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転生勇者と魔剣編
番外編3 枢機卿長補佐司教アリア・ヴィクティー(2)
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「――お話は分かりました。でも、僕はまだ信じられない気持ちです。僕は……」
部屋から出て、自室へ戻ろうとしたアレン・ヴァルドは、見送りに来た枢機卿長に対してそう告げた。
傍にいたアリアは、顔が険しくならないように必死だった。枢機卿長の言葉を信用しないなど、神罰に値する行いである。
しかし、そんな無礼者に枢機卿長は咎めもせず、にこやかに応じると、
「お気持ちは十分に分かります。飲み込めないのも当然でしょう。ですが、頭の片隅には留めて欲しい。そう言った想いでわざわざ時間を頂いたのです。不愉快な気持ちにさせてしまったのなら謝罪いたします」
「い、いえいえ! そんな、謝罪なんて恐れ多いです!」
頭を下げようとした枢機卿長にアレンは驚いて止める。一応はその程度のことを理解する知性はあるらしい。
「ありがとうございます。私としても信じ難い心は同じです。こちらでも調査は続行させましょう。こんな時間にお呼びして申し訳ありませんでした。明日から忙しいそうで、そんな折に引き留めてしまい改めて謝罪いたします」
「だ、大丈夫です、枢機卿長様! 僕は元気なのが取り柄なので!」
「素晴らしい。その元気と澄んだ心で、どうか世界を救う旅をお続けなされてください。それと――先ほどまでの話は、内密に、ということで」
「は、はい――」
最後の言葉は、アレンの頭頂部から生えている犬耳に囁く形で告げられた。敬愛する枢機卿長にそのように囁かれるだけで、アリアは目の前の犬畜生に激しい嫉妬心を抱いてしまった。
先ほどまで、枢機卿長とアレンはこの借りた一室で密談をしていた。アレンに対しどうしても話さねばならない事がある、という体で連れてきたのだ。
最初、話を聞かされたアレンは信じようとしなかった。非常に不遜な態度である。枢機卿長の言葉は、実質太陽神ラルヴァの言葉に等しい。それを疑うこと自体が、重罪なのだ。
しかし流石は枢機卿長。そのような無礼極まる扱いをされてもまるで機嫌を損ねることなく、丁寧に、そして真摯に語りかける。
素晴らしい、とアリアは感銘を受けた。
アリアが枢機卿長の地位を欲するのは、単なる権力や名誉欲ではない。
憧れているからだ、枢機卿長という者自体に。
初めて枢機卿長に会ったのは、十五年前ほど。レムール大神殿へ見習い神官として入った時だった。当時まだ幼かった自分だが、あの時の事はよく覚えている。
見習い神官の自分たちの前に、教皇猊下が挨拶に来てくれた。その赤い神官服と教皇猊下の証である太陽を模した形の彫り物が刻まれている権丈を手にしていた。皆がそのラルヴァ教教団最高の高位聖職者の姿に尊敬の念を抱いたものだ。
だが、アリアが目を奪われたのは教皇ではなく、その隣を歩む別の聖職者だった。
山吹色の神官服と、目に黒色の布を巻いた奇妙にも感じられる姿。当時の枢機卿長はゲイリー・ライトニング枢機卿長の前任者で、高身長の若い女性だった。長い髪を後ろに結び、教皇の傍を寄り添うように歩いていた。傍目からすれば、教皇の側近と考えるのが普通だろう。
しかし、アリアはそう思えなかった。
隣の皴の深い老人より、この美しい女性こそが何倍も神々しく感じられたのだ。
その時から、自分が将来目指すのはこの人だと確信した。
レムール大神殿への見習い神官とは、いわば将来の高位聖職者候補だ。この大神殿では未来の司教、大司教、もしくは枢機卿へと至る神官を育てる役目もある。勿論その者たちから、未来の教皇も生まれる。
そして、枢機卿長候補である枢機卿長補佐司教も。
アリアは長年努力に努力を積み重ね、ついに補佐司教の名を獲得した。補佐司教となり、このラルヴァ教の裏の仕組みを知った時、アリアは歓喜した。
やはり自分は正しかったのだと。枢機卿長こそが、ラルヴァ教を本当に統べる支配者なのだと分かった時の喜びは忘れられない。
その枢機卿長の称号が、いよいよ自分の手に届こうとしている。長年求めに求め、そのためならありとあらゆる手を使ってきた。その名を私のものにするためなら、いかなることでも成し遂げてみせよう。彼女はそう決意していた。
であるからこそ、アークプロジェクトを完遂するためにこんな亜人相手にも顔では笑ってみせているのだから。
「では、今日はゆっくりお休みください。またいずれ話すこともあるかもしれませんが――おや?」
と、そこで枢機卿長が何かに気付き、廊下の向こうに目をやった。
アリアやアレンもそちらに顔をやると、
「……!?」
驚愕する。
なんと、レッド・H・カーティスが覗き見る形でこちらを伺っていたのだ。
アリアもアレンも、動揺を露わにする。
いったいいつ頃から居たのだろうか。もしや、先ほどまでの話を聞かれたかもしれない。だったら、非常にマズい事だ。
しかし、枢機卿長は少しも慌ても騒ぎもせず、逆に自ら近づいていった。
「これはこれは勇者様、このような時間にどうなされましたかな?」
向こうも突然向かってきた枢機卿長に驚いたようだが、こちらに対して別に問い詰めたり暴れる気配もなく、むしろ覗いていたのだバレたことに困っている様子だった。
「あ、いえ……ちょっと眠れなくて、トイレに行こうとしたら声がしたものですから――」
などと、目を逸らし言い訳する姿から察するに、こちらが話していた内容は分かっていないらしい。アリアはそう確信した。
聞いていれば、こんな普通な態度など取れるはずが無いからだ。
「おや、それは大変ですな。良ければお薬でもお持ちしましょうか?」
「いやいやいや! そんな大丈夫ですよ、その内眠れるようになりますから! ――けど」
そう言うと、レッドは枢機卿長から視線を外し、アレンの方を見やる。
「――アレン、お前こんなところで何話していたんだ?」
そう尋ねられると、アレンはあからさまに動揺した。
「あ、あの、その……ちょっと励ましの言葉頂いていただけです。ホントそれだけです。では、僕は明日早いのでこれで!」
なんて言って、アレンは早足で逃げ去ってしまった。思わず頭を抱えたくなる。あれでは、怪しめと言っているようなものだ。
レッドもこの態度を訝しんでいると、そんな彼に枢機卿長が「勇者様」と話しかけた。
「え!? な、なんでしょう枢機卿長様っ」
またしても様子がおかしいままレッドは返事をする。
この男は初めに会った時、あの聖剣を受け取る儀礼の場でも様子が変だった。アレンを連れて行ったあの時も、妙に態度が異様なのだ。
だから、アリアはレッドに疑わしいものを感じていたが、枢機卿長はそのような考えを一切見せることは無く、彼に笑ってこう問うた。
「眠れないと伺いましたが、ご気分でも悪いのですか?」
「あ、その、えっと――別に、平気です。ちょっと寝れば治ると思いますから――」
そう彼は言っているが目が明らかに泳いでいる。というより、今初めて気付いたが酒臭い。だいぶ酔っているようだ。枢機卿長の前に酒を入れて立つなど、無礼極まるその様にアリアはますます腹立たしくなった。
「それはいけませんな。明後日にはミノタウロス討伐も控えているというのに、勇者様には壮健であられねば……アリアちゃん?」
「……は、はい! なんでございましょうかゲイリー様!」
枢機卿長に対して神罰が下ってもおかしくないほどの醜態を晒す愚か者相手でも、その穏やかな姿を変えない枢機卿長に感銘を受けていたら、呼ばれたことに気付くのが少し遅れてしまった。自らの不実を呪っていたところ、
「勇者様と私に、紅茶を用意してくれないか。酔いと不眠に効果がある物がいいな」
そう頼まれた。
「……はぁ!?」
部屋から出て、自室へ戻ろうとしたアレン・ヴァルドは、見送りに来た枢機卿長に対してそう告げた。
傍にいたアリアは、顔が険しくならないように必死だった。枢機卿長の言葉を信用しないなど、神罰に値する行いである。
しかし、そんな無礼者に枢機卿長は咎めもせず、にこやかに応じると、
「お気持ちは十分に分かります。飲み込めないのも当然でしょう。ですが、頭の片隅には留めて欲しい。そう言った想いでわざわざ時間を頂いたのです。不愉快な気持ちにさせてしまったのなら謝罪いたします」
「い、いえいえ! そんな、謝罪なんて恐れ多いです!」
頭を下げようとした枢機卿長にアレンは驚いて止める。一応はその程度のことを理解する知性はあるらしい。
「ありがとうございます。私としても信じ難い心は同じです。こちらでも調査は続行させましょう。こんな時間にお呼びして申し訳ありませんでした。明日から忙しいそうで、そんな折に引き留めてしまい改めて謝罪いたします」
「だ、大丈夫です、枢機卿長様! 僕は元気なのが取り柄なので!」
「素晴らしい。その元気と澄んだ心で、どうか世界を救う旅をお続けなされてください。それと――先ほどまでの話は、内密に、ということで」
「は、はい――」
最後の言葉は、アレンの頭頂部から生えている犬耳に囁く形で告げられた。敬愛する枢機卿長にそのように囁かれるだけで、アリアは目の前の犬畜生に激しい嫉妬心を抱いてしまった。
先ほどまで、枢機卿長とアレンはこの借りた一室で密談をしていた。アレンに対しどうしても話さねばならない事がある、という体で連れてきたのだ。
最初、話を聞かされたアレンは信じようとしなかった。非常に不遜な態度である。枢機卿長の言葉は、実質太陽神ラルヴァの言葉に等しい。それを疑うこと自体が、重罪なのだ。
しかし流石は枢機卿長。そのような無礼極まる扱いをされてもまるで機嫌を損ねることなく、丁寧に、そして真摯に語りかける。
素晴らしい、とアリアは感銘を受けた。
アリアが枢機卿長の地位を欲するのは、単なる権力や名誉欲ではない。
憧れているからだ、枢機卿長という者自体に。
初めて枢機卿長に会ったのは、十五年前ほど。レムール大神殿へ見習い神官として入った時だった。当時まだ幼かった自分だが、あの時の事はよく覚えている。
見習い神官の自分たちの前に、教皇猊下が挨拶に来てくれた。その赤い神官服と教皇猊下の証である太陽を模した形の彫り物が刻まれている権丈を手にしていた。皆がそのラルヴァ教教団最高の高位聖職者の姿に尊敬の念を抱いたものだ。
だが、アリアが目を奪われたのは教皇ではなく、その隣を歩む別の聖職者だった。
山吹色の神官服と、目に黒色の布を巻いた奇妙にも感じられる姿。当時の枢機卿長はゲイリー・ライトニング枢機卿長の前任者で、高身長の若い女性だった。長い髪を後ろに結び、教皇の傍を寄り添うように歩いていた。傍目からすれば、教皇の側近と考えるのが普通だろう。
しかし、アリアはそう思えなかった。
隣の皴の深い老人より、この美しい女性こそが何倍も神々しく感じられたのだ。
その時から、自分が将来目指すのはこの人だと確信した。
レムール大神殿への見習い神官とは、いわば将来の高位聖職者候補だ。この大神殿では未来の司教、大司教、もしくは枢機卿へと至る神官を育てる役目もある。勿論その者たちから、未来の教皇も生まれる。
そして、枢機卿長候補である枢機卿長補佐司教も。
アリアは長年努力に努力を積み重ね、ついに補佐司教の名を獲得した。補佐司教となり、このラルヴァ教の裏の仕組みを知った時、アリアは歓喜した。
やはり自分は正しかったのだと。枢機卿長こそが、ラルヴァ教を本当に統べる支配者なのだと分かった時の喜びは忘れられない。
その枢機卿長の称号が、いよいよ自分の手に届こうとしている。長年求めに求め、そのためならありとあらゆる手を使ってきた。その名を私のものにするためなら、いかなることでも成し遂げてみせよう。彼女はそう決意していた。
であるからこそ、アークプロジェクトを完遂するためにこんな亜人相手にも顔では笑ってみせているのだから。
「では、今日はゆっくりお休みください。またいずれ話すこともあるかもしれませんが――おや?」
と、そこで枢機卿長が何かに気付き、廊下の向こうに目をやった。
アリアやアレンもそちらに顔をやると、
「……!?」
驚愕する。
なんと、レッド・H・カーティスが覗き見る形でこちらを伺っていたのだ。
アリアもアレンも、動揺を露わにする。
いったいいつ頃から居たのだろうか。もしや、先ほどまでの話を聞かれたかもしれない。だったら、非常にマズい事だ。
しかし、枢機卿長は少しも慌ても騒ぎもせず、逆に自ら近づいていった。
「これはこれは勇者様、このような時間にどうなされましたかな?」
向こうも突然向かってきた枢機卿長に驚いたようだが、こちらに対して別に問い詰めたり暴れる気配もなく、むしろ覗いていたのだバレたことに困っている様子だった。
「あ、いえ……ちょっと眠れなくて、トイレに行こうとしたら声がしたものですから――」
などと、目を逸らし言い訳する姿から察するに、こちらが話していた内容は分かっていないらしい。アリアはそう確信した。
聞いていれば、こんな普通な態度など取れるはずが無いからだ。
「おや、それは大変ですな。良ければお薬でもお持ちしましょうか?」
「いやいやいや! そんな大丈夫ですよ、その内眠れるようになりますから! ――けど」
そう言うと、レッドは枢機卿長から視線を外し、アレンの方を見やる。
「――アレン、お前こんなところで何話していたんだ?」
そう尋ねられると、アレンはあからさまに動揺した。
「あ、あの、その……ちょっと励ましの言葉頂いていただけです。ホントそれだけです。では、僕は明日早いのでこれで!」
なんて言って、アレンは早足で逃げ去ってしまった。思わず頭を抱えたくなる。あれでは、怪しめと言っているようなものだ。
レッドもこの態度を訝しんでいると、そんな彼に枢機卿長が「勇者様」と話しかけた。
「え!? な、なんでしょう枢機卿長様っ」
またしても様子がおかしいままレッドは返事をする。
この男は初めに会った時、あの聖剣を受け取る儀礼の場でも様子が変だった。アレンを連れて行ったあの時も、妙に態度が異様なのだ。
だから、アリアはレッドに疑わしいものを感じていたが、枢機卿長はそのような考えを一切見せることは無く、彼に笑ってこう問うた。
「眠れないと伺いましたが、ご気分でも悪いのですか?」
「あ、その、えっと――別に、平気です。ちょっと寝れば治ると思いますから――」
そう彼は言っているが目が明らかに泳いでいる。というより、今初めて気付いたが酒臭い。だいぶ酔っているようだ。枢機卿長の前に酒を入れて立つなど、無礼極まるその様にアリアはますます腹立たしくなった。
「それはいけませんな。明後日にはミノタウロス討伐も控えているというのに、勇者様には壮健であられねば……アリアちゃん?」
「……は、はい! なんでございましょうかゲイリー様!」
枢機卿長に対して神罰が下ってもおかしくないほどの醜態を晒す愚か者相手でも、その穏やかな姿を変えない枢機卿長に感銘を受けていたら、呼ばれたことに気付くのが少し遅れてしまった。自らの不実を呪っていたところ、
「勇者様と私に、紅茶を用意してくれないか。酔いと不眠に効果がある物がいいな」
そう頼まれた。
「……はぁ!?」
応援ありがとうございます!
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