理系少年の異世界考察

ヴォルフガング・ニポー

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ティフリスへ

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「じゃあ、明日出発します。今日までありがとうございました」

 エミリはこれまでいろいろと世話をしてくれたルイザに礼を言った。

「あれ、入学試験は一週間後でしょ。ティフリスまで乗合馬車でなら三日あれば着くんだからちょっと早いんじゃない?」

 ここアイアからティフリスまで三〇〇キロ弱。主要都市を結ぶ道なのでかなりの区間が整備されており、道中の治安もよく、よほどの嵐でもない限り慌てて出発しなければならない理由はない。宿泊費用を考えれば、前日に着くくらいの日程だとばかり考えていた。

「お兄ちゃんが、早めに行って下調べしておこうって」

「……ああ、そういうことね」

 ルイザは簡単に理解を示したが、卓人の意図がすぐに見えた。

『むこうで職を探すのね……』

 ここでルイザの親切心はどちらへ向くべきか考える。一つは、兄が除籍になることを知らせて進路を考え直させること。もう一つは、黙ってそのまま受験させること。どちらも親切であると同時に、意地悪な選択肢である。

 エミリはこれから受験に向かおうというのに、どうもにこにこと嬉しそうで緊張感がない。兄と一緒に遠くへお出かけできることが楽しみで仕方がないといった顔だ。さっきも人目につかない物陰で上機嫌に踊っているのを見てしまった。本当に子供なのだと思う。むこうで暮らすことになったときの不安にまったく目が行ってない。

「ねぇ、エミリちゃん。もし何かの事情で学校へ通えなくなったりしたらどうするの?」

 ルイザは言ってから後悔した。のんきなエミリにじれったいものを感じたからだが、なんだか自分の中の嫌なものに触れてしまった気がした。

「だったら働きますよ」

 即答だった。

「魔法のお勉強はしてみたいけど、絶対しなきゃいけないことじゃないし。機織りとか刺繍とか楽しいし。あと、パン屋さんとかやってみたいな」

 具体案がどんどん出てくる。

『強いわね……』

 かえってルイザのほうが生活力のある人間の強さを思い知る結果となった。

 領主の娘として人を指導する立場になるために生きてきた者の思考基準では、エミリは困って答えに窮するはずだった。己の見識の狭さを反省する必要があった。

 でも、おかげでそれ以上意地悪なことを言わなくてすんだ。

「ティフリスにはいつまでいるつもり?」

「それはよくわかりません。お兄ちゃん、試験が終わった後も何日か観光したいって言ってましたから」

 なるほど、すぐに仕事が見つからないかもしれないから予備日を設けているのか。魔法学校の学費を払いながら生活するにはかなりいい給料の職にありつく必要がある。

 絵描きとして弟子入りできたなら師匠によっては十分な賃金を渡してくれるかもしれないが、そこまでうまく話は進むだろうか。ただ、このことについてルイザが悩んであげる必要はない。

「だったら、二日くらい残っても大丈夫じゃない? あなたの受験の二日後に、今度は私たちの試験がティフリスであるの。幹部養成学校に推薦された予科生のね」

「推薦されても、まだ試験なんてあるんですか?」

「まあ、最終関門ってところね。それに合格すれば、その後に任命式があるわ。その任命はお姫様がすることになっているのよ」

「わあ、お姫様に会えるんですね。いいなぁ」

 王国には年頃の娘がおり、国家の象徴にふさわしい美しさと可憐さをもつという。画像情報が出回る世界ではないだけに、多くの国民が一生に一度はお姫様にお目にかかりたいと思っている。

「いいでしょ。任命式は特別だから、家族や許された関係者も観覧できるの。あなたにもお姫様に会わせてあげる」

「え、本当ですか?」

 エミリの輝くような喜びの表情に、ルイザは微笑みを返した。



 翌朝、ティフリス幹部養成学校へ推薦される五名が、全予科生が集合する前で紹介され、激励が行われた。そこには、ルイザ、レヴァンニ、アラミオ、そしてよく知らない二名の四年生が立っていた。この二名は、卓人の知る三名と比べてなんとなく覇気を感じない。

 自分はあそこに立てていたのだろうか。

 そう思うと悔しさも湧いてくる。しかし、今となってはそんなことはどうでもいいことだ。

 卓人は激励会が終わった後、軍服から私服に着替え、エミリを連れて兵学校を出発した。そしてティフリスで給料のいい仕事を見つけなければならなかった。
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