上 下
3 / 19
第一章

しおりを挟む
「ここまでくれば、大丈夫でしょ。」

 ぜえぜえと息を吐く。不破さんが追いかけてくるとは思えないが、一応お店が見えなくなるぐらいまでは全力でダッシュして逃げ出させてもらった。助けてもらったには大変にありがたい。助けてくれたのがイケメンだったというのも大変ありがたいことだが、あんなイケメンがこんな地味で何の面白みもない自分をただで助けてくれるとは思えない。ベンチャー企業の話だって大変怪しい。馬車馬のように働かされて、給料ももらえずに放り出される可能性だって高いのだ。
 
「大体、なんで死にそうになってるような人間を自分の会社に誘うのよ。その時点でおかしいでしょ。」
ブツブツと独り言を言いながら、家路を急ぐ。不破さんに車で連れてこられたから、もしかしたらものすごく遠いところまで来てしまったかと思ったが、見慣れた建物などを見つけて、逆に自分の家に近い場所だということが分かった。

 「とにかく、考えるべきことは不破さんじゃなくて、今の会社のことよね。」
 
踏切にいたときは、もうどうにもならないと思っていたはずなのに、今は何だか元気が湧いてきている。このまま今の会社に居続けてしまっては、本当に死んでしまう。そんな会社にしがみつく必要などないのではないか。
「しっかりしなさい、千佳子!自分を守れるのは自分しかいないのよ。あんな会社に殺されてたまるか!」

「いい心がけだね。」

「ひゃあ!」

突然、真後ろから声をかけられて飛び上がってしまった。急いで振り返ると、にやついた不破さんが立っていた。

「え、なんで!さっき!」
「ひどいなぁ。まだ話の途中だったのに、俺のこと置いて逃げるなんて。」
「ひぃ!」

またも不破さんが顔を寄せてきたので、慌てて距離をとる。

「…ねぇ、何で俺と距離とるの?」

すると、不破さんが拗ねたように口を尖らせた。なかなかの破壊力に顔が真っ赤に染まってしまう。

「いえ、あの、不破さんってちょっと距離が近すぎるかなぁって…。」
「え?でもこうすると、大概の女の子は喜んでくれるんだけどね。」

またも不破さんが顔を寄せてきてにっこりと笑う。この人、女の敵だな。

「私は嬉しくないです。むしろ迷惑です。」

 こういう人にははっきり言ってやらないとわからない。ここは勇気を出して言わないと!
今の会社でははっきりと言わなかったから、私に仕事が回ってきたということもあった。これからは嫌なことはしっかり拒否しよう。自分を守るためには必要なことだ。

「私はあなたになんと言われようと、あなたの会社に行くつもりはありませんから!」

 言ってやった!ちゃんと言ってやったぞ!私、一つ強くなれたかもしれない。

「…わかった。」
「え?」
「わかったっていったの。そのかわり、一つ俺のお願いごと聞いてくれない?」
「お願い?」
「そ。お願い。」

 自分の意見を言い切った達成感に浸っていると、不破さんが一歩後ろに下がって私のにっこりと微笑みかけてきた。これはこれで怖い。

「お願いって、変なことじゃないですよね?」
「いや、変なことじゃない。とっても簡単なことだよ。…俺と1か月間、お付き合いしてくんない?」
「…はい?」

それってめちゃくちゃ変なことじゃないですかね?


「き、君に辞めてもらっては困るんだよ!だいたい、こんな状況で辞めるなんて無責任するぎるとは思わないのか!」
「あー…。」

 善は急げとばかりに、踏切で死にかけた翌日には会社へと退職願いを出させてもらった。同じ部署の直属の上司は何も言わず、無表情で受け取ってくれた。やはり逃げ出す自分に怒っているのだろう。何も言えずにうつむいていたら、通り過ぎる瞬間に「悪かったな。元気でやれよ。」と小さな声で伝えてくれて涙が出そうだった。自分の部署はみんな一生懸命働いていた。私の面倒が見切れないほど忙しかっただけだ。人員削減した会社が悪かっただけなのだ。上司の方を振り向いて、その背中に深々と頭を下げた。

 大変なのはその後だった。上司から総務へと私の退職願いが引き渡されると、総務部長が顔を真っ赤にして怒鳴り込んできたのだ。同じ部署の人にも退職する旨を伝えて、さっさとデスク周りを片付けている最中だったので、その声の大きさに驚いて手に持っていたファイルを落としてしまった。

「君ねぇ!ほんとに無責任なんじゃないの?社会人なめてるの?ねぇ!それに、ほかの会社に行ったって、君みたいに仕事ができない人なんか雇ってくれないよ?うちぐらいだよ、君のことを雇ってあげられるのは。」
「っ…すいません。」
「わかってるんだったら、この退職願、破ってもいいよね?このことは上には黙っててあげるから、今日もしっかり仕事してね?」

 眼鏡をかけた小太りの総務部長がにやにやしながらうつむく私の顔を覗き込んでくる。


(また、こうやって黙ったままなの?)


冷や汗が出てくるのを感じる。何か反論をしないとと思うのに、言葉が出てこない。

「ねぇ!聞いてるの、君!」


(ひねくれてるねぇ、君)


 ぐぅっと腹の底から怒りが湧いてきた。思い出すのは昨日の不破さんの言葉。初対面の男から呆れたような顔で見られた。どいつもこいつも、私に何を言ってもいいと思っているんだろうか。何を言っても黙ってうつむいているだけだと思っているからひどい事を言われてしまうんだろうか。

(私は!私は!!)


「何言われても平気な訳じゃない!!!」
「ぎゃあ!」

 突然大声を出した私に、総務部長が驚いて一歩退いた。私は肩を怒らせて、小太りのおっさんに向き直る。

「私はこの会社を辞めるんです!この会社にはお世話になりましたが、このままここにい続けたら私、死んでしまうかもしれないです!」
「そんな…大げさな。」

 私の死ぬ発言に顔を青くした部長がポケットから取り出したハンカチで汗をかいた顔をふき始める。

「実際、昨日死にかけたんです!もう無理です!このままいたら本当に死にますよ!いいんですか!死ぬんだったら、総務部長のこと、道連れにしますよ!いいんですか!いいんですね!」
「ちょ、ま、まって!」
「一緒に死んでくれるんですね!うれしいです、一人だと寂しいと思っていたんですよ!さぁ、行きましょう!今すぐ行きましょう!」
「やめてくれ!わかったから!やめていい!君みたいな人間がいると会社が混乱するからな!じゃあ!」

私に無理やり引きずられそうになっていた部長は全力で私の腕を振り払って逃げて行った。

「勝った…やったーーーーー!」

ちゃんと言えた!総務部長にちゃんと言い返すことができたのだ!私は勝った!

「ちゃんと言える!ちゃんと言えたのよ、私!」

ちゃんと自分を守れたのだ。言われ続けるだけの自分じゃない。今日から自分は変わるのだ!


「やったーーー!」

「園崎さんって意外に熱かったんだな…。」
「よかったよ、大変そうだったし。」
「俺たちもちゃんと主張していこうぜ。死ぬ前に。」

死んだ目をしていた同じ部署の人たちが私の戦いを見て、会社と戦うための熱い闘志を燃やし始めていたのを知ったのはだいぶ後のことだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R-18】嫁ぎ相手は氷の鬼畜王子と聞いていたのですが……?【完結】

千紘コウ
恋愛
公爵令嬢のブランシュはその性格の悪さから“冷血令嬢”と呼ばれている。そんなブランシュに縁談が届く。相手は“氷の鬼畜王子”との二つ名がある隣国の王太子フェリクス。 ──S気の強い公爵令嬢が隣国のMっぽい鬼畜王子(疑惑)に嫁いでアレコレするけど勝てる気がしない話。 【注】女性主導でヒーローに乳○責めや自○強制、手○キする描写が2〜3話に集中しているので苦手な方はご自衛ください。挿入シーンは一瞬。 ※4話以降ギャグコメディ調強め ※他サイトにも掲載(こちらに掲載の分は少しだけ加筆修正等しています)、全8話(後日談含む)

慰み者の姫は新皇帝に溺愛される

苺野 あん
恋愛
小国の王女フォセットは、貢物として帝国の皇帝に差し出された。 皇帝は齢六十の老人で、十八歳になったばかりのフォセットは慰み者として弄ばれるはずだった。 ところが呼ばれた寝室にいたのは若き新皇帝で、フォセットは花嫁として迎えられることになる。 早速、二人の初夜が始まった。

[R18] 18禁ゲームの世界に御招待! 王子とヤらなきゃゲームが進まない。そんなのお断りします。

ピエール
恋愛
R18 がっつりエロです。ご注意下さい えーー!! 転生したら、いきなり推しと リアルセッ○スの真っ最中!!! ここって、もしかしたら??? 18禁PCゲーム ラブキャッスル[愛と欲望の宮廷]の世界 私って悪役令嬢のカトリーヌに転生しちゃってるの??? カトリーヌって•••、あの、淫乱の••• マズイ、非常にマズイ、貞操の危機だ!!! 私、確か、彼氏とドライブ中に事故に遭い•••• 異世界転生って事は、絶対彼氏も転生しているはず! だって[ラノベ]ではそれがお約束! 彼を探して、一緒に こんな世界から逃げ出してやる! カトリーヌの身体に、男達のイヤラシイ魔の手が伸びる。 果たして、主人公は、数々のエロイベントを乗り切る事が出来るのか? ゲームはエンディングを迎える事が出来るのか? そして、彼氏の行方は••• 攻略対象別 オムニバスエロです。 完結しておりますので最後までお楽しみいただけます。 (攻略対象に変態もいます。ご注意下さい)   

前世変態学生が転生し美麗令嬢に~4人の王族兄弟に淫乱メス化させられる

KUMA
恋愛
変態学生の立花律は交通事故にあい気付くと幼女になっていた。 城からは逃げ出せず次々と自分の事が好きだと言う王太子と王子達の4人兄弟に襲われ続け次第に男だった律は女の子の快感にはまる。

【完結】お義父様と義弟の溺愛が凄すぎる件

百合蝶
恋愛
お母様の再婚でロバーニ・サクチュアリ伯爵の義娘になったアリサ(8歳)。 そこには2歳年下のアレク(6歳)がいた。 いつもツンツンしていて、愛想が悪いが(実話・・・アリサをーーー。) それに引き替え、ロバーニ義父様はとても、いや異常にアリサに構いたがる! いいんだけど触りすぎ。 お母様も呆れからの憎しみも・・・ 溺愛義父様とツンツンアレクに愛されるアリサ。 デビュタントからアリサを気になる、アイザック殿下が現れーーーーー。 アリサはの気持ちは・・・。

先生!放課後の隣の教室から女子の喘ぎ声が聴こえました…

ヘロディア
恋愛
居残りを余儀なくされた高校生の主人公。 しかし、隣の部屋からかすかに女子の喘ぎ声が聴こえてくるのであった。 気になって覗いてみた主人公は、衝撃的な光景を目の当たりにする…

【完結】誰にも相手にされない壁の華、イケメン騎士にお持ち帰りされる。

三園 七詩
恋愛
独身の貴族が集められる、今で言う婚活パーティーそこに地味で地位も下のソフィアも参加することに…しかし誰にも話しかけらない壁の華とかしたソフィア。 それなのに気がつけば裸でベッドに寝ていた…隣にはイケメン騎士でパーティーの花形の男性が隣にいる。 頭を抱えるソフィアはその前の出来事を思い出した。 短編恋愛になってます。

【R18 大人女性向け】会社の飲み会帰りに年下イケメンにお持ち帰りされちゃいました

utsugi
恋愛
職場のイケメン後輩に飲み会帰りにお持ち帰りされちゃうお話です。 がっつりR18です。18歳未満の方は閲覧をご遠慮ください。

処理中です...