した時、小さな光は大きな炎に変わった。
「なっ……!」
レッドは我が目を疑う。
カーティス領地が、炎に包まれていたのだ。家が、畑が、ありとあらゆる場所が燃えている。何もかも、炎で焼かれようとしていた。
「な、何が起きた……?」
グリフォンを旋回させながら、呆気に取られてしまう。
最初は、王都からの兵かあるいはどこかの盗賊が焼き討ちでもしたのかと思った。が、すぐにそれは違うと否定する。
あまりに、手あたり次第過ぎたのだ。ただ本家屋敷や家ならともかく、畑や小さなやぐらまでとにかく目に付いた物を何でも焼いている。どんな蛮族でもこんな面倒なことはしまい。
仮にそうだとしても、炎に焼かれている村々に、人気が無いのも変だった。兵でも盗賊でも、暴れているなら当然そいつらがいるはずだが、見渡す限り人っ子一人いない。この火の具合から言って、そこまで長い時間燃え上がっているわけでもないだろうに、領民はどこへ消えてしまったのか?
何が何だか分からず困惑していると、
「う、うわっ!?」
突如、グリフォンがぐらりと揺れ、大きく右へと高速で回る。危うくレッドは墜落するところだった。
「な、なんだ!?」
命じてもいないのに突然の旋回。何事かと思ったところ、
赤い炎が、グリフォンがさっきまで飛んでいた場所を駆け抜けた。
「なっ……」
レッドは気付かなかったが、何者かに襲われたらしかった。グリフォンが動かなければ、危なかったろう。
その襲撃の犯人を知るべく、レッドが振り返ったところ、彼は目を見開いた。
そこにいたのは、何匹もの灰色の体で空を飛ぶ、羽を生やした竜だった。
「わ、ワイバーン!?」
いくつもの竜たちが、こちらへ向けて敵対の雄たけびを上げる。
王都の目の前でダンジョン形成という異常事態に、誰もが騒ぎ、困惑し、慌ててしまった。
王都から逃げようとする者、冒険者ギルドから護衛を雇う者、王城に向かって喚き散らす者、実に多岐に亘ってこの混迷を表現する彩となっていた。
しかし、そんな喧騒とは、縁のない者たちもいた。
正確には、縁がある奴らは残っていない場所だったが。
そこは、王都ティマイオのスラム街。
貧困層が隔離されて暮らす、王都の掃きだめであった。
今この場所は、異様なほどの静けさで満ちていた。
というのも、スラム街に住む人々のほとんどが、出払ってしまったからだ。
普段は王都の賑わいから外れ、煌びやかな世界を避けるように暮らしている彼ら。
しかし、今日は違っていた。
何しろ近衛騎士団は壊滅し、王都を守護する衛兵すら出払ってしまい、門番すら足りないくらい王都の防衛は緩くなっていた。
屈強な男たちはこの機に金持ちの家へ盗みに入ったり、店から店へ品物を奪いに行ったり、好き勝手に暴れまくっていた。王都へ別邸を構える大貴族辺りだと私兵くらい置いているものだが、全員がそれを出来るほど財源があるとは限らない。酷いところになると家を襲って住民を襲ったり、家に火を放っている者もいるだろう。
他の元気な者は、この非常事態に脱出しようとこっそり門を抜けようと企てていた。普段は非常に出入りが厳しいが、門番すら欠けている今は難しくない。そう判断し、着々と準備しているようだった。
というわけで、スラム街を根城とする貧民たちも色々忙しいため、こんな場所でダラダラ過ごしている者など、病人か老人、要は自ら動けず見捨てられた者ばかりだった。彼らだけが、この静寂に染まったスラム街の平和を満喫していた。
そんな、静寂を満喫していた者たちの中に、
「……あー、痛い。風呂入りたいなホント……」
レッド・H・カーティスが、ボロ布に身を包んだ状態で寝転がっていた。
「あー体中痛い。魔剣使うといつもこれだよ……戦っている間は気分がいいのに」
ゴロゴロしながら呻いている彼の顔は、同じくボロ布が巻かれていた。無論、焼かれた顔の左側を隠すためだが、痛み自体は引いていた。無論、失明したのはそのままであるが。
これも黒き鎧の力である。絶大な力と共に体の怪我などを回復する。ただし、鎧を外した後は全身筋肉痛のような痛みが走って大変だが。
なので、戦い終わったらこんな時間が必要となる。昨日は前回とは比べ物にならない激戦だったため、痛みは比較にならないほど酷かった。
「ま、助かっただけマシか……今は体力回復と……逃げること考えないとな」
などとダラダラしつつ思案する。実のところ体の痛みと共に、レッドが今一番頭を悩ませていることだった。
昨夜、というか今日の夜明け前に王都を襲撃した後飛んでいったのは、グリフォンだけだった。
レッドは、王都を適当に破壊した後、グリフォンを降りてスラム街に隠れたのだ。
理由は、勿論囮作戦である。
普通に逃げたのではすぐに追っ手が来ると思ったレッドは、施設を破壊することで注目を集め、敢えて目立つようグリフォンに飛ばせて、王都から逃がすことで注意を逸らすことにしたのだ。まさか王都を襲った賊が、足代わりのグリフォンを捨てて王都に残っているとは考えもしない。
無論グリフォンはただ逃がしたのではなく、今日の深夜に戻ってくる手筈である。魔道具を介せばそれくらいの命令は出せる。それぐらいまでには回復しているだろうから、自分を探しに外へ向かった奴らの穴を突いて逃げるつもりだった――のだが。
「こんな事態に発展するなら、普通に逃げて良かったかもな……まったく、どうしてこうなっちゃったかね」
上半身だけ起こすと、閑散としたスラム街を見やりながら耳を澄ませる。ほんの僅かではあるが、外の喧騒が耳に入ってきた。
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あの時発生した魔物が、そこまで大問題になっているとは知らなかった。邪気溜まりだとかダンジョンとか聞いたが、レッドとてその意味くらいは分かるものの、それがそう簡単に発生しないことも授業で習っていた。だからこそ、どうしてそんな事態になってのか理解不能だった。
心当たりなら、一つあるが。
――あの時だよな、多分。
レッドが思い浮かべたのは、アレンとレッドが、いや、白き鎧と黒き鎧が、光と闇の刃をぶつけ合った時だった。
あの激しい力が激突した直後、あの黒い靄と大量のアンデッドが出現した。ならば、関係があると考えるのが自然だろう。
それにもう一つ、レッドには思い当たることがあった。
『あの馬鹿ども……とんでもない量の邪気をばら撒きやがって……!』
そう、アンデッドが発生した時、枢機卿長は言っていた。どうもあの男だけが、何が起きているかを把握していたらしい。
黒き鎧が原因というのは、まあ分かる。レッド自身、あれがまともな力でないことは理解できた。前回の自分の最後を考えなくても、黒き鎧が禍々しく恐ろしい代物だとは、実際使っている自分が肌で感じている。仮に邪気で動いていると言われても驚きはしないだろう。
しかし、馬鹿どもとはどういうことであろうか? あれでは、原因が黒き鎧だけでなく、白き鎧にもあると言っているようなものだ。いったいどのような意味で、あんなことを言ったのか、皆目見当がつかなかった。
「――ダメだ、これ以上はいくら考えても無駄だな。今は、体力回復に専念するか」
などと思い直して、再び寝転がる。
どうやら国は、大量に発生した魔物の対処に忙しくてレッドを探す暇など無さそうだ。これならグリフォンにそのまま乗って逃げた方が良かったと後悔していたが、今更どうにもならない。
とにかく今は、休みを取ることを優先する。改めて寝よう、と思ったのだが、
それに合わせたように、腹の音が響いた。
「……腹、減ったな」
今くるまっているボロ布は、道端に捨ててあった物を拾って使っているものだ。スラム街には何も無いというのは間違いで、結構いろいろなものがそこら辺に落ちている。大概、表で暮らせる人間が捨てたゴミだが。そうしたゴミを利用していけば、意外と物には不自由しなかったりする。
食料品を除けば、の話だが。
「どうすっかな……」
どこかから食べ物でも盗もうか、とも思ったが、体中痛いままなのでやはり寝ることにした。
盗みなんて前回の時スラム街で生活していた頃以来かもな、と思ったが、そういえば昨日魔剣盗んだっけと変な笑いを漏らす。
王都を存続の危機に陥らせておきながら、その実行犯は呑気なものだった。
***
グリフォンに自分のところに戻るよう命じていたとはいえ、まさか王都で待っているわけにはいかない。いくら混乱状態とはいえ、のこのこグリフォンを飛ばしてしまえばすぐに落とされることだろう。
そこで、レッドは夜中になった後で、グリフォンが来る時刻より早く王都へ脱出することにした。見つかった時は戦闘を覚悟していたが、意外と簡単に抜けられた。
まあ、正確には、抜けたというよりは魔物が城壁を破壊して、衛兵や住民がパニックになっている間に、破壊された壁から出ただけだが。とにかくこれで、王都から脱出してグリフォンを迎える事が可能となった。まだ痛みの残る体に鞭打ち、なるべく距離を取るよう走る。
程なくして、グリフォンがこちらへ飛んできた。あの後無事だったか案じていたものの、何処にも怪我などしておらず平気そうだ。
「よしよし、よく来てくれたぞ……」
そう言ってグリフォンを撫でるが、それがかつてスケイプがしていたのと同じだと気付きふと手が止まる。
「…………」
今はこうして、グリフォンは自分の言うことを聞いている。
しかし、こんなものは一時のものでしかない。所詮本来のテイマーであるスケイプがいない今、明日か明後日には使役は解ける。そうなれば、グリフォンは解放され逃げていくだろう。
あるいは、自分に復讐でもするかもしれない。所詮は魔力で従えただけの魔物だ、支配から逃れれば大概そうなるのが常だという。
「スケイプ……」
感傷に浸りそうになったが、振り払ってグリフォンに乗り込む。今は、そんな余裕などない。
気を取り直して、目的地に向けてグリフォンを飛ばす。
目指す場所は、カーティス領地だ。
***
王都に逃げ込んだ後、レッドはカーティス家の別邸に行こうとは思わなかった。
別に前回の時のトラウマがあるからではない。行ったって無意味だと思ったからだ。
ガーズ団長の言うことが本当ならば、両親も兄たちも拘束されていることだろう。――助けに行くかとも思ったが、何処に捕らわれているのか、そもそも生きているかも不明だし、やはり何よりそんな気になれなかったということで止めることにした。
そして、別邸も捜索されているはずだ。捜索と言えば聞こえはいいが、今回の件からすると捜索というより証拠の捏造と都合の悪い事の揉み消し、あと略奪目的だ。特にカーティス家と裏の繋がりが深い者たちは、死に物狂いで家を荒らしまくっていることだろう。
なので、別邸に行ったところで何も得られず、むしろ警戒されているであろう場所に自ら飛び込むようなものだと判断し止めておいた。
しかし今、レッドはグリフォンを飛ばしてカーティス家本家屋敷へ向かっている。
「――さて、もう少しで見えるはずだが……」
グリフォンの速度はワイバーンより速く、思ったより時間を取らず到着しそうだった。スケイプが所有していたグリフォンは、かなり優秀な個体らしかった。
「どうなってるかな、ホント……」
なんて呟きながら、レッドは考えていた。
捜索の手が回っているのは、本家の方も一緒だろう。本家より王都の別邸の方が豪勢なアトール王国貴族の特徴からすれば、そんな大掛かりではない可能性はあるが、全然調べないわけがない。ベヒモス討伐作戦開始前から、衛兵が家探ししていたこともあり得る。
この王都の大騒ぎを考えれば呼び戻されているとは思うが、レッドが逃走したことで張っている者もいるかもしれない。そうなればせっかく追跡の目から逃れたというのに全てがパアだ。
はっきり言って、本家に戻る価値など無い。
本家でゆっくり休むなんて出来る訳ないし、逃走の資金が欲しければその辺の家を適当に漁れば済む話だ。わざわざリスクを負って、行く価値など微塵もありはしない。
だとしても、レッドは生家に行くことを決意した。
「……くそっ」
内心、理由はは分かっていた。
単に、本家がどうなっているのか知りたかったのだ。
多分、ここで逃走すれば、二度と本家に訪れることは無い。王都には自らの復讐の相手がいる以上、いずれ戻る必要があるが、カーティス領地に戻る理由は無い。
仮に時間が経って戻ったところで、そこはもう『カーティス家領地』ではなくなっていることだろう。
だから――最後に、一望だけでもしたかった。
あんな何も無い場所でも、まだ自分の故郷であるうちに、目に焼き付けておきたかった。
愚劣だ、阿呆のようなくだらない感傷だと自分を嗤う自分がいた。
それでも、レッドは生家へ帰ろうとしていた。
しかし、そんなレッドの生ぬるい感傷は、実際に目をした時に終わることとなる。
「――うん?」
カーティス領地が視界に入るころ、遠目で小さな光が見えた。
「なんだ、あれ……?」
レッドは奇妙な違和感を覚えた。
大きな都市や発展した領地なら、夜中でも何らかの明るい輝きを放つ施設などあって当然ではある。
けれど、カーティス領など本家屋敷以外何も無いような場所。あんな風に夜中でもピカピカ輝くほど明るい施設の類など、何処にもありはしないはず。レッドは不思議に思った。
やがてようやくカーティス領地に到着した時、小さな光は大きな炎に変わった。
「なっ……!」
レッドは我が目を疑う。
カーティス領地が、炎に包まれていたのだ。家が、畑が、ありとあらゆる場所が燃えている。何もかも、炎で焼かれようとしていた。
「な、何が起きた……?」
グリフォンを旋回させながら、呆気に取られてしまう。
最初は、王都からの兵かあるいはどこかの盗賊が焼き討ちでもしたのかと思った。が、すぐにそれは違うと否定する。
あまりに、手あたり次第過ぎたのだ。ただ本家屋敷や家ならともかく、畑や小さなやぐらまでとにかく目に付いた物を何でも焼いている。どんな蛮族でもこんな面倒なことはしまい。
仮にそうだとしても、炎に焼かれている村々に、人気が無いのも変だった。兵でも盗賊でも、暴れているなら当然そいつらがいるはずだが、見渡す限り人っ子一人いない。この火の具合から言って、そこまで長い時間燃え上がっているわけでもないだろうに、領民はどこへ消えてしまったのか?
何が何だか分からず困惑していると、
「う、うわっ!?」
突如、グリフォンがぐらりと揺れ、大きく右へと高速で回る。危うくレッドは墜落するところだった。
「な、なんだ!?」
命じてもいないのに突然の旋回。何事かと思ったところ、
赤い炎が、グリフォンがさっきまで飛んでいた場所を駆け抜けた。
「なっ……」
レッドは気付かなかったが、何者かに襲われたらしかった。グリフォンが動かなければ、危なかったろう。
その襲撃の犯人を知るべく、レッドが振り返ったところ、彼は目を見開いた。
そこにいたのは、何匹もの灰色の体で空を飛ぶ、羽を生やした竜だった。
「わ、ワイバーン!?」
いくつもの竜たちが、こちらへ向けて敵対の雄たけびを上げる。
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