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剣の鍛錬

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「疲れた……」

 ベラはとてもかわいらしかったのに、話しているとガリガリと精神を削ってきた。

「ナナリのタクト」

 図書館を出たところで一人の男に呼び止められた。かっちりと油で固めた髪が印象的で、背は卓人よりも低いのだが、その佇まいだけで圧倒的な貫禄を感じさせる。見た目は二十代前半くらいだが、醸し出す雰囲気は戦場のすべてを知り尽くしたかのようでもある。この精悍な顔は見たことがあった。司令部で幹部として並んでいた男だった。

 正直もう今日は閉店ですと言いたいところだったが、卓人はさっと敬礼をした。

「タクト。魔法の勉強をしていたところを見ると、役に立てるなら何でもする、と言ったのは嘘ではないようだな」

 男は名乗らなかった。既知であるならばその義務もない。

「今の貴様を軍に残すべきかどうかで幹部でもいろいろ意見があった」

「え?」

「当然だ。軍人ならば魔法は必須だ。そもそも入学試験で魔法の技量が問われるのだ。現状の貴様は入学資格すらない状態だ」

「あう……」

 魔法について調べるためにここにきたのに、追い出されるのは困る。

「まず聞いておこう。おそらく近いうちにまた戦争となるだろう。そのとき戦争に参加する意思はあるか?」

 本来、予科生である卓人に必ずしもその義務はない。しかし、それは訓練によってその後の戦力となる見込みによって猶予されるものである。魔法が使えないまま、戦力とならない人間を置いておくわけにはいかないだろう。

「……もちろんです」

 少しためらいつつも卓人は自らの意思を示した。

「ならば回復魔法だけは使えるようになっておけ」

「回復魔法ですか?」

「戦場で傷を負ったときに自らを回復できなければ、それはそのまま小隊の戦力を低下させることにつながる。これは予科生が戦闘に参加するための最低条件だ」

 極めて合理的な理由だ。しかし魔法について感覚的理解が全く及んでいないのにできるのだろうか。エミリは魔法の感性が優れていると思ったが、それでも回復魔法は使えなかった。つまり火の魔法よりも難しいということだ。

「わかりました」

 それでも答えは一択だった。

「ならば、貴様が魔法を取り戻すまでは私の麾下で戦ってもらうことになる」

「そうなんですか」

「回復魔法ができるようになったという前提でだ。貴様が他の魔法が使えなかった場合、魔法部隊にはおけない。だが配置によってはほぼ剣だけで戦うこともある。そういうことだ」

「よろしくお願いいたします!」

「時間はあるな」

「今からですか?」

 これから剣の訓練をするということだ。断れるはずもなかった。

 卓人は武道場ほどの大きさの部屋に連れてこられた。十メートルはあろうかという天井のあたりに採光の窓があるだけで、あとは石壁だけで覆われた極めて無機質な部屋だ。湿っぽさこそないものの、閉塞的な圧迫感をおぼえずにいられない。

 男は卓人に剣を渡した。大きな鉈のような、日本刀の脇差をいかつくしたような感じだ。ゲームで出てくるようなかっこいいものではなく、実用性を重視しているようだ。刃の部分は木製で丸くなっている。おそらく訓練用の剣だ。

「こい」


 しかしまともに当たれば大怪我をするのは間違いない。しかも顔つきは怖いが、教官の背丈は自分よりもちょっと低く見下ろせてしまう。本当にいいのか迷いつつ、卓人は遠慮がちに剣を振った。その軌道は男の剣によってあっさりと目的とは違う方向へはじかれ、代わりに剣の柄がみぞおちをえぐった。

「かっ」

 一瞬息ができなくなり跪きたくなったが、ここはそれを許される場所ではないと思った。

「ぬるい」

 男の発言はいたって端的だ。だが言外の意図は理解できた。卓人は今度こそ思い切って剣をたたきつけてみた。しかし、これもはじかれた。

「……いかに記憶がないとはいえ、訓練してきたものは肉体に染みついているものだと思っていたがな」

 その通りだ。

 その人が繰り返してきた行動は、小脳が司る無意識によって自動化される。しばらく泳いだり自転車に乗ってなかったとしても、一度覚えれば自然にそれができてしまうのは無意識が補助してくれるからだ。この肉体がタクトのものならば、彼が覚えた通りに剣を振るうことができてもおかしくないだろうに。

「何をしている。さっさとこい」

 卓人はこのままではどうにも埒が明かないと悟った。

 中段で構えて臍下丹田に気を集中させた。

「きえぇぇぇぇぇぇぇ!」

 思いつくのは体育でやった剣道だけだった。授業で習ったときは何の効果があるのか理解できなかったが、発声によって身体が動いた。なにより意表を突かれたのか、教官は一瞬だが身じろいだ。

 卓人はもっとも小さなモーションで相手の剣を薙ぐと、そこから面を入れる動作に入った。しかしこれでは怪我をさせると思って躊躇したところで腕に激痛が走った。自分の剣が転がった。

「なかなか変わったことをする。貴様、本当にナナリのタクトか?」

 その問いに卓人が答えられなかったのは、腕の痛みによるものだけではなかった。

「貴様のやろうとしたことは、一対一の戦いにおいてならばある程度は有効かもしれん。しかし戦場では何の役にも立たん」

 それは、教えたはずのことが全く残されていないことへの苦言でもあった。

「戦場では敵の戦闘能力を奪うことが肝要だ。敵の利き腕を落とせ。剣を握る指の骨を折れ。足の腱を切れ。視力を奪え。殺すことに時間をかけるくらいなら、素早く敵の戦意を打ち砕くのだ」

 どちらかといえば凛々しいという印象の男であったが、それは違ったのかもしれない。その冷徹な表情と残酷な言葉は戦場で何人もの敵を殺してきたことをうかがわせた。

 結局、教官の訓練は三時間ほど続き、門限直前に寮に戻った。そこではレヴァンニら同室の七人の仲間が歓待してくれたが、卓人はまともに口を交わすどころか食事もとらずに倒れこむとそのまま泥のように眠った。

「疲れた……」

 今日二度目のこの言葉は、精神だけでなく肉体的にも削られた最後のひとしぼりだった。こうして、卓人の兵学校での一日目は終わった。

 本当にここでやっていけるのだろうか。
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