眠らせ姫と臆病侍

すなぎ もりこ

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抱擁

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 浅緋は腕の中の柔らかい身体を抱きしめた。
 ウィッグの下から現れた黒髪の匂いを嗅ぐ。
 いつもの香りだ。
 狂おしいほどの感情が浅緋を支配する。
 抑えきれない劣情に煽られながら浅緋は想像する。
 このまま押し倒して服の中に手を入れたら、上茶谷はどんな反応をするのだろう。
 あの綺麗な瞳を見開いて硬直するのだろうか。
 豊満な胸を暴いてかぶりついたなら、どんな声を上げるのだろう。
 鼓動が高鳴り、身体が熱くなる。

 しかし、そうすることは叶わない。
 もうすぐ浅緋は強烈な眠気に襲われて崩れ落ちるからだ。
 浅緋は抱きしめる腕に力を込めて、そっと黒髪にキスをした。


 瞼を上げると、上茶谷の顔が真上にあった。
 浅緋はぼんやりとそれを見上げる。
 上茶谷は頬を染めて視線を逸らした。

「お、おはようございます……あの、広瀬さん」
「なに?」

 浅緋は夢心地で答える。

「あの、頭痛くないですか?」
「いや、大丈夫だけど……あれ?」

 のろのろと顔を横に向けると、上茶谷の服が至近距離に見えた。

「あれ?もしかして俺、上茶谷さんの膝で寝てる?」
「あの、偶然なんです。偶然この体勢になって」
「そっか」

 浅緋は退く気になれず、上茶谷の膝枕を堪能する。
 性欲はすっかり搾り取られた筈だから、これは純粋な心地良さだろうか。

「あの……」
「ごめんね、退くよ。足、痺れてない?」

 身体を起こして肩に触れると上茶谷は恥ずかしげに肩を竦めた。
 浅緋はその仕草に目を奪われる。

「大丈夫です」

 上茶谷は手をついて腰を上げたが、やはり足が痺れていたらしく、よろめいた。
 浅緋はそれを受け止める。

「大丈夫じゃなさそうだね。治まるまでこうしてなよ」
「で、でも」
「良いから」

 浅緋は上茶谷の背中に手を回して引き寄せる。
 そしてまた、その髪の香りを嗅いだ。

「午後からの儀式に間に合いますか?」
「平気だから。時間はたっぷりある。いつも早すぎるほどなんだ、君はさっさと帰っちゃうから」
「そうだったんですか。もう少し居た方が良いですか」

 浅緋は上茶谷の肩に顔を埋めながらほくそ笑んだ。

「うん、そうだね」

 もっと長く側にいて欲しい。
 いつ頃から彼女に対してそう感じるようになったのかわからない。

 近頃、欲望に苛まれながらも中々手を取ろうとしなくなった浅緋を、彼女は訝しんでいた。

 だって、手を取って抱き合えば、途端に浅緋は記憶を失う。

 毎回違う官能的な出で立ちで現れる彼女を、たっぷり眺めて不埒な想像に耽る暇もないのだ。

 プロテクターを外した上茶谷は綺麗だった。
 その大きな胸も細い腰も真っ直ぐな脚も……
 レンズに阻まれない濡れた瞳も。
 発情している目で見るから尚更なのもしれないけれど。
 浅緋はいつしか、その甘美な興奮を少しでも手元に残しておきたいと望むようになっていた。

 眠り込む前に見た甘い妄想を手繰り寄せる。
 この芳しい身体を組み敷いて、思う存分に味わう妄想。

「上茶谷さん、一度平日に会えないかな」

 この気持ちが何なのか確かめたい。

「平日に?えっと、良いですけど何か?」
「厄介事に付き合って貰っているお礼に食事でも一緒にどうかと思って」
「それはお互い様ですし、誰かに見られたら広瀬さんに迷惑がかかりますよ」
「じゃあ、俺ん家に来なよ」
「えっ?」
「この間の御礼に俺が何か作るよ。麺料理」
「でも……」

 浅緋は身体を離し、上茶谷を至近距離で見つめた。

「来て、お願い」

 数少ないスケコマシのテクを、内心ビクビクしながら上茶谷に行使する。
 上茶谷は目を見開いた後、顔を伏せて小さな声で返事をした。

「はい」


 *****


 上茶谷を見送ったあと、廊下を歩いていた浅緋の正面から伯母がやって来た。

「あのお嬢さんは?帰ったの?」
「うん」

 伯母はチラと意味ありげに浅緋を見た後で告げた。

「だいぶ上手になったわよねぇ、ヒールでの歩き方」

 浅緋はギョッとして小柄な伯母を見下ろした。

「最初の頃は危なっかしかったわぁ、見ててハラハラしたわぁ、おばさん」
「あ、あの、伯母さん……彼女はその……」
「変装が趣味なの?際どい格好はしてるけど礼儀正しい子よねぇ。タクシーの運転手さんにいつも丁寧にお礼をしてるのよ」
「毎回同じ子だって気付いてたの?」

 伯母はフフ、と口に手を当てて微笑んだ。

「あらぁ、同じ女だからわかるわよ。モカちゃんだって毎回見てれば直ぐに気付いたと思うわよ。蒼ちゃんには無理だろうけど!」

 伯母はカラカラと笑った。
 浅緋は頭を掻く。
 ぼんやりして見えて、この伯母は相当鋭いのだ。

「真面目そうな子で安心、というか心配だわぁ、緋ぃちゃん、まさか騙すような真似はしてないわよね?」
「してないよ!納得した上で来てもらってる」
「本当ね?緋ぃちゃんの素行については方々から聞いてるのよ。あの子を泣かすような事にでもなれば、貴方を預かっている身としては責任感じちゃうわ」

 伯母はじっと浅緋を見つめる。
 背中にじわっと汗が滲んだ。

「泣かさないよ……ちゃんとする」

 小学生のような返事が口からついて出て、浅緋は少し恥じ入る。

「モカちゃんのことも、緋ぃちゃんがけしかけたんだから、ちゃんとフォローしてあげてよ?」
「アオと上手くいってるみたいじゃないか。モカちゃんが離れに行ってるの伯母さんも知ってるんだろ?」

 伯母は腕を組んで溜息をついた。

「アオちゃんの不器用さを知ってるでしょ?モカちゃんの複雑な事情もわかってるのよね?若い子達の事にわざわざ口を挟むようなお節介はしないと決めてるけど、何だか心配だわ」
「そっちも大丈夫だよ。俺がちゃんと見る!」

 浅緋は安心させるように伯母の肩を抱いた。
 伯母は半信半疑という表情で浅緋を見やると、再び溜息をついた。

「緋ぃちゃんの言葉って何だか軽いのよねぇ」
「酷いな、可愛い甥っ子に対して」
「いつまでも可愛いだけじゃねぇ」

 浅緋は伯母と連れ立って廊下を歩きながら、従兄弟の蒼士とその運命の相手であるモカの事を考える。
 七年の時を経てやっと巡りあった二人は当然のように惹かれ合い、瞬く間に心が通じあったように見える。
 身体の方も……

 (これが運命の縁の為せる技か)

 浅緋は小さく息を吐き、疼く胸を抑えた。
 情欲が絡まって自分の気持ちを見失っている浅緋にとって、初々しくも熱く恋の炎を燃やす蒼士とモカは眩しすぎた。
 もう勝手にやってろよ、というやっかみの気持ちが殆どな訳で……
 それより、上茶谷と自分の事を何とかしたいというのが本音だ。
 誰にも協力を仰げない状況の中、上茶谷の憑き物に対峙しつつ恋慕に似た気持ちを抱き始めた自分の方がよっぽど危うい。


 そうして浅緋はモカの心象を見逃し、蒼士のフォローにも出遅れ、伯母と伯父からこっ酷く叱られることになるのだった。
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