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転生勇者と魔剣編
番外編4 枢機卿長補佐司教アリア・ヴィクティー(3)
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「――本当に、お気遣いなされずとも結構ですのに……」
「いえいえ、我らが世界の希望たる勇者様が体を壊しているのを見逃すなど出来ませんよ。それに、勇者様には個人的にお話したかったので」
「はあ……」
そう生返事をするレッドに、アリアは腹立ちを顔に出さないよう勤めるのが精一杯だった。
何故、こんな奴に対して紅茶を淹れなければならないのかと叫びたくて仕方なかった。
しかし、他ならぬ枢機卿長の要請では断れない。歯がゆい思いを隠しつつ、希望通りの茶葉で紅茶を淹れた。
「どうぞ。アトール王国最大の茶畑で栽培された紅茶ですが、この品種はリラックス効果と安眠をもたらすと言われています。今の勇者様にとっては一番の紅茶と思われるので是非ご賞味ください」
「ありがとうございます。では……」
そういってレッドは口に含める。流石に名門貴族の出、所作は酔っ払っていてもまあ悪くは無い。一口飲むと、
「……?」
何か眉をひそめている。
「おや、お気に召しませんでした?」
「いえ――どこかで飲んだことがある味だなと思いまして」
などと感想を漏らすレッド。
恐れ多くも枢機卿長と、同席で紅茶を飲めるという名誉を貰っているのに反応が雑過ぎる。それがどれほど光栄なことか、理解していないのはまあやむを得ない。枢機卿長がラルヴァ教における真の是正者というのは誰も知らないことなのだから。
だとしても、この男は反応がおかしいのだ。
あからさまに枢機卿長を警戒しているというか、敵意がある。思えば最初の時からそうだった。初対面であるはずの枢機卿長相手に様子が目に見えて怪しかった。訝しんでいるというか、憎悪にすら感じられる。
異様なのだ。このレッド・H・カーティスという男は。
危険を感じるため、出来れば枢機卿長にはこの男には近づいて欲しくなかった。だが、その枢機卿長自身に頼まれれば断れない。こちらの心配もよそに、枢機卿長も紅茶を一口含めるとレッドに笑いかける。
「そうですか? まあこの茶畑はアトール王国がもっとも流通量が多いですから、以前飲んだことがあってもおかしくないでしょうね。まあ、これ一杯飲めば明日の体調も良くなると思いますよ」
「わざわざご配慮くださり、ありがとうございます」
「とんでもない。世界を救うという大役を負っていただき、感謝すべきは我々の方です。――ところで」
カップを置いて、枢機卿長は彼に隠された目を向けた。布の下が伺えないはずなのに、その目に宿る光が輝いた気がする。
「な、なんですか?」
レッドも何か感じ取ったらしく、頬に冷や汗が流れている。典型的な馬鹿貴族と評判の男だが、勘は鋭いらしい。
「どうですかね。おおよそ五か月――いや、半年くらいですか? 魔王討伐の旅は?」
「どう――と言われると?」
質問の意図が分からないらしく、彼は首を傾げていた。
「いえ、ごく普通にどう思ったのかですよ。何しろ、貴方は軍人というわけでなく、騎士志望だったわけでなく、ごく普通の学生だったそうですから、いきなり勇者として選ばれ戦いの場へ出され、戸惑いや怖れなどもあった事かと思います。そのような気持ちを抱いているのでは、とお聞きしたくてね」
「それは――勿論、どうして自分が聖剣の勇者に選ばれたのか、と考えない日はありませんでしたけど」
少ししどろもどろになりながらも答える。先ほどよりさらに様子が変になり、目が明後日の方を向いていた。やはりこの男、何かを隠している。カーティス家はアトール王国の裏を支えてきた家系と聞いているので、もしかしたらその筋から何か聞いていたのかもしれない。
「なるほど、不安な気持ちはよく分かります。我々とて、その事情は分かりません。聖剣については、我々も謎だらけでしてね。その理由は私も残念ながら答えられません」
「え、枢機卿長様もご存知ないのですか?」
「当然です。何しろこの五百年、平和だった訳ではないですからね。数々の政変や内戦で資料が失われたことも多く、分からない事は実に多いのです」
かつて大陸を支配したアトール王国が、最初に大きな戦いに突入したのは、聖剣の勇者こと初代国王が死亡した直後、後継者争いがきっかけで起きた内戦だった。二人の兄弟が始めた争いは、やがて国を二部する大きな戦いとなり、結果敗走した弟が僻地にレムリー帝国を建国した。
その後も大陸では争いが絶えず、新しい国が生まれては倒れるを繰り返し、最終的には五つの国に分かれ今安定している。少なくともそう言われていた。
仮に魔王などが現れなければ、国同士の争いは続いていただろう。
「皮肉なものですね。魔王なんて世界の脅威が現れてから、ようやく平和になるなんて。まあ、その魔王に滅ぼされては困りますから、勇者様には是非勝っていただかなければいけないのですが」
「――無論、自らの役目を全うする所存です」
「おっと、別に負担に感じる必要は無いですよ。私としたことが、言葉を誤りましたね。変にプレッシャーをかける気は無かったのですが」
「プレッ……シャー?」
「おや、ご存知ありませんか? 異界の言葉で負担を与えるとか重責を課す、という意味でしたかね」
異界とは、その名が示す通り異なる世界、この世とは違う別世界の事だ。
実際に行った者もいなければ見た者もいないのだが、存在は確実とされている。かつて異界より落ちてきたこの世界では作れない謎の物体や、異界から来た人間の伝承は数多く残されている。
その異界からは物品のみならず知識、言語や分野など多彩なものが伝わり、一部言語などは一般の社会にも染み込んでいた。
「ま、それはともかく、我々としても心苦しく思っているのですよ。貴方様に世界を救うなんて重責を課してしまっていることは。大きすぎる使命を背負うというのは、辛いものです。私の枢機卿長という椅子も、大変なものですしね」
「大変――ですか」
レッドの言い様は、枢機卿長という立場を分かっていないとはいえ反応が薄すぎた。腹立ちがどんどん強くなっていく。
「ええ。まあ枢機卿長の任期は十年ほどで終わりますが、これでもラルヴァ教創設から五百年続く長い歴史を持った地位ですからね。当然、担う役目も責任も大きいものですよ。平気などと言えば嘘になりますが、五十人以上おられる先人たちの栄誉にかけてそんなことはおくびにも出せません。だから、弱音も吐きづらい方の気持ちは理解できるつもりですよ」
「なるほど、大変なものなのですね」
「なに、世界を救うため日夜戦っているあなた方や各国の勇士たちに比べれば微々たるものですよ――で、一つ聞きたいのですけれど」
「は、はい、なんでしょうか」
声色が少し変わった気がして、レッドのみならず傍にいるアリアすら姿勢を正してしまう。
そんな彼らに構わず、枢機卿長は平然と問いかけた。
「辞めたいと思った事ある?」
「え?」
あまりに予想外の質問だったのだろう、レッドの声は上ずっていた。アリアも面食らってしまう。
「その使命、その重責。逃げ出したいと思ったことはあるかね。逃げられない、ということを考慮せずに。正直、どう?」
この方は何を言っているのか。アリアは理解できなかった。
いかなる意図でそんな質問をするのか、まるで想像だにできなかった。
「…………」
枢機卿長の質問に対して、レッドはしばらく俯いて黙っていた。
しかし、不意に顔を持ち上げると、
「――いいえ」
そう、毅然とした決意を以て返した。
「私は私の目的と決意があって勇者をしているのです。辞める気はありません」
「――なるほど。よく分かったよ」
枢機卿長がニヤリと笑う。言い切ったレッドは紅茶を飲み干そうと取っ手を持とうとしたが、その手がぐらりと揺れカップにぶつかり、紅茶の水面が荒れた。
「あ、あれ……?」
どこかふらついている様子で頭を振っている。様子からすると、どうも意識が曖昧らしかった。
「おやおや、長居させて申し訳ありませんでしたね。ゆっくりお休みください。アリアちゃん、お送りしてあげて」
「い、いえ、自分でちゃんと歩けますから――」
そう言って、レッドは少しフラフラした様で外へ出ようとした。そして扉に手をかけたところ、
「――最後に、一ついいかな」
と、枢機卿長が尋ねてきた。
「……なん、でしょうか?」
「君のパーティメンバーの、アレン君のことだけど、どう? 彼は役に立ってる?」
そう聞かれ、レッドはしばらく黙っていたが、やがて口を開くと、
「――まあ、そりゃ役には立ってますよ。でなきゃとっくに追放してますって」
なんて笑いながら言った。
「――そうかい。ありがとう」
枢機卿長も笑い返すと、レッドは「失礼します」と言って部屋を出た。
レッドが去った部屋で、枢機卿長は背もたれに全体重を預ける形で寄りかかると、
「――決定だな」
と呟いた。
「ではゲイリー様、やはり?」
「ああ、予定変更だよ。正直失敗だったな……ま、いいか」
などとため息をつく。
「では、第二候補に?」
「いんや、このままでいいでしょ。今更だよ。少しシナリオを書き換えれば済む話さ。シナリオは考えなくちゃだけど……」
「それではゲイリー様、この者はいかがですか?」
そう言うと、アリアは部屋の棚に仕舞っていた資料を取り出した。
それは肖像画付きの、一人の人物について纏めた資料だった。
「――なるほど、廃品利用ってわけね。いいアイディアじゃないのアリアちゃん?」
「ありがとうございます」
そうお辞儀をする。枢機卿長に感謝される事以上の幸せは、彼女には無かった。
「ま、利用される方は気の毒だけどね――」
なんて笑っていたが、ふと
そう言って、枢機卿長が紅茶を口にしようとしたところ、カップを不意に落としてしまい、床に落ちて激しい音と共に割れた。
「だ、大丈夫ですかゲイリー様!」
慌てて駆け寄るが、枢機卿長は何の返事もしない。
落とした右手を、じっと見つめているだけだ。
「ゲイリー様……?」
「――アリアちゃん」
と、枢機卿長は不意にアリアに声をかけ、笑顔を見せながらこう言った。
「そろそろ、君のその身が枢機卿長の椅子に座る日も近いかもね」
「――はいっ!」
感極まり、アリアは泣きそうになった。
そんな彼女に背を向け、枢機卿長は夜の闇に覆われた外を眺める。
「まあそれはいずれ、になるだろうけどね。とにかく今は、アークプロジェクトにこれ以上支障が出ないことを祈りたいねえ」
「問題ありません。多少のアクシデントがあっても、この計画は必ず成功させてみせます」
「そうであって欲しいものだね。今まで散々苦労したんだから。でないと――」
そこで枢機卿長は、アリアの方へ顔を戻してこう言った。
「ベヒモスを復活させた甲斐も無いからね」
はい、とアリアは何でもないことのように答えた。
「さてと……それじゃアリアちゃん、悪いけどこの落ちちゃったのを片づけてくれないかな。人呼んでくれても構わないし」
「分かりました。すぐ戻りますので、ゲイリー様はお触りにならないようお願いいたします」
はいはい、という笑いながらの声を背に、アリアは部屋から退出した。
部屋から退出したアリアは、枢機卿長がはあとため息をつくと、胸元をまさぐり、
「――ま、なんにせよ万が一の準備は必要だよね」
と言いながら、首から密かにかけていた首飾りを取り出したのを見ていなかった。
そうして、輪の中に黒い剣をはめ込んだ形のアクセサリが付いているそれをまさぐりながら、
「これが、必要になる事態は無いだろうけど、さ――」
なんて苦笑してみせたことも、アリアが知ることはなかった。
「いえいえ、我らが世界の希望たる勇者様が体を壊しているのを見逃すなど出来ませんよ。それに、勇者様には個人的にお話したかったので」
「はあ……」
そう生返事をするレッドに、アリアは腹立ちを顔に出さないよう勤めるのが精一杯だった。
何故、こんな奴に対して紅茶を淹れなければならないのかと叫びたくて仕方なかった。
しかし、他ならぬ枢機卿長の要請では断れない。歯がゆい思いを隠しつつ、希望通りの茶葉で紅茶を淹れた。
「どうぞ。アトール王国最大の茶畑で栽培された紅茶ですが、この品種はリラックス効果と安眠をもたらすと言われています。今の勇者様にとっては一番の紅茶と思われるので是非ご賞味ください」
「ありがとうございます。では……」
そういってレッドは口に含める。流石に名門貴族の出、所作は酔っ払っていてもまあ悪くは無い。一口飲むと、
「……?」
何か眉をひそめている。
「おや、お気に召しませんでした?」
「いえ――どこかで飲んだことがある味だなと思いまして」
などと感想を漏らすレッド。
恐れ多くも枢機卿長と、同席で紅茶を飲めるという名誉を貰っているのに反応が雑過ぎる。それがどれほど光栄なことか、理解していないのはまあやむを得ない。枢機卿長がラルヴァ教における真の是正者というのは誰も知らないことなのだから。
だとしても、この男は反応がおかしいのだ。
あからさまに枢機卿長を警戒しているというか、敵意がある。思えば最初の時からそうだった。初対面であるはずの枢機卿長相手に様子が目に見えて怪しかった。訝しんでいるというか、憎悪にすら感じられる。
異様なのだ。このレッド・H・カーティスという男は。
危険を感じるため、出来れば枢機卿長にはこの男には近づいて欲しくなかった。だが、その枢機卿長自身に頼まれれば断れない。こちらの心配もよそに、枢機卿長も紅茶を一口含めるとレッドに笑いかける。
「そうですか? まあこの茶畑はアトール王国がもっとも流通量が多いですから、以前飲んだことがあってもおかしくないでしょうね。まあ、これ一杯飲めば明日の体調も良くなると思いますよ」
「わざわざご配慮くださり、ありがとうございます」
「とんでもない。世界を救うという大役を負っていただき、感謝すべきは我々の方です。――ところで」
カップを置いて、枢機卿長は彼に隠された目を向けた。布の下が伺えないはずなのに、その目に宿る光が輝いた気がする。
「な、なんですか?」
レッドも何か感じ取ったらしく、頬に冷や汗が流れている。典型的な馬鹿貴族と評判の男だが、勘は鋭いらしい。
「どうですかね。おおよそ五か月――いや、半年くらいですか? 魔王討伐の旅は?」
「どう――と言われると?」
質問の意図が分からないらしく、彼は首を傾げていた。
「いえ、ごく普通にどう思ったのかですよ。何しろ、貴方は軍人というわけでなく、騎士志望だったわけでなく、ごく普通の学生だったそうですから、いきなり勇者として選ばれ戦いの場へ出され、戸惑いや怖れなどもあった事かと思います。そのような気持ちを抱いているのでは、とお聞きしたくてね」
「それは――勿論、どうして自分が聖剣の勇者に選ばれたのか、と考えない日はありませんでしたけど」
少ししどろもどろになりながらも答える。先ほどよりさらに様子が変になり、目が明後日の方を向いていた。やはりこの男、何かを隠している。カーティス家はアトール王国の裏を支えてきた家系と聞いているので、もしかしたらその筋から何か聞いていたのかもしれない。
「なるほど、不安な気持ちはよく分かります。我々とて、その事情は分かりません。聖剣については、我々も謎だらけでしてね。その理由は私も残念ながら答えられません」
「え、枢機卿長様もご存知ないのですか?」
「当然です。何しろこの五百年、平和だった訳ではないですからね。数々の政変や内戦で資料が失われたことも多く、分からない事は実に多いのです」
かつて大陸を支配したアトール王国が、最初に大きな戦いに突入したのは、聖剣の勇者こと初代国王が死亡した直後、後継者争いがきっかけで起きた内戦だった。二人の兄弟が始めた争いは、やがて国を二部する大きな戦いとなり、結果敗走した弟が僻地にレムリー帝国を建国した。
その後も大陸では争いが絶えず、新しい国が生まれては倒れるを繰り返し、最終的には五つの国に分かれ今安定している。少なくともそう言われていた。
仮に魔王などが現れなければ、国同士の争いは続いていただろう。
「皮肉なものですね。魔王なんて世界の脅威が現れてから、ようやく平和になるなんて。まあ、その魔王に滅ぼされては困りますから、勇者様には是非勝っていただかなければいけないのですが」
「――無論、自らの役目を全うする所存です」
「おっと、別に負担に感じる必要は無いですよ。私としたことが、言葉を誤りましたね。変にプレッシャーをかける気は無かったのですが」
「プレッ……シャー?」
「おや、ご存知ありませんか? 異界の言葉で負担を与えるとか重責を課す、という意味でしたかね」
異界とは、その名が示す通り異なる世界、この世とは違う別世界の事だ。
実際に行った者もいなければ見た者もいないのだが、存在は確実とされている。かつて異界より落ちてきたこの世界では作れない謎の物体や、異界から来た人間の伝承は数多く残されている。
その異界からは物品のみならず知識、言語や分野など多彩なものが伝わり、一部言語などは一般の社会にも染み込んでいた。
「ま、それはともかく、我々としても心苦しく思っているのですよ。貴方様に世界を救うなんて重責を課してしまっていることは。大きすぎる使命を背負うというのは、辛いものです。私の枢機卿長という椅子も、大変なものですしね」
「大変――ですか」
レッドの言い様は、枢機卿長という立場を分かっていないとはいえ反応が薄すぎた。腹立ちがどんどん強くなっていく。
「ええ。まあ枢機卿長の任期は十年ほどで終わりますが、これでもラルヴァ教創設から五百年続く長い歴史を持った地位ですからね。当然、担う役目も責任も大きいものですよ。平気などと言えば嘘になりますが、五十人以上おられる先人たちの栄誉にかけてそんなことはおくびにも出せません。だから、弱音も吐きづらい方の気持ちは理解できるつもりですよ」
「なるほど、大変なものなのですね」
「なに、世界を救うため日夜戦っているあなた方や各国の勇士たちに比べれば微々たるものですよ――で、一つ聞きたいのですけれど」
「は、はい、なんでしょうか」
声色が少し変わった気がして、レッドのみならず傍にいるアリアすら姿勢を正してしまう。
そんな彼らに構わず、枢機卿長は平然と問いかけた。
「辞めたいと思った事ある?」
「え?」
あまりに予想外の質問だったのだろう、レッドの声は上ずっていた。アリアも面食らってしまう。
「その使命、その重責。逃げ出したいと思ったことはあるかね。逃げられない、ということを考慮せずに。正直、どう?」
この方は何を言っているのか。アリアは理解できなかった。
いかなる意図でそんな質問をするのか、まるで想像だにできなかった。
「…………」
枢機卿長の質問に対して、レッドはしばらく俯いて黙っていた。
しかし、不意に顔を持ち上げると、
「――いいえ」
そう、毅然とした決意を以て返した。
「私は私の目的と決意があって勇者をしているのです。辞める気はありません」
「――なるほど。よく分かったよ」
枢機卿長がニヤリと笑う。言い切ったレッドは紅茶を飲み干そうと取っ手を持とうとしたが、その手がぐらりと揺れカップにぶつかり、紅茶の水面が荒れた。
「あ、あれ……?」
どこかふらついている様子で頭を振っている。様子からすると、どうも意識が曖昧らしかった。
「おやおや、長居させて申し訳ありませんでしたね。ゆっくりお休みください。アリアちゃん、お送りしてあげて」
「い、いえ、自分でちゃんと歩けますから――」
そう言って、レッドは少しフラフラした様で外へ出ようとした。そして扉に手をかけたところ、
「――最後に、一ついいかな」
と、枢機卿長が尋ねてきた。
「……なん、でしょうか?」
「君のパーティメンバーの、アレン君のことだけど、どう? 彼は役に立ってる?」
そう聞かれ、レッドはしばらく黙っていたが、やがて口を開くと、
「――まあ、そりゃ役には立ってますよ。でなきゃとっくに追放してますって」
なんて笑いながら言った。
「――そうかい。ありがとう」
枢機卿長も笑い返すと、レッドは「失礼します」と言って部屋を出た。
レッドが去った部屋で、枢機卿長は背もたれに全体重を預ける形で寄りかかると、
「――決定だな」
と呟いた。
「ではゲイリー様、やはり?」
「ああ、予定変更だよ。正直失敗だったな……ま、いいか」
などとため息をつく。
「では、第二候補に?」
「いんや、このままでいいでしょ。今更だよ。少しシナリオを書き換えれば済む話さ。シナリオは考えなくちゃだけど……」
「それではゲイリー様、この者はいかがですか?」
そう言うと、アリアは部屋の棚に仕舞っていた資料を取り出した。
それは肖像画付きの、一人の人物について纏めた資料だった。
「――なるほど、廃品利用ってわけね。いいアイディアじゃないのアリアちゃん?」
「ありがとうございます」
そうお辞儀をする。枢機卿長に感謝される事以上の幸せは、彼女には無かった。
「ま、利用される方は気の毒だけどね――」
なんて笑っていたが、ふと
そう言って、枢機卿長が紅茶を口にしようとしたところ、カップを不意に落としてしまい、床に落ちて激しい音と共に割れた。
「だ、大丈夫ですかゲイリー様!」
慌てて駆け寄るが、枢機卿長は何の返事もしない。
落とした右手を、じっと見つめているだけだ。
「ゲイリー様……?」
「――アリアちゃん」
と、枢機卿長は不意にアリアに声をかけ、笑顔を見せながらこう言った。
「そろそろ、君のその身が枢機卿長の椅子に座る日も近いかもね」
「――はいっ!」
感極まり、アリアは泣きそうになった。
そんな彼女に背を向け、枢機卿長は夜の闇に覆われた外を眺める。
「まあそれはいずれ、になるだろうけどね。とにかく今は、アークプロジェクトにこれ以上支障が出ないことを祈りたいねえ」
「問題ありません。多少のアクシデントがあっても、この計画は必ず成功させてみせます」
「そうであって欲しいものだね。今まで散々苦労したんだから。でないと――」
そこで枢機卿長は、アリアの方へ顔を戻してこう言った。
「ベヒモスを復活させた甲斐も無いからね」
はい、とアリアは何でもないことのように答えた。
「さてと……それじゃアリアちゃん、悪いけどこの落ちちゃったのを片づけてくれないかな。人呼んでくれても構わないし」
「分かりました。すぐ戻りますので、ゲイリー様はお触りにならないようお願いいたします」
はいはい、という笑いながらの声を背に、アリアは部屋から退出した。
部屋から退出したアリアは、枢機卿長がはあとため息をつくと、胸元をまさぐり、
「――ま、なんにせよ万が一の準備は必要だよね」
と言いながら、首から密かにかけていた首飾りを取り出したのを見ていなかった。
そうして、輪の中に黒い剣をはめ込んだ形のアクセサリが付いているそれをまさぐりながら、
「これが、必要になる事態は無いだろうけど、さ――」
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