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スノウは濡れた顔を隣に向けた。グリンバルドは悲しげに微笑むと、胸ポケットから取り出したチーフでスノウの顔を拭う。その優しすぎる手つきに胸が震えた。
「あの夜、鏡に映る私と旦那様を見てしまったのでしょう?」
スノウは無言で俯いた。床に尻を付き膝を抱える。
まさか気づかれていたとは知らなかった。
あの夜のことは誰にも話したことがない。翌日、スノウの変わり果てた姿に周囲は慌てふためいたが、グリンバルドは動じていなかった。感情の窺えない瞳でスノウを見つめ、床に落ちた髪やドレスの残骸を黙って片づけていた。そのことが、さらに深くスノウを傷つけた。グリンバルドの興味が自分にないことを、思い知らされたような気がしたのだ。
「その後、一度とならず何度も書斎に忍び込み、鏡越しに見ていらっしゃいましたね」
スノウはびくりと身体を揺らし、膝をぎゅっと抱きかかえる。
そうだ。あれだけのショックを受けたにもかかわらず、スノウは幾度となく真夜中の書斎を訪れた。足音を忍ばせ鏡に映る情事の様子を盗み見た。
「……知っていたのか」
おかしいと思っていた。忌むべき行為を犯しながら、なぜいつも扉が開いているのか。発覚すれば必ずや破滅を招くだろうに。
不注意すぎると思いつつも、スノウは状況に甘んじ、沼にはまっていった。そしていつしか、自らの身体に起こる変化に気づいた。
「ええ。旦那様はお気づきではなかったと思いますが」
「知っていたのになぜ咎めなかった。いや、なぜ施錠しなかったんだ」
グリンバルドは濡れたチーフを握りしめながら、床に両手を付き上半身を傾ける。
「お許しください。正直なところ私にもわかりませんでした。……でも、時を経て徐々に理解しました。私はきっと、スノウ様に見ていただきたかったのです」
スノウはグリンバルドの告白に混乱する。しかし、懸命に頭を働かせ、その理由を考えた。
「もしかして、僕に止めてほしかったのか?」
「いえ、そうではありません。あの行為自体は私にとって業務の一つに過ぎなかった。それほど苦ではなかったのですよ」
「だが、父上から強要されていたんだろう? 違うのか?」
「まあ、そうですが。よくあることです。私は初めから覚悟していました」
『雇い主に性的な奉仕を行う、性行為の相手を務める』それは、使用人にとって至極当たり前のことであるらしい。
スノウがその悪しき慣習を知ったのは、グリンバルドと父の行為を知った後の事だった。世間知らずであった自分に恥じ入ると共に、汚れた世の中に絶望した。
「以前の生活を思えば、この家は天国でした。私は旦那様に感謝しておりましたし、一生お家のためにお仕えするつもりでおりました」
とある伯爵家の好色なご隠居が使用人に手を付けて孕ませた、その結果生まれたのが自分なのだとグリンバルドは言う。
彼が身の上を語ることは初めてのことである。スノウは膝を抱えながら耳を傾けた。
「あの夜、鏡に映る私と旦那様を見てしまったのでしょう?」
スノウは無言で俯いた。床に尻を付き膝を抱える。
まさか気づかれていたとは知らなかった。
あの夜のことは誰にも話したことがない。翌日、スノウの変わり果てた姿に周囲は慌てふためいたが、グリンバルドは動じていなかった。感情の窺えない瞳でスノウを見つめ、床に落ちた髪やドレスの残骸を黙って片づけていた。そのことが、さらに深くスノウを傷つけた。グリンバルドの興味が自分にないことを、思い知らされたような気がしたのだ。
「その後、一度とならず何度も書斎に忍び込み、鏡越しに見ていらっしゃいましたね」
スノウはびくりと身体を揺らし、膝をぎゅっと抱きかかえる。
そうだ。あれだけのショックを受けたにもかかわらず、スノウは幾度となく真夜中の書斎を訪れた。足音を忍ばせ鏡に映る情事の様子を盗み見た。
「……知っていたのか」
おかしいと思っていた。忌むべき行為を犯しながら、なぜいつも扉が開いているのか。発覚すれば必ずや破滅を招くだろうに。
不注意すぎると思いつつも、スノウは状況に甘んじ、沼にはまっていった。そしていつしか、自らの身体に起こる変化に気づいた。
「ええ。旦那様はお気づきではなかったと思いますが」
「知っていたのになぜ咎めなかった。いや、なぜ施錠しなかったんだ」
グリンバルドは濡れたチーフを握りしめながら、床に両手を付き上半身を傾ける。
「お許しください。正直なところ私にもわかりませんでした。……でも、時を経て徐々に理解しました。私はきっと、スノウ様に見ていただきたかったのです」
スノウはグリンバルドの告白に混乱する。しかし、懸命に頭を働かせ、その理由を考えた。
「もしかして、僕に止めてほしかったのか?」
「いえ、そうではありません。あの行為自体は私にとって業務の一つに過ぎなかった。それほど苦ではなかったのですよ」
「だが、父上から強要されていたんだろう? 違うのか?」
「まあ、そうですが。よくあることです。私は初めから覚悟していました」
『雇い主に性的な奉仕を行う、性行為の相手を務める』それは、使用人にとって至極当たり前のことであるらしい。
スノウがその悪しき慣習を知ったのは、グリンバルドと父の行為を知った後の事だった。世間知らずであった自分に恥じ入ると共に、汚れた世の中に絶望した。
「以前の生活を思えば、この家は天国でした。私は旦那様に感謝しておりましたし、一生お家のためにお仕えするつもりでおりました」
とある伯爵家の好色なご隠居が使用人に手を付けて孕ませた、その結果生まれたのが自分なのだとグリンバルドは言う。
彼が身の上を語ることは初めてのことである。スノウは膝を抱えながら耳を傾けた。
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