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転生勇者と魔剣編
第五十六話 闇に堕ちし者(1)
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「はぁ、はぁ、はぁ……」
ベヒモスの動きが止まったのを確認すると、レッドは剣を落として地面に座り込んでしまった。聖剣の輝きも、途端に消えてしまう。
「やった、やったぞ……」
呼吸は荒く、心臓の音も未だ大きいままだ。いつの間にか、汗もダラダラかいていた。気付かなかったが、自分が思っていた以上に疲労困憊だったらしい。
しかし、甲斐はあった。掴んだ勝利に、今までない高揚感を覚える。
「レッド……!」
息絶え絶えの状態だったが、声がしたので振り返る。ラヴォワを筆頭に、メンバーがこちらに走ってくる。どうやら向こうも無事らしく安堵した。
「ああ、そっちは大丈夫か?」
「こっちは……平気」
「そうか――アレン、回復魔術をかけてくれ。頼む」
そう言うと、聖剣を杖代わりに何とか立ち上がる。まだふらつきが強いので、このままでは動くのは難しいだろう。
「え……」
すると、アレンはどうしてだか戸惑ったような、困った様子で動きを止めてしまった。
「……? どうした、なんか調子でも悪いのか?」
「い、いえ、でも……」
どうにも躊躇しているというか、回復させるべきかどうか悩んでいるようだった。何故そんなことを迷っているのか、レッドは少しも想いを察せなかった。
「ちょっと、回復してもらってどうする気よ。あんたまだ戦う気?」
そうしていると、マータが割って入るようにこちらに話しかけてきた。そんなマータの姿もおかしく感じたが、とにかく質問に答えることにした。
「当然だろ……まだ、終わって無いんだからな」
振り返り、目の前で動かないベヒモスを見やる。
動きは止めた。が、殺してはいない。レッドでもそれは見れば分かった。
今、ここで確実に仕留めねばならない。そう決意していた。
「……アレン、回復してあげて」
「は、はい……」
そうラヴォワに指示され、アレンもおずおずと回復魔術をかけ始めた。
体の自由が利くようになってきて、ふとレッドには疑問があった。
「そういや……スケイプの奴はどうしたんだ? どこにいるんだあいつ?」
ベヒモスの動きを止めたもう一人の功労者。その場で讃えてやりたいところなのに、見回した限り姿は無かった。
あいつもまさか怪我をして、倒れているのではないか。そう案じて尋ねてみたのだが、
「…………」
「……ロイ? お前何ボケっとしてんだ?」
どうしてだが、ロイの様子が気になった。
今先ほどから、ずっと空を見上げているのだ。
いや、正確には空ではなかった。
空高く、見上げなければいけないほど巨大な物体。
ベヒモスの、背面辺りをじっと見つめていたのだ。
「ロイ……? いったい何をして……」
「……あいつ、まだ上いるぞ」
「はぁ?」
ロイが指差した先、レッドには見えなかったが、そこにスケイプがいるという。
スケイプはあの場でアトラスの杭を打ち込んだまま、降りてこないらしかった。
「なんで、そんなとこに……」
杭を打ち込んだ今、ベヒモスの背に乗っている必要などあるまい。まるで状況が読めなかった。
あるいは――着地の際足でも折って、動けないのかもしれない。仮にそうだとすれば、今すぐ救助しなければ。
「――ちょっと行ってくる。お前らは警戒していてくれ」
「え、行くってどうやって……」
「登る」
「はい? あんたちょっと何を……」
マータの疑問を無視して、レッドは聖剣をブスリとベヒモスの腹に突き刺した。
「えぇ……」
言葉を失ったアレンを気にしないことにして、レッドはベヒモスの体を岩登りの要領で上がっていく。意外と起伏の激しい皮膚なので、割と簡単に登れたのだが、ところどころ難しい部分もあるから、聖剣を刺して支え代わりにする。
「……あいつ、聖剣の扱い雑過ぎない?」
下からマータの呆れたような台詞が飛んできたが、聞く耳持たない。前回の時にこちらを良い様に使い捨てた剣などに、愛情など持つものか。
そうやって、剣をブスブス突き刺しながらゆっくりとよじ登っていく。
しかし、そんなことをしていると、ふと妙なことに気付いた。
――あれ?
変化に気付いたのは、丁度ベヒモスという山の中腹辺りだろうか。
何回ブスブス剣を刺しながら上がっていったか分からないほどになった頃、レッドはその奇妙さを感じ始めた。
――疲れが、減ってる?
アレンに回復魔術をかけてもらって、体力は回復したとはいえ、こんな岩登りをしているのだ。疲れるのが当然と言えば当然だろう。
が、実際は逆。さっきから、疲れが取れて、むしろ元気になっている気がするのだ。
単に、戦いが終わって上がったテンションで、疲れが認識しづらくなっているのかもしれない。異界の言葉で、たしかランナーズ・ハイとか言うと学園時代聞いた事がある。
あるいは、聖剣の加護による回復効果だろうか。実際に聖剣の力には疲労回復、怪我の治癒もあるが、こんな極端なものではなかったはず。レッドは推測に確信が持てなかった。
などと考えていたら、とうに山頂、ではなくベヒモスの背中部分に到達していた。気のせいか登るスピードもだいぶ速くなった気もする。
よじ登って、ベヒモスの背中部分に立つ。
「いた……」
そう呟いた先には、スケイプが同じくベヒモスの背中で突っ立っていた。だいたい、首の辺りくらいだ。
傍にはアトラスの杭が深々と刺さっている。何やら紫色の発光をしているが、あれがアトラスの杭に刻まれた封印術の力なのだろうか。
とにかく、無事らしかったのでホッとすると、そのまま背を歩いて近づいていく。
「おい、スケイプ。何してんだよ、こんなとこで。こいつにトドメ刺さないといけないから、とっとと逃げ……」
「来るなっ!」
いきなり叫ばれ、思わず身を竦めてしまう。
「スケイプ……?」
呼びかけたが、彼は答えもしない。
ただ、アトラスの杭の傍でじっと立っているだけだった。
そして、刻一刻と強くなっていく、アトラスの杭が放つ紫色の輝きが照らす、彼のその顔は、
ぐにゃりと歪んだ、悪魔のような笑みだった。
「お前……何をして……」
そこで初めて、スケイプはレッドの方を向く。歪み切った笑顔のままで。
「ようやくなんだ……レッド」
「なに……?」
「全てはこの時のため……ずっと、ずっとこんな機会を待っていた……だから近衛騎士団にも入って、そして……」
「何言ってんだ、お前……」
明らかに、正常じゃない。目の焦点もロクに合っていないし、話も訳が分からなかった。
しかし、一つだけ分かることもあった。
こいつは、本気だということだ。
何を為す気かは分からないが、本気でやろうとしている。それだけは確実だった。
そうしている間にも紫の輝きはどんどん増していった。
「感謝するよ、レッド……お前が俺に、チャンスを与えてくれた……このアトラスの杭、そして……」
「チャンスだと? どういうことだよ、いったい……」
(……レッド、彼を止めて!)
そこで、急にラヴォワから念話が入った。どうした訳か、非常に慌てているようだ。
「ラヴォワ、いったい何を……」
(その紫色の光、スケイプが出しているんでしょ!?)
「あ、ああ、そうみたいだけど……」
(じゃあ今すぐ止めて! それは……!)
その時、捻じ曲がった笑みを浮かべていたスケイプの顔が、
さらにひと際、愉悦で歪んだ気がした。
(それは……使役の光なの!)
「は……?」
目を見開いたこちらの様子から、念話で何を聞かされたのか気付いたのだろう。
スケイプは、悪びれる様子もなく、極めて軽い調子で語りかけた。
「優秀だな、お前のところの魔術師は。魔物使いが魔物を使役する時特有の発光など、よく知ってるものだ。流石は勇者パーティの一員ということか?」
「テイムって、魔物を使役って、お前……」
そこで全てが当てはまってしまった。
彼の今までしていたこと。そして今、何をしようとしているのかも。
「まさかお前……ベヒモスを使役する気か!?」
使役。
魔物使いが、魔物に魔力で契約を行い、意のままに操る術。魔力で魔物を縛り付けると言えば簡単だが、実際行うとなると才能が何より大事になるため、実際それを行える人間は少ない。
さらに、使役できる魔物は魔物使い、いわゆるテイマーの才能によって大きく分かれるため、非常に差が大きい。
逆に言えば――テイマーの才能が優れていれば、かなり上級の魔物でも使役することは可能、ということだ。
けれども、ベヒモスなどという伝説の魔物を使役できたなんて話は、聞いた事もない。
「そんな……ベヒモスを使役なんて、可能なのか?」
(できっこない、そんなこと!)
レッドの疑問に答えたのは、スケイプではなくラヴォワだった。もはや悲鳴のような声を、念話越しに伝えている。
(ベヒモスを制御なんて、無理に決まってる……! 弾かれて終わり!)
悲痛めいた、当たり前の返答がされる。
そんなレッドの姿で、ラヴォワが何を言ったか見当ついたのだろう。フッと笑いかける。
「スケイプ、馬鹿なことは辞めろ。ベヒモスの制御なんて……」
「無理だろう、な」
そんな無理を、今まさにしていながら、その本人から出た言葉は否定だった。
眉をひそめるレッドに、だがスケイプは嘲笑する。
「たしかに不可能だろう。――普通なら、な。
しかし――魔術師に魔力を放出させられ、散々ダメージを受けた上に、アトラスの杭という魔道具で体内の魔力を抑制された状態でなら、どうかな?」
ぶん殴られたような衝撃を、レッドは受ける。
つまり、ここまで全てがスケイプの企てだったのだ。ベヒモス討伐作戦にかこつけて、ベヒモスを弱体化させてアトラスの杭を打ち、そのアトラスの杭を介してベヒモスを支配下に置く。だから彼は、自分がアトラスの杭を打ち込む役を志願したのだろう。
いや――今さっきの口ぶりからすると、近衛騎士団に入ったこと自体が、強力な魔物と出会う機会を求めてのものなのかもしれない。まさかベヒモスなんて伝説の魔物と出会えるとは想像していなかったはずだが、騎士団に所属すれば相応の魔物と戦う機会はある。そう判断したのだろうとレッドは想像がついた。
そして――そんな魔物を見つけ、何をしたいのか。
それもレッドは、想像がついてしまった。
「お前……まさか……」
言葉を失うレッドに、スケイプはまた笑いかける。
ただし、今度は今までとは違い、微笑むような、優しい笑顔だった。
「やはり、お前なら分かるか、私の気持ちが」
ドクン、と心臓が大きく響いた。
間違いない、スケイプは――
このベヒモスで、王都へ向かう気だ。
そこで何をするか――それこそ、考えるまでもあるまい。
「よせ……やめろスケイプ!」
急いで彼の下へ駆け寄ろうとするが、その時アトラスの杭が放つ光がより強力になり、目が眩んで思わず止まってしまう。
「ぐっ……なんだ!?」
その光景に、スケイプはニヤリと笑う。
「頃合いだな……」
そう言うとスケイプは、右手をアトラスの杭に乗せ、左手を添える。
右手には、グリフォンを使役した道具であろう魔道具の腕輪が巻かれていた。
「待て……待つんだスケイプ!」
凄まじい光量の中、レッドは必死になって叫んだ。
「もうやめろ! まだ引き返せる、だから……!」
「引き返す!?」
レッドが放った説得の言葉に、スケイプは激昂した。
「何処に、何処に引き返すって言うんだ!? 引き返す場所など、いったい何処にある!? 何処にもないさそんな場所!」
「スケイプ……」
目の前のスケイプは怒り狂い、いつもの余裕やプライド高い驕慢さなど、微塵も感じさせない様を見せていた。これがあのスケイプだとは、信じ難かった。
あるいは――これが本当のスケイプなのかもしれない。レッドはそう思った。
今まで見せていたスケイプは、全て虚飾の仮面に過ぎず、今レッドは、初めてスケイプ・G・クリティアスという男と顔を合わせたのかもしれない。そんな風にも思えた。
「いや――作ろうとしたさ! 私が私で居られる場所を! 私が認められる場所を!
しかし――作れなかった! 作ろうとすれば叩き潰される! いつも、いつも……なあ、そうだよなぁ、レッド!!」
「それ、は……」
思わず、言葉に詰まってしまう。
感情を剥き出しにして叫ぶスケイプの迫力に、押されている。ここまでの憎悪を胸に秘めていたなんて、気付きすらしなかった。
そして、その憎悪と絶望をこの男に与えたのは、間違いなく自分だという現実が、レッドに何も言わせなくした。
「私に存在していい場所など、存在する価値など、最初から無かった! 後から付ける事も、許されなかった! 最初から私に居場所など存在しなかった! 誰も彼もが、私の存在を認めず、蔑ろにした!
――だから」
そこで、今までの憤怒に狂った表情がスッと消え、まるで晴れ晴れとした爽やかさすら感じさせるさっぱりした顔を見せる。
と同時に、あれだけ強く輝いていた光が小さくなり、スケイプの手元へ集約される。
「だから、あんな街消えたところで、私にとって何も変わらない」
「――やめろぉ!!」
レッドの叫びも虚しく、スケイプはアトラスの杭にかざした両手に力を込めると、
「使役っ!!」
その瞬間、紫色の光が今までよりはるかに強く輝き、周囲一帯を埋め尽くした。
ベヒモスの動きが止まったのを確認すると、レッドは剣を落として地面に座り込んでしまった。聖剣の輝きも、途端に消えてしまう。
「やった、やったぞ……」
呼吸は荒く、心臓の音も未だ大きいままだ。いつの間にか、汗もダラダラかいていた。気付かなかったが、自分が思っていた以上に疲労困憊だったらしい。
しかし、甲斐はあった。掴んだ勝利に、今までない高揚感を覚える。
「レッド……!」
息絶え絶えの状態だったが、声がしたので振り返る。ラヴォワを筆頭に、メンバーがこちらに走ってくる。どうやら向こうも無事らしく安堵した。
「ああ、そっちは大丈夫か?」
「こっちは……平気」
「そうか――アレン、回復魔術をかけてくれ。頼む」
そう言うと、聖剣を杖代わりに何とか立ち上がる。まだふらつきが強いので、このままでは動くのは難しいだろう。
「え……」
すると、アレンはどうしてだか戸惑ったような、困った様子で動きを止めてしまった。
「……? どうした、なんか調子でも悪いのか?」
「い、いえ、でも……」
どうにも躊躇しているというか、回復させるべきかどうか悩んでいるようだった。何故そんなことを迷っているのか、レッドは少しも想いを察せなかった。
「ちょっと、回復してもらってどうする気よ。あんたまだ戦う気?」
そうしていると、マータが割って入るようにこちらに話しかけてきた。そんなマータの姿もおかしく感じたが、とにかく質問に答えることにした。
「当然だろ……まだ、終わって無いんだからな」
振り返り、目の前で動かないベヒモスを見やる。
動きは止めた。が、殺してはいない。レッドでもそれは見れば分かった。
今、ここで確実に仕留めねばならない。そう決意していた。
「……アレン、回復してあげて」
「は、はい……」
そうラヴォワに指示され、アレンもおずおずと回復魔術をかけ始めた。
体の自由が利くようになってきて、ふとレッドには疑問があった。
「そういや……スケイプの奴はどうしたんだ? どこにいるんだあいつ?」
ベヒモスの動きを止めたもう一人の功労者。その場で讃えてやりたいところなのに、見回した限り姿は無かった。
あいつもまさか怪我をして、倒れているのではないか。そう案じて尋ねてみたのだが、
「…………」
「……ロイ? お前何ボケっとしてんだ?」
どうしてだが、ロイの様子が気になった。
今先ほどから、ずっと空を見上げているのだ。
いや、正確には空ではなかった。
空高く、見上げなければいけないほど巨大な物体。
ベヒモスの、背面辺りをじっと見つめていたのだ。
「ロイ……? いったい何をして……」
「……あいつ、まだ上いるぞ」
「はぁ?」
ロイが指差した先、レッドには見えなかったが、そこにスケイプがいるという。
スケイプはあの場でアトラスの杭を打ち込んだまま、降りてこないらしかった。
「なんで、そんなとこに……」
杭を打ち込んだ今、ベヒモスの背に乗っている必要などあるまい。まるで状況が読めなかった。
あるいは――着地の際足でも折って、動けないのかもしれない。仮にそうだとすれば、今すぐ救助しなければ。
「――ちょっと行ってくる。お前らは警戒していてくれ」
「え、行くってどうやって……」
「登る」
「はい? あんたちょっと何を……」
マータの疑問を無視して、レッドは聖剣をブスリとベヒモスの腹に突き刺した。
「えぇ……」
言葉を失ったアレンを気にしないことにして、レッドはベヒモスの体を岩登りの要領で上がっていく。意外と起伏の激しい皮膚なので、割と簡単に登れたのだが、ところどころ難しい部分もあるから、聖剣を刺して支え代わりにする。
「……あいつ、聖剣の扱い雑過ぎない?」
下からマータの呆れたような台詞が飛んできたが、聞く耳持たない。前回の時にこちらを良い様に使い捨てた剣などに、愛情など持つものか。
そうやって、剣をブスブス突き刺しながらゆっくりとよじ登っていく。
しかし、そんなことをしていると、ふと妙なことに気付いた。
――あれ?
変化に気付いたのは、丁度ベヒモスという山の中腹辺りだろうか。
何回ブスブス剣を刺しながら上がっていったか分からないほどになった頃、レッドはその奇妙さを感じ始めた。
――疲れが、減ってる?
アレンに回復魔術をかけてもらって、体力は回復したとはいえ、こんな岩登りをしているのだ。疲れるのが当然と言えば当然だろう。
が、実際は逆。さっきから、疲れが取れて、むしろ元気になっている気がするのだ。
単に、戦いが終わって上がったテンションで、疲れが認識しづらくなっているのかもしれない。異界の言葉で、たしかランナーズ・ハイとか言うと学園時代聞いた事がある。
あるいは、聖剣の加護による回復効果だろうか。実際に聖剣の力には疲労回復、怪我の治癒もあるが、こんな極端なものではなかったはず。レッドは推測に確信が持てなかった。
などと考えていたら、とうに山頂、ではなくベヒモスの背中部分に到達していた。気のせいか登るスピードもだいぶ速くなった気もする。
よじ登って、ベヒモスの背中部分に立つ。
「いた……」
そう呟いた先には、スケイプが同じくベヒモスの背中で突っ立っていた。だいたい、首の辺りくらいだ。
傍にはアトラスの杭が深々と刺さっている。何やら紫色の発光をしているが、あれがアトラスの杭に刻まれた封印術の力なのだろうか。
とにかく、無事らしかったのでホッとすると、そのまま背を歩いて近づいていく。
「おい、スケイプ。何してんだよ、こんなとこで。こいつにトドメ刺さないといけないから、とっとと逃げ……」
「来るなっ!」
いきなり叫ばれ、思わず身を竦めてしまう。
「スケイプ……?」
呼びかけたが、彼は答えもしない。
ただ、アトラスの杭の傍でじっと立っているだけだった。
そして、刻一刻と強くなっていく、アトラスの杭が放つ紫色の輝きが照らす、彼のその顔は、
ぐにゃりと歪んだ、悪魔のような笑みだった。
「お前……何をして……」
そこで初めて、スケイプはレッドの方を向く。歪み切った笑顔のままで。
「ようやくなんだ……レッド」
「なに……?」
「全てはこの時のため……ずっと、ずっとこんな機会を待っていた……だから近衛騎士団にも入って、そして……」
「何言ってんだ、お前……」
明らかに、正常じゃない。目の焦点もロクに合っていないし、話も訳が分からなかった。
しかし、一つだけ分かることもあった。
こいつは、本気だということだ。
何を為す気かは分からないが、本気でやろうとしている。それだけは確実だった。
そうしている間にも紫の輝きはどんどん増していった。
「感謝するよ、レッド……お前が俺に、チャンスを与えてくれた……このアトラスの杭、そして……」
「チャンスだと? どういうことだよ、いったい……」
(……レッド、彼を止めて!)
そこで、急にラヴォワから念話が入った。どうした訳か、非常に慌てているようだ。
「ラヴォワ、いったい何を……」
(その紫色の光、スケイプが出しているんでしょ!?)
「あ、ああ、そうみたいだけど……」
(じゃあ今すぐ止めて! それは……!)
その時、捻じ曲がった笑みを浮かべていたスケイプの顔が、
さらにひと際、愉悦で歪んだ気がした。
(それは……使役の光なの!)
「は……?」
目を見開いたこちらの様子から、念話で何を聞かされたのか気付いたのだろう。
スケイプは、悪びれる様子もなく、極めて軽い調子で語りかけた。
「優秀だな、お前のところの魔術師は。魔物使いが魔物を使役する時特有の発光など、よく知ってるものだ。流石は勇者パーティの一員ということか?」
「テイムって、魔物を使役って、お前……」
そこで全てが当てはまってしまった。
彼の今までしていたこと。そして今、何をしようとしているのかも。
「まさかお前……ベヒモスを使役する気か!?」
使役。
魔物使いが、魔物に魔力で契約を行い、意のままに操る術。魔力で魔物を縛り付けると言えば簡単だが、実際行うとなると才能が何より大事になるため、実際それを行える人間は少ない。
さらに、使役できる魔物は魔物使い、いわゆるテイマーの才能によって大きく分かれるため、非常に差が大きい。
逆に言えば――テイマーの才能が優れていれば、かなり上級の魔物でも使役することは可能、ということだ。
けれども、ベヒモスなどという伝説の魔物を使役できたなんて話は、聞いた事もない。
「そんな……ベヒモスを使役なんて、可能なのか?」
(できっこない、そんなこと!)
レッドの疑問に答えたのは、スケイプではなくラヴォワだった。もはや悲鳴のような声を、念話越しに伝えている。
(ベヒモスを制御なんて、無理に決まってる……! 弾かれて終わり!)
悲痛めいた、当たり前の返答がされる。
そんなレッドの姿で、ラヴォワが何を言ったか見当ついたのだろう。フッと笑いかける。
「スケイプ、馬鹿なことは辞めろ。ベヒモスの制御なんて……」
「無理だろう、な」
そんな無理を、今まさにしていながら、その本人から出た言葉は否定だった。
眉をひそめるレッドに、だがスケイプは嘲笑する。
「たしかに不可能だろう。――普通なら、な。
しかし――魔術師に魔力を放出させられ、散々ダメージを受けた上に、アトラスの杭という魔道具で体内の魔力を抑制された状態でなら、どうかな?」
ぶん殴られたような衝撃を、レッドは受ける。
つまり、ここまで全てがスケイプの企てだったのだ。ベヒモス討伐作戦にかこつけて、ベヒモスを弱体化させてアトラスの杭を打ち、そのアトラスの杭を介してベヒモスを支配下に置く。だから彼は、自分がアトラスの杭を打ち込む役を志願したのだろう。
いや――今さっきの口ぶりからすると、近衛騎士団に入ったこと自体が、強力な魔物と出会う機会を求めてのものなのかもしれない。まさかベヒモスなんて伝説の魔物と出会えるとは想像していなかったはずだが、騎士団に所属すれば相応の魔物と戦う機会はある。そう判断したのだろうとレッドは想像がついた。
そして――そんな魔物を見つけ、何をしたいのか。
それもレッドは、想像がついてしまった。
「お前……まさか……」
言葉を失うレッドに、スケイプはまた笑いかける。
ただし、今度は今までとは違い、微笑むような、優しい笑顔だった。
「やはり、お前なら分かるか、私の気持ちが」
ドクン、と心臓が大きく響いた。
間違いない、スケイプは――
このベヒモスで、王都へ向かう気だ。
そこで何をするか――それこそ、考えるまでもあるまい。
「よせ……やめろスケイプ!」
急いで彼の下へ駆け寄ろうとするが、その時アトラスの杭が放つ光がより強力になり、目が眩んで思わず止まってしまう。
「ぐっ……なんだ!?」
その光景に、スケイプはニヤリと笑う。
「頃合いだな……」
そう言うとスケイプは、右手をアトラスの杭に乗せ、左手を添える。
右手には、グリフォンを使役した道具であろう魔道具の腕輪が巻かれていた。
「待て……待つんだスケイプ!」
凄まじい光量の中、レッドは必死になって叫んだ。
「もうやめろ! まだ引き返せる、だから……!」
「引き返す!?」
レッドが放った説得の言葉に、スケイプは激昂した。
「何処に、何処に引き返すって言うんだ!? 引き返す場所など、いったい何処にある!? 何処にもないさそんな場所!」
「スケイプ……」
目の前のスケイプは怒り狂い、いつもの余裕やプライド高い驕慢さなど、微塵も感じさせない様を見せていた。これがあのスケイプだとは、信じ難かった。
あるいは――これが本当のスケイプなのかもしれない。レッドはそう思った。
今まで見せていたスケイプは、全て虚飾の仮面に過ぎず、今レッドは、初めてスケイプ・G・クリティアスという男と顔を合わせたのかもしれない。そんな風にも思えた。
「いや――作ろうとしたさ! 私が私で居られる場所を! 私が認められる場所を!
しかし――作れなかった! 作ろうとすれば叩き潰される! いつも、いつも……なあ、そうだよなぁ、レッド!!」
「それ、は……」
思わず、言葉に詰まってしまう。
感情を剥き出しにして叫ぶスケイプの迫力に、押されている。ここまでの憎悪を胸に秘めていたなんて、気付きすらしなかった。
そして、その憎悪と絶望をこの男に与えたのは、間違いなく自分だという現実が、レッドに何も言わせなくした。
「私に存在していい場所など、存在する価値など、最初から無かった! 後から付ける事も、許されなかった! 最初から私に居場所など存在しなかった! 誰も彼もが、私の存在を認めず、蔑ろにした!
――だから」
そこで、今までの憤怒に狂った表情がスッと消え、まるで晴れ晴れとした爽やかさすら感じさせるさっぱりした顔を見せる。
と同時に、あれだけ強く輝いていた光が小さくなり、スケイプの手元へ集約される。
「だから、あんな街消えたところで、私にとって何も変わらない」
「――やめろぉ!!」
レッドの叫びも虚しく、スケイプはアトラスの杭にかざした両手に力を込めると、
「使役っ!!」
その瞬間、紫色の光が今までよりはるかに強く輝き、周囲一帯を埋め尽くした。
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