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転生勇者と魔剣編

第一話 夢が始まる(1)

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「ぐはぁっ!!」

 激しい轟音と共に、黒き鎧を纏ったレッドの身は吹き飛ばされた。

「がぁ、ごはっ、げぁ……っ!」

 苦悶の声を上げる様は、鎧に覆われていても痛々しげであった。

「く、くっそ……!」
「――終わりだ、レッド」

 剣を構え、白き鎧を纏ったアレンはそうとだけ告げた。一言だけではあったが、それはレッドにとっては処刑宣告と一緒だった。

「レッド・H・カーティス。貴方を許すわけにはいかない。亜人として、この世界に生きる一人の人間として。
 ――勇者として」
「――っ!!」

 勇者、の台詞に、叩きのめされた激痛を忘れるほど凄まじい憎悪がレッドの全身に走った。
 しかし、そんな彼の内面とは裏腹に、最初に出てきたのは笑い声だった。

「ふっ、くく、くくく……勇者だって?」

 笑いながらゆっくりと起き上がると、衝撃で壊れたのか、兜がカランという音を鳴らして地面に落ちる。
 露わになった顔は焼け爛れた傷と共に、新たな傷のせいか血が大きく流れており左目を塞いでいた。

「笑わせるんじゃねえよ、薄汚いケダモノ如きが。勇者ってのは……」

 息も絶え絶えではあるが、闘志は衰えていない。レッドは、剣を両手に持つと、刃先を地面――否、自分の影へと向けた。

「この――俺の事なんだよっ!!」

 そう叫ぶと、剣を影へと力の限り突き刺した。
 その瞬間、影がぐにゃりと蠢いたかと思うと、黒い靄のようなものが大量に噴出していった。

「さあ、覚悟しろ、これが黒き鎧の力だっ! 貴様ら身の程知らずの裏切り者をこの手で八つ裂きに――ぐっ!?」

 黒い霧の塊が全身を包みだした時、レッドは勝利を確信したが、その愉悦を浮かべた顔が急に歪む。

「あ、あが、あ……!」

 黒い霧が肌に触れると同時に、全身を突き刺すような痛みが走った。目が血走り、呼吸すらままならない。咄嗟に剣を抜こうとするもビクともせず、ただ苦痛にうめき声を上げるしか出来なかった。

「が、がガッ、ガガガガガガガガガカガガァァ……ッ!!」

 苦悶の声が、まるで自分の声ではないもののように変質した。まるで理性を失った野獣のような雄たけびに。

 それと同時に、全身の肌をつんざくような激痛が響いたかと感じた途端、右腕から巨大な赤黒い角のようなものが飛び出してきた。

「ガ、ガガ、ナンダ、ゴレ……ッ!」
「こ、これはっ!?」

 アレンの方も仰天しているようだが、レッドの方はそんなこと構っていられない。赤黒い角のようなものは右腕だけでなく、全身から何本も出てきた。
 鎧が変形しているのではない。これは間違いなく、変質しているのは自分の肉体の方だった。

「グ、グル、グルジッ……ダレガ、ダズゲ……ッ!!」

 ついには唯一剥き出しの顔まで異形の姿に変貌し始め、苦しみ助けを求めたその瞬間、思い出したのは一人の男の顔だった。



『――君に力を与えよう。あの聖剣――白き鎧に勝るとも劣らない力だ。
 憎悪によって動き邪心によって力を増す――まさに今の君にふさわしくないかね?  
 その鎧の力で君を捨てた全てに復讐するといい。姿
 ねえ――元勇者様?』



「ア、ァ、アノグゾヤロヴゥ……ハメヤガッダナ……ッ!!」

 自分が罠にかかった。そうレッドが気付いたのはあまりにも遅かった。肉体は人とはかけ離れた怪物の姿に変わり果て、周囲の物全てを喰らいつくさないがばかりに肥大化していく。

 やがて変身が終わった時には、そこにレッド・H・カーティスなどという人間はいなかった。

 存在したのは、人の何倍もの背丈と体長を持つおぞましい魔物だった。
 ワニやトカゲの類のような巨大に裂けた口を持つ四足獣。赤黒い体表には何本もの角が突き立っており、酷い腐臭を放つ見るも無残な怪物だった。

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァッッッ!!」

 完全な魔物と化したレッドは言葉すら放てず、ただ咆哮を上げるだけであった。

「――っ。貴方という人は、復讐一つの為に人すら辞めたのか――っ!」

 その醜悪な怪物の様に、アレンは吐き捨てるように呟いた。もはや怒りを通り越して呆れすら感じているのかもしれない。

「もう終わりにしましょう。かつて仲間だった――勇者だった貴方に対する、それが僕の出来る唯一の敬意です――!」

 それだけ言うと、アレンは剣を両手に構え直し、ぐっと力を込めたかと思えば、地面をけり上げて空中へ大きく跳躍した。

「ああああああああああああぁっ!!」

 掛け声と共に白い天使はレッドだった魔物目掛けて突進し、剣を振り下ろした。
 巨獣はひとたまりもなく、その巨体を真っ二つに引き裂かれ――

   ***

「――っ!!」

 その瞬間、レッドはカッと目を見開いて飛び起きた。

「っはぁ、はぁ、はぁ……」

 荒々しい息を整えながら、ベットの上に起き上がったまま自分の両手を確認する。
 手には赤黒い角どころか傷一つついていない。見慣れた自分の手だった。次に顔や腹や背、足など自らの裸身をくまなく調べるが、どこにも異常が無い、普通の人間のものだった。

「レッド様――?」

 そんな確認行為をしていると、横で寝ていた女が起き上がってきた。

 自分と同じ、服一枚来ていない裸身を晒していた。肌には昨夜の情交の跡がいくつも残されている。一瞬誰だと思ったが、昨夜抱いたメイドだと思い出した。

「どうかなさいましたか、レッド様。昨夜私が不始末でも――」
「……なんでもない」
「あ、もしかして今朝もお求めですか? でしたら今すぐご奉仕を――」
「なんでもないって言ってるだろ! いつまで裸で寝てんだ、とっとと持ち場に戻れっ!」

 しつこくすがって来るメイドを乱暴に突き飛ばした。ベットから落とされたメイドは慌てて頭を下げると、メイド服を持って部屋を飛び出していく。
 走り去る後ろ姿に、三角形の耳とすらりと伸びた尻尾が揺れていた。

「――あいつ確か、猫族の亜人だったかな……」

 などと思い出しつつ、レッドは周りを見渡してみる。

 人三、四人は余裕で寝転べる天蓋付きベット。高い天井にはシャンデリア。広々とした部屋には豪華な装飾の絨毯や、高価な置物などがありとあらゆるところに並べ立てられている。
 全ての調度品や窓一つ床一つに至るまで、王国随一の職人たちによって作られた最高級品であった。

「……うん。間違いなく俺の部屋だな」

 そう呟くと、ベッドの上で安堵の息を吐いた。

「――また、同じ夢か」

 レッドは次に深々とため息をつく。何度飛び起きる体験をしたか、もはや思い出す事すら出来ない自分に疲れすら感じていた。

 レッド・H・カーティス。
 大陸最大の王国、アトール王国でも最も歴史的に古く高潔な貴族であるカーティス公爵家の第三男。王家とその血縁しか持ち得ないとされる金髪と碧眼を持った名門貴族中の名門貴族。それがレッドが知るレッドという人間の詳細であった。

 幼いころから何不自由なく育ち、専属の家庭教師と王都の学園での高等教育を受け、剣術でも優れた才を持ち、貴族でも飛びぬけた美貌を持つ美青年として、学園でも女性たちに抜群の人気を誇ったまさに完璧な人間――というのが、周囲の評価ではあるし、自分でもそれは間違っていないと思っていた。

 ただ、彼には一つ悩みがあった。誰にも話せない、大きな悩みが。

「何回目だよ、もう……」

 そう大きくため息をついた。幾度となくうなされたか、悪夢に何度こうして飛び起こされたか、眠れぬ夜を過ごしたかと想いながら。

 いつ頃から見るようになったかなんて覚えていない。もしかしたら物心つく前、いやもっとかもしれない。乳母からは夜泣きの激しい赤ん坊だったと言われたこともあるから。

 で、肝心の恐ろしい悪夢の内容だが、実はレッドにも分からない。目覚めた途端にその内容を忘れてしまい、残るのは断片的なイメージでしかなかった。

 だが、それでもなお、夢の中で感じた痛み、恐怖、怒り、憎しみ、そして――絶望は忘れようにも忘れられなかった。胸に刻み込まれていると言っていい。

 勿論幼い頃は両親や専属医に相談したりもした。しかしいくら薬を飲んでも、白魔術師による治療を受けたところで悪夢は止むことは無く、周囲を騒がせるだけで何一つ解決しないのが億劫になってしまい、次第に何も言わないようになった。
 とりあえず、剣術の訓練かあるいは女を抱くかで、非常に疲れてから寝れば夢もあまり見ないという対処法に気付いたため、一応ある程度不眠症からは逃れて来られたが――最近は悪夢を見る頻度が増えていっていた。

「勘弁してくれないかな、こんな大事な時期だってのに……」

 そう疲れ切った声で嘆いていると、部屋のドアがノックされた。

「入れ」

 そう告げると、四十手前ほどのメイド服を着た女性が入ってきた。
 黒髪を三つ編みに纏めてきりっとした顔立ちにメガネを掛けて、この屋敷の侍女全員が着ているメイド服を完璧に着こなしたその姿は、ある種の風格すら持っていた。

 当然、レッドはこのメイドを知っていた。齢十七の自分が生まれる前から、カーティス家の屋敷にメイドとして仕える、メイド長のアリーヤ・クラウディアだ。

「なんだお前か。こんな朝っぱらからどうしたんだ?」

 裸を隠しもせず、ベッドの上で胡坐をかいて応じた。レッドが赤ん坊の時代から従者として働いている身で裸など見せ慣れているし、そもそも貴族は着替えすら従者にさせるもので、恥ずかしいなどという気持ちなんか無い。

「失礼いたします。そろそろガリエル様がお目見えになる頃でしたので」
「はあ? こんな朝っぱらか?」
「本日早朝に訪問すると予定があったはずですが」
「……ああ、そうだったな」

 言われて思い出した。ガリエル・カーティス叔父はレッドの親戚にあたり、普段はカーティス本家の領地から少し離れた別の地で仕事をしているが、是非ともこちらへ伺いたいという一報が入った。しかし向こうと自分の予定が上手く合わず、朝食会の体で会うことになったのだった。

「わかった。準備は出来てるのか?」
「既に終えています」
「よし、着替えを用意してくれ」
「かしこまりました」

 丁重にお辞儀をすると、彼女の後ろから同じくメイドたちが着替えを持って数人入って来る。ちなみに彼女たちに猫耳も尻尾も生えていない。

「…………」

 着替えさせられながら、レッドは考えていた。いったい叔父と会うのは何年振りかと。

 記憶があるうちでは、五年振りくらいかもしれない。辺境で行われる向こうの仕事柄、なかなかこちらへ戻って来られないというのもあるが、そもそもこのカーティス家の屋敷に訪れたりしないのだ。

 レッドの両親であるカーティス本家当主もその夫人も、彼らの子で王都にて役職に就いているある長男と次男、それとレッドの姉である長女も普段は王都にある別邸に住んでいる。王都で勤めているのだから当然なのだが、休暇の際にもほとんど領地に戻ることは無い。

 というのも、貴族にとって王都で過ごしているというのが、一種のステータスとなっているからだ。カーティス家のような名門貴族は勿論、中には本家の屋敷を抵当にしてまで王都に居座り続ける輩もいる。見栄とハッタリが命の貴族としては、意地でも王都に住んでいたいらしい。

 そんな理由から公爵であるカーティス家一族も、自分の領地は代官任せで王都からほとんど出ないのだが、レッドだけは反対に必要なとき以外はこの屋敷で過ごしていた。学園時代は流石に王都暮らしだったが、休暇になればすぐこの屋敷に帰っている。

 理由、という理由は持っていない。単に、王都での生活が好きになれなかっただけだ。自分でも理由は分からないが、イマイチ息苦しさというか狭苦しさを感じてしまった。

 そんなわけで、王都での暮らしが主の家族や親戚たちとはほとんど疎遠になってしまっていた。末っ子の三男坊のため、元々放っておかれる立場上我が儘が効いたというのもある。

 しかし、ならどうしてそんな家のものがほとんどいない屋敷に叔父がはるばる遠出して訪れるのか。その理由は知れていた。

「勇者に選ばれた甥っ子に顔を出しておこうって考えなんだろうけど、面倒だな……」

 そんな憂鬱な気分になっていると、着替えを済まされていた。贅を極めた貴族らしい服に身を包み、メイドたちを従えてレッドは部屋を出る。

 もうそろそろ来るだろうから、ロビーへ向かわねばならないと、気が進まない足取りで歩いていった。
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