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美の本質についての考察

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 翌日、学校長にザビーナ・マハラゼが新たに就任したことが予科生を集めて報告された。

 列に並ぶ卓人は、兵学校を切り盛りすることになった四〇歳の才媛が、晴れやかな表情で前任者を犯罪者であるかのように罵り、自らが正当な兵学校の統率者であるように訴えていることに違和感を覚えた。

 解散の後、レヴァンニはつぶやいた。

「ああ、どうもおかしいぜ」

「あり得ないにゃん」

 仲間たちも口々に口ずさんだ。

「なんで、女子は俺たちにメロメロじゃないんだ!?」

 剣闘会で優勝して、その日は女子に囲まれて随分な人気だった。だが、その次の日からいつもの日常しか待っていなかった。

 彼らは期待していた。あちこちの物陰から、女子が飛び出してきて告白してくるのを。

「女子たちはみんな、俺に惚れたんじゃなかったのか?」

「いや、俺に惚れたはずだ」

「みんな、恥ずかしがり屋なのかな?」

「照れなくても、俺ならやさしく受け止めてあげるのにゃん」

 剣闘会には独特の熱狂がある。しかし終わってしまえばそれも冷める。誰もが素に戻る。そして変態ばかりが集まった彼らから女子は距離を置いた。

 このような感じで、学校長が交代になったことはある程度の衝撃ではあったものの、予科生の生活に大きな変化はなかった。厳しい鍛錬で肉体を疲れさせ、戦略・戦術に頭を使う日々だ。

 そんな中、卓人は重い気分に取り憑かれてさっぱり冴えなかった。

『本当に、僕は幹部候補生に推薦されるのだろうか?』

 この世界にきて三ヶ月の卓人に国の責任の一翼を担えという。

 軍の幹部ともなれば政治的な力も問われることだろう。正直、政治にあまり関心がなかった。そんな責任感などあるわけもないし、そもそもこの国や世界情勢について何も知らない。

 なにより魔法が使えない自分にそんな資格があるのだろうか。なのにルイザもアラミオも確定事項のように言ってくる。

 幹部候補生ってそんなものなんだろうか。

 身の丈に合わない服を着せられるのはこんなに気持ちの悪いものだとは思わなかった。

 ただ、エミリが心配なのは事実だし、一緒にティフリスへ行けるならその方がいいだろう。幸いなことに寮の同室はそんなことに全く関心はなく、気にしている素振りさえない。

「そういえばタクト。お前、最近エロい絵を描いてないにゃん」

「え?」

「おお、そうだよ。昔は街に売りに行く前によく見せてくれてたじゃねぇか」

「久々に描いてほしいにゃん。ボインボインのがいいのにゃん」

「俺は最近、尻の魅力も捨てがたいと思ってだな」

「あの曲線美を再現しきるのはお前だけだ」

「そうだよ、なんで最近描いてねえんだ?」

 気づけば同室全員が春画を要求してきていた。そうだ、本物のタクトはそれが得意だったらしい。いきなり訪れた理不尽な局面に卓人は動揺した。

「いや、ちょっと待って!」

 そうは言っても待ってくれる感じではなかった。結局、圧力に屈して一枚の絵を描いた。

「うわー、かわいい」

 ネコ耳の女の子を描いた。だけど露出こそ多いもののしっかり服を着ていた。

「なんだよ、これは!」

「だめ?」

 卓人は元の世界でアニメ好きの友人と絵を描いて見せ合ったりしていた。この絵は有名なアニメキャラだった。卓人に女性の裸の絵など描けるはずもなかった。

 だって、本物なんて見たことないのだから。

 今の時代、少年漫画で許されるのなんてせめて胸の谷間までだ。デッサンを取るためにそれなりの肉体の構造は頭に入っているし、健全な高校生として当然そういうものに関心もある。

 だけどそれを実際に描くだけの情報をもたないし、なにより勇気もない。

「え、皆いらないのにゃん? 俺がもらっちまうのにゃん」

 喜んだのはヤノだけだった。紙に描かれた絵を見て目をキラキラさせていた。

 それ以外の仲間のふざけるなと言わんばかりの目線が痛い。やばい汗がだらだらと流れてくる。もちろん断るという手段はある。しかし、本物ができていたのに自分ができないとなるとやはりその同一性に疑義が生じる可能性も否めない。

 覚悟を決めて描いてみる。

 いくつかの曲線を描いたところで、気恥ずかしさかあるいは高尚な美感が激しく主張してきて手が止まる。そして納得がいかなくなって、また別の紙に書く。それを繰り返した。

 ちなみにこの世界では紙は比較的安価に手に入るので試行錯誤が可能だった。鉛筆も黒鉛ではなく鉛を使ったものがあり、消しゴムは古いパンを食堂にもらいに行けばある。

「む、これは……?」

「なんだよ。ただの線じゃないか」

「ふ、お前たちの目は曇っているな。この線が新たな境地を切り開こうとしていることがわからんとは」

 レヴァンニがしょうもないことでマウントを取り始めた。

「純粋ないやらしさでよく見ろ!」

「……純粋ないやらしさ?」

 一瞬、言葉が相殺しているような感じがしたがそうではない。妙に納得して眼を研ぎ澄ましてただの曲線を眺める。

「な、なに……?」

「これはまさか、女の腰のくびれでは?」

「こっちはおっぱいのようだにゃん!」

「くっ、これは尻の曲線に見えるぜ」

「ふふふふ、やってくれるぜ。これは心の清らかな者にしか見えないエロい絵だ」

「聞いたことがあるぜ。真の画力を身につけたものはその絵がシンプルになっていくと。そしてもっとも単純化された線ですべてを表す境地に至ると!」

「新境地だ!」

 もちろんそんなことを卓人が企んだわけではない。エロスの世界に飛び込む勇気がないから中途半端に終わっただけの線だ。しかし結果的に仲間たちは喜んだ。

 抽象的とも呼べないレベルのただの曲線に過ぎない。なのに、具体的な形を成してないのにそのように見えるという。おそらく脳内で線になっていない部分を補完することで求めるイメージを完成させているのは間違いない。

 しかし、線画とはあくまでも線の集合体であり実物ではない。きちんと描いたところでただの線だ。だが我々はそれを具体性のある何かと認識する。

 なぜだろうと思うと筆は軽くなった。

「ぬうう?」

「やばいぞ、これは!」

「これは違うだろ」

「あふぅ、これ最高」

 眼の曇りが晴れた仲間たちは次々と表現されるただの曲線を見ながら、身悶えたり鼻血を出したり、怒り狂ったりした。

 フーリエ変換という数学的な操作によっていくつもの正弦波を重ね合わせると様々な曲線を描くことができる。これを二次元的に応用すればまさに絵を描くことも可能だ。つまり、波の重ね合わせこそが曲線の美を決めているのかもしれない。

 音もそうだ。様々な波長の複雑な重なりによって美しいと感じるようになる。そこには数学的な何かの秘密があるのかもしれない。

 ――美しいとは、どういうことなのだろうか?

 桜が咲けば美しいという。広大な海や山々の連なる様を見ると美しいと表現される。調和のとれた音の重なりや物体の運動を美しいと感じる。みんながみんなそう言う。ただ、みんなが美しいというものをそのような配置に絵を描けばやはり美しくなった。弦を弾けば美しいメロディになった。

 それはとても不思議なことだった。

 卓人は左手をあごに添えつつ、右手で次々と曲線を生み出していった。

 いつしか同室の仲間たちは、卓人の実験台になっていた。
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