A&R

小椋シゲコ

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ダイク:2

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「東京特許許可局って言ってみ、まこちゃん」

ハル子さんが僕をからかいに来た。

「やめてくださいよ」

「冴子ぉ、さっきの聞いた? やっぱ、まこちゃん最高だわ」

冴子とはロボの本名だ。不思議だが、ハル子さんとロボは仲が良い。よく一緒に帰宅するのも見かける。二人とも外資系の大手レコード会社『BMY』出身の同期で、狭山部長が現職に昇進した際、二人をこの会社にヘッドハンティングしたらしい。意外だが狭山部長はBMYで彼女達のふたつ後輩らしく、時折、狭山が新入社員だった頃の話を聞かせてくれる。と言っても、そのほとんどは「狭山さんも今でこそ、あんなに偉そうにしてるけど、まこちゃんみたいにオドオドして頼りなかったのよ」とか「狭山さんもよくドヤされてたわ」といった具合で・・・ようは僕が部長に呼び出しを喰らった後のフォローだった。ハル子さんは会社では絶対に「狭山さん」と呼ぶが、プリンスの歓迎会でほろ酔いの彼女が「狭山くん」と何度も呼ぶのをヒヤヒヤしながら見守った事がある。ロボは滅多に部長と話さないし、根本的にハル子さん以外の人間に、業務とは関係のない話をしているのを見た事がない。

 結局、赤星チーフが来たのは、正午過ぎだった。これでも早い方だ。ちょうど狭山部長が席にいたので、伝言を伝えると、第七の部長席に歩いて行った。少しの間、二人で話していたが、一分ほどで戻り、中澤さんと僕に、一緒に来るように言った。被害妄想だろうが、既に多くのA&R(※2)達が揃った“となり”は、冷ややかな視線が突き刺さる様で居心地が悪い。誰かが電話に向かって放った笑い声が、自分たちの事を嘲笑しているのではないかと、卑屈な気分にさえなる。

「そろったぞ。これで大丈夫か?」

チーフが声をかけると、狭山部長は最新型のノートパソコンのディスプレイから、器用に目線だけをこちらに移し、何も言わず立ち上がると、隣接して設置された簡易の応接室へと入っていった。部長は奥のソファーに一人で腰掛け、ダイクは手前側の二人掛けソファーに、三人もみくちゃに座った。チーフは部長より少し歳下だが、入社したのが少し早いらしく、互いに敬語を使う事はない。普段、狭山部長は応接室のドアを開け放して打ち合わせをするが、チーフが雰囲気を察したのか、僕にドアを閉めるよう指示した。狭山が、それに満足するように頷く。ダイクは確かに窓際だが、そのチーフが赤星さんであることは、不思議で仕方なかった。狭山が赤星さんを買っているのは一目瞭然だし、他の制作部のチーフ達がよく赤星さんにアドバイスを求めにやって来るのも、彼が優れている証拠だ。狭山に意向も尋ねず、応接室のドアを閉める事のできる人が、この会社に何人いるだろうか。

「赤星、さっき電話で話した記事の件、シナプスから何か聞いてるか?」

「いや、普通ならとっくに連絡が来るはずだが、担当マネージャーもまだ繋がらずなんだ」

シナプスとは、今朝、プリンスがトイレットペーパーにくるんで捨てたTシャツのアーティスト『エイト』が所属する大手事務所だ。

「解せないな」

「昨日の夜は、エイトのアルバム完成打ち上げだったんだが、今日はメンバー全員休みと聞いてセットしたから、マネージャーもまだ夢の中なんだろ」

「相変わらず、どうしようもない奴だ」

狭山部長の言う“奴”というのは、恐らく、エイトのチーフマネージャーのマロンこと栗山のことだ。

「現場の二人は?」

「同じく繋がらないんだ」

「お前、カイから何も聞いてなかったのか?」

「何も。むしろ、結婚はうまくいってると聞いてた。しかし、よりによって第6のアンネが不倫相手とは、狭山も参ったな。」

「また、天敵がうるさいだろうからな」

 狭山は決して、度胸のある人間ではない。どちらかというと内弁慶なタイプだ。若くして部長になった彼の処世術だろうが、その裏表の激しさは有名だ。天敵というのは、狭山の元上司で第六制作部長の金子の事だ。今を時めく狭山も、体育界系の金子には未だに頭が上がらない。ハリウッド映画でよく見る日本人サラリーマンのようにヘラヘラ笑い、ペコペコと頭を下げながら話すのをよく見かける。金子も金子で「あいつは俺が部長にしてやったようなもんだ」と豪語しているらしい。金子が狭山を宣伝から制作に引っ張った事を指すようだが、狭山が頭角を現したのは、金子のアシスタントから離れ、当時から今も第二制作部長である大木さんの元で、シナプス所属の男性二人組『センス』を当ててからだ。センスは今でもアルバムを出せば、必ず初登場TOP3以内をキープしている“となり”の主要アイテムだ。狭山は、その(※3)で『エイト』を預かったのだ。宝のなる木を預けてやっているのだから、その脇の枯れ木も引き取れという訳だ。ダイクの予算と僕ら部員の給料は、実質、センスが生んでいると言っていい。



 飛ぶ鳥落とす勢いの事務所であるシナプス所属のエイトの契約金は、彼らの全盛期80年代と比べても遜色ない額だ。そんな多額の契約金も、出せば必ず赤字の音源制作費も、同じシナプス所属のセンスの売り上げからしたら、かすり傷ほどの出血というのがうちの上層部の判断だ。上は、狭山部長の“微妙”な状況を加味し、彼の評価に直結する第七の業績からエイトを切り離す事を認め、ダイクが立ち上がった。ダイクが不良債権のエイトを抱え続ける限り、シナプスはうちに好意的なので、必要負であるダイクにはそれ以上もそれ以下の働きも期待されていない。二千枚以上売れなくてもいいエイトのCDを年に一回、千人ほどいる根強い女性ファンに向けてのみ売ればいいのだ。流行の音も関係ない。今は五人構成となりグループ名にすら根本的矛盾をはらんだ彼らに、古参のみのエイト・ファンが求めるのは、20年前のデビュー当時から進化しない曲を新発売してくれる事なのだ。

 どうやら、エイトのリーダーであるカイの不倫相手は、これまた同じシナプス所属のアンネらしかった。確か、先日、ファーストアルバムがチャート初登場4位を獲得したばかりの将来有望な第六制作部期待の新人だ。今からというこの時期に、このゴシップは痛い。プロレスラーのような図体の金子が狭山に理不尽なクレームを入れる姿が目に浮かぶ。かと言って、お互い、シナプスに対してマネジメントの管理不行き届きを声高らかに訴えられる訳でもない。デビュー間もない女性ソロ歌手が、妻子持ちの落ちぶれ先輩と不倫となれば、今後のアルバムの(※4)にも悪影響を及ぼしかねない。少なくとも、男性のコアファン離れは避けられないだろうし、不倫となると、特にCMタイアップの起用は壊滅的だ。今頃、インターネット上のアンネの掲示板は、漏れなく卑猥な中傷で溢れ返っている事だろう。

「まぁ、金子さんはああいう人だからしょうがない。事務所が一緒なのは幸いと言えば幸いだ。あっちに任せるでいいな?」

と赤星チーフが言うと、狭山部長はそんな事よりと苛立った様子で頷き、

「コガネムシの奴、誰のおかげで部長になって、おまけにアンネの契約まで獲れたと思ってるんだ」

と呟いた。思わず出てしまったという感じだった。うちの人間は、金子を影でコガネムシと呼ぶ事がある。狭山の場合、自分は太っていて背も低いから、逆にガッチリとして背も高い金子の容姿に対するコンプレックスが丸見えで、その呼び名を口にする時の狭山は、いつも「あの武闘派、金子をコガネムシ呼ばわりしてやった」と言わんばかりに少し自慢げだ。ただし、今回、思わず呟いた内容自体は正論だ。

 十年前は、シナプスが新人を立ち上げるとなると、そのブランド力とプロモーションをあてにした大手レコード会社間で必ず激しい争奪戦が起こっていた。しかし、その戦いに参加する権利が、全てのレコード会社にあった訳ではない。ボーイングと呼ばれるワールドワイドのメジャー五社(BMY / OBEY / ILL / NEX / GMGで、各頭文字を並べるとBOING)以外は、実質、手を挙げる事さえできなかった。ボーイング側も、その暗黙のルールに感謝の意を示すため、毎回、かなりの好条件を提示していたようだ。そこで、うちは、とっくにピークを越え、老舗の国内レーベルとの契約が切れかかっていたエイトに目を付けた。五年前の話だ。もはや新人を任せてもらえないと悟りながらもシナプスの威光を恐れ、雀の涙のような契約金でお荷物として抱えられていたエイトを、あえて、破格の条件で受け入れ、赤字でも定期的にリリースする対価として、我が社は、遂にシナプスの新人争奪権を得たのだ。もちろん、この話には裏の裏があるが・・・とにかく、これをきっかけに売り上げ上位四社がシナプスの新人を入札できるという新たなルールの成立に至った事は確かだ。シナプスのアーティストを数多く持っていれば、必然的に売り上げが四位以下になる事もなく、ここ数年、実質は、うちを含めた同じメンツが順にシナプス・アーティストを獲得している。そして、センスは、MATFとシナプスの記念すべき“第2弾”契約アーティストであり、シナプスの新人争奪権を獲得するための秘策『エイト契約案』を発起、成立させたのが、他の誰でもない狭山だった。


 狭山は、最後に

「もうすぐ、スラッシュを読んだ他のメディアからも電話が鳴るだろうから、とにかく、こちらではお答えできません!とだけ言え。絶対に他に何も言うなよ。」

と指示すると、先に応接室から出て行った。

中澤さんは僕を見ると

「そのTシャツ脱げよ、縁起でもねぇ」

と着替えたエイトのノベルTを指差した。

僕らが立ち上がって部屋から出て行こうとすると、赤星チーフは逆にソファーに深く座り直した。煙草に火を付けると、僕には「電話なんて来ねぇよ」と小さく呟いたのが聞こえたが、伝えたくないようなヴォリュームだったので、聞こえていないフリをしておいた。




「何でも、谷取締役に対応の仕方を尋ねたら、大木さんとコガネムシもいて、お前は関係ないだろ!って言われて、ムカついたらしいんだよね。狭山さん、そういうの傷付いちゃうからさ。どうして大木さんまでそんな事言うんだ!って、ふてくされながらお昼行ったっきり、まだ帰って来ないんだよ。ホントに子供よねぇ・・・」

新しいゴミ箱を設置するプリンスに向かって、秘書席に座ったままのハル子さんが言った。僕はというと、中澤さんに付いて行くはずだった(※5)がなくなったので、散らかったゴミを拾う手伝いに来たのだが、自主的ではない。何度も一緒に片付けると言ったハル子さんを頑なに断ったプリンスが、先輩である事は変わらない僕を呼び付けたのだ。

「にしても、電話鳴らないね」

ハル子さんが、僕に言った。

「そうですね、一本の問い合わせもないんですから、逆に悲しくなっちゃいますよ。世間はエイトなんて完全に忘れたちゃったのかなってね」

第七を挟んでダイクと逆側を見ると、第六制作部の電話は鳴りっ放し。さすが、将来のスターへの世間の反応は、良くも悪くも華やかだ。

「さっきね、大木さんの秘書に書類を届けにいったら、なんだか第二も大変そうなのよねぇ。谷さんの所に大木さんもいたって言うから、あっちはあっちで何かあったんだろうね」

「どのアーティストでしょうね・・・そういえば、さっき赤星チーフに言われて、スラッシュ買いに行ったんですけど、近所のコンビニはどこも売り切れでした。」

プリンスが最後のゴミを拾いながら言う。僕がダイクの方に視線を戻すと、レコーディングを中止したチーフと中澤さんが席で時間を持て余していた。部長命令だから仕方がない。しかし、見事に真っ二つに割れたもんだ。新たなゴミ箱はアルミ製らしいから、こういったゴミ拾いは二度と必要なさそうだ。

「これでもう総務部に嫌み言われなくて済むわ。入社半年で3回もゴミ箱手配したら、怪しまれるに決まってるわよ。しかも、窓際ダイクだし。」

「由麻ちゃん、ごめんねぇ、私も二十回超えると電話しづらくて。今度から冴子入れて順番制にしましょ」

「いえいえ、ハル子さんに愚痴ったんじゃないですよぉ~、独り言ですよ、独り言」

プリンスが、また取って付けたようなかわいい声を出すので、

「お前、普段、そんな声じゃないよな」

と言うと、すぐさま、新しいゴミ箱で腕を思い切りはたかれた。

「痛っ!骨でも折れたらどうすんだよ。アルミだぜ。」

「今更、骨折り損が一つくらい増えたって、どうってことないでしょ?」

と皮肉るプリンスが上手過ぎて、ハル子さんが笑った。この人は笑うともっと綺麗だ。結局、プリンスは、もう一度、僕をアルミで殴った。
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