さよなら水龍さま

すなぎ もりこ

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水龍様

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「解放…?」



カイザスはオールを持つ手を止めて、チュセを見る。

チュセは頷き、湖の水面に指先を浸した。



「御先祖の中に呪術師がいたそうよ。それで、湖に繋がる水脈を全部封じて、水龍様をこの湖に閉じ込めたんだって」

「なんだってそんな事を?」

「村の水源を常に綺麗に保つため、涸れさせないためだよ。水龍様は水脈を辿って移動する。元々この湖にも立ち寄っただけだったそうよ」



閉じ込められた水龍は仕方なく湖に留まった。

元より永遠ともいえる長い時を生きる身であるから、少しの間くらい人間に付き合ってやっても良いかと諦めた。

水源を護り、他所から村の存在を隠すことを請負うことを承知したが、その代わり条件を提示した。



「それが贄の儀式か」

「そう。村人は快諾したそうよ」



他所の地で迫害され続け、逃げてきた民は、安寧の地を渇望していた。

十年に一度の犠牲でその平和な暮らしが守られるのなら、安いものだと思ったらしい。



「贄は水龍様の餌ではないの。水龍様が開放されるために集めた駒」

「駒?」

「贄に選ばれる条件は、信仰の厚さや見目ではないのよ。家業も未通であるかどうかも関係ない」



カイザスは黙っている。



「むしろ、言い伝えなんて信じていないこと、疑問を抱いていること…村を出たいと望んでいること、…外の世界に憧れを抱いていること」



チュセは小さく笑う。



「それが贄の資格なの。まさに当てはまるでしょ」



カイザスは片手で顔を覆い、愕然と呟いた。



「ずっと、お前は知っていたのか。いずれ贄に選ばれることを」

「…ごめむし」

「そこでそれ言うか?本当にお前って奴は…!」



カイザスが伸ばす手にチュセも応える。

舟の中央で二人はキツく抱き合った。



「俺も行く。お前がいないこんな村で生きてる意味がない」

「それは出来ないの。一度に外へ出れるのは一人だけなのよ」

「離れたくない」

「カイザス、この湖はもうすぐ涸れる。水龍様が贄を使って施した解呪の術がもう少しで完成するから。そうなると村の存続は難しくなる」

「そんな事はどうでも良い。お前以外はどうなっても俺は心が痛まない」



チュセはカイザスの胸に耳をつけ、その鼓動を確かめる。

大好きだったカイザス。

そう、チュセにとってもカイザスは特別だった。

両親とさえ理解し合えず疎まれて、どうしたって馴染めない村の人間達の中で、唯一心を許せるのがカイザスだった。

この村を出ていく事を決めた時も、たった一つの心残りはカイザスだけだった。

だから、どんなに冷たくあしらわれても諦められなかったのだ。



「カイザスなら村を出てもやっていける。大工の腕も良いし、器用だもの。私が居なくたって大丈夫だわ」



カイザスはチュセを更に強く抱き込む。



「嫌だ。どこへも行くな、俺を一人にしないでくれ」



チュセはキツく目を瞑った。

閉じた目じりから涙が落ちる。

それでも嗚咽をぐっと堪え、カイザスを説得する。



「私は随分前から覚悟してたの。ううん、ずっと心待ちにしてたくらいなの。この村は私にとって牢獄だった。贄の抜擢は私にとっての救いだったのよ。…だから、ごめんね。私は行く」

「いやだ、チュセ、置いていかないで」



子供のように懇願する声に胸がきりきりと締め付けられる。

この少年のように縋る青年を、残していくのは辛い。

これからこの村に起こることと、カイザスの苦悩を想像して辛くなる。

それでも奥歯をかみ締め、その気持ちを押しやる。



「カイザス、水龍様が湖を去ることにジョセフが勘づけば、なんかしらの手段を講じてくるはずよ。そうなれば、長い時を費やして構築した解呪の術が、一からやり直しになってしまうことも有り得るそうなの」

「それを阻止しろと?そのために俺に残れというのか?!」

「ジョセフをこれ以上水守でいさせるのは危険なの。ジョセフには信仰心はあるけれど、水守の立場を利用して、ずっと村を貪ってきたのよ」



カイザスが見たという箪笥の引き出しにあった金と宝飾品、それは、贄を回避、または娘を贄に捧げたいと望む家族たちからの賄賂だ。



しかし、贄候補を選ぶのは飽くまでも水龍様だ。

やり方は鈴と同じ。水守が年頃の娘の名を書いた札を湖に沈め、浮いてきた札の娘が候補になる。



「それなのに、ジョセフはあたかも自分に贄候補の選択権があるかのように振舞ってきた。金品のみならず、若い頃は娘を差し出させていたそうよ」



大人達の間では、それは公然の秘密だった。



「あの…くそエロ老いぼれ。やっぱりさっさと殺っておくべきだった」



チュセは、唸るように呟くカイザスの背中をさする。



「大半の村人達に罪はないの。先祖の決めた理に従ってきただけなのだから。けれど、彼らももう開放されるべきだわ。ここはもう楽園じゃない。澱んだ水槽なのよ。だけど、ジョゼフはそれを許さない。何としても妨害する筈よ」

「でも、俺はっ」

「どうかジョゼフを阻止して、カイザス。貴方にしか頼めないの」



チュセはカイザスの頬を挟み、額をつけた。



「私達は共に勇者よ。村と水龍様を救うの」

「俺はそんなものにならなくたって良い」

「生きてればどこかで会えるかもしれない」

「かもしれない事には賭けれない」

「頑固ね」

「お前こそ」



チュセはため息をつく。



「もう、時間切れだわ。水龍様がやきもきしてる」

「わかるのか?」

「実はツーカーなのよ。結構湖には通ってたの。ジョセフの目を盗んでね。奉賛の間もずっと話してたし…カイザスの事を愚痴ったり」

「…だとしたら、水龍の俺への印象はさぞ悪いものに違いない」

「それと同じくらい惚気けてたから大丈夫」

「あんなに冷たくしていたのにか」

「そんな簡単には嫌いになれなかったわ。カイザスってばどんどん格好良くなっていくし。それにほら、私って馬鹿だから」

「馬鹿じゃない。お前は真実を見抜く目を持っている。それに、俺の目には誰より美しく見える」

「カイザス…」



目が合って、どちらともなく顔を近付けた。

唇が触れ合う。

この一ヶ月で、すっかり馴染んでしまった感触だ。

お互いの唇をゆっくりと食み合う。

そして、チュセはそっと離れた。



「なあ、俺も話せるかな、水龍と」

「話せると思うわよ」

「だったら…」



その直後、湖の中央がボコボコと水が湧くように盛り上がった。

湖に大きな波紋が広がり、波打つ。

二人は黙って視線を向けた。



やがて、鹿のような白い角が現れ、銀色の鱗を纏った湖の主が顔を出した。

それは白い髭を畝らせ、グハアと大きな口を開けた。

その獣めいた仕草と吹き寄せた生臭い息に、カイザスが身体を固くする。



「本当に…人を食わないのか」

「水龍様の食事は果物、それと小魚や小エビなのよ」



『娘、時間だ』

「わかってます」



チュセが答えると、水龍は水面に目だけを出したまま、ゆっくりと、二人が乗る舟へと近付いてきた。



『こやつは例のお前の幼なじみだな』

「そうカイザスよ」



水龍の鼻先から吹き出した息が、水面をボコボコと泡立たせる。

僅かに怯むことなく水龍に話しかけるチュセを、カイザスは憧憬の眼差しで見つめる。



「怖くないのか」



おずおずと訊ねるガタイの大きな青年を振り返り、チュセは笑う。



「長い付き合いだもの」



カイザスはムッとしてチュセの腕をぎゅっと握った。



「俺の方が長い」

「カイザスったら」

『随分と仲が良いな。聞いていた話と違う』



カイザスはその言葉に煽られたようにチュセを後ろから抱きしめ、体を密着させた。



「水龍よ、俺も連れて行け」

「カイザス?!」

『なんと。お前もここを離れたいのか』

「俺はチュセと離れたくない」

『ふぅん…』



水龍は鼻息を吐き、再びボコボコと泡を作る。

カイザスは怯むことなく、その吸い込まれそうに真っ黒な目を睨む。



『それは、出来ぬな』

「どうして!!」

『一度に一人しか連れて行けぬし、贄が何処へ飛ぶかはわしにもわからぬ』



カイザスは体を固くし、更にチュセを抱き込んだ。



「そんな危険な術にチュセを巻き込もうというのか?到底許可できない」

『何故お前の許可がいる』

「チュセは俺の許嫁だ。俺のものだ」

「カイザス、勝手に決めないで!」

「嫌なのか?」



耳元で囁かれ、チュセは頬を赤らめて俯いた。



「俺はお前無しではもういられない。心も身体も。…お前だってそうだろう?俺以外の男に身体を触れさせられるのか?…なあ」

「ね、耳のそばで話すのやめて」

「チュセの良いところは全部覚えた。どうやって触れば気持ち良くなるのかもな。それを無駄にさせるのか、なあ」

「くっ…エロ仕掛けやめて」



目前でイチャつく二人に呆れたのか、水龍はポコポコと小さな水泡を作りながら少し、沈んだ。
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