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転生勇者と魔剣編
第四十五話 綻び(3)
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ひとしきり咆哮を上げた後、ミノタウロスはこちらへ目を向けた。
四方八方に分かれたレッドたちを、一人一人見回している。血肉に飢えた肉食獣が、獲物を探しているのだろう。
「アレン、全員に防御魔術をかけろっ!」
「は、はいっ!」
レッドに命令され、ミノタウロスの威容に体を動かせなかったアレンが、返答と共に防御魔術を皆にかけようとした。これでミノタウロスの攻撃から身を守れるはずだ。
しかし、その行為は、ミノタウロスの関心を引いてしまっただけだった。
アレンの声に反応し、ミノタウロスがその巨体では信じられない速度で、彼に突っ込んでいった。
「えっ……!」
驚いたアレンは、咄嗟に結界を自分の前面に出して防御した。見えない魔力の壁が、ミノタウロスの拳を押し留める。
だが、押し留められたのはほんの一瞬だった。
「そんな……っ!」
恐ろしいほどの巨体から繰り出されるパンチは、強靭なはずの防御結界を簡単に割り砕き、アレンへ叩きつけられる。
「がっ……!?」
「アレン!」
アレンは後方へふっ飛ばされる。
何メートル飛ばされたか分からないが、アレンの肉体は地面を何度か跳ねた後でようやく止まった。すぐにでも助け起こしたいところだが、そうもいかない。
ミノタウロスが次の標的に選んだのは、スケイプの連れてきた取り巻きの一人だった。
ギロリと睨みつけただけでその取り巻きは「ひっ」と縮こまり、まったく身動きが取れなくなってしまった。あれでは、殺してくれと言っているようなものだ。
獲物の怯えた姿に、ミノタウロスは笑ったように口元が歪んだように見えた。
そしてまた、その獲物に対して突撃を敢行する。
取り巻きは両腕で顔を覆ったが、そんなもので守れるはずが無い。
そのまま食い千切られる――かと思えば、そうはならなかった。
彼とミノタウロスの間に割って入った者が、盾となり彼を庇ったのだ。
「ぐうううぅぅぅっ!!」
ロイが、そのアックスと自らを使い、ミノタウロスの突進を受け止めたのだ。
「引っ込んでろ三下ぁ!! お前らにどうにかなる相手でないわ!!」
ロイはそう叫ぶが、その様は非常に苦しそうだ。あのブルードラゴンの爪すら受け止めたロイの力だが、このミノタウロスはそれ以上かもしれない。恐ろしいことだった。
「ロイ、そのまま動かないで!」
次はラヴォワが叫ぶ。彼女の周囲に、緑色の光が輝いていた。
「プラントウィップ!」
彼女の言葉と共に、地面から何本もの木の蔓が伸びてミノタウロスに襲い掛かった。その全てがミノタウロスに絡みつき、その肉体を縛り付ける。
プラントウィップ。土系魔術の一種で、木の蔓を操り相手を攻撃したり拘束する魔術だったはずだ。
「ロイ、離れな!」
マータにそう叫ばれると、ロイが拘束されたミノタウロスから咄嗟に離れる。
その瞬間、マータは懐からいくつもの黒い球を取り出し、ミノタウロスに投げつけた。
「燃えちまいな!」
黒い球は爆薬を込めた爆弾だった。いくつもの球が爆発し、雨の中赤い炎と黒い煙を上げた。ミノタウロスも苦悶の声を出す。
しかし、彼女の追撃はそこで終わらなかった。
「もういっちょ!」
彼女は次に、手で持てるくらいの小さな樽を取り出し、二つほど投げつけた。そして間髪を入れず、ラヴォワに向けて指示する。
「ラヴォワ、囲いな!」
「……ん」
小型の樽がミノタウロスを覆う炎に届く直前。地面から今度は黄土色の壁がせり上がり、ミノタウロスの周囲を完全に密閉する。
その瞬間、壁の内側からドカンと鈍い爆発音がして、土の壁が激しく揺れた。
これは初期に考えた連携の一つで、マータの持つ爆弾とラヴォワの土系魔術の複合技だった。
先ほど投げつけたのはとある木の蜜なのだが、恐ろしいほど可燃性が高くちょっとでも火が付けば大爆発を起こす。あらかじめ敵に火を付けておき、蜜の入った樽を投げつけたところで樽ごと敵を土の壁で覆う。こうすれば爆発の被害が外へは最低限で済み、なおかつ威力も格段に上がる。
何度か試した使い方だが、威力が強すぎて魔物が跡形もなく粉々になってしまうため、マータから不評だったから封印した方法だ。
逆に言えば、これで倒せなかった魔物はいないということだが……
「――マータ、アレンの様子は?」
「問題ないわ。気絶してるだけ。ちゃんと生きてるわよ」
様子を見に行かせたマータの言葉にホッと胸を撫で下ろす。しかし、その安堵は一瞬で終わってしまう。
突如、バコォンという破裂したような音がしたかと思えば、ミノタウロスを包んでいた土の壁が吹き飛んだのだ。
「ぐわっ……!」
咄嗟に身を伏せて回避する。大量と土埃が辺りを視界ゼロに染め上げた。
誰もが目鼻に入った土に咳き込んでいると、やがて土埃が晴れてきた。
「……マジかよ」
土埃の発端である場所には、ミノタウロスがいた。
それも、先ほどの爆発での傷が一切見えない。最初に現れた時とまるで変化が無い状態で立っていたのだ。
「嘘でしょ……何なのよこいつ……」
「あり得ない……あれで倒せないどころか、ダメージすら負わせられないなんて……」
マータもラヴォワも驚愕を露わにする。王都に来てから何度も上級の魔物と戦ってきたが、こんな魔物は経験が無かった。
あの時の、ブルードラゴンの戦いを除けばの話だが。
「――スケイプ。他の奴らを下がらせろ」
「な、なに?」
レッドは、聖剣を抜いて構えると、今まで他の取り巻きと同じく、ただ固まっていたスケイプに対してそう命じた。
当然、スケイプは突然の言い様に不平を口にする。
「何を言ってる、私は騎士として戦いから逃げるわけには……」
「邪魔だって言ってんのが分かんねえのか!」
剣をミノタウロスに向けたまま、スケイプの方を振り返りもせずそう叫んだ。反論しようとしたスケイプも、そこで黙ってしまう。
それは絶叫というより、悲鳴のようだった。
「――お前ら庇ってる余裕なんか無いんだ。とっとと逃げな」
「――っ」
スケイプはそこで何も言わなくなり、レッドの命令通り他の近衛騎士団の者たちに「下がるぞ!」と指示を出す。彼らは脱兎のごとく逃げていった。
だがそんな逃亡を許す飢えた獣はいない。背を向けた彼らに、ミノタウロスは標的を向け、一気に食らいつこうとした。
しかし、その追撃もまた、同じ近衛騎士団の豪傑に阻まれる。
「この牛の化け物がぁ!!」
ロイがまた、自らの体を使い押し止めた。しかし一度目の突撃を止めた際既にだいぶ無理をしていたようで、後ろに大きく押し切られてしまった。
「今度こそ――!」
再び止まったミノタウロスに、ラヴォワはまたプラントウィップを、今度は先ほどよりもっと大量に生み出してミノタウロスを拘束させる。
「――ちょっとレッド、あんた何ボサっとしてるのよ! あんたも戦いなさいよ!」
マータがそう怒声を上げる。
そう、実はレッドは先ほどから、剣を構えただけで少しも動いていなかった。レッドの聖剣こそが勇者パーティ最大の戦力なのだから、これほどの強大な敵に対してその彼が戦わないのでは勝ち目は薄い。
しかし、レッドは動かなかった。
正確には、動けなかったというのが正しいが。
「…………」
レッドも、戦おう、動こうと必死で思っていた。
けれども、体は主の意志に背くように動かない。呼吸は荒く、心臓はドクンドクンと爆音を鳴らし、歯は音を立てていた。目からは雨以外に、汗か涙か分からない水が流れている。
手など酷いもので、聖剣を持っているのがやっとというくらいガタガタ震えていた。足も同様に震えきっており、いつ倒れてもおかしくないほどだ。
「レッド!? どうしたのレッド!?」
ラヴォワの案ずる声など、聞こえていなかった。
聞こえていたのは、否、頭をよぎっていたのは、かつての悪夢だ。
『お願いだ、許してくれ。金も女も好きなだけやるから、殺さないで……ぎゃ、ぎゃああああっ!!」
必死になって、いつも軽蔑し無残に殺してきた魔物に、命乞いする情けない姿。
勿論そんなものが聞き入れられるはずもなく、前回のレッドはミノタウロスに襲われた。
それもただ襲われたのではない。殺そうと思えば一撃で殺せたろうに、奴はまるで楽しむように、痛めつける事そのものを楽しむように、ゆっくりゆっくりと嬲りものにしていったのだ。
あの時とは違う。そう思っていた。ミノタウロスも、自分も。
しかし、自分は全く変わっていなかった。臆病で、弱く、聖剣の力を頼っているだけの無力なガキでしかなかった。
今も、こうしてミノタウロスの恐怖に震えあがり、縮こまっているしか出来ないのだ。
レッドの様子が変な事に気付いた仲間たちだったが、それに構っている余裕はなかった。
仕方なしに、なんとか自分たちでミノタウロスを仕留めようとしたところ、その時、怪物の周囲に異変が生じた。
「な、なによこれ!?」
木の蔓に縛り付けられたミノタウロスの体からビリビリと小さな閃光のようなものが噴き出し始めたのだ。
まるで、先ほど落ちた雷のような。
「そんな……ミノタウロスに魔術なんか使えるはずが……!」
ラヴォワの言い分は正確だった。
ブルードラゴンが炎を吐いたように、魔物の中には魔力で魔術と似たような行いが可能な種もいる。
しかし、このミノタウロスはそのような特性は無い。前回の時ミノタウロスの生態を聞いた時も、そのような説明はされなかった。
だが実際、今ミノタウロスの肉体から小さな稲妻がほとばしっている。これは事実だった。
咄嗟に、三人は身構える。ミノタウロスから稲妻が飛び出すと思ったからだ。
だが、その行為ははっきり言って無駄だった。
「――! みんな、伏せろ!」
遠くに居たためいち早く気付いたレッドが絶叫した、その途端、
ミノタウロスを中心に、雷鳴が轟いた。
「うわあああああぁぁっ!!」
レッドも含め、四人が弾き飛ばされる。そのまま地面に倒れ込むレッドだったが、幸い少し距離が離れていたため、衝撃をモロに食らうことはなく意識は保たれた。
「くぅ……何が起きた」
なんとか立ち上がったが、そこには信じられないものがあった。
落雷の直撃を受けたはずのミノタウロスが、何事もなかったかのように平然と突っ立っているのだ。
まるで雷などいくら食らっても平気とばかりに――否。
「まさか……こいつが雷を起こしたっていうのか?」
そうとしか考えられなかった。
最初の登場時の雨と落雷といい、今といい、落ちるタイミングが都合良過ぎる。たまたま落ちたというより、ミノタウロス自身が落としたと考えるのが自然だ。
その結論が、よりレッドを戦慄させた。
気象を操る魔物など、それこそベヒモスのような伝説の魔物クラスだ。ミノタウロスは上級とはいえ普通の魔物、そんなことができるなんてあり得ない。
少なくとも、前回の時はそんな力は発動しなかった。
「なんで……なんで……!」
レッドは怯え、身動き一つ出来ない。
気が付けば、三人の姿も消えていた。雷で消し飛んだ、というわけではなく、レッド同様弾かれてどこかへ行ってしまったのだろう。
残っていたのは、ロイ自慢のアックスだけだった。
「あ……っ!」
レッドが声にならない悲鳴を上げたその時、
傍らに落ちているアックスに気付いたミノタウロスが、そのアックスを拾い手に持った。
「ひっ……!!」
思わずレッドは腰を抜かしてしまう。
前回もそうだった。
あの時も、ロイが落としたアックスを拾われ、袈裟懸けに斬られたのだ。既に瀕死の状態だったレッドは、その怪我のせいで死の危機に陥った。
そんな前回の、今回は経験していない記憶がレッドに恐怖と絶望を与え、その身を動けなくし、闘志を完全に奪っていった。
「あ、あ……っ」
涙ながらに、ゆっくり地べたを這って逃げるしか出来ない。今のレッドに、ミノタウロスと戦う勇気など無かった。
無論、そんなことで逃げられるわけがない。ミノタウロスはゆっくりとレッドに近づき、目の前に立った。
怯え、戦慄する。かつてとまったく同じ動き、同じ光景にレッドは震えるだけだった。
そしてそんな臆病者に対して、ミノタウロスは力任せにアックスを振り下ろした。
「ひいいぃっ!!」
レッドが泣き叫び、目を閉じたその瞬間、
横から何かがぶつかってきて、レッドの身をその場から押し出した。
四方八方に分かれたレッドたちを、一人一人見回している。血肉に飢えた肉食獣が、獲物を探しているのだろう。
「アレン、全員に防御魔術をかけろっ!」
「は、はいっ!」
レッドに命令され、ミノタウロスの威容に体を動かせなかったアレンが、返答と共に防御魔術を皆にかけようとした。これでミノタウロスの攻撃から身を守れるはずだ。
しかし、その行為は、ミノタウロスの関心を引いてしまっただけだった。
アレンの声に反応し、ミノタウロスがその巨体では信じられない速度で、彼に突っ込んでいった。
「えっ……!」
驚いたアレンは、咄嗟に結界を自分の前面に出して防御した。見えない魔力の壁が、ミノタウロスの拳を押し留める。
だが、押し留められたのはほんの一瞬だった。
「そんな……っ!」
恐ろしいほどの巨体から繰り出されるパンチは、強靭なはずの防御結界を簡単に割り砕き、アレンへ叩きつけられる。
「がっ……!?」
「アレン!」
アレンは後方へふっ飛ばされる。
何メートル飛ばされたか分からないが、アレンの肉体は地面を何度か跳ねた後でようやく止まった。すぐにでも助け起こしたいところだが、そうもいかない。
ミノタウロスが次の標的に選んだのは、スケイプの連れてきた取り巻きの一人だった。
ギロリと睨みつけただけでその取り巻きは「ひっ」と縮こまり、まったく身動きが取れなくなってしまった。あれでは、殺してくれと言っているようなものだ。
獲物の怯えた姿に、ミノタウロスは笑ったように口元が歪んだように見えた。
そしてまた、その獲物に対して突撃を敢行する。
取り巻きは両腕で顔を覆ったが、そんなもので守れるはずが無い。
そのまま食い千切られる――かと思えば、そうはならなかった。
彼とミノタウロスの間に割って入った者が、盾となり彼を庇ったのだ。
「ぐうううぅぅぅっ!!」
ロイが、そのアックスと自らを使い、ミノタウロスの突進を受け止めたのだ。
「引っ込んでろ三下ぁ!! お前らにどうにかなる相手でないわ!!」
ロイはそう叫ぶが、その様は非常に苦しそうだ。あのブルードラゴンの爪すら受け止めたロイの力だが、このミノタウロスはそれ以上かもしれない。恐ろしいことだった。
「ロイ、そのまま動かないで!」
次はラヴォワが叫ぶ。彼女の周囲に、緑色の光が輝いていた。
「プラントウィップ!」
彼女の言葉と共に、地面から何本もの木の蔓が伸びてミノタウロスに襲い掛かった。その全てがミノタウロスに絡みつき、その肉体を縛り付ける。
プラントウィップ。土系魔術の一種で、木の蔓を操り相手を攻撃したり拘束する魔術だったはずだ。
「ロイ、離れな!」
マータにそう叫ばれると、ロイが拘束されたミノタウロスから咄嗟に離れる。
その瞬間、マータは懐からいくつもの黒い球を取り出し、ミノタウロスに投げつけた。
「燃えちまいな!」
黒い球は爆薬を込めた爆弾だった。いくつもの球が爆発し、雨の中赤い炎と黒い煙を上げた。ミノタウロスも苦悶の声を出す。
しかし、彼女の追撃はそこで終わらなかった。
「もういっちょ!」
彼女は次に、手で持てるくらいの小さな樽を取り出し、二つほど投げつけた。そして間髪を入れず、ラヴォワに向けて指示する。
「ラヴォワ、囲いな!」
「……ん」
小型の樽がミノタウロスを覆う炎に届く直前。地面から今度は黄土色の壁がせり上がり、ミノタウロスの周囲を完全に密閉する。
その瞬間、壁の内側からドカンと鈍い爆発音がして、土の壁が激しく揺れた。
これは初期に考えた連携の一つで、マータの持つ爆弾とラヴォワの土系魔術の複合技だった。
先ほど投げつけたのはとある木の蜜なのだが、恐ろしいほど可燃性が高くちょっとでも火が付けば大爆発を起こす。あらかじめ敵に火を付けておき、蜜の入った樽を投げつけたところで樽ごと敵を土の壁で覆う。こうすれば爆発の被害が外へは最低限で済み、なおかつ威力も格段に上がる。
何度か試した使い方だが、威力が強すぎて魔物が跡形もなく粉々になってしまうため、マータから不評だったから封印した方法だ。
逆に言えば、これで倒せなかった魔物はいないということだが……
「――マータ、アレンの様子は?」
「問題ないわ。気絶してるだけ。ちゃんと生きてるわよ」
様子を見に行かせたマータの言葉にホッと胸を撫で下ろす。しかし、その安堵は一瞬で終わってしまう。
突如、バコォンという破裂したような音がしたかと思えば、ミノタウロスを包んでいた土の壁が吹き飛んだのだ。
「ぐわっ……!」
咄嗟に身を伏せて回避する。大量と土埃が辺りを視界ゼロに染め上げた。
誰もが目鼻に入った土に咳き込んでいると、やがて土埃が晴れてきた。
「……マジかよ」
土埃の発端である場所には、ミノタウロスがいた。
それも、先ほどの爆発での傷が一切見えない。最初に現れた時とまるで変化が無い状態で立っていたのだ。
「嘘でしょ……何なのよこいつ……」
「あり得ない……あれで倒せないどころか、ダメージすら負わせられないなんて……」
マータもラヴォワも驚愕を露わにする。王都に来てから何度も上級の魔物と戦ってきたが、こんな魔物は経験が無かった。
あの時の、ブルードラゴンの戦いを除けばの話だが。
「――スケイプ。他の奴らを下がらせろ」
「な、なに?」
レッドは、聖剣を抜いて構えると、今まで他の取り巻きと同じく、ただ固まっていたスケイプに対してそう命じた。
当然、スケイプは突然の言い様に不平を口にする。
「何を言ってる、私は騎士として戦いから逃げるわけには……」
「邪魔だって言ってんのが分かんねえのか!」
剣をミノタウロスに向けたまま、スケイプの方を振り返りもせずそう叫んだ。反論しようとしたスケイプも、そこで黙ってしまう。
それは絶叫というより、悲鳴のようだった。
「――お前ら庇ってる余裕なんか無いんだ。とっとと逃げな」
「――っ」
スケイプはそこで何も言わなくなり、レッドの命令通り他の近衛騎士団の者たちに「下がるぞ!」と指示を出す。彼らは脱兎のごとく逃げていった。
だがそんな逃亡を許す飢えた獣はいない。背を向けた彼らに、ミノタウロスは標的を向け、一気に食らいつこうとした。
しかし、その追撃もまた、同じ近衛騎士団の豪傑に阻まれる。
「この牛の化け物がぁ!!」
ロイがまた、自らの体を使い押し止めた。しかし一度目の突撃を止めた際既にだいぶ無理をしていたようで、後ろに大きく押し切られてしまった。
「今度こそ――!」
再び止まったミノタウロスに、ラヴォワはまたプラントウィップを、今度は先ほどよりもっと大量に生み出してミノタウロスを拘束させる。
「――ちょっとレッド、あんた何ボサっとしてるのよ! あんたも戦いなさいよ!」
マータがそう怒声を上げる。
そう、実はレッドは先ほどから、剣を構えただけで少しも動いていなかった。レッドの聖剣こそが勇者パーティ最大の戦力なのだから、これほどの強大な敵に対してその彼が戦わないのでは勝ち目は薄い。
しかし、レッドは動かなかった。
正確には、動けなかったというのが正しいが。
「…………」
レッドも、戦おう、動こうと必死で思っていた。
けれども、体は主の意志に背くように動かない。呼吸は荒く、心臓はドクンドクンと爆音を鳴らし、歯は音を立てていた。目からは雨以外に、汗か涙か分からない水が流れている。
手など酷いもので、聖剣を持っているのがやっとというくらいガタガタ震えていた。足も同様に震えきっており、いつ倒れてもおかしくないほどだ。
「レッド!? どうしたのレッド!?」
ラヴォワの案ずる声など、聞こえていなかった。
聞こえていたのは、否、頭をよぎっていたのは、かつての悪夢だ。
『お願いだ、許してくれ。金も女も好きなだけやるから、殺さないで……ぎゃ、ぎゃああああっ!!」
必死になって、いつも軽蔑し無残に殺してきた魔物に、命乞いする情けない姿。
勿論そんなものが聞き入れられるはずもなく、前回のレッドはミノタウロスに襲われた。
それもただ襲われたのではない。殺そうと思えば一撃で殺せたろうに、奴はまるで楽しむように、痛めつける事そのものを楽しむように、ゆっくりゆっくりと嬲りものにしていったのだ。
あの時とは違う。そう思っていた。ミノタウロスも、自分も。
しかし、自分は全く変わっていなかった。臆病で、弱く、聖剣の力を頼っているだけの無力なガキでしかなかった。
今も、こうしてミノタウロスの恐怖に震えあがり、縮こまっているしか出来ないのだ。
レッドの様子が変な事に気付いた仲間たちだったが、それに構っている余裕はなかった。
仕方なしに、なんとか自分たちでミノタウロスを仕留めようとしたところ、その時、怪物の周囲に異変が生じた。
「な、なによこれ!?」
木の蔓に縛り付けられたミノタウロスの体からビリビリと小さな閃光のようなものが噴き出し始めたのだ。
まるで、先ほど落ちた雷のような。
「そんな……ミノタウロスに魔術なんか使えるはずが……!」
ラヴォワの言い分は正確だった。
ブルードラゴンが炎を吐いたように、魔物の中には魔力で魔術と似たような行いが可能な種もいる。
しかし、このミノタウロスはそのような特性は無い。前回の時ミノタウロスの生態を聞いた時も、そのような説明はされなかった。
だが実際、今ミノタウロスの肉体から小さな稲妻がほとばしっている。これは事実だった。
咄嗟に、三人は身構える。ミノタウロスから稲妻が飛び出すと思ったからだ。
だが、その行為ははっきり言って無駄だった。
「――! みんな、伏せろ!」
遠くに居たためいち早く気付いたレッドが絶叫した、その途端、
ミノタウロスを中心に、雷鳴が轟いた。
「うわあああああぁぁっ!!」
レッドも含め、四人が弾き飛ばされる。そのまま地面に倒れ込むレッドだったが、幸い少し距離が離れていたため、衝撃をモロに食らうことはなく意識は保たれた。
「くぅ……何が起きた」
なんとか立ち上がったが、そこには信じられないものがあった。
落雷の直撃を受けたはずのミノタウロスが、何事もなかったかのように平然と突っ立っているのだ。
まるで雷などいくら食らっても平気とばかりに――否。
「まさか……こいつが雷を起こしたっていうのか?」
そうとしか考えられなかった。
最初の登場時の雨と落雷といい、今といい、落ちるタイミングが都合良過ぎる。たまたま落ちたというより、ミノタウロス自身が落としたと考えるのが自然だ。
その結論が、よりレッドを戦慄させた。
気象を操る魔物など、それこそベヒモスのような伝説の魔物クラスだ。ミノタウロスは上級とはいえ普通の魔物、そんなことができるなんてあり得ない。
少なくとも、前回の時はそんな力は発動しなかった。
「なんで……なんで……!」
レッドは怯え、身動き一つ出来ない。
気が付けば、三人の姿も消えていた。雷で消し飛んだ、というわけではなく、レッド同様弾かれてどこかへ行ってしまったのだろう。
残っていたのは、ロイ自慢のアックスだけだった。
「あ……っ!」
レッドが声にならない悲鳴を上げたその時、
傍らに落ちているアックスに気付いたミノタウロスが、そのアックスを拾い手に持った。
「ひっ……!!」
思わずレッドは腰を抜かしてしまう。
前回もそうだった。
あの時も、ロイが落としたアックスを拾われ、袈裟懸けに斬られたのだ。既に瀕死の状態だったレッドは、その怪我のせいで死の危機に陥った。
そんな前回の、今回は経験していない記憶がレッドに恐怖と絶望を与え、その身を動けなくし、闘志を完全に奪っていった。
「あ、あ……っ」
涙ながらに、ゆっくり地べたを這って逃げるしか出来ない。今のレッドに、ミノタウロスと戦う勇気など無かった。
無論、そんなことで逃げられるわけがない。ミノタウロスはゆっくりとレッドに近づき、目の前に立った。
怯え、戦慄する。かつてとまったく同じ動き、同じ光景にレッドは震えるだけだった。
そしてそんな臆病者に対して、ミノタウロスは力任せにアックスを振り下ろした。
「ひいいぃっ!!」
レッドが泣き叫び、目を閉じたその瞬間、
横から何かがぶつかってきて、レッドの身をその場から押し出した。
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