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転生勇者と魔剣編
第五十九話 闇に堕ちし者(4)
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強烈な光は、ベヒモスの背で爆発した。
膨大なエネルギーは破壊力へと変貌し、二人の間を駆け抜ける。
「づっ……!」
その奔流に飲み込まれ、レッドも弾き飛ばされる。
なんとか聖剣を盾にして身を守ったものの、危うく消滅するところだった。
「はぁ、はぁ……」
汗も大量にかいて、呼吸も乱れに乱れ切っている。手も足もガクガクで、消耗の多さに倒れてしまいたいくらいだった。
しかし、まだ倒れられない。そう思い、もう一度ゆっくりと立ち上がる。
「くっそ……!」
ギリギリの力を振り絞り、なんとかスケイプの下へ向かう。いつの間にかベヒモスも停止していた。王都が割と近くに見える。
ベヒモスが動きを止めたということは、スケイプの使役(テイム)が止まったという事である。使役するための魔道具が壊れたか、スケイプの魔力が尽きてしまったか、もしくはあのアトラスの杭が砕けた可能性もある。
それとも、あるいは――
「いた……」
聖剣を杖代わりに歩いていたら、割とすぐの場所にスケイプを見つけた。あちらもレッド同様、吹き飛ばされてベヒモスの背で倒れてしまったらしい。
「おい、スケイプ、何してん……」
それ以上の言葉を、レッドは紡ぐことが出来なかった。
スケイプのその姿を見てしまったから。
倒れこんだスケイプは、酷い有様だった。
上半身は多少傷ついている程度で済んでいたが、下半身は見るも無残な代物。
ズタズタに引き裂かれ、腰から下は血みどろでもはや足があるのかどうかすら分からない。もしかしたら、あの光に消し飛ばされたかもしれない。
スケイプの体は、半分しか残っていないような状態だった。
「スケイプっ!!」
思わず駆け寄った。聖剣を放り捨て、スケイプの体を抱き起こす。
随分軽くなってしまったその体を揺さぶると、閉じられていた彼の瞼がゆっくりと開かれた。
「スケイプ、しっかりしろ!!」
「――レッド」
開かれた瞳は非常に弱々しく、今にも光が消えそうだった。
「大丈夫か、今すぐアレンを呼んで回復を……っ!」
我を忘れてアレンを呼びに行こうとしたが、それをスケイプの血みどろの右手が抑える。
「――スケイプ?」
弱々しい力で腕を掴まれたレッドは、治療のことも忘れて止まってしまう。
体が半分引き裂かれたような状態で、しかしこちらを見るスケイプの顔は、笑っていた。
「……強いじゃないか、お前」
「え……?」
「羨ましいよ、聖剣の勇者……」
憎らし気に、しかしどこか晴れ晴れとした様子で、スケイプは口角を上げていた。
「……違う。俺は、聖剣の勇者なんかじゃ……」
「……そうか。だが、俺より強いのは本当らしいな……」
呼吸すらほとんどおぼつかないにもかかわらず、嬉しそうに笑う姿に、レッドは堪らなくなり、戦っていた間抱えていた疑問を吐き出す。
「――スケイプ。お前、ホントは、ホントは……
俺と――戦いたかっただけだったんじゃないのか?」
そもそも、最初からおかしかったのだ。
ベヒモスの使役に成功して、その力で王都を滅ぼそうとした。そう言っていた。
しかし、この男は全てを振り切って王都へ行けばいいのに、わざわざレッドと戦い出した。そんな必要、何処にも無いのに。
第一、レッドとの戦いでスケイプは、一度もベヒモスを使おうとしなかった。ベヒモスの制御が出来ているのなら、別に自ら剣で戦う必要などない。例外は、部隊が攻撃してきた時だけだ。あれだって、余計な水を差した邪魔者を、排除するために行った事だろう。
だから、王都襲撃なんて戯言をほざいて、こちらを怒らせることで、かつて果たせなかった本気の戦いをしようとした――レッドは、そう推測できた。
けれども、そんなレッドの推測を、スケイプは鼻で笑う。
「馬鹿を言え。俺がそんな……殊勝なものか」
「しかし……!」
「俺は本当に、王都へ行く気だった……俺の復讐を、果たすために……」
途切れ途切れに話す言葉が、嘘偽りとは思えなかった。間違いなくこの男は、王都滅亡自体は本気でやるつもりだったのだろう。
だが――それよりも、レッドと戦うことを優先してしまった。
学園時代果たせなかった本気の勝負を、決着を付けることを求めてしまった。
愚かな――本当に愚かな決断を、してしまったのだろう。
しかし、それがスケイプ・G・クリティアスという男が、一番に望んだことだったのだ。
「――馬鹿だな」
レッドも、悲しいのか呆れたのか、それとも嬉しいのか、あらゆる感情が入り混じったくしゃくしゃの顔をして、今にも泣きそうになっていた。
そんな顔が可笑しかったのか、スケイプもふっと笑うが、そのすぐ後に血反吐を吐きながら咳をした。いよいよ限界なのか、かなり苦しそうだ。
「スケイプ、しっかりしろ、スケイプ!」
レッドは必死に呼びかけるが、もはや命の灯は消えかけているのは目に見えていた。恐らく、どんな医者や白魔術師に見せたところで、助かるものでもないだろう。
だが、スケイプはそんな瀕死の状態で、渾身の力を出して、右手首の腕輪を外した。
「スケイプ――?」
何をしているのかまるで分からなかったが、彼は最後のその瞬間、残った僅かな力で腕輪をレッドに渡した。紫色に光る小さい球が付いていた。
そして、口をパクパクと開いたり閉じたりしている。何か言いたいようだが、もはやそんな力すら無いようだ。
スケイプの言葉をなんとか聞こうと、レッドは耳を寄せて静かに待つ。すると、
「……!?」
その内容に、思わず息を呑んだ。
そして、それを最後に、スケイプは目を閉ざした。
「……スケイプ? おい、スケイプ……」
何度揺らしても、何度呼んでも、彼の目が再び開かれることはなかった。
その身を、レッドはゆっくりとその場に下ろして、驚きの表情のままもう息絶えた彼にこう尋ねた。
「スケイプ……お前なんで、――なんて言ったんだ……?」
いくら問うても、返事は無い。はずだった。
しかし、その答えは目の前の亡骸以外が教えてくれた。
「……ぐっ!?」
急に、胸をつんざくような激痛が走った。
すぐにその激痛は全身に広がり、レッドはベヒモスの背でのたうち回ることになった。
「な、なんだ、これ……!」
体を苛む痛みに苦しみながら、ふと聖剣が視界に入った。
「……なっ!」
なんと、触ってもいない聖剣から、またあの白き光と黒き闇が湧き出したのだ。
それも、その光と闇が強くなればなるほど、より痛みが増しているように感じる。
「ど、どうなって……」
この聖剣が、何らかの原因なのは間違いない。
そう思い、這いずりながらもなんとか聖剣を手にすると、
「……っ!?」
その途端、聖剣から勢いよく黒い靄が噴出した。
いや、噴き出したのは聖剣からだけではない。
「な、なんだと……!?」
驚くべきことに、黒い靄はレッドの体からも噴き出しているのだ。
まるで、前回の最後、自らが魔物へと変貌した時のように。
「が、がが……!」
体中が引き裂かれそうな痛みに、気が狂いそうになる。しかし、苦しみのあまり周囲に目が行っていなかったのはまずかった。
「……!? う、うわぁっ!!」
気が付けば、かなり端の方に寄っていたらしく、ベヒモスの背から滑り落ちそうになる。慌てて手が空いている左手で何かを掴んだが、逆にそれを引っ張り込んでしまっただけで、一緒に落ちてしまう。
「うわああああああぁっ!!」
空中に投げ出されながらも、必死でベヒモスの肌に手をかけ、落下速度を殺す。何度も弾かれながらも手をかけ続け、なんとか落ちる頃には、地面に打ち付けられても耐えられるぐらいには低下していた。それでも、かなり痛かったが。
「く、くそっ……」
ただでさえ全、身に刃物でくまなく刺されまくっているような痛みに苦しんでいるのに、今度は指先や墜落時のダメージまで増えてしまった。それでも、黒い靄が出す激痛の方がきついのだが。
何が起きているのか、知らねばならないと聖剣を見やる――はずが、気が付けば聖剣が無い。落下する際手放してしまったらしい。
「どこ、だ……?」
立つことも難しい体で、なんとか起き上がり辺りを見回すと、少し離れた場所に転がっていた。なんとか動かない足を引きずって向かおうとする。
しかしその前に、レッドより先に、黒い靄を出し続ける聖剣の前に立った者がいた。
「…………」
「あ、アレン?」
アレンは、こちらの呼びかけにも答えず、聖剣だけを見つめていた。驚くほどの無表情で、心境が一切伺えない。
「…………」
「ば、馬鹿、何してる離れろ! その剣はヤバいんだ、早く……!」
不用意に近づいたアレンを、離れるようレッドは叫ぶ。
しかし、アレンはそんな彼の事は意にも介さず、腰を下ろすと、黒い靄を噴出し続けている聖剣に指を伸ばした。
「よ、よせっ! 触るな、何が起きるか分からな……!」
そうアレンを止めようとしたが、アレンはそのままチョンと指をついてしまった。
その途端、驚きの現象が起きる。
「……!?」
なんと、あれほど猛烈に吐き出されていた黒い靄が、一瞬にして消えてしまったのだ。と同時に、レッドの身から噴出していた黒い靄も消える。
そしてその代わり、強烈な、レッドの時とは比べ物にならないほど強く、純白の光を発し出した。
「なんだ、それ……?」
レッドの驚愕も、アレンは無視して、そのまま聖剣を手にして立ち上がる。すると、聖剣の強い輝きも少し収まった。
立ち上がったアレンは、必然的にまだ座り込んだままのレッドを見下ろす形となった。
「……アレン?」
こちらを見下ろすアレンの瞳に、レッドは始めて怖気のようなものを感じた。
冷たい――心根から冷たい、無慈悲な瞳。
普段の明るく朗らかなアレンからは、全く信じられないような冷徹で、寒気すら抱かせる恐ろしい瞳だった。
「アレン、お前どうし……」
「……残念です。レッド様」
始めて喋ったその声は、いつもの幼さを持つものではなく、冷え切ったまるで人を寄せ付けない、無情さがあった。
「僕は貴方を信じたかった。信じられると思っていた。
でも――違った。違ったんですね」
「お前……何を言って……」
そこでレッドは、気付いた。いや、気付いてしまった。
とうの昔に気付くべきだった、恐ろしいほど大切なことを。
――こいつ、いつから俺をレッド様と呼んでる……?
気付かなかった。いつか、自分でそう呼ばせたこともあったから、鈍くなっていたのかもしれない。
いや――単に、異変を知らない振りをしたかっただけかもしれない。様子がおかしいことを悟りつつも、目の前の事に傾注する振りで現実から目を背けていた。
アレンがいつから、自分を勇者様でなくレッド様と呼ぶようになったか、など気付きたく無かったのかもしれない。
だが今、聖剣を手にこちらに冷酷な目を向けるアレンと対峙すれば、そんな現実逃避は許されない。
必死に思考を巡らせ、記憶を取り戻そうとする。
あれはブルードラゴン討伐後――違う。もっと後だ。ミノタウロス討伐後――それも違う。もっと前だった。そうレッドは記憶の引き出しから必死に探る。
あれは――そう、思い出した。レッドはようやく答えを見つけた。
――アレンが、ゲイリーと個人で話した後からだ。
枢機卿長のあの赤く輝く目と歪んだ笑みが頭によぎると、何が起きたのかをだいたい察することが出来た。
「お前――あいつに何を――」
ゆっくり立ち上がり、アレンに問おうとしたところ、また異変が起こった。
「……?」
アレンの後ろから、人が次々と現れた。
アトール王国近衛騎士団、ラルヴァ教教団直属の浄化部隊。
そして――勿論勇者パーティの面々も、
「お前ら、いったい――」
レッドは言葉を詰まらせてしまう。怯えたと言ってもいい。
見る限りの全員が、アレンと同じ冷たい目をしている。それは決して聖剣に選ばれた勇者を見るものではなかった。
罪人を――許されざる悪行を犯した罪人を見る、侮蔑と怨嗟の瞳。
その全てが、レッドに向けられていた。
「な、何を……」
何が起きているのか、さっぱり分からなかった。
しかし、ここまで来て、ようやく今までの異様さに気が付いた。
作戦前から感じていた、あらゆる者から集められていた視線。
思い返せばあれは――こちらに対する敵意だったのではないか? レッドはそう悟った。
第一、作戦時も様子が変だった。
少なくとも、ベヒモスの動きを止めるところまでは普通だったであろう。
だが、問題はスケイプがベヒモスを制御して、王都へ向かってからだ。
緊急事態だというのに、対応が鈍すぎた。一斉攻撃をしても良かったはずなのに、二人が戦う余裕があるくらいの時間をくれていた。いくら走っているからとはいえ、攻撃魔術を放つか空を飛んで急襲するくらい方法は幾らでもある。行った攻撃といえば、ベヒモスの足止めくらいだ。
まるで――そう、本当の敵を前に戦力を持たせたかったか、あるいは本当の敵を弱らせるため待機していたか。そんな風に思えるほどだった。
そして今、彼らが敵意を向けているのは――他ならぬ、レッド自身である。
何か、とんでもない事が起きている。それは理解できた。
けれど、どうしてこうなっているのかまるで理解できない。レッドは困惑するしかなかった。
そんな彼には意にも介さず、一番前に立ちレッドと対峙するアレンは、手にした聖剣をレッドに向けてこう叫んだ。
「貴方は――もう闇に堕ちているっ!!」
その時、不意に、スケイプの最後の言葉が、
「逃げろ」という一言が、レッドの頭で木霊した。
膨大なエネルギーは破壊力へと変貌し、二人の間を駆け抜ける。
「づっ……!」
その奔流に飲み込まれ、レッドも弾き飛ばされる。
なんとか聖剣を盾にして身を守ったものの、危うく消滅するところだった。
「はぁ、はぁ……」
汗も大量にかいて、呼吸も乱れに乱れ切っている。手も足もガクガクで、消耗の多さに倒れてしまいたいくらいだった。
しかし、まだ倒れられない。そう思い、もう一度ゆっくりと立ち上がる。
「くっそ……!」
ギリギリの力を振り絞り、なんとかスケイプの下へ向かう。いつの間にかベヒモスも停止していた。王都が割と近くに見える。
ベヒモスが動きを止めたということは、スケイプの使役(テイム)が止まったという事である。使役するための魔道具が壊れたか、スケイプの魔力が尽きてしまったか、もしくはあのアトラスの杭が砕けた可能性もある。
それとも、あるいは――
「いた……」
聖剣を杖代わりに歩いていたら、割とすぐの場所にスケイプを見つけた。あちらもレッド同様、吹き飛ばされてベヒモスの背で倒れてしまったらしい。
「おい、スケイプ、何してん……」
それ以上の言葉を、レッドは紡ぐことが出来なかった。
スケイプのその姿を見てしまったから。
倒れこんだスケイプは、酷い有様だった。
上半身は多少傷ついている程度で済んでいたが、下半身は見るも無残な代物。
ズタズタに引き裂かれ、腰から下は血みどろでもはや足があるのかどうかすら分からない。もしかしたら、あの光に消し飛ばされたかもしれない。
スケイプの体は、半分しか残っていないような状態だった。
「スケイプっ!!」
思わず駆け寄った。聖剣を放り捨て、スケイプの体を抱き起こす。
随分軽くなってしまったその体を揺さぶると、閉じられていた彼の瞼がゆっくりと開かれた。
「スケイプ、しっかりしろ!!」
「――レッド」
開かれた瞳は非常に弱々しく、今にも光が消えそうだった。
「大丈夫か、今すぐアレンを呼んで回復を……っ!」
我を忘れてアレンを呼びに行こうとしたが、それをスケイプの血みどろの右手が抑える。
「――スケイプ?」
弱々しい力で腕を掴まれたレッドは、治療のことも忘れて止まってしまう。
体が半分引き裂かれたような状態で、しかしこちらを見るスケイプの顔は、笑っていた。
「……強いじゃないか、お前」
「え……?」
「羨ましいよ、聖剣の勇者……」
憎らし気に、しかしどこか晴れ晴れとした様子で、スケイプは口角を上げていた。
「……違う。俺は、聖剣の勇者なんかじゃ……」
「……そうか。だが、俺より強いのは本当らしいな……」
呼吸すらほとんどおぼつかないにもかかわらず、嬉しそうに笑う姿に、レッドは堪らなくなり、戦っていた間抱えていた疑問を吐き出す。
「――スケイプ。お前、ホントは、ホントは……
俺と――戦いたかっただけだったんじゃないのか?」
そもそも、最初からおかしかったのだ。
ベヒモスの使役に成功して、その力で王都を滅ぼそうとした。そう言っていた。
しかし、この男は全てを振り切って王都へ行けばいいのに、わざわざレッドと戦い出した。そんな必要、何処にも無いのに。
第一、レッドとの戦いでスケイプは、一度もベヒモスを使おうとしなかった。ベヒモスの制御が出来ているのなら、別に自ら剣で戦う必要などない。例外は、部隊が攻撃してきた時だけだ。あれだって、余計な水を差した邪魔者を、排除するために行った事だろう。
だから、王都襲撃なんて戯言をほざいて、こちらを怒らせることで、かつて果たせなかった本気の戦いをしようとした――レッドは、そう推測できた。
けれども、そんなレッドの推測を、スケイプは鼻で笑う。
「馬鹿を言え。俺がそんな……殊勝なものか」
「しかし……!」
「俺は本当に、王都へ行く気だった……俺の復讐を、果たすために……」
途切れ途切れに話す言葉が、嘘偽りとは思えなかった。間違いなくこの男は、王都滅亡自体は本気でやるつもりだったのだろう。
だが――それよりも、レッドと戦うことを優先してしまった。
学園時代果たせなかった本気の勝負を、決着を付けることを求めてしまった。
愚かな――本当に愚かな決断を、してしまったのだろう。
しかし、それがスケイプ・G・クリティアスという男が、一番に望んだことだったのだ。
「――馬鹿だな」
レッドも、悲しいのか呆れたのか、それとも嬉しいのか、あらゆる感情が入り混じったくしゃくしゃの顔をして、今にも泣きそうになっていた。
そんな顔が可笑しかったのか、スケイプもふっと笑うが、そのすぐ後に血反吐を吐きながら咳をした。いよいよ限界なのか、かなり苦しそうだ。
「スケイプ、しっかりしろ、スケイプ!」
レッドは必死に呼びかけるが、もはや命の灯は消えかけているのは目に見えていた。恐らく、どんな医者や白魔術師に見せたところで、助かるものでもないだろう。
だが、スケイプはそんな瀕死の状態で、渾身の力を出して、右手首の腕輪を外した。
「スケイプ――?」
何をしているのかまるで分からなかったが、彼は最後のその瞬間、残った僅かな力で腕輪をレッドに渡した。紫色に光る小さい球が付いていた。
そして、口をパクパクと開いたり閉じたりしている。何か言いたいようだが、もはやそんな力すら無いようだ。
スケイプの言葉をなんとか聞こうと、レッドは耳を寄せて静かに待つ。すると、
「……!?」
その内容に、思わず息を呑んだ。
そして、それを最後に、スケイプは目を閉ざした。
「……スケイプ? おい、スケイプ……」
何度揺らしても、何度呼んでも、彼の目が再び開かれることはなかった。
その身を、レッドはゆっくりとその場に下ろして、驚きの表情のままもう息絶えた彼にこう尋ねた。
「スケイプ……お前なんで、――なんて言ったんだ……?」
いくら問うても、返事は無い。はずだった。
しかし、その答えは目の前の亡骸以外が教えてくれた。
「……ぐっ!?」
急に、胸をつんざくような激痛が走った。
すぐにその激痛は全身に広がり、レッドはベヒモスの背でのたうち回ることになった。
「な、なんだ、これ……!」
体を苛む痛みに苦しみながら、ふと聖剣が視界に入った。
「……なっ!」
なんと、触ってもいない聖剣から、またあの白き光と黒き闇が湧き出したのだ。
それも、その光と闇が強くなればなるほど、より痛みが増しているように感じる。
「ど、どうなって……」
この聖剣が、何らかの原因なのは間違いない。
そう思い、這いずりながらもなんとか聖剣を手にすると、
「……っ!?」
その途端、聖剣から勢いよく黒い靄が噴出した。
いや、噴き出したのは聖剣からだけではない。
「な、なんだと……!?」
驚くべきことに、黒い靄はレッドの体からも噴き出しているのだ。
まるで、前回の最後、自らが魔物へと変貌した時のように。
「が、がが……!」
体中が引き裂かれそうな痛みに、気が狂いそうになる。しかし、苦しみのあまり周囲に目が行っていなかったのはまずかった。
「……!? う、うわぁっ!!」
気が付けば、かなり端の方に寄っていたらしく、ベヒモスの背から滑り落ちそうになる。慌てて手が空いている左手で何かを掴んだが、逆にそれを引っ張り込んでしまっただけで、一緒に落ちてしまう。
「うわああああああぁっ!!」
空中に投げ出されながらも、必死でベヒモスの肌に手をかけ、落下速度を殺す。何度も弾かれながらも手をかけ続け、なんとか落ちる頃には、地面に打ち付けられても耐えられるぐらいには低下していた。それでも、かなり痛かったが。
「く、くそっ……」
ただでさえ全、身に刃物でくまなく刺されまくっているような痛みに苦しんでいるのに、今度は指先や墜落時のダメージまで増えてしまった。それでも、黒い靄が出す激痛の方がきついのだが。
何が起きているのか、知らねばならないと聖剣を見やる――はずが、気が付けば聖剣が無い。落下する際手放してしまったらしい。
「どこ、だ……?」
立つことも難しい体で、なんとか起き上がり辺りを見回すと、少し離れた場所に転がっていた。なんとか動かない足を引きずって向かおうとする。
しかしその前に、レッドより先に、黒い靄を出し続ける聖剣の前に立った者がいた。
「…………」
「あ、アレン?」
アレンは、こちらの呼びかけにも答えず、聖剣だけを見つめていた。驚くほどの無表情で、心境が一切伺えない。
「…………」
「ば、馬鹿、何してる離れろ! その剣はヤバいんだ、早く……!」
不用意に近づいたアレンを、離れるようレッドは叫ぶ。
しかし、アレンはそんな彼の事は意にも介さず、腰を下ろすと、黒い靄を噴出し続けている聖剣に指を伸ばした。
「よ、よせっ! 触るな、何が起きるか分からな……!」
そうアレンを止めようとしたが、アレンはそのままチョンと指をついてしまった。
その途端、驚きの現象が起きる。
「……!?」
なんと、あれほど猛烈に吐き出されていた黒い靄が、一瞬にして消えてしまったのだ。と同時に、レッドの身から噴出していた黒い靄も消える。
そしてその代わり、強烈な、レッドの時とは比べ物にならないほど強く、純白の光を発し出した。
「なんだ、それ……?」
レッドの驚愕も、アレンは無視して、そのまま聖剣を手にして立ち上がる。すると、聖剣の強い輝きも少し収まった。
立ち上がったアレンは、必然的にまだ座り込んだままのレッドを見下ろす形となった。
「……アレン?」
こちらを見下ろすアレンの瞳に、レッドは始めて怖気のようなものを感じた。
冷たい――心根から冷たい、無慈悲な瞳。
普段の明るく朗らかなアレンからは、全く信じられないような冷徹で、寒気すら抱かせる恐ろしい瞳だった。
「アレン、お前どうし……」
「……残念です。レッド様」
始めて喋ったその声は、いつもの幼さを持つものではなく、冷え切ったまるで人を寄せ付けない、無情さがあった。
「僕は貴方を信じたかった。信じられると思っていた。
でも――違った。違ったんですね」
「お前……何を言って……」
そこでレッドは、気付いた。いや、気付いてしまった。
とうの昔に気付くべきだった、恐ろしいほど大切なことを。
――こいつ、いつから俺をレッド様と呼んでる……?
気付かなかった。いつか、自分でそう呼ばせたこともあったから、鈍くなっていたのかもしれない。
いや――単に、異変を知らない振りをしたかっただけかもしれない。様子がおかしいことを悟りつつも、目の前の事に傾注する振りで現実から目を背けていた。
アレンがいつから、自分を勇者様でなくレッド様と呼ぶようになったか、など気付きたく無かったのかもしれない。
だが今、聖剣を手にこちらに冷酷な目を向けるアレンと対峙すれば、そんな現実逃避は許されない。
必死に思考を巡らせ、記憶を取り戻そうとする。
あれはブルードラゴン討伐後――違う。もっと後だ。ミノタウロス討伐後――それも違う。もっと前だった。そうレッドは記憶の引き出しから必死に探る。
あれは――そう、思い出した。レッドはようやく答えを見つけた。
――アレンが、ゲイリーと個人で話した後からだ。
枢機卿長のあの赤く輝く目と歪んだ笑みが頭によぎると、何が起きたのかをだいたい察することが出来た。
「お前――あいつに何を――」
ゆっくり立ち上がり、アレンに問おうとしたところ、また異変が起こった。
「……?」
アレンの後ろから、人が次々と現れた。
アトール王国近衛騎士団、ラルヴァ教教団直属の浄化部隊。
そして――勿論勇者パーティの面々も、
「お前ら、いったい――」
レッドは言葉を詰まらせてしまう。怯えたと言ってもいい。
見る限りの全員が、アレンと同じ冷たい目をしている。それは決して聖剣に選ばれた勇者を見るものではなかった。
罪人を――許されざる悪行を犯した罪人を見る、侮蔑と怨嗟の瞳。
その全てが、レッドに向けられていた。
「な、何を……」
何が起きているのか、さっぱり分からなかった。
しかし、ここまで来て、ようやく今までの異様さに気が付いた。
作戦前から感じていた、あらゆる者から集められていた視線。
思い返せばあれは――こちらに対する敵意だったのではないか? レッドはそう悟った。
第一、作戦時も様子が変だった。
少なくとも、ベヒモスの動きを止めるところまでは普通だったであろう。
だが、問題はスケイプがベヒモスを制御して、王都へ向かってからだ。
緊急事態だというのに、対応が鈍すぎた。一斉攻撃をしても良かったはずなのに、二人が戦う余裕があるくらいの時間をくれていた。いくら走っているからとはいえ、攻撃魔術を放つか空を飛んで急襲するくらい方法は幾らでもある。行った攻撃といえば、ベヒモスの足止めくらいだ。
まるで――そう、本当の敵を前に戦力を持たせたかったか、あるいは本当の敵を弱らせるため待機していたか。そんな風に思えるほどだった。
そして今、彼らが敵意を向けているのは――他ならぬ、レッド自身である。
何か、とんでもない事が起きている。それは理解できた。
けれど、どうしてこうなっているのかまるで理解できない。レッドは困惑するしかなかった。
そんな彼には意にも介さず、一番前に立ちレッドと対峙するアレンは、手にした聖剣をレッドに向けてこう叫んだ。
「貴方は――もう闇に堕ちているっ!!」
その時、不意に、スケイプの最後の言葉が、
「逃げろ」という一言が、レッドの頭で木霊した。
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