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あれは誰だ

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 バルツ軍による第四次ドマニス侵攻に際し、エルゲニア軍も交えた大攻勢をかけるべきだと提言したのはアキーム・バーベリオであった。勝つことが目的でない戦いではあるが、一度はドマニスの心胆を寒からしめる一手を打つ必要があると考えたからだ。

 だが、それ以上に自分が戦場で暴れまわれる機会を欲していた。

 三〇代で将官になったのはよいが、結果として最前線から遠ざかることになった。戦場で見つけた気の強そうな美女を連れて帰るという何よりの楽しみが奪われて久しかった。

 これまでに八人の女を連れ帰った。

 自宅では決して女に無理強いはしない。逃げるなら逃げればいい。しかし、敵地での生活の不安からだろうか、親切に面倒を見続けることでいずれ女は心を開いていくのだった。

 四〇を過ぎても正式な妻を娶ることなくすべての女を平等に扱っている。そろそろ九人目の攻略もしてみたいと思っていたところだった。

 他人の言う『愛情』という概念が理解できない。欲望と衝動に振り回されるほど愚かでもない。ただ、生まれたからには満足のいく人生を送りたい。人生が哀しいのなら死んだほうがましだと思っている。

 第四次侵攻に参加したのにはもう一つの目的があった。

 ナナリのタクトと呼ばれる少年兵を殺すことだった。初めは耳を疑ったが、兵学校の予科生であるにもかかわらず、こちらの理解を超えるほどの魔法の使い手だという。これは実に興味深かった。

 しかし、戦場に赴いてみれば、青い顔をして逃げまどっているではないか。興が覚めて爆発で吹き飛ばして、その死にざまさえ確認しなかった。

 勝ってはいけない戦争ほど面白くないものはなく、その後は数多の命散る戦場を尻目にさっさと帰った。

 つまらない人生などたまったものではないが、生きていれば憂さも募る。

 爆発の魔法はそれらが吹き飛ぶようで、これを使うときは爽快だった。帰ってからは下士官が止めようとも気にせず、憂さ晴らしに爆発の魔法でトンネル掘りを続けた。遅れに遅れていた掘削工事を自分ひとりで貫通させた。

 後は、いい女がいればさらっていき、面白い敵がいれば粉々に吹き飛ばしてやれれば満足だ。

 そして、坑道がつながってみれば面白いものに出くわした。ナナリのタクトとよく似たこの少年は、魔法しか知らない我々にない知識で戦っている。戦うことそのものに逡巡し、人を傷つけ殺すことに躊躇している。隠された残酷さを解き放ってやれば、素晴らしい戦士になるに違いない。

 ――だが殺してやらねばなるまい。

 彼はあまりに哀しすぎる。

 アキームはボロぞうきんのようになったタクトに爆発の魔法を放った。

 その威力は、まず卓人の肉体を後ろの壁に張りつけた。その衝撃は骨を砕かんばかりで、反作用とそれを上回る爆発の衝撃が揺さぶってきてさらなる苦痛を与えた。

 熱線は皮膚を焼きながら削いでいき、その水分を蒸発させていった。蒸発によって奪える熱など微々たるもので、あり余る熱はタンパク質を変成させ、細胞膜の疎水相互作用を解離させ、DNAの二重らせんを分解した。さらなる熱は肉体を構成するあらゆる化学結合を破壊し原子にまで還元させた。肉体が失われてゆくとともに、物質に閉じ込められていた何かが空間に向けて拡散されてゆくようだった。

『これが、エーテルなのだろうか……?』

 それがそれであるように作用するエーテルが失われれば、自分は自分であることを永遠に失う。

 しかし同時に埋もれていた記憶も解き放たれてゆく。

 ――青く美しい空が広がった。

 卓人の身体は緩やかに回転しつつ空高く舞い上がり、炎に包まれた戦場が、次には壮大な山脈がひとつの視界に納まった。空が、宇宙が自分に向かって手を伸ばしてくるようにさえ思えた。

 ――この記憶は……

 身体はそのうち重力に逆らえなくなり地面へ向かっていった。徐々に、そしてほぼ衝撃もなく着地した。

 遠のく意識の中、誰かがそばに立っていた。

『悪いな、エミリをしばらく任せる』

 あれは……誰だ…………?


「お兄ちゃん!」


 悲痛なまでの叫びとともに誰かが卓人を抱きしめた。

 不可逆な系を可逆な系に入れ替えることは可能的だろうか?

 時間軸を逆転させても同じ系を保つことができるという系である。

 だが、木炭を二酸化炭素と水と灰からもとの木に戻すことはできるだろうか。

 床にこぼした水をもとの器にきれいに戻すことはできるだろうか。

 過ぎた時間が戻ってくれることはあるだろうか。

 翻って人類は、自然の摂理にいつも面従腹背であった。

 敬いつつ、感謝しながら、環境を、生態系を、自然を破壊し続けていた。生の摂理を、死の摂理を覆すことに躍起になっていた。そして鏡に映った自らの醜い有様に気づいたときに悔み、己を恥じた。

 しかし、それでもまた人類は自然に対しある部分では逆らい続けるのだろう。

 その声は摂理の破壊を祈るものだった。

 がりがりがりと生々しく地面が膝を削る。

 だけど自分の膝は、肉体は失われはしなかっただろうか。

「いてててて……」

 卓人は死んだと思った自らの発した声を認識できた。

 そして自分の上にかかる重みを感じることができた。

 自らの目で、それが何であるかもはっきりと認識できた。

「エミリ……?」

「…………おにぃちゃん……」

 ぼろぼろと両の眼から涙を流しながら微笑む妹が目の前にいた。
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