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過飽和からの相転移
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姫の襲撃に失敗したアラミオたち反逆者三人はバルコニーのほうへ逃走した。
「捕まえろ! 背後関係を吐かせるんだ!」
残った幹部候補生たちは冷静かつ迅速に裏切り者を確保する必要があった。この組織だった行動には必ず指示を出している者がいるはずだ。
それ以上に自分たちにも疑いの目を向けられることがないようにしなければならなかった。幹部候補生の中から裏切り者がいたということは、他にもいるかもしれないし、何より他も自分を疑っている可能性があるからだ。
風の魔法で反逆者の動きを封じようとする。だが、追われる側も簡単に捕まるわけにはいかない。風の魔法は風の魔法で打ち消すことができる。それでもわずかながら逃げるのを遅らせるのには役立った。再び背を向けて走り出そうとした瞬間に雷撃が襲い掛かり、その衝撃に反逆者たちはその場に倒れこんだ。
ルイザによる遠距離からの攻撃だった。
「加減はしてあるわ! すぐに捕縛して!」
卓人はルイザの鮮やかさに感心した。
しかし、同時にさっきから気になって仕方のないことがある。それは、凍った堀のことだった。三百人近い人が堀の氷の上に避難している。それでも割れてないということはかなりの厚さの氷ができたということだ。
――何のために堀を凍らせたんだ?
仮に厚さ一メートル、面積が二〇×五〇平方メートルだったとすると、その体積は千立方メートルである。質量にしておよそ九〇〇トンの氷ということになる。
水の魔法による冷却の仕組みは、その一部を断熱的に蒸発させることだという卓人の仮説はおそらく正しい。
氷点付近においては、九グラムの水のうち一グラムが蒸発すれば凍るということになるので、今回は一〇〇トン以上の水が蒸発したという計算になる。それだけ大量の水が大気中に水蒸気として安定して存在できるのだろうか?
真夏の今の気温が三〇度であるならば,大気における飽和水蒸気量が1立方メートル当たり三〇グラムである。蒸発した水蒸気のほとんどは遠くへ拡散することもできずに周囲にとどまるだろう。仮に堀の近辺百万立方メートル(一辺百メートルの立方体)の大気に蒸発させることができたとしても三千万グラム、すなわち三〇トンの水蒸気が限界である。
明らかに過飽和な状態である。
雨天のとき、上空の大気は過飽和の状態である。ここに塵などの液化の核になるものがあれば水蒸気は液体の水滴に戻る。いずれ、凝縮が始まるはずだ。
そして凝縮の際、発熱する。
「……まずい!」
そのとき、堀の上で塵を含んだつむじ風が巻き起ころうとするのが見えた。
「うぎゃあああああああ!!!」
人々の悲鳴が広間にこだました。
水は蒸発するときに一グラム当たり、二四〇〇ジュールの熱を奪う。逆に、水が蒸気から液体になるとき、すなわち凝縮するとき、同じだけの熱を放出する。過飽和から凝縮が始まるとき、それは示し合わせたかのように一瞬で起こる。
今、一〇〇トン余りの水蒸気が一気に液化しようとしていた。つまり、一〇〇トンの水を蒸発させるのと同じ熱量が、この狭い空間に発生するのである。
一帯の大気は高温となり膨張し、上昇気流となる。
初めのつむじ風の流れをきっかけとして巨大な竜巻となって、凍った堀に避難した人々を上空に巻き上げていった。エネルギー密度が大きかった分、何十人もが飛ばされ、硬い氷の上へ受け身もとれないまま叩きつけられることになった。
そして、熱風によって肉体の表面は焼かれていた。
それで終わりではなかった。
風の魔法であろう。液化した水は上空で緩やかに渦を巻きながら小さな液滴が集まって大きな水滴へと成長していた。そして、突然水滴が凍った。またしても水の魔法による凍結である。
渦は速度を上げ、こぶし大の氷は遠心力によって弾けるように四散し人々に降り注いだ。回転エネルギーを得た霰は水平方向に運動エネルギーをもっているため、堀にだけでなく広間や城壁にも激突し、壁や床を削った。凄まじい勢いの塊を受けてしまった人は、肉体を砕かれる以外に道はなかった。
それで、一連の攻撃は終息した。
バルコニー周辺と堀の上、そして観衆が集まっていた広場は、その場に相応しくない赤に塗り上げられ、目をそむけたくなるような凄惨な光景となっていた。
生きていた者はただ単に運がよかっただけだ。巨大な霰は、バルコニーから奥までの半分くらいを氷でえぐり、荒れ地のような様相になってしまっている。
逃げようとしていた反逆者も、それを取り押さえようとしていた幹部候補生も氷の塊によって命を奪われていた。
「うわあああああ!」
関係者席から悲鳴が上がった。おそらくは死んだ幹部候補生の親である。本来なら、子供の晴れ姿を見にきていたはずなのに、まさか殺されるのを見せられることになろうとは夢にも思わなかったはずだ。
アラミオだけは運良く氷の攻撃を受けず無傷だった。いや、運は悪かったのかもしれない。すでに生き残った幹部候補生や卓人たちに取り囲まれていた。
「君独りではどれだけあがいても無駄だ。降参したまえ」
いつでも魔法を繰り出せることを示すために手を差し出して威圧的に語ったのはアフレディアニ伯であった。
「この恐るべき魔法を使ったのは君の仲間だろう。一緒に謀反を図った者たちは殺されてしまった。何があったかはわからんが、君は利用されたんだよ」
アラミオは青ざめた。
「捕まえろ! 背後関係を吐かせるんだ!」
残った幹部候補生たちは冷静かつ迅速に裏切り者を確保する必要があった。この組織だった行動には必ず指示を出している者がいるはずだ。
それ以上に自分たちにも疑いの目を向けられることがないようにしなければならなかった。幹部候補生の中から裏切り者がいたということは、他にもいるかもしれないし、何より他も自分を疑っている可能性があるからだ。
風の魔法で反逆者の動きを封じようとする。だが、追われる側も簡単に捕まるわけにはいかない。風の魔法は風の魔法で打ち消すことができる。それでもわずかながら逃げるのを遅らせるのには役立った。再び背を向けて走り出そうとした瞬間に雷撃が襲い掛かり、その衝撃に反逆者たちはその場に倒れこんだ。
ルイザによる遠距離からの攻撃だった。
「加減はしてあるわ! すぐに捕縛して!」
卓人はルイザの鮮やかさに感心した。
しかし、同時にさっきから気になって仕方のないことがある。それは、凍った堀のことだった。三百人近い人が堀の氷の上に避難している。それでも割れてないということはかなりの厚さの氷ができたということだ。
――何のために堀を凍らせたんだ?
仮に厚さ一メートル、面積が二〇×五〇平方メートルだったとすると、その体積は千立方メートルである。質量にしておよそ九〇〇トンの氷ということになる。
水の魔法による冷却の仕組みは、その一部を断熱的に蒸発させることだという卓人の仮説はおそらく正しい。
氷点付近においては、九グラムの水のうち一グラムが蒸発すれば凍るということになるので、今回は一〇〇トン以上の水が蒸発したという計算になる。それだけ大量の水が大気中に水蒸気として安定して存在できるのだろうか?
真夏の今の気温が三〇度であるならば,大気における飽和水蒸気量が1立方メートル当たり三〇グラムである。蒸発した水蒸気のほとんどは遠くへ拡散することもできずに周囲にとどまるだろう。仮に堀の近辺百万立方メートル(一辺百メートルの立方体)の大気に蒸発させることができたとしても三千万グラム、すなわち三〇トンの水蒸気が限界である。
明らかに過飽和な状態である。
雨天のとき、上空の大気は過飽和の状態である。ここに塵などの液化の核になるものがあれば水蒸気は液体の水滴に戻る。いずれ、凝縮が始まるはずだ。
そして凝縮の際、発熱する。
「……まずい!」
そのとき、堀の上で塵を含んだつむじ風が巻き起ころうとするのが見えた。
「うぎゃあああああああ!!!」
人々の悲鳴が広間にこだました。
水は蒸発するときに一グラム当たり、二四〇〇ジュールの熱を奪う。逆に、水が蒸気から液体になるとき、すなわち凝縮するとき、同じだけの熱を放出する。過飽和から凝縮が始まるとき、それは示し合わせたかのように一瞬で起こる。
今、一〇〇トン余りの水蒸気が一気に液化しようとしていた。つまり、一〇〇トンの水を蒸発させるのと同じ熱量が、この狭い空間に発生するのである。
一帯の大気は高温となり膨張し、上昇気流となる。
初めのつむじ風の流れをきっかけとして巨大な竜巻となって、凍った堀に避難した人々を上空に巻き上げていった。エネルギー密度が大きかった分、何十人もが飛ばされ、硬い氷の上へ受け身もとれないまま叩きつけられることになった。
そして、熱風によって肉体の表面は焼かれていた。
それで終わりではなかった。
風の魔法であろう。液化した水は上空で緩やかに渦を巻きながら小さな液滴が集まって大きな水滴へと成長していた。そして、突然水滴が凍った。またしても水の魔法による凍結である。
渦は速度を上げ、こぶし大の氷は遠心力によって弾けるように四散し人々に降り注いだ。回転エネルギーを得た霰は水平方向に運動エネルギーをもっているため、堀にだけでなく広間や城壁にも激突し、壁や床を削った。凄まじい勢いの塊を受けてしまった人は、肉体を砕かれる以外に道はなかった。
それで、一連の攻撃は終息した。
バルコニー周辺と堀の上、そして観衆が集まっていた広場は、その場に相応しくない赤に塗り上げられ、目をそむけたくなるような凄惨な光景となっていた。
生きていた者はただ単に運がよかっただけだ。巨大な霰は、バルコニーから奥までの半分くらいを氷でえぐり、荒れ地のような様相になってしまっている。
逃げようとしていた反逆者も、それを取り押さえようとしていた幹部候補生も氷の塊によって命を奪われていた。
「うわあああああ!」
関係者席から悲鳴が上がった。おそらくは死んだ幹部候補生の親である。本来なら、子供の晴れ姿を見にきていたはずなのに、まさか殺されるのを見せられることになろうとは夢にも思わなかったはずだ。
アラミオだけは運良く氷の攻撃を受けず無傷だった。いや、運は悪かったのかもしれない。すでに生き残った幹部候補生や卓人たちに取り囲まれていた。
「君独りではどれだけあがいても無駄だ。降参したまえ」
いつでも魔法を繰り出せることを示すために手を差し出して威圧的に語ったのはアフレディアニ伯であった。
「この恐るべき魔法を使ったのは君の仲間だろう。一緒に謀反を図った者たちは殺されてしまった。何があったかはわからんが、君は利用されたんだよ」
アラミオは青ざめた。
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