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最終話 クモの巣にとらえられたゴリラみたいになってるけどまだ、生きてる

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「ウホウホウホ」

 というゴリラの声がきこえるが、ここはアフリカではなく、日本である。
 おれのすぐそばには、ロープが複雑に組みあわされてそびえ立つピラミッドのような遊具があり、ジャングルなどでもない。

 というかゴリラのような声を発しているのは、ほかならぬおれである。

「キャッキャ」

 おれがロープをにぎりつつウホウホとゴリラの真似まねをすると2歳になるめいっ子がたいへんによろこぶので、やむなくである。
 おれだって家のなかならノリノリでやるが、ほかにも見知らぬこどもたちが何人かあそんでいる公園でやるのはいささか恥ずかしい。
 おれのことゆびさして笑っている男の子もいるし。

「ほーらゴリラさんだよー。おなかは最近またちょっとタプタプしてきたけどウホウホのゴリラさん」

「おなか関係なくないウホ?」

 その姪っ子を抱っこして、あやしながらおれのおなかをけなしてきた妻に胸をドラミングしつつ反論する。

 あれから10年が経った。

 あれからっていつからだよって感じだけど、火事の日からだ。
 おれが、カバネちゃんと会った最後の日でもある。

 なんか、まあ、いろいろあった。

 火事でヤケドを負った結果入院することになったり、
 なかでたおれていた娘さんをたすけたことでほめられたり「被害が増えただけだから専門家にまかせるべきだった」と怒られたり、
 あの日に受けた、まったく手ごたえのなかった試験が合格していたり、
 ミオナさんが別件で逮捕されたとかで警察の事情聴取を受けたり、
 しばらく利根とね先生のもとで働かせてもらって、税理士の資格が取れたので独立したり(勉強しはじめてから10年かかった)、
 独立してからの1年ほっとんど仕事がとれなくて貯金が0円になりかけたり(タケシさんがおれに仕事を依頼しつづけてくれなかったら完全に破産していた)、
 火事でたすけた娘さんとなんやかんや連絡とりあうようになって結婚したり、

 まあ、とにかくいろいろあった。
 いろいろあったけど、どうにか、まだ生きている。

 おれの頬から首、肩にかけて、消えないヤケドの跡がのこったせいで、はじめて会うお客さんにはギョッとされることも多い(そんで契約がとれない)。
 ただ、もう開き直って「人助けしたらヤケドを負ったけどそのとき助けた人が妻になりました税理士」などという珍妙な肩書きで売り出した結果、意外とおもしろがって契約してくれる人が増え、どうにか生活できるぐらいは仕事が入るようになった。
 ネットがあってたすかった。

 それに、夜逃げした元社長からかけられたことばは本当に心が折れるものばっかりだったけれど、仕事に関しては思っていたよりしっかりしていたらしく、ほかの事務所へ行っても、独立しても、じゅうぶんにやっていくことができた。

 そういういろんなことが、一面だけじゃなくて、「ああ、そういうこともあるんだな」と、思えた。
 あのときのすべてを肯定することなんていまでもとてもできないけど、同時に、すべてを否定できるわけでもない。
 いいことも、わるいことも、自分で選ぶこともできないままに、自分の血と肉の一部になっている。

 死神のカバネちゃんとは、あのとき以来会っていない。

 燃える家にとびこんだあと、意識をうしなっていた娘さんを肩で支え、床を這うように移動したのはいいが、はりが崩落しておれは逃げる道がわからなくなっていた。

 ジリジリと熱でかれ、頭痛もしてきて「結局、時間切れだったのか……」と観念しはじめたそのとき、

 ――こっちだよ。

 自分のゴホゴホと咳きこむ声と、バチバチと木がはじけるように焼ける音と、消防車のサイレンが遠くひびくなか、たしかに、そんな声がきこえた。

 声にみちびかれるように這っていくと、かろうじて無事だった勝手口にたどりつき、ドアノブをにぎったところで意識を失ったもののじきに救助されておれも妻もどうにかたすかったのだった。

 あれは、カバネちゃんの声だったんだろうと、いまも思っている。

 ――おれはまだ、生きてる。しょっちゅううまく行かなくて、生きぎたなくあがきながら、まだ生きてるよ。

 苦しいことが多かったから、生きててよかったとは、まだ、いえない。
 「自殺なんてしないほうがいい」とは、あのとき、はじめて首を吊ろうとしたときの自分に対してさえ、いえない。

 でも、生きていてよかったことも、ある。

 それはきっと、あのときカバネちゃんがおれをとめてくれたから、得られたものではあったろう。

「なに、どうしたの?」

 ゴリラ中に考えにふけっていたところ、妻の声でふとわれにかえると、姪っ子(妻の妹夫婦がデートに行くというので半日あずかっている)が頭上のある1点を指さしていることに気がついた。

「……あっ、あっ、ネコちゃんが!」

 妻がさけぶのと同時に、事態を把握した。
 先ほど、ネコがやってきてピョンピョンとピラミッドの頂点まではねていったのだが、頂点のあたりでバランスをくずしたのか「ふにゃにゃにゃにゃ!」とさけんでロープから落ちかけている。

 ずいぶん運動神経のわるいネコだ(おれみたいだ)と思いつつ、「ふにゃにゃ」と前肢まえあしで器用にピラミッドを構成するロープにしがみつき、しかし今度はうしろあしがずり落ちてといまにも落下寸前で奮闘していた、のだが――

 ――落ちたっ!

 そう思うと、おれはのぼり途中のロープから思いっきりネコ目がけてジャンプしていた。
 頂点から地面は3メートルほどあり、地面と激突するネコちゃんを想像してとっさに飛び出ていたのだったが、おれののばした手はまったくネコの役に立たず、ぶにゅりと空中に浮かぶおれの頭を踏み台にしてかろやかにネコはロープに着地した。

 おれはそのいきおいのまま複雑にからみあうロープに頭からつっこみ、「んのほぉ!」と悲鳴をあげると頭と胴体と腕と脚とがそれぞれロープにからめとられてしまった。
 まるで、四肢がバラバラにあやつられるへたくそマリオネット、あるいはB級ホラー映画に出てくる巨大グモの巣に籠絡ろうらくされたゴリラのごとき様相である。

「……た、た、たすけてください」

 ロープに各部を締めつけられてまったくうごくことができず、妻にヘルプを出す。
 ネコを地面で受けとめようとしたらしく、姪っ子とともにすぐ近くまで来ていた妻は

「どうしたらこうなるのよ」

 と笑いながらおれをロープから救い出そうとしてくれる。

「痛い痛い痛い痛い」

 腕の肉がロープにぎゅっとはさまり、それをどうにかこうともがいたら首がロープに絞められた。

「ぐぇぇぇぇ」

「ちょっとちょっと首はまずいってあいたたたた」

 妻があわてて首とロープのあいだに手をはさんでたすけてくれる。
 ゲホゲホとなんとかのがれて、脚がちょっと自由になってきたなと思ったら、ぐるんとからだが逆さになってしまった。

「あっははははもうどうしようもないわこれ!」

「ほんと……すみません……」

 あきれすぎたのか妻が声をあげて笑い、姪っ子もいっしょになってキャッキャとはしゃぎ、地面近くにきたおれの頭をペシペシとたたく。これやめなさい。

 あーあなんでこんな毎回きまらないんだろうとちょっとへこんでいると、先ほどのネコが去りながらもこちらを振りかえり「なーん」と鳴いた。

 それがお礼を伝えているようにも見えて、すこし笑ってしまう。

 逆さのままあたりを見ると、一面に緑が広がっている。
 花が咲いている。
 木々が風にゆれてざわめく。
 こどもたちのはしゃぐ声がする。
 走るおじいちゃんがいる。
 自転車のカゴに犬がのっている。
 おれが呼吸をする。
 首についたロープのあとが痛む。痛みを感じている。
 おれは、まだ、ここで生きている。

 風にのって、「フヒッ」という声がきこえたような気がした。
 逆さのまま目を向けると、ただどこまでも青い空しかなくて、なるほどたしかに気もちがいいもんだと口のなかでつぶやく。
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