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転生勇者と魔剣編

第四十七話 綻び(5)

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「が……っ!?」

 レッドは思わず苦痛の声を漏らした。
 ミノタウロスの、レッド自身が斬った右肩の傷跡から、流れ出た黒い靄が己の体に巻きついて締めあげてきたのだ。

「が、あが……っ!」

 強烈な締め付けに悲鳴すら上げられず、ただ呻くことしかできない。黒い靄の力はどんどん増していき、彼の身を砕こうとしているようだった。

 そして黒い靄の量自体もどんどん増えていった。その靄はやがてミノタウロスの肉体自身を覆っていく。
 そうしていると、ミノタウロスが起き上がった。

「馬鹿、な……!」

 レッドは信じられなかった。
 それも、ただ仕留めたかと思ったミノタウロスが起きたことにではない。

 傷跡から流れ出た黒い靄が、段々と形作っていき、
 先ほど斬ったはずの腕として生えてきたのだ。

 しかも、生えてきた腕は一本や二本ではない。
 一つの傷口から二本も三本も、それも大小様々、指や肘の長さもバラバラな異形の腕が次々と生えてくる。体中からバリバリという音と、小さな稲妻が走っていた。

 変質していくのは、腕だけではない。
 頭の角もさらに長大化し、顔も伸び牙もどんどん鋭くなって、もはや牛というよりワニに近い顔立ちとなってしまった。

 この魔物は、この生物はもはやミノタウロスとは呼べない。
 全く別の、誰も知らない怪物に変身してしまっていた。

 ――ブルードラゴンの時と、同じ――!

 レッドは確信した。
 この現象は間違いなく、ブルードラゴンが双頭の竜に変質した時と同様の物だと。

 だが、今はそんなことに構っていられない。
 なんとか掴まれている手から抜け出そうと、剣を動かそうとしたが、

「この野郎……うわっ!」

 ブン、と黒い靄から巨大な腕へ変貌したその手によって、
 レッドは地面へと叩きつけられた。

「ぐはっ……!」

 うつ伏せの状態で叩きつけられたレッドは、激しい痛みと共に血も吐き出してしまう。
 しかし、それよりもまずいことがあった。
 叩きつけられた際、思わず聖剣を離してしまい、地面を滑るように遠くへ行ってしまったのだ。

 ――しまった!

 やばい、と思ったレッドは、全身の痛みに耐えて這いつくばるように聖剣の下へ行こうとした。
 けれども、ミノタウロスがそんなことを許すわけがない。

 ミノタウロスは、這いずっているレッドの背中を思い切り踏みつけた。

「ぎゃああああああああぁっ!!」

 絶叫する。アバラか背骨の骨が何本かイカれたかもしれない。

「く、くそっ……」

 踏まれながらもなんとか必死の想いで剣を取ろうとするが、かなり遠く離されてしまったため届く訳が無かった。あれでは入り口の方が近いくらいだ。

 そしてレッドの背中を踏みつけているミノタウロスからは、今もなお大量の黒い靄が噴出し、ますますその体を異形に変えていく。腕は十本以上生え、口は耳元まで裂けるほど大きくなり、肉体自体も膨れ上がっていっている。

 おぞましいほど醜悪になったミノタウロスの、巨大な口が開こうとしていた。間違いなく、目の前の小さい獲物を食い殺そうとしているのだ。

 もうダメか……とレッドも諦めて目をつぶろうとした、その時、

「レッド様……!」

 などと、入り口から声がした。

 驚いて向こうを見やると、そこにいたのはアレンだった。背中を斬られたにもかかわらず、無理をしてやってきたらしい。

「ば、馬鹿何してる、早く……!」

 逃げろ、と言おうとしたその時、
 彼の足元に、まだ白い光と黒い靄を出している聖剣があるのを見つけた。

「――アレン、聖剣を取れっ!」
「えっ……!?」

 アレンは突然のことに目を白黒させる。何を言われたのか分からなかったのだろう。

「いいから早く、聖剣でこいつを斬るんだ!」
「でも、僕じゃ……」

 アレンは首を横に振って従わない。まあ当然だろう。選ばれし勇者しか使えない聖剣だ、渡されたところで自分に出来ると思う訳が無い。

 だがレッドは大丈夫だと確信していた。
 アレン・ヴァルドなら、真の聖剣の勇者なら、この剣を振れるということが。

「お前なら大丈夫だ! いいから斬れっ!」
「……レッド様、貴方やっぱり……」
「つべこべ言わず早くしろ! でないと……!」

 と、そこまで言って、レッドは息を呑む。
 ミノタウロスの、その人間一人丸吞みしそうなほど肥大化した口が、今まさにレッドに食らいつこうとしているのに気付いたからだ。

「――っ!」

 アレンもそれを見て、覚悟を決めたらしい。
 白と黒の光を放つ聖剣をその手に取った。
 その時、聖剣がひと際強く輝いた。

「――!?」

 レッドも、ミノタウロスも思わず目をつぶるほどの強烈な光が放たれた。

 そして、何より驚いたのが、

 ――黒い靄が、消えた――!?

 そう、つい今しがたまで、レッドが使っていた時まで発生していた黒い靄と闇色の輝きが、全てあっさり消えたのだ。
 まるで、本来の持ち主の手に渡ったことを、聖剣が喜ぶかのように。

「うわああああああああああああぁぁっっ!!」

 アレンは黒い靄のことなど構わず、思い切り横薙ぎに聖剣を振った。
 その横薙ぎに合わせ、凄まじい光の刃が放たれる。

「うわっ……!」

 レッドも思わず両手で頭を守る体勢を取ってしまった。

 アレンが放った光の刃はもはや刃というより光そのもので、強烈な光が命中したミノタウロスは全身が消失してしまった。

 そうしてその膨大な光の一撃がようやく消えた時、そこにはミノタウロスの欠片すら残ってはいなかった。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 アレンはその場で膝をついた。呼吸も荒く、今の一閃だけでもかなり力を持っていかれたのがよく分かる。

「アレン、無事か……」
「……はい、レッド様こそ……」

 などと言って、アレンは聖剣を杖代わりにしてなんとかこちらに来ると、回復魔術をかけ始めた。自分だって先ほど斬られた傷が癒えていないだろうに、無茶をする奴だと言いたくなった。

 やがて、なんとか動ける程度に回復した。まだ全身痛むが、ゆっくりと立ち上がる。

「あ、ダメですよまだ動いちゃ……」
「平気だ。それより……」

 レッドは、アレンが傍らに置いた聖剣を手に取る。既にあの強烈な輝きは消えていた。

 しげしげとその刀身を眺めたが、変化は特に感じられない。いつも通り、純白の刃を見せつけているだけだ。

 ――やはり、真の持ち主はアレンなのか。

 レッドは改めて確信した。
 今先ほどの一撃。レッドの物と比べ物にならない、光の激流と呼ぶべき波動の力。白き鎧は出なかったものの、あれは真の勇者だけが引き出せる聖剣の本当の力かもしれない。

 そして何より、レッドが使う時とは違い、黒い靄が出なかった。
 あの黒い靄は、聖剣が出していると思っていたのだが、違ったのだろうか? あるいは、使い手に応じて異なるのかもしれない。

 ――やっぱ、自分は偽物ということだな。

 自嘲気味に笑いながら、聖剣をしまう。とっくに分かっていた事ではあるが、改めて確認するとなんだか情けなくなってくる。

 と、そこで誰かが歩いてくる足音がした。

「レッド……お前……」

 鉱山へ入ってきたのは、スケイプだった。唖然とした顔を見せてくる。

「お前か……終わったよ。ミノタウロスは倒した。そっちはどうだ?」
「――ああ。こっちは全員無事だ」

 そう言うと、他の近衛騎士団やロイたちもやってくる。怪我をしている者もいるが、全員無事らしい。

「そりゃ良かった。俺もなんとか倒した甲斐があるってもんだ」

 え? という顔をするアレンに対して、レッドは耳元で囁く。

「黙ってろ。あの事は誰にも言うな」
「え、でも……」
「いいから。今は説明できん。……まあ、俺も良く分からんのだがな」

 それだけ言うと、アレンもこくりと頷いた。
 手柄を奪うようで悪いが、皆に今ここでアレンが聖剣を使えることを話すのは得策ではないと判断した。説明のしようがないため、変に混乱させるだけだろう。

「…………」
「――スケイプ? どうした?」

 すると、そこでスケイプがこちらを見つめてきているのに気付いた。何か思いつめたような、奇妙な目つきで。

「――何でもない」

 そう目を逸らす。この男の性格だ、仮に何かあっても話したりはしないだろう。

「それより、ミノタウロスを倒しただけで終わった気になるな。まだ役目は残っているぞ」
「……? はて、何かあったっけ?」
「馬鹿、アトラスの杭を回収するのが我々の役目だろうが!」
「あ」

 すっかり失念していた。ミノタウロスのことで頭がいっぱいで、本来の任務を完全に忘れていたようだ。

「ああ、そうだったな。けど……」

 ちらと、鉱山の奥の方へ目をやる。

 鉱山の中はメチャクチャだった。先ほどまでとはうって変わり、壁や天井となっていた地面が丸ごと抉り取られ、巨大な穴がポッカリ開いてしまっていた。正直、崩れ落ちなかったのが不思議なくらいだ。

 原因は無論、アレンが放った光の激流である。あの膨大な光はミノタウロスを消し飛ばすだけでは収まらず、その後ろの鉱山まで突き破ってしまっていたのだ。内部を照らしていた魔道具もどこかへ飛んでいったらしく、大穴の中は真っ暗闇だった。

「――残ってるかな。アトラスの杭……」

 なんて頼りないことを言いつつ、レッドたちはとりあえず鉱山の奥へ向かうことにした。
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