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兵学校にて
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――軍か……
この兵学校でちゃんとやっていけるのだろうか。
元の世界の兄たちからは「気概がないと」よくバカにされたものだ。それをとくに気にしてこなかったのは、これまでそういったものを要求される場面に出くわさなかったからだ。
古代ギリシャのプラトンによれば、魂とは「理知」、「欲望」、「気概」の三つの性質からなるという。特に気概とは軍人的属性をもつ。それをもたない自分が軍に入ってやっていけるのだろうか。
なんとかやるしかない。くよくよと考えても仕方ないのだ。
卓人は校門の前に立ち白い大理石の兵学校の校舎を眺めていた。
軍人といっても卓人は兵学校の学生であり、軍事教練を受ける予科生というのが正しい。その自分は戦場へ赴いていた。学生が戦場に出るというのは、どうも無慈悲で非人道的なイメージが強く、理不尽な世界への不安を禁じえなかった。
兵学校の校舎は壮麗で貴族の屋敷と間違えそうな造りだった。しかしながら凜とした竜の彫刻など精強な軍をイメージさせる厳めしさもあり、そこに建築者の崇高な精神が感じられた。
そして改めてよく見るとこの校舎はこの前まで自分が入院していた野戦病院であった。あのときは凄惨を極めていたが、穏やかな雰囲気では建物の印象はまるで違う。だけどここから見える山脈の衝撃的な雄大さはあのときと同じだ。中腹あたりにさっきまで暮らしていた孤児院があると思うと不思議な感慨深さがある。
しかし学校というにはどうにも人が少ない。グラウンドで二〇名ほどが体を鍛えているが、それ以外に見かけない。学校なのだから講義でもしているのかとも思ったが、窓の中に人影はまばらにしかない。卓人は場違いなところにきてしまったのではないかと不安に感じた。
「おや、タクトじゃないか」
この声には聞き覚えがあった。
「いやぁ、戻ってきたのか。また、女風呂のぞくトンネル掘ろうぜ」
爽やかにとんでもないことを言うのは、街で出会ったレヴァンニであった。
「あ、あの……戦争は、どうなったのかな?」
「おう、俺が兵学校に戻った頃には敵はまた全滅したってよ」
なんと、戦争は終わったのか。それはありがたい。卓人はほっと胸をなでおろした。
「そうか。記憶がないからきょろきょろしてたのか。連れてってやるよ、仮司令室に」
「仮?」
「そうだよ。また、いつ戦いが始まるかわからない状態だからな。この学校が最前線本部になってるのさ。仮のな」
「なんで仮なの?」
「軍の偉い人が入ってないからだよ。今ここにいるのは佐官級の人ばかりだ。まあ、この学校の教官ばっかりだ。だから『仮』なんだと。形式を気にするのはいいが、もう少しセンスのあるネーミングをしてほしいもんだがね……」
この男でも皮肉を言うのかと思うほどの親交はないのだが、彼がこのように憂患しているのは意外なことだと思った。
「なんだか、人が少ないね」
レヴァンニの人柄もあって、卓人は思ったことを自然に質問できた。
「ああ、たいていが塹壕をつくりに行っているからな」
レヴァンニの答え方は、初めて見る者への説明口調だった。
「俺たち予科生は戦場に出るかどうかの選択権がある。戦場に行かなかい者はこういう危険じゃないときに実地で勉強するのさ」
兵を育てる兵学校なのに、未熟な予科生を戦場に出して死なれては元も子もない。ただし能力のある者には戦場での経験の機会が与えられる。これは合理的な考え方である。
いくつか廊下を曲がって通された仮司令室は、仮というだけあって質素な部屋に軍旗と思われる竜と剣をあしらった旗のみが飾られていた。そこには六名の幹部と思われる厳格な雰囲気の男女が並んでいた。年齢は若く、高くても四〇代、若風な人は二〇代ではないだろうか。いずれもうぐいす色の制服に勲章らしきバッジをいくつも付けている。
中央に立つ最高齢であろう偉丈夫が発言した。
「ナナリのタクト。傷も十分に癒えぬうちによく戻ってきてくれた。感謝する」
ナナリというのは孤児院のある地域の地名である。この国ではある程度以上の身分の者のみが姓を名乗る習慣で、そうでなければ先のように出身地の後に名前を連ねて呼ぶのが通例となっている。
「ありがとうございます。怪我についてはもう十分に回復したと思います。これからがんばります」
卓人はそう返事すると、ぺこりと頭を下げた。
「おい」
「え?」
レヴァンニの指摘が何を指しているのかわからなかった。
「僭越ながら申し上げます。このタクトですが、先日の負傷の際に記憶をなくしてしまったようでございます。彼の礼の失するところ、代わりましてお詫び申し上げます」
半歩前へ進み出て、レヴァンニは美しい軍式敬礼をとった。
なるほど、ここは軍だった。
卓人もさっと敬礼をまねる。
「なんと、記憶がない……」
この情報は少なからず幹部たちをざわつかせた。
「それで、大丈夫なのか?」
「一般生活に問題はありません!」
「いや、そこじゃねえだろ」
卓人は今度こそはと思って軍人らしい返答を試みたが、即座に突っ込みが入った。ここは軍なのだから、軍人としてやっていけるのか、という問いであることに気づくのにそれから数秒を要した。
「お役に立てるならば、何でも致します!」
的外れな返答に幹部たちはしばらく沈黙した。
「まあ、それは仕方のないことだと思います。魔法のほうは大丈夫よね?」
問うてきたのは、いかにも魔法が使えそうな才女を思わせる女性幹部たった。
「はい。魔法もすべて忘れております。つきましては剣を振るうなり、物資を運搬するなり、何でも致します」
卓人としては使えないと思われないよう軍人としての覚悟を表したつもりだったが、その発言は幹部たちの目を丸くさせ、突っ込みを入れるレヴァンニの声は裏返っていた。
「だったらお前、何しにここにきたんだ?」
この兵学校でちゃんとやっていけるのだろうか。
元の世界の兄たちからは「気概がないと」よくバカにされたものだ。それをとくに気にしてこなかったのは、これまでそういったものを要求される場面に出くわさなかったからだ。
古代ギリシャのプラトンによれば、魂とは「理知」、「欲望」、「気概」の三つの性質からなるという。特に気概とは軍人的属性をもつ。それをもたない自分が軍に入ってやっていけるのだろうか。
なんとかやるしかない。くよくよと考えても仕方ないのだ。
卓人は校門の前に立ち白い大理石の兵学校の校舎を眺めていた。
軍人といっても卓人は兵学校の学生であり、軍事教練を受ける予科生というのが正しい。その自分は戦場へ赴いていた。学生が戦場に出るというのは、どうも無慈悲で非人道的なイメージが強く、理不尽な世界への不安を禁じえなかった。
兵学校の校舎は壮麗で貴族の屋敷と間違えそうな造りだった。しかしながら凜とした竜の彫刻など精強な軍をイメージさせる厳めしさもあり、そこに建築者の崇高な精神が感じられた。
そして改めてよく見るとこの校舎はこの前まで自分が入院していた野戦病院であった。あのときは凄惨を極めていたが、穏やかな雰囲気では建物の印象はまるで違う。だけどここから見える山脈の衝撃的な雄大さはあのときと同じだ。中腹あたりにさっきまで暮らしていた孤児院があると思うと不思議な感慨深さがある。
しかし学校というにはどうにも人が少ない。グラウンドで二〇名ほどが体を鍛えているが、それ以外に見かけない。学校なのだから講義でもしているのかとも思ったが、窓の中に人影はまばらにしかない。卓人は場違いなところにきてしまったのではないかと不安に感じた。
「おや、タクトじゃないか」
この声には聞き覚えがあった。
「いやぁ、戻ってきたのか。また、女風呂のぞくトンネル掘ろうぜ」
爽やかにとんでもないことを言うのは、街で出会ったレヴァンニであった。
「あ、あの……戦争は、どうなったのかな?」
「おう、俺が兵学校に戻った頃には敵はまた全滅したってよ」
なんと、戦争は終わったのか。それはありがたい。卓人はほっと胸をなでおろした。
「そうか。記憶がないからきょろきょろしてたのか。連れてってやるよ、仮司令室に」
「仮?」
「そうだよ。また、いつ戦いが始まるかわからない状態だからな。この学校が最前線本部になってるのさ。仮のな」
「なんで仮なの?」
「軍の偉い人が入ってないからだよ。今ここにいるのは佐官級の人ばかりだ。まあ、この学校の教官ばっかりだ。だから『仮』なんだと。形式を気にするのはいいが、もう少しセンスのあるネーミングをしてほしいもんだがね……」
この男でも皮肉を言うのかと思うほどの親交はないのだが、彼がこのように憂患しているのは意外なことだと思った。
「なんだか、人が少ないね」
レヴァンニの人柄もあって、卓人は思ったことを自然に質問できた。
「ああ、たいていが塹壕をつくりに行っているからな」
レヴァンニの答え方は、初めて見る者への説明口調だった。
「俺たち予科生は戦場に出るかどうかの選択権がある。戦場に行かなかい者はこういう危険じゃないときに実地で勉強するのさ」
兵を育てる兵学校なのに、未熟な予科生を戦場に出して死なれては元も子もない。ただし能力のある者には戦場での経験の機会が与えられる。これは合理的な考え方である。
いくつか廊下を曲がって通された仮司令室は、仮というだけあって質素な部屋に軍旗と思われる竜と剣をあしらった旗のみが飾られていた。そこには六名の幹部と思われる厳格な雰囲気の男女が並んでいた。年齢は若く、高くても四〇代、若風な人は二〇代ではないだろうか。いずれもうぐいす色の制服に勲章らしきバッジをいくつも付けている。
中央に立つ最高齢であろう偉丈夫が発言した。
「ナナリのタクト。傷も十分に癒えぬうちによく戻ってきてくれた。感謝する」
ナナリというのは孤児院のある地域の地名である。この国ではある程度以上の身分の者のみが姓を名乗る習慣で、そうでなければ先のように出身地の後に名前を連ねて呼ぶのが通例となっている。
「ありがとうございます。怪我についてはもう十分に回復したと思います。これからがんばります」
卓人はそう返事すると、ぺこりと頭を下げた。
「おい」
「え?」
レヴァンニの指摘が何を指しているのかわからなかった。
「僭越ながら申し上げます。このタクトですが、先日の負傷の際に記憶をなくしてしまったようでございます。彼の礼の失するところ、代わりましてお詫び申し上げます」
半歩前へ進み出て、レヴァンニは美しい軍式敬礼をとった。
なるほど、ここは軍だった。
卓人もさっと敬礼をまねる。
「なんと、記憶がない……」
この情報は少なからず幹部たちをざわつかせた。
「それで、大丈夫なのか?」
「一般生活に問題はありません!」
「いや、そこじゃねえだろ」
卓人は今度こそはと思って軍人らしい返答を試みたが、即座に突っ込みが入った。ここは軍なのだから、軍人としてやっていけるのか、という問いであることに気づくのにそれから数秒を要した。
「お役に立てるならば、何でも致します!」
的外れな返答に幹部たちはしばらく沈黙した。
「まあ、それは仕方のないことだと思います。魔法のほうは大丈夫よね?」
問うてきたのは、いかにも魔法が使えそうな才女を思わせる女性幹部たった。
「はい。魔法もすべて忘れております。つきましては剣を振るうなり、物資を運搬するなり、何でも致します」
卓人としては使えないと思われないよう軍人としての覚悟を表したつもりだったが、その発言は幹部たちの目を丸くさせ、突っ込みを入れるレヴァンニの声は裏返っていた。
「だったらお前、何しにここにきたんだ?」
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