さよなら水龍さま

すなぎ もりこ

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儀式

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儀式の日、霧のような細かな雨に濡れながら、チュセは水守の家に向かっていた。

布を被って腰を紐で結わえるだけの質素な白装束が、湿って肌にくっつく。

チュセは下ろしたままの髪をかきあげた。

足の下の水を含んだ土が、グジグジと音を立てる。



水守の家の前には贄候補の娘達が既に集まり、所在なげに立っている。

総勢十三名。誰一人口をきく者はいなかった。

皆一様に緊張した面持ちで視線を落としている。

…一人を除いて。

艶やかにウェーブした見事なブルネットを背中に流し、背筋を伸ばしてピンと立っているのは、フリカだ。

唇は引き結ばれているが、その瞳には強い光が宿っている。

チュセは薄ら寒くも、その度胸の良さに感じ入る。

随分前から覚悟が出来ているはずのチュセとて、昨晩は良く眠れなかったというのに。



「全員揃ったようだな」



カイザスに手を引かれたジョセフが、ヨタヨタと姿を現した。

娘達は揃ってそちらを向く。



「皆、鈴は持っておるな」



娘達は手首に掛けた鈴を掲げて見せた。

チュセは慌てて腰紐に下げていた鈴を取り、水色と白の組紐を手首に掛けた。



「では、これより湖に向かう。皆一列になってついて来るように」



カイザスが、湖に向かう小道にジョゼフを誘導し、娘達がそれに続く。

先頭はフリカ。

最後尾はチュセだ。



鬱蒼と茂る枝が空を覆う小道を、一同は進む。

奉賛の殆どを請け負っていたフリカとチュセには通い慣れた道だ。

薄暗く湿った空間に、控えめに鳴る鈴の音と足音が響く。

少し肌寒く感じ、むき出しの腕を撫でれば、小さな水滴が掌を湿らせた。

チュセは顔を上げて、娘達の頭越しにある逞しい背中を見つめる。

カイザスは少し背中を屈めながらジョセフを介助している。

ブルーグレーのシャツとくせっ毛。

広い肩幅。少し右に傾く背中。

切ない気持ちを抱えながら、そっと見つめ続けたその後ろ姿も、今日で見納めだ。



カイザスとチュセの未来は、この先二度と交わることはない。

お互い、信じるものも目指すものも違うのだから。





カイザスが木戸の鍵を開け、屈んでジョセフを背に負う。

この先の湖に向かう道は坂になっていて足場も悪い。このところ急激に衰えた老人にはキツいのだろう。

力強く足を踏みしめて歩く、次期水守の青年の後に贄候補の娘達が続く。



チュセは最後尾から、その隊列を冷めた気持ちで眺める。



枝の隙間から除く湖面は小さく波打っていた。

曇った空を映したその色は、暗く沈んでいる。

そして、中央には、水守と次期水守によって作られた筏が浮いていた。

贄に選ばれた娘は、水守の漕ぐ船に乗せられ、あの場所へ降ろされる。

そして、たった一人で水龍様のお召しを待つのだ。



水守でさえ、水龍様のお姿を拝むことは許されていない。贄だけが、その声を聞き、尊き御身を見ることが出来る。



しかし、それを村の人間に伝えることは叶わない。

なぜなら、贄はもう村には戻れないからだ。







「我が村の命、尊き神の御使いであらせられる水龍様よ。永きに渡る盟約を果たす十年の時が再び参りました」



ジョセフの嗄れ声がしんと静まり返った湖に響く。

その横でカイザスは膝を付き、後ろに一列に並んだ娘達達は手を合わせ、頭を垂れる。



「どうか、貴方様の贄に相応しい娘をお選び下さい」



カイザスは湖畔に予め置かれていた籠を手に取り、立ち上がる。

そして、娘達の前をゆっくりと進みながら、鈴を集めていく。

チュセはそっとその様子を覗き込む。



フリカは臙脂色と山吹色、ウーリーは若葉色と紫、イジュナは紅色と灰色…

それぞれを特定する組紐が付いた鈴を、チリンと軽い音を鳴らして娘達は籠に入れていく。

チュセは水色と白で組まれた紐を掲げ、カイザスを待つ。

鈴は真鍮製で、下部中央に切れ込みが入っている。



そういえば、いつもポケットに入れっぱなしで、まともに音を聞いたことが無かった。

チュセは最後に聞いてみようかと手を揺らす、が、音が鳴る前に大きな手がスっと伸びて、鈴を握りこんだ。

一瞬、カイザスの冷えた青い瞳と目が合う。

カイザスは鈴を乱暴に奪い取ると、籠に入れた。



湖畔に籠を持って立つカイザスは、ジョセフの指示に従い水にそれを沈めた。

娘達は手を握り合わせ、祈る。



その心中はいかなるものか。

何に対して何を祈るのか。



チュセは、小さく息を吐く。

とにかく儀式など早く終われば良い、そう願った。



風が吹き、湖を囲む森が揺れる。

湖面に風に煽られた細かな雨が落ち、ザッと音を立てる。

チュセは一人、空を見上げた。

霧のようだった雨は小雨に変わっていた。

このまま濡れたら風邪をひきそう…

そんな事をのんびり考える。



そうこうしている内に、身動ぎせず湖面をじっと観察していた男達の背中が動いた。

ジョセフに促され、カイザスがゆっくりと身を屈める。



どうやら結果が出たようだ。



微かな水音がした後、男達は振り向く。



「水龍様はこの鈴の持ち主をお選びになった」



ジョセフの厳かに告げる声の後、誰かが泣き崩れた。



カイザスの掲げた鈴、その組紐の色は、





水色と白。





皆の視線がチュセに集まる。



チュセは手を握り合わせたまま、頭を下げた。



「贄にお選び頂きましたこと感謝致します。この身を水龍様に捧げるお役目、しかと引き受けました」





号泣するフリカと、足元の覚束無いジョセフを支え、娘達が去っていく。

チュセはそれを少しだけ見送ると、湖畔に浮かぶ舟に向かい、歩き出した。

背後からカイザスが呼び止める。



「どういう事だ」

「どういう事って、そういう事よ。水龍様は私をお選びになったの」

「…お前が選ばれるわけがない」



チュセは目を瞑り、深呼吸をする。

そして、意を決して振り返った。



「カイザスも見たはずよ。私の鈴しか浮いてこなかったんでしょう?」

「だから、それがおかしいと言っている。お前の鈴は、お前の鈴だけは浮いて来るはずが無かった!」



水色の目を赤くして取り乱すカイザスを、チュセは呆然と見た。



「だって、俺が細工したんだ!お前の鈴を抜き取って中に鉛の玉を入れた」

「…っ!なんでそんな事を…」

「お前を贄にさせない為だ!」



カイザスはチュセの腕を掴んで引く。



「逃げよう、チュセ。これはジョセフの企みだ。インチキだ!」

「何を言ってるの?そんなわけない…」

「あのジジイはずっとお前を標的にしてた。これでわかった。最初っからお前を売り飛ばす計画だったんだ!」

「落ち着いてカイザス。ジョセフは水守なのよ?水龍様の存在を誰より信じている事は傍で見ててわかったでしょう?儀式を穢すような真似は絶対にしないわ。それに、売り飛ばすっていったいどこへ?この村は他所とは一切交流がないのよ?」



チュセは踏ん張りながら、カイザスを説得する。

しかし、カイザスは諦めず、もう片方の手も伸ばす。



「他所の町の有力者とでも密かに繋がってるんだろう。俺は知ってる。見たんだ。ジジイの箪笥の引き出しに、札束と宝飾品がたんまり貯め込まれているのをな!」

「それは…」



チュセは額に手を当て、首を振る。



「違うわ…。確かにジョセフは卑怯な人間だけれど、そうじゃないの」

「いや、そうだ。儀式なんて嘘っぱちで、贄に選ばれた娘をかどかわして金に替えてたんだ」

「儀式は本当よ」



カイザスはチュセの言葉に顔を歪め、腕を握る手に力を込めた。

指が皮膚に食い込む。



「何故だ…?お前は言い伝えなんか信じてないと言ったのに!」



チュセはカイザスに向かい、ゆっくりと告げた。



「ええ、私は言い伝えは信じていない。けど、水龍様は信じてるのよ」
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