理系少年の異世界考察

ヴォルフガング・ニポー

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稼げる仕事探し

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「おはよう、お兄ちゃん」

 朝の食堂。何も知らないエミリは、カウンターの向こうの厨房からいつもの天使のような笑顔であいさつをくれた。

 ――真実を知ればエミリは受験を諦めるだろう。

 それだけは避けなければならなかった。

「や、やあ。おはよう」

 卓人と仲間たちは、ひきつった笑顔であいさつを返した。

 何とかしなければならなかった。

「やっぱり、絵を描くのがいいと思うにゃん」

 仲間たちは卓人の新たな収入源の獲得について模索してくれていた。

「そうだな、お前の裸婦像は秀逸だった。ティフリスはここよりもずっと人口が多いから、買う奴も多いだろうな」

「絶対売れるよ。軍人よりむしろ大金持ちになれるんじゃね?」

 こちらの世界の本物のタクトはかなり器用な人だったらしく、絵にしても白目細工にしても極めて高いクオリティの作品を多くつくりあげて売っていた。卓人自身、それを見たときには驚きと感心を隠すことができなかった。

「しかしエロい絵を堂々と売ってたら、逮捕はされないだろうが、警吏の取り締まりは受けると思うぜ。そこまでもうかるかな?」

「こっそりと、かつ大々的に売れるといいにゃん」

 ネット決裁でダウンロードできるならそれも可能だろうが……。いやいや、自分が春画を描いて食っていける訳などない。

 あれこれ考えた結果、卓人は絵を描き始めた。

 調べてみたところ、自分の年齢で普通に働き始めても生活費と魔法学校の学費を合わせただけの給料を得ることが難しいようだった。しかしながら絵などの特殊技能の場合、才能を認められれば住み込みで働かせてくれるところもあるらしい。

 自分にそれだけの才能があるかが一番の問題なのだが、客観的な評価を受けなければ議論の俎上にものぼれない。とにかく挑戦する以外にないのだ。

 また、この世界には漫画はないようだったので、新しい文化として受け入れられればかなり儲かるかもしれない。甘っちょろい期待と言われても仕方ないが、今、彼にできる可能的な努力の手段は絵を描くか剣を磨くかのいずれかしかなかった。

 毎日、寮の同室の仲間をモデルに短時間で十枚以上デッサンし、率直な意見をもらった。仲間たちは協力的だった。

「よくあの時間でここまで描けるな」

「ここちょっとバランス悪くね?」

「女ばっかり描いてたから、男は下手なんだよ」

「まあでも、進化してきた感じはするな」

 真剣に取り組んでみて初めてわかったことだが、自分は素人としてはうまいという部類でしかなく、商業的に通用するレベルには達していない。本物のタクトはもっとうまかったし、もっともっと努力しなければならなかった。

 だが、仲間たち最後は次のような結論に至るのだった。

「ってか、男ばっか描いても仕方ねえだろ」

「いや、今はとにかく何でも描けるようにしないと」

「エロい絵がいいのにゃん」

「女をモデルに描けよ」

「それはそのうちやるから……」

 無理を承知で女子にモデルを依頼してもいいかもしれないが、それをきっかけに兵学校を除籍になることを話さざるを得なくなるかもしれない。まわりまわってエミリが知ることになったら困る。

 魔法学校入試を十日ほど前に控えたある休みの日、卓人はグラウンドの隅っこから壮麗な兵学校の校舎を紙面に収めていた。夏の鮮やかな空に石灰岩の乳白色が映える。絵の具はもたないので濃淡のみで彩色する。

 こうして絵に取り組んでいると、ふつふつと疑問が湧き上がってくる。

 ――美しいとはどういうことだろうか?

 それは商業的に絵を描く上で重要なことだった。法則に基づけば常に美しいものができあがるということであれば、売れる可能性が極めて高いということになる。感性というよくわからないものに頼る必要がなくなる。

 それなら別に春画でなくとも例えば美人画とか、風景画とかだって買ってくれる人はいるのではないだろうか。

「あれ、タクトじゃない。何で絵なんか描いてるの?」

 誰にも見つからないようにグラウンドの隅っこで描いていたのに、何人かの女子が見にきてしまった。

「え? あ、いやその……描いてみようかなって」

「エッチな絵以外も描くんだ」

「あ、当たり前だろ」

 剣闘会以降、卓人は女子に声をかけられることが多くなっていた。

「……って、その格好は?」

「ああ、ルイザのお祝い兼送別会を街でね」

 女子たちは全員が私服だった。その中にはルイザもいる。軍服と違ったカジュアルな服装はやわらかな印象を与え、本人と気づかないほどに見違えた。

「そうか……幹部養成学校に行くからか」

 卓人はルイザと目を合わせないよう作り笑顔で答えた。

「タクトは残念だったねー。私、てっきり推薦されるものだと思ってた」

「私も」

「あはははは、魔法使えなくなっちゃったし……」

 彼女らは卓人が兵学校を除籍されることを知らない。

 ルイザだけが知っている。辞めさせられた後はこれで稼ぐつもりか。昔のように卑猥な絵を描いていたなら軽蔑していたところだが、風景画とはなかなかに意外だった。

「ねえ、私たちも描いてよ」

「え?」

「ほらほら、みんな並んで」

 勝手に話が進んでいる。

 昔だったら、いやらしい目で見られると思って全員避けていたはずだ。記憶をなくしてからの彼はそうではないとみんなが感じ思っているのだとルイザは知った。タクトの絵といえば彼女にとってトラウマ以外の何物でもないが、なぜか仲間たちのノリに流されてしまっている自分がいた

 卓人も女性のデッサン練習ができるのはありがたかった。

 記念の一枚となるように六人を整列させつつ、立体感と楽しい空気感が出るようにポーズをとらせた。

 みんな明るい表情の中、ルイザだけが複雑な面持ちで顔をそむけた。

 エミリに勉強を教えているとき、磁化の魔法を見せてもらった。何の役に立つかわからないどうでもよさそうな魔法だったが、どうでもいいからこそなぜそんなことをやってみようと思ったのか不思議でたまらなかった。

 そして、坑道作戦で見せた爆発封じの魔法、剣闘会を優勝に導いた鍛錬方法。

 すべてタクトが発明したものだ。

 その才能が失われてゆくのだと思うと、大きな喪失感がある。

『そうか、私はタクトに期待をしていたんだ……』

 ただ、彼には彼の人生がある。何かできるわけでもない今の自分の思いに執着するのはよくないことだ。

「できた」

「え、もうできたの?」

 ルイザが自分の内面を見つめているうちに終わってしまったようだ。

「ラフなデッサンだけどね。長い間同じポーズしてたら疲れるだろうし。細かいところを仕上げて明日渡すよ」

「やだ、やさしいー」

「見せて、見せて」

「うわ、すごい上手じゃん」

「初めて見たけど、すごいんだね。なに、画家に転職するの?」

「あははははは。その方が儲かるなら考えよっかな……」

 適当に誤魔化したが、なかなか鋭いところをつっこまれた。

「あ、そうだ」

「なに?」

「ルイザだけを描いてよ」
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