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さよなら
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明日は夏休み最終日。
俺は幼馴染の家の三和土で土下座していた。
「頼む! もう今年だけだから! 今回だけ! 誓って今回だけだから!」
対する小学校からの幼馴染は一段高くなった廊下から呆れたような声を落とした。
「毎年毎年同じセリフで乗り切ろうとしてるだろ、本当にやる気あったのか?」
俺は顔を上げた。見慣れた幼馴染の顔が目に入った。
「もちろん! 今年こそはちゃんとやろうって……でも気がついたら今日になってて……頼む! 夏休みの宿題、写させてくれ!」
「……はあ、今年も来ると思ったよ……。とにかく上がれよ。三和土で僕の靴、いつまでも踏み潰すのやめてくれる」
「サンキュー! 真司!」
俺は水を得た魚ばりに家に上がり込んだ。
奥の台所から真司の母親、真理さんが笑いながらこっちを見ている。俺は俺の母親が持たせてくれた、大量の料理を詰め込んだタッパーと菓子折りを、丁寧に頭を下げて彼女に渡した。
「今年もお世話になります」
夏休みの宿題を写させてもらうために、俺が幼馴染である真司に泣きつくのは、今回が初めてじゃない。最初が小学生のときだったから、五回か、六回目くらいだ。毎年の恒例行事化していると言っても過言じゃない。
毎年、夏休み最終日前日に俺は真司の家にお邪魔して、泊まりで宿題を写させてもらっている。正確には分からないところを真司に教えてもらいつつ、宿題を完成させている。
特に今年は二人とも高校受験だ。さすがに気合をいれている。
階段を上がり、見慣れた真司の部屋に入ると、俺は畳に寝転んだ。
「おい、雷也、宿題やるんでしょ、もう午後なんだから時間ないよ」
真司が俺を見下ろして文句を言う。
「だってよ、お前の家来るの大変たっだんだよ。チャリが壊れちゃってさ、歩いて来たんだぜ、あー疲れた」
俺たちが住んでいるこの辺は俗にいう田舎だ。三軒隣なんて言ったって、一軒一軒の家がとんでもなく離れている場合がある。とくに真司の家は丘の上にあり、俺んちから一番近い家にかかわらず、チャリで坂道こいで二十分もかかるのだ。
「はは、本当に? そりゃあお疲れ」
俺の話を聞いた真司が笑いながらうちわで俺を仰いでくれた。
じゃあ来なきゃいいのに、なんて言わないんだな。心地いい風に思わず目を細める。
「正直、今年は来ないんじゃないかって思った。そっか、チャリ壊れたか」
真司はそう言いながらエアコンのスイッチを入れる。「すぐに涼しくなるよ」
どんな顔してるのか、俺の位置からは見えない。だから、真司からも、俺が今どんな顔してるか、見えてないだろう。
「さーて、宿題、はじめるか。真司、頼むぜ」
俺は何食わぬ顔で起き上がった。
順調に宿題が進み、午後五時を回ったころ、真司のスマートフォンに着信があった。
「ちょっとごめん」
そう言って真司はスマホを操作する。
「彼女からラインか?」
スマホを操作し終えてテーブルの上に置いた真司に、俺は茶化して聞いた。
「そうだよ」
真司は何でもないように澄まして答えたが、その頬は緩んでいる。
「夏休み、彼女とどっか行った?」
「映画館と、あとは一緒に図書館で勉強したり……って、何だよその質問」
「やっぱ彼女と受ける高校難しいのか? 難関校だもんな」
真司とその彼女はここから遠い進学校を受験する。彼女はどうするのか知らないが、真司は事実上一人暮らしをするという。
「うーん、まあ、沙織も僕も大丈夫だって先生には言われてるけど」
俺はごく普通の偏差値の高校を受験する。俺の頭じゃ真司と同じ高校は逆立ちしても無理だ。
だから、こんな風に真司の家で過ごすのは、今年で最後だ。来年から宿題は自分でやらないといけない。
まあ、そうだよな。宿題はもともと、自分でやるものだ。自分で何とかしなくちゃいけない。自分のためのものなんだから。
「なあ、雷也」
「ん?」
「聞いてる? ぼんやりしてるだろ、今日はここまでにしようか。もうすぐ晩御飯だしね」
「おお。毎年おばさんに悪いな。でももう今年で最後だからよ」
「え」
「だってお前、高校行ったらここから通わないんだろ、一人暮らしするんだろ」
「そうだけど……夏にはこの家に帰ってくるよ。ってか、一人暮らしするマンション、そこまでここから離れてないし。お前は来年もここにいるんだろ? 会いに来るよ。そんときまでにお前も彼女つくって……」
「俺、そういうの、興味ないんだよ」
俺の語気が強かったからか、真司の顔が強張った。取り繕うように、
「いや、僕はお前が普通にもてるから、すぐに彼女できるんじゃないかと思って、その」
早口でまくし立てる。
真司は、先に彼女ができた自分に俺が嫉妬してると思ったのかもしれない。先に恋人をつくった自分が自慢しているように聞こえてしまったと。
そうじゃない。先とか後とか、そうじゃない。根本的に、違うんだ。
「俺は高校に入ったらバイトして金貯めてチャリで日本中を旅行しようと思ってんだよ。結構本気で考えててさ。彼女とかつくってる場合じゃねーんだわ」
気まずくなった空気と、澱んでいきそうになる自分の心を吹き飛ばすように、俺は努めて明るく言った。
真司はどこかほっとしたように、
「そんなこと考えてたのか。初耳だ」
と、間の抜けた顔をした。そりゃ、初耳だろうよ。今考えた嘘だからな。
「雷也、じゃあそのときは、旅行中今どこにいるか連絡くれよ。つーか、雷也、お前スマホ買ったら」
「高校に入ったら買う予定」
「番号教えてよね」
「もちろん」
嘘。教えない。もうお前とは、連絡とらないよ。それに、もう会わない。
俺は他県の高校を受験するんだ。親戚の家にご厄介になる。母さんには真理さん経由で真司に話が行かないよう、口止め済みだ。
俺が毎年毎年本当に宿題やるの忘れてお前の家に泊りに来てると思ってんのか。
毎年毎年、お前とのこの時間が一番楽しかった。嬉しかった。
だけどお前に恋人ができて、それ聞いて、もう駄目だ。俺は喜んでやれない。今まで通り幼馴染やっていけない。
お前のことを忘れるのが、うん、そうだな、言うならば、俺の宿題だ。
何年かかるかわかんねーけど。
自分のために、自分で、やらなきゃ。
「二人とも、ご飯出来たわよー、下りていらっしゃい」
一階から真理さんの声がした。
「母さんだ。行こう、雷也」
真司がエアコンのスイッチを切った。
「俺もう腹ペコペコ」
「二時間ぐらいしか宿題やってないよ? 明日はもっと頑張らないと」
そう言って、真司が俺の背中を軽く叩いた。Tシャツごしに伝わるその手の暑さに眩暈がした。
取り返しのつかないことになる前に、お前に嫌われるようなことになる前に、
さよなら。
俺は幼馴染の家の三和土で土下座していた。
「頼む! もう今年だけだから! 今回だけ! 誓って今回だけだから!」
対する小学校からの幼馴染は一段高くなった廊下から呆れたような声を落とした。
「毎年毎年同じセリフで乗り切ろうとしてるだろ、本当にやる気あったのか?」
俺は顔を上げた。見慣れた幼馴染の顔が目に入った。
「もちろん! 今年こそはちゃんとやろうって……でも気がついたら今日になってて……頼む! 夏休みの宿題、写させてくれ!」
「……はあ、今年も来ると思ったよ……。とにかく上がれよ。三和土で僕の靴、いつまでも踏み潰すのやめてくれる」
「サンキュー! 真司!」
俺は水を得た魚ばりに家に上がり込んだ。
奥の台所から真司の母親、真理さんが笑いながらこっちを見ている。俺は俺の母親が持たせてくれた、大量の料理を詰め込んだタッパーと菓子折りを、丁寧に頭を下げて彼女に渡した。
「今年もお世話になります」
夏休みの宿題を写させてもらうために、俺が幼馴染である真司に泣きつくのは、今回が初めてじゃない。最初が小学生のときだったから、五回か、六回目くらいだ。毎年の恒例行事化していると言っても過言じゃない。
毎年、夏休み最終日前日に俺は真司の家にお邪魔して、泊まりで宿題を写させてもらっている。正確には分からないところを真司に教えてもらいつつ、宿題を完成させている。
特に今年は二人とも高校受験だ。さすがに気合をいれている。
階段を上がり、見慣れた真司の部屋に入ると、俺は畳に寝転んだ。
「おい、雷也、宿題やるんでしょ、もう午後なんだから時間ないよ」
真司が俺を見下ろして文句を言う。
「だってよ、お前の家来るの大変たっだんだよ。チャリが壊れちゃってさ、歩いて来たんだぜ、あー疲れた」
俺たちが住んでいるこの辺は俗にいう田舎だ。三軒隣なんて言ったって、一軒一軒の家がとんでもなく離れている場合がある。とくに真司の家は丘の上にあり、俺んちから一番近い家にかかわらず、チャリで坂道こいで二十分もかかるのだ。
「はは、本当に? そりゃあお疲れ」
俺の話を聞いた真司が笑いながらうちわで俺を仰いでくれた。
じゃあ来なきゃいいのに、なんて言わないんだな。心地いい風に思わず目を細める。
「正直、今年は来ないんじゃないかって思った。そっか、チャリ壊れたか」
真司はそう言いながらエアコンのスイッチを入れる。「すぐに涼しくなるよ」
どんな顔してるのか、俺の位置からは見えない。だから、真司からも、俺が今どんな顔してるか、見えてないだろう。
「さーて、宿題、はじめるか。真司、頼むぜ」
俺は何食わぬ顔で起き上がった。
順調に宿題が進み、午後五時を回ったころ、真司のスマートフォンに着信があった。
「ちょっとごめん」
そう言って真司はスマホを操作する。
「彼女からラインか?」
スマホを操作し終えてテーブルの上に置いた真司に、俺は茶化して聞いた。
「そうだよ」
真司は何でもないように澄まして答えたが、その頬は緩んでいる。
「夏休み、彼女とどっか行った?」
「映画館と、あとは一緒に図書館で勉強したり……って、何だよその質問」
「やっぱ彼女と受ける高校難しいのか? 難関校だもんな」
真司とその彼女はここから遠い進学校を受験する。彼女はどうするのか知らないが、真司は事実上一人暮らしをするという。
「うーん、まあ、沙織も僕も大丈夫だって先生には言われてるけど」
俺はごく普通の偏差値の高校を受験する。俺の頭じゃ真司と同じ高校は逆立ちしても無理だ。
だから、こんな風に真司の家で過ごすのは、今年で最後だ。来年から宿題は自分でやらないといけない。
まあ、そうだよな。宿題はもともと、自分でやるものだ。自分で何とかしなくちゃいけない。自分のためのものなんだから。
「なあ、雷也」
「ん?」
「聞いてる? ぼんやりしてるだろ、今日はここまでにしようか。もうすぐ晩御飯だしね」
「おお。毎年おばさんに悪いな。でももう今年で最後だからよ」
「え」
「だってお前、高校行ったらここから通わないんだろ、一人暮らしするんだろ」
「そうだけど……夏にはこの家に帰ってくるよ。ってか、一人暮らしするマンション、そこまでここから離れてないし。お前は来年もここにいるんだろ? 会いに来るよ。そんときまでにお前も彼女つくって……」
「俺、そういうの、興味ないんだよ」
俺の語気が強かったからか、真司の顔が強張った。取り繕うように、
「いや、僕はお前が普通にもてるから、すぐに彼女できるんじゃないかと思って、その」
早口でまくし立てる。
真司は、先に彼女ができた自分に俺が嫉妬してると思ったのかもしれない。先に恋人をつくった自分が自慢しているように聞こえてしまったと。
そうじゃない。先とか後とか、そうじゃない。根本的に、違うんだ。
「俺は高校に入ったらバイトして金貯めてチャリで日本中を旅行しようと思ってんだよ。結構本気で考えててさ。彼女とかつくってる場合じゃねーんだわ」
気まずくなった空気と、澱んでいきそうになる自分の心を吹き飛ばすように、俺は努めて明るく言った。
真司はどこかほっとしたように、
「そんなこと考えてたのか。初耳だ」
と、間の抜けた顔をした。そりゃ、初耳だろうよ。今考えた嘘だからな。
「雷也、じゃあそのときは、旅行中今どこにいるか連絡くれよ。つーか、雷也、お前スマホ買ったら」
「高校に入ったら買う予定」
「番号教えてよね」
「もちろん」
嘘。教えない。もうお前とは、連絡とらないよ。それに、もう会わない。
俺は他県の高校を受験するんだ。親戚の家にご厄介になる。母さんには真理さん経由で真司に話が行かないよう、口止め済みだ。
俺が毎年毎年本当に宿題やるの忘れてお前の家に泊りに来てると思ってんのか。
毎年毎年、お前とのこの時間が一番楽しかった。嬉しかった。
だけどお前に恋人ができて、それ聞いて、もう駄目だ。俺は喜んでやれない。今まで通り幼馴染やっていけない。
お前のことを忘れるのが、うん、そうだな、言うならば、俺の宿題だ。
何年かかるかわかんねーけど。
自分のために、自分で、やらなきゃ。
「二人とも、ご飯出来たわよー、下りていらっしゃい」
一階から真理さんの声がした。
「母さんだ。行こう、雷也」
真司がエアコンのスイッチを切った。
「俺もう腹ペコペコ」
「二時間ぐらいしか宿題やってないよ? 明日はもっと頑張らないと」
そう言って、真司が俺の背中を軽く叩いた。Tシャツごしに伝わるその手の暑さに眩暈がした。
取り返しのつかないことになる前に、お前に嫌われるようなことになる前に、
さよなら。
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