理系少年の異世界考察

ヴォルフガング・ニポー

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恣意的な論理は破綻する

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 その頃、卓人はこの世界を呪っていた。

 望んだわけでもないのに、なぜ自分はこの世界にきたのか。

 なんでこんな目に遭わされなければならないのだろうか。

 誰も知る人のない場所へ行こうと、兵学校から何ももたずに逃げ出した。

 まずは戦場とは逆の方向、東へ歩くと、見てきた中でもっとも大きな街に出た。おそらくこの地域の中心となる都市で、商業工業も盛んだが、何より官公庁を思わせる無機質な建物も多くみられた。ここで暮らしていけばよいだろうかとも思ったが、こんな兵学校の近くではすぐに誰かに見つかってしまうだろう。

 何より、この街が自分を迎えてくれている気がしなかった。

 早々に街を出ると、今度は南へ歩くことにした。地図で南側には何もないことを知っていたからだ。誰もこない何もないところへ行きたかった。

 ところが、歩けど歩けど本当に何もなかった。雄大な自然が広がるばかりで民家どころか畑の一つも見つからない。喉が渇いても川すら流れてない。そのうち空腹で歩く気力も失せ、大の字になって空を眺めた。

「このまま野垂れ死んだら、元の世界に戻れたりするのかなぁ……」

 いや、むしろそのまま死んでしまってもいいと思った。

 そのあとはなんだか思考が回らず、ふと気づいたときにはいつの間にか眠ってしまっていた。無防備に眠っていたにもかかわらず、野盗や野犬に襲われもしなかったとは、本当にこの辺りは何もないらしい。

 喉の渇きを覚えたが、動けなくなるほど干からびていたわけでもないようで、まずは水を飲むために元の道を戻ることにした。ところがもともと地理勘もない上に、目印となるものもはるか遠くの山脈以外に見つからず、太陽の位置も随分と変わってしまっていて、自分がどこに向かっているかわからなくなってしまった。さっきまでは意図してあてどもなく歩いていたはずなのに、今はむしろ不安ですらある。自分の心の弱さが嘆かわしくなる。

「随分と……無駄に生かされているなぁ」

 ふと口を突いた言葉はなんとも的を射ているように思えた。

 ひたすら山脈を目指して歩いていると夕方になってようやく川が見つかった。本流の流れは激しいが、穏やかな淵が見つかったのでそこで水を飲んだ。衛生面なども気にはなったが、澄んだ水はとてもおいしかった。近くに野イチゴのような実が生えていたので食べた。

 この辺りは川沿いに人間の生活空間を築いている。この川を上っていけば孤児院にたどりつくのだろうか。

 砂利を粘土質で固めた道路をしばらく歩いた風景に既視感を覚える。正解を確信した。それは喜ばしいことであったが、同時にどうしようもなく惨めな思いに駆られることになった。

『戦争が終わったらすぐに戻るよ』

 別れ際にエミリとタマラに放った言葉は、安心させたかったのか、格好をつけたかったのか、なんとも楽観的であった。

 何とかなるとでも思っていたのだろうか?

 そして今は戦場から逃げようとしている。

 ――だって、人なんか殺せるわけないじゃないか!

 あの戦争はおかしい。

 勝つ見込みもない戦争を向こうから仕掛けてきて、当然のように皆殺しに遭う。

 いや、そもそも戦争という手段は頭がおかしいのだ。

 人を殺すのは犯罪だ。

 それよりも圧倒的に多くの人を殺す戦争は大犯罪だ。

 ――では、なぜそれでも戦争は行われるのか?

 犯罪とは法によって定められ、法を定めるのは国家だから、その国家が承認して戦争を犯罪として認めないならば、戦争はしてもよいということになる。国家のすべての判断は、それを構成する国民の代表者である国家元首によるのだから、国家元首がやろうと言えば法的に正当化される。

 ――本当にそうだろうか?

 最終的な責任の所在という点では確かにそうだろう。

 死ぬ覚悟をもって戦争に行く者はいるだろうが、死ぬために行く者などいない。また、国家元首の一存だけですべてが決まるわけでもない。皆がそれを求めているから戦争は起こるのだ。要は戦争を求める潜在的な素地があるから起こる。

 この世界はどうだ。

 王様がいるらしい。民主主義ではないのだ。

 政治の不正を告発するマスメディアも大して発達していないみたいだ。

 つまり、権力を恣意的に用いるだけの搾取政治が行われているのだ。

 何かの利権があって、戦争をして喜んでいるんだ。

 ――本当にそうだろうか?

 民主主義は、哲学者プラトンからすれば、考え得る五つの政治形態の中で二番目の悪手だ。政治家が大衆迎合に走るだけの衆愚政治になり、いずれは邪悪な独裁者を生み出すと結論づけている。

 元の世界はどうだ。

 育ちの悪い政治家や官僚は大企業だけを優遇し、一般庶民を弾圧している。政治家が裏金を蓄えても司法は罰せられない腐敗した社会を生み出している。武器商人を肥えさせるために当然のように戦争が行われ、それに反対することも許されない。そしてメディアは権力に屈し、ネット上には「メディアが伝えない真実」があふれている。

 もはや最悪の僭主独裁制になってしまっているではないか。

 どっちが正しいといえるだろうか。

 レヴァンニもルイザもベラも、兵学校の予科生たちは人を殺す技術を鍛錬していたが、それは何かを守るためだ。

 エミリは動物を狩り、それで子供たちを養っていた。

 それは野蛮な行為なのだろうか?

 誰だって生きるために他の動物や植物を食っている。ただ、直接殺していないだけだ。罪の意識を感じないならば、どっちが野蛮なのだろうか?

 結局、卓人が求めていた結論は「戦争は間違っている」ということだった。論理的にそれが証明されれば現在の自分は正当化される。しかし思考は迷走を続けた挙句、自分が望む結論に落ち着くことはなかった。

「AがBを殺そうとしているとき、BはAを殺すことで殺されないようにする」

 AとBはが「殺す」という行動しかしない理想化されたマシンであり、生き残ることを目的とするという条件であれば、これは必然的である。

 戦争とは端的にはそういうことなのだ。

 人間は単純なマシンではないからそうではない可能性も期待できるけれど、その期待が常に正しいという根拠など存在しない。どこかで自分の都合のよいように思考停止しない限り戦争の全否定はできない。

 恣意的に論理を構築しようとしても破綻するだけだった。

 こんなに自分が惨めに思えたのは人生で初めてのことかもしれない。思考も歩行もぐるぐるとさまよい、ついには暗くなった空が再び白もうとしていた。疲れ果てて道沿いの林でひと眠りした後、結局は孤児院へ向かおうとしていた。

「どんな顔して、帰ればいいんだろう……」

 子供たちに無様な自分を見られたくないのに、足は勝手に山を登ってゆく。自分の中には別の自分がいる。それでも、自分が何人いようと揺らぐことのない確信がひとつだけあった。

 ――自分は、人を殺すことなんてできない。

 昼過ぎ、いくつかの集落を横に見て、孤児院までに最後に通る集落の目印ともいえる大きな岩が見えてきた。見上げると、集落の前にはナタリアが立っていた。迎えにくるなんてこの人の性格からしてあり得ないだろう。

 いや、何かがおかしい。

 その様子はうろたえているようだった。
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