上 下
22 / 92
仕事

第4話

しおりを挟む
(なんであの方がこんな場所にいらっしゃるの?)

 先日のラシードとの婚約が決まって以来、ファニアは時の人となった。多くの貴族や令嬢が出席するパーティーに引っ張りだこで、息つく暇もないと聞いている。そして、めったにとれない休みの際はラシードと仲睦まじく過ごしているということも。

 アリアネスの心にどす黒い感情が広がるが、何とか気を散らした。

(今、考えるべきことはそんなことではないわ!早くあの方の安全を確保しなければ!)

 アリアネス自身も見回りをしてみてわかったことだが、この歓楽街は本当に治安が悪い。武術の心構えがある自分ならまだしも、天真爛漫で暴力とは無縁のファニアが男に捕まればひとたまりもない。

(本当はあの方がどうなっても構わないのだけれど…。)

 愛する女性が危険な目にあえば、ラシードが悲しむかもしれない。そう思うとほおってはおけなかった。

「確かこの路地に入られたわよね。」

 ファニアの姿が消えた薄暗い路地裏に到着し、アリアネスはゆっくりとその中へ入る。木箱が山積みになっていたり、酒のボトルが散乱していて、酷い有様だ。こんな場所から早くファニアを連れ出さなければならない。

「…ファニア様?いらっしゃるの?」

 囁くような小さい声で呼びかけながら前に進むと、大樽のそばに誰かがうずくまっている。

「ファニア様!」

 アリアネスは膝を抱え、ぼんやりと宙を見つめるファニスのそばに駆け寄る。

「こんなところで何をされているの!」

「あら?アリアネス様ではありませんか?あらあら!その髪はどうされたの?」

 ファニアがその大きな瞳をさらに見開き、アリアネスに尋ねる。 

「そんなことはどうでもよいのです。どうしてこんな所にいらっしゃるのですか?」  

「こんなとこ?あら、ここはどこかしら?」

 ぽややんと話すファニアにアリアネスはがっくりと脱力した。

「…ここは歓楽街ですわ。治安が悪い場所ですので、早めに帰られたほうがよろしいかと。お付きのものはどちらに?」

「お付きはいないわ。子猫を追いかけていたらこんなところに来てしまったのね。」

「お付きもなしにこんな所に来られては危険ですわ。わたくしが屋敷までお送りしますので、お帰りください。」

「お付きもなしにということであれば、あなたもですわアリアネス様。」

 ファニアが立ち上がり、にっこりと笑う。

「そのような町娘の姿で何をなされているの?」

「…わたくしは騎士団に入団いたしました。ですからお付きのものなど必要ありません。」

 アリアネスが自分よりも小さいファニアを見下ろしながら言うと、ファニアはあらと口元に手を当てる。 

「騎士団に入団されたのですか?あなたに楽をさせてくれる騎士を探すために?」

「…。」

 アリアネスは微笑して、ファニアの言葉を受け流す。 

「とにかく、ファニア様を屋敷までお送りしますわ。」

「いえ、わたくしは子猫が見つかるまで帰りません。」

 ファニアが頬を膨らませ、ぷいっと顔をそむける。 

「治安が悪いのであれば、子猫ちゃんも危ない目に合うかもしれません。ラシード様に見ていただく子猫なのですから、絶対に見つけますわ。」

 ファニアの口から出たラシードという言葉にアリアネスの体がびくりと反応する。それに気づいたファニアの口元がわずかに吊り上がった。

「ラシード様とアリアネス様の婚約の解消は非常に残念です。でもこれからはわたくしがラシード様を支えますから安心なさって。」

 ファニアの言葉にプライドもかなぐり捨てて怒鳴ってしまいそうになるが、こぶしを握り締め、なんとか抑える。

「ラシード様もわたくしのことをとてもかわいがってくださいます。すぐにでも結婚式を挙げたいと言われて困っていますの。」 

 ですから騎士団長などを目指されても無駄ですわと耳元で囁かれ、アリアネスはファニアから急いで距離をとった。
 怒りに震えるアリアネスの姿を見て、ファニアはうふふと意味深に笑う。

「あまり危ないことばかりされていると、体に傷を作って妻に迎えてくださる方がいなくなりますわよ。家に戻って淑女らしく過ごされてくださいな。」

「…余計なお世話ですわ。」

「あら、うふふ。」

「アリアネス様!」

 アリアネスがファニアを睨み付けていると、大通りの方からセレーナが急いで走ってくる。 

「ひとりで行動されると危険です!いったいどうされたのですかっ!!」

 アリアネスのそばまで寄ってきたセレーナがファニアの存在に気づき、形ばかりの礼をする。 

「これはファニア様。」

「ごきげんよう、アリアネスの従者。アリアネス様、わたくし子猫ちゃんも帰ってきたことですし、屋敷に戻りますわ。ごきげんよう。」 

「えっ?」

 アリアネスがファニアに視線を移すと、その腕には小さな子猫が抱えられていた。そして、その近くにはファニアの従者と思われる男が頭を下げて控えている。

 ファニアはよしよしと子猫の頭をなでながら、大通りに向かう。

(なんだかつかみどころのない方…。)

 アリアネスがその様子を眺めていると、「そういえば」とファニアが振り返った。

「妖精の加護などというおとぎ話に振り回されているうちは騎士団長などにはなれませんわ。妖精のことは妖精にしかわかりません。そんなに話が聞きたいなら妖精自身にお聞きすればよいのです。」

「どうしてその話を…。」

 アリアネスが茫然として尋ねると「さて、どうしてでしょう。」とファニアが再び笑い、大通りに止めてある馬車に乗り込んで去って行った。



「結局、手がかりは見つからなかったわね…。」

 夜間の歓楽街での見回りを終え、騎士団の自室に帰ってきたアリアネスは溜息をつく。結局、アリアネスを含めた全員が妖精の加護に関する情報を何も手にすることはできなかった。 

「あの、女…。自分のことは棚に上げお嬢様のことを好き放題…。殺してやればよかったでしょうか?」

 容姿しか取り柄のない女だとアリアネスに罵声を浴びせたキウラのことを思い出し、セレーナがぎりっと唇をかみしめる。

「おやめさない。それよりも…。」

 ベッドに倒れこんだアリアネスはファニアの言葉を思い出す。

(妖精のことは妖精にしかわかりませ。)

「…妖精なんて単なるおとぎ話よ。建国時の加護もオルドネア帝国の権威を高めるために後付けされたものだと言われているし。」

「そうですね。妖精なんて子供だけが信じる存在です。…悔しいですがファニア様の言うとおり、そんな与太話に振り回されるべきではないのかもしれません。」

夜着に着替えながらセレーナが言う。 

「…そうなのかしら。」

 どうしてもファニアの言葉がひっかかる。うんうんとうなりながら考えるが、疲れからか思考がうまくまとまらない。明日も早いので早く寝ましょうとセレーナに促され、アリアネスはいつのまにか眠りについていた。


 明朝の訓練と昼間の町の巡回、そして夜間の歓楽街での情報収集を続け、気づけば初めての休みの日になった。
 相変わらず、アリアネスたちをからかってくる騎士には訓練中に教育的指導を行い、昼間は多発する強盗などを警戒。夜は妖精の加護に関する聞き込み。さすがのアリアネスも疲れ切って、自室の椅子にぐったりと座り込んでいた。

「やっぱり騎士団の仕事は厳しいわ。でも自分が成長できていると思えばそんなに悪くないわね。」

「…お嬢様は本当に変わっておられますね。脳みそが筋肉でできておられるのかも、んん!失礼いたしまいた。」

「セレーナ、騎士団に入ってあなたの口の悪さも助長されたのではない?」 

「申し訳ありません。」

 全く申し訳なく思っていない顔でセレーナが謝る。

「それにしても、妖精の加護っていったいなんなのかしら。」

 アリアネスはセレーナが入れてくれたお茶を飲みながらつぶやく。第10支団を上げて歓楽街での情報収集にあたっているにも関わらず、未だに手がかりは見つかっていない。 

「妖精…妖精…。」 

「お嬢様、仕事のことは忘れて、本日はゆっくりされた方が…。」

「そうだわ!!!!」

 突然アリアネスが勢いよく立ち上がる。

「そうよ!妖精よ!誰よりも妖精に詳しい方がいるのを忘れていたわ!!」

 アリアネスがバタバタとあわてて服を着替える。

「お嬢様!?どちらに?」

「セレーナ急いで準備を。『妖精狂い』の屋敷に行くわよ。」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王子妃だった記憶はもう消えました。

cyaru
恋愛
記憶を失った第二王子妃シルヴェーヌ。シルヴェーヌに寄り添う騎士クロヴィス。 元々は王太子であるセレスタンの婚約者だったにも関わらず、嫁いだのは第二王子ディオンの元だった。 実家の公爵家にも疎まれ、夫となった第二王子ディオンには愛する人がいる。 記憶が戻っても自分に居場所はあるのだろうかと悩むシルヴェーヌだった。 記憶を取り戻そうと動き始めたシルヴェーヌを支えるものと、邪魔するものが居る。 記憶が戻った時、それは、それまでの日常が崩れる時だった。 ★1話目の文末に時間的流れの追記をしました(7月26日) ●ゆっくりめの更新です(ちょっと本業とダブルヘッダーなので) ●ルビ多め。鬱陶しく感じる方もいるかも知れませんがご了承ください。  敢えて常用漢字などの読み方を変えている部分もあります。 ●作中の通貨単位はケラ。1ケラ=1円くらいの感じです。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※異世界の創作話です。時代設定、史実に基づいた話ではありません。リアルな世界の常識と混同されないようお願いします。 ※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義です。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。登場人物、場所全て架空です。 ※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

【完結】王子妃候補をクビになった公爵令嬢は、拗らせた初恋の思い出だけで生きていく

たまこ
恋愛
 10年の間、王子妃教育を受けてきた公爵令嬢シャーロットは、政治的な背景から王子妃候補をクビになってしまう。  多額の慰謝料を貰ったものの、婚約者を見つけることは絶望的な状況であり、シャーロットは結婚は諦めて公爵家の仕事に打ち込む。  もう会えないであろう初恋の相手のことだけを想って、生涯を終えるのだと覚悟していたのだが…。

そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?

氷雨そら
恋愛
 結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。  そしておそらく旦那様は理解した。  私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。  ――――でも、それだって理由はある。  前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。  しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。 「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。  そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。  お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!  かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。  小説家になろうにも掲載しています。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

完結 愛人と名乗る女がいる

音爽(ネソウ)
恋愛
ある日、夫の恋人を名乗る女がやってきて……

【完結】記憶を失くした貴方には、わたし達家族は要らないようです

たろ
恋愛
騎士であった夫が突然川に落ちて死んだと聞かされたラフェ。 お腹には赤ちゃんがいることが分かったばかりなのに。 これからどうやって暮らしていけばいいのか…… 子供と二人で何とか頑張って暮らし始めたのに…… そして………

【完結】身を引いたつもりが逆効果でした

風見ゆうみ
恋愛
6年前に別れの言葉もなく、あたしの前から姿を消した彼と再会したのは、王子の婚約パレードの時だった。 一緒に遊んでいた頃には知らなかったけれど、彼は実は王子だったらしい。しかもあたしの親友と彼の弟も幼い頃に将来の約束をしていたようで・・・・・。 平民と王族ではつりあわない、そう思い、身を引こうとしたのだけど、なぜか逃してくれません! というか、婚約者にされそうです!

処理中です...