さよなら水龍さま

すなぎ もりこ

文字の大きさ
上 下
2 / 13

贄の資格

しおりを挟む
チュセとカイザスが住む村は、山に囲まれた盆地にある。真ん中には湖が有り、川のない村の唯一の水源だ。

そして、そこには水龍が棲むという。

元々水龍の住処であった湖の周りに、戦火に追われて逃げてきた先祖が住みついたのが村の始まりらしい。



「あの湖の水が常に澄んでいて枯れないのは、水龍様の加護のお陰なんだ。だから、水龍様のご機嫌を損ねてはならないんだよ。ご先祖さまが結んで下さった契約をしっかり守らなければならないんだ」



毎年恒例の光景だ。

学校に上がったばかりの子供達を集めての湖見学。

水守がその案内役を務めるのだ。

チュセは空になった籠を抱えながら、その脇をそっと通り過ぎる。



「約束を守らなかったらどうなるの?」



子供のひとりが質問する。



「水龍様はこの湖から居なくなってしまうんだ」

「居なくなったらどうなるの?」

「湖の水が淀み、それどころか干上がってしまう。私達は生活が出来なくなってしまうんだよ。この村を捨てて他所に出ていかなければならなくなってしまう。怖いだろう?」



チュセは苦笑いをする。

そうやって子供達の恐怖心を煽り、水龍様に畏怖の念を抱かせる。

それが水守のお役目なのだ。

今の水守のジョセフはもう高齢だ。確か今年の夏で八十になると聞いた。

そろそろ次の水守を決めないとならないと、村の寄り合いで話し合われているらしい。

…チュセには関係ないが。



この村は湖のお陰で豊かだ。

作物もよく育つし、取り囲むように茂る森では、鹿や猪も狩れる。

染物や製鉄などを営むことも出来る。

他の地域からの流通がなくとも、充分に生活が成り立っていた。

村民は皆、この村の者同士で結婚し、家庭を持ち、一生を終える。

それが当たり前だと思っているからだ。



家に戻ったチュセは、調理台の上に籠を置き、仕立屋の両親を手伝うために工房へ向かう。

そして、仕事が終わったら…



チュセは頬を熱く火照らせた。





作業小屋の前に立ったチュセは躊躇した。

小屋の窓のカーテン越しに灯りが漏れている。

先に着いたカイザスが中で待っているのだろう。

わかっているが、足が動かない。

ここまで来て怖気付くなんて、情けない。

仮にも自分から言い出したことなのに。



たった一度で良い。

思い出が欲しい。

贄になれば、チュセは二度とカイザスに会えないだろう。

そして、カイザスは贄に選ばれなかった娘と結婚し、この村で一生を終える。

いや、たとえチュセが贄に選ばれなくとも、カイザスは決してチュセは選ばない。



その残酷な未来が、チュセを後押しする。

チュセは手を掲げてドアをノックした。







カイザスは仮眠用の簡易ベッドに腰掛けていた。

少しは配慮してくれたのか、真新しいシーツが掛けられている。

特別緊張している風もなく、いつも通りの無表情な顔をチュセに向けている。



「こ、この度は無理なお願いを聞いて頂き…」



たじろぐチュセに向けてカイザスは顎をしゃくる。

チュセはそろそろとベッドに近付くが、手前で立ち止まり、そっと訊く。



「え、えっと、服を脱げば良い?」

「良いから座れ」



抑揚のない声で命じられ、チュセはカイザスの隣りに腰掛けた。

古い木製のベッドがギィと軋んだ音を立て、チュセの身体が跳ねる。



「そんなんで良く男を誘おうと思ったな」

「し、仕方ないよ。初めてなんだもん」

「…処女でなくなっても贄に選ばれないとは限らないぞ、良いんだな」

「良いよ。覚悟の上だよ」



沈黙が部屋に落ちる。



「それと、この事は誰にも言うな」

「わ、わかってる。カイザスには迷惑をかけないよ。誰にも言わないし、それに、誰も思わないよ。私がカイザスに嫌われてるの皆知ってるし」



自分で言って悲しくなり、チュセは口をキュッと引き結んだ。



「俺の立場が悪くなるのは避けたい」

「万が一バレるような事があれば、私が無理やり押し倒したってことにするよ!」



カイザスは鼻で笑う。



「誰が信じるんだ?そんな嘘。お前ごときに俺が良いようにされる訳がないだろう」

「それは…女の色香で」



隣から視線を感じてチュセは縮こまる。

そして、はあ、という呆れたため息が聞こえた。



「俺は次の水守を目指している。迷信とはいえ、贄の選抜を妨害するような真似をしているとバレたら不味いんだ」



チュセは驚いて隣を見た。

まさか、カイザスが水守を目指している?!

だから、毎日礼拝堂の掃除当番を引き受けていたのか。



「大工にはならないの?」

「家業は兄貴が継ぐと決まっている」

「そ、そう」



チュセの胸がざわめく。

カイザスがまさか、それほど水龍様を崇拝していたとは。

次期水守を目指しているなど予想もしていなかった。

昼間見たように子供達に水龍様への信仰の大切さを語り、毎日祈りを捧げ、贄の選抜の儀式にも立ち会うのか。



「もう殆ど決まっていると言って良いんだ。ジョセフも推薦してくれているし、今度の儀式にも立ち会うように言われている」

「…っ、そ、そうなんだ」



チュセは乱れた気持ちを落ち着けるように髪を手でといた。



「最後の瞬間にカイザスに立ち会って貰えるんだ」

「お前は自分が選ばれるとでも思っているのか?」

「えっ、だって…」

「安心しろ、選ばれないさ」



チュセはそっとカイザスを窺う。

カイザスは膝の上で手を組み、その上に顎を乗せてじっと前を向いている。



「なんでそう思うの?」

「歴代の贄には黒髪かブルネットが多い。それと、比較的見目が良くて、背が高く肉付きの良い女だ」

「ああ…そう。確かに私は当てはまらないね」



髪は黄褐色だし、平凡だし小柄で痩せっぽちだからね。



「それにしても詳しいね、儀式の事を調べたんだ。カイザスは勉強家だものね?」



顔を覗き込めば、カイザスはす、と逸らした。

その仕草にもまた傷付き、チュセはシュンとする。



「…でも、だったら何で協力してくれるの?」

「口の軽い男に身を任せて言いふらされでもしたら贄選抜に支障が出るだろう。俺にとって最初の水守としてのお役目だからな、儀式の前に揉め事なんかは困る。滞りなく完璧に務めたいんだ」



僅かの期待も見事ペシャンコに踏み潰す、そのあまりに利己主義な考え方に、落ち込むより先に笑いが込み上げてきた。



「何がおかしい」



カイザスはムッとした口調で問うと、くすくすと笑うチュセを睨む。



「ううん。カイザスって本当に真面目なんだね。…うん、私を嫌うのも解るよ。私は昔っから何かと問題児だったからね」

「…だから、尚更贄に選ばれる筈がない」

「きっとそうだね。毎日水龍様にお供え物を渡して祈っていたって、水龍様はお見通しよね」



チュセはハハッと笑う。

緊張の反動なのか、笑いが止まらなくなり、内心焦りつつ声を上げる。



「もう黙れ!」



隣から怒鳴られびくりと跳ねた肩を、カイザスが掴む。すかさず引き寄せられ、カイザスの顔が近付いた。



あっ、と思う間もなく、唇を塞がれていた。



チュセは目を見開く。

至近距離にあの青い瞳が見えた。



それは、いつもように冷えてはいなかった。

熱く、燃えていた。



一旦唇を離したカイザスは、チュセの後頭部に手を回し、再び引き寄せた。

さっきよりもゆっくりと、粘着質に唇を擦り合わされ、チュセの身体から力が抜けていく。

やがて、生暖かくぬめったものが口の中に差し込まれた。

それはチュセの口内を舐めまわし、舌を掬う。

チュセは、それがカイザスの舌であると気付くまでに時間を要した。

そして、訳がわからないながらも、それに必死で合わせる。



離れた唇から漏れた荒い息がぶつかり、お互いの昂りを知る。

チュセは焦点の定まらぬ目で至近距離にあるカイザスの顔を見た。

カイザスもまた、チュセを見ていた。

言葉もなく、早い息遣いだけが部屋に響く。

暫くそうやって見つめ合うこと数十秒、先に言葉を発したのはカイザスの方だった。



「脱がすぞ」



チュセは慌てて懇願した。



「あ、灯りを消して」

「さほど明るく無いはずだ」

「でも、恥ずか…」



言葉が終わらぬ内に、チュセはベッドに押し倒されていた。



「誘ったくせに見せない気か。全部見られても良いと覚悟してるんだろう?」



そうだけど、明るい部屋の中でやるなんて想定してない。

いや、なんなら服も脱がずに済ますことも有り得ると思っていた。

だって、カイザスはチュセの事が嫌いなのだから。

いつも視線を逸らしてまともに見ることすら無いのだから。



「ふ、服を脱がずにする事も出来るって聞いたけど」

「は?意味がわからない。なぜ、わざわざそんな面白くもない方法でやらなきゃならない」



おも…エッチって面白いものなの?

そうなら、ちょっと楽しみだな。

初めては痛いとか聞いてるけど、二人で笑いながら出来るんなら嬉しいな。

カイザスと笑い合えるなんて、子供の頃以来だもの…



チュセの望みは当然のごとく叶わなかった。
しおりを挟む
感想 29

あなたにおすすめの小説

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。

星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。 グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。 それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。 しかし。ある日。 シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。 聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。 ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。 ──……私は、ただの邪魔者だったの? 衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

届かぬ温もり

HARUKA
恋愛
夫には忘れられない人がいた。それを知りながら、私は彼のそばにいたかった。愛することで自分を捨て、夫の隣にいることを選んだ私。だけど、その恋に答えはなかった。すべてを失いかけた私が選んだのは、彼から離れ、自分自身の人生を取り戻す道だった····· ◆◇◆◇◆◇◆ すべてフィクションです。読んでくだり感謝いたします。 ゆっくり更新していきます。 誤字脱字も見つけ次第直していきます。 よろしくお願いします。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

すれ違ってしまった恋

秋風 爽籟
恋愛
別れてから何年も経って大切だと気が付いた… それでも、いつか戻れると思っていた… でも現実は厳しく、すれ違ってばかり…

処理中です...