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謎の本の筆者

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「そういえば、あなたはここに何年前からお住まいなんですか?」

「え? そうだな、もうかれこれ五年くらいかな」

「だったら、一年くらい前に僕とそっくりな人がここを訪れませんでしたか?」

 そのとき青年は、何か思い出したかのように卓人の顔を覗き込んだ。

「ああ……」

 そして、みるみるとお化けに出くわしたがごとく、忌まわしいものでも見るような表情になっていった。

「そうか、成功したか……」

 青年の口調はさっきまで軽々しかったのに、急に老け込んだ感じがした。そこには悔恨がにじんでいるようだった。

「そうかね……ならばわしも話しておく必要がありそうじゃ。どうぞ、中にお入りなさい」

 しゃべり方が変わった途端、態度も一転した。

「えっと……あの……?」

 その変貌ぶりに卓人は従うよりほかになかった。。

 青年は屋内に入ってもニット帽をかぶったまま、台所と居間があるだけの小さな間取りの部屋に置かれたテーブルに卓人を座らせた。

「まあ、これでも飲みなされ」

 一杯の紅茶を差し出した。注文したわけでもないのに牛乳を入れてくれたので、渦を巻きながら均一化していき褐色を白濁させた。

 屋内はランプの明かりではなく、何かの球体が明るく照らしていた。おそらく魔法で光らせているのだが、卓人はこのようなものは初めて見た。この人はかなり高度な魔法が使えるのではないだろうか。

 すべての壁は本棚で埋め尽くされ、窓からの明かりは射しこんでこない。そのすべてにぎっしりと本が詰め込まれており、さらに本の背表紙からわずかに残った棚の余白に鉱石やら試薬瓶やら試験管やらが並べてある。

 部屋が狭いからこのようにしか置きようがないのだろうが、片づけることに関心がないのだと思われる。まあ、卓人も一人暮らしだったなら掃除は面倒くさがるタイプだろう。

「騙したようで申し訳ない」

「?」

「わしがシャローム・ファーリシーじゃ」

 若々しい青年に浮かぶ老練な深みを思わせる表情は、言葉とともに卓人の魂を抉った。

「このことについて申し開きをさせてくれ。人間であれば年齢的にシャローム・ファーリシーはとっくの昔に死んでおらねばならん。説明を求められるのが面倒でな、死んだということにしておる。それ以上の他意はない」

 それはとても奇妙な感覚だった。テーブルの向かいに座った人物は明らかに若いのに、話し方は老人のもので、まるで腹話術でも見ているようであった。

「まあ、シャローム・ファーリシーという名も南の国に住んでいたときに名乗った一時的なものにすぎんがな」

 そう言うと、おもむろにニット帽を脱いだ。

「え?」

 その耳は明らかにヒトのものとは違う異様に長く伸びた形状をしていた。

「エルフ……?」

 それは元の世界での千年以上を生きるヒトによく似た架空の種族である。

「それはずっと北のほうに住んでおる連中であろう。わしのような肌の色でもない。近縁種の可能性はあるが……」

 この世界には竜がいる。そしてエルフっぽい種族もいて不思議ではない。

 しかしそれが目の前にいる。

 卓人は驚きによって思考が混乱した。

 シャローム・ファーリシーはそのときの卓人の様子をじっと観察していた。

「おぬしは、こことは別の世界からきた。そうじゃな?」

「は……はい」

「……正直、わしも本当に成功できるとは思っておらんかったよ」

「それは……転移の魔法のことですか?」

「そうじゃ。理論上はうまくできる確信はもてた。だが、条件が極めて難しい。できそうだからやってみようというわけにはいかん」

「その条件……というのは」

 卓人は言葉を続けるのを少しためらったのちに続けた。

「……同じとき、同じ場所でたくさんの人が死ぬということですか?」

 それは彼の著書にあったこの一節のことである。



『己が尾を喰らうドラコーン。

 いずれは自らを食い尽して無に帰すや、

 あるいは永劫に食み続けるや。

 魂は永劫なれ、変成しつつ、変成しつつ、魂は永劫なれ。

 魂は、他の秩序を壊してその秩序得るなり。

 その変成とは、秩序を失うこと甚だしくも、

 新たな秩序をもたらすはドラコーン。

 その口の先には異なる秩序の世界がある』



 卓人がこの文面からそう推測したのは、理解したというより自分がこの世界にきた経緯を投影したときそのような解釈が可能だと思っただけだ。しかし、シャロームはにわかに上体を反応させた。

「そうか、おぬしもそう読み解けたか。奴もそうだと理解しておった」

「違うんですか?」

「いいや正しい。しかし、わしはそんなこと試したこともないし、やりたいとも思わんかった。ただ、それを広めたいとは思った。そしてそのことについて魔法使いたちがどのような意見をもつか知りたくて本を書いた。直接的な表現を避けるために、敢えて暗喩によって難解にした」

 そこには忸怩たる表情があった。

「だからあのとき奴が同じように尋ねて、わしは肯定も否定もしなかった。だがそれで奴は試してみる価値はあると思い、あの多くの犠牲者が出た戦争の最中、実際にやってみたのだろう。そして成功した」

 その結果として、今、自分はここにいる。

「わしはおぬしに謝るべきなのだろうか?」

「…………」

 それは卓人には答えられなかった。謝られても状況が変わるわけではないからだ。

 アルベルト・アインシュタインは第二次世界大戦中、自らの相対性理論により原子爆弾が開発されようとしていることを知った。自らを迫害したドイツよりも自らを匿ってくれたアメリカが先んじて成功するように大統領に開発を促すような手紙を送っている。そしてそれは彼がもっとも気に入っていた外国のひとつである日本に落とされた。彼は悔いた。だけど彼は原爆開発には一切関与していない。

 シャローム・ファーリシーも転移の魔法の理論を構築した。しかし実際にその魔法を使ったのは彼ではない。

「ただ、わしはおぬしの人生が変わってしまったことについて今まさに悔いておる。やはりそれは何らかの形で表さねばなるまい。もし困ったことがあるのならできる限りのことはしたい」

 これは……魔法学校の学費を借りることができるということになるのではなかろうか。予想しない展開にタクトの期待は膨らんだ。

「じゃが、わしは生活に金を必要としておらんでな。金はもっておらんのじゃ。金以外でできることはあるだろうか」

 え?

 まさか金が全く必要ない生活なんてあり得ないと思ったが、どうやら彼はほとんど食事しておらず、激しい運動をしないのであれば太陽光を数分浴びれば生きていけるのだという。食費がかからないので金をもっていないのだそうだ。

 卓人はがっかりした。おまけに隠遁生活をしているので、金を貸してくれる知り合いもいないとのことだった。
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