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:第8章 「窮地」

・8-5 第180話:「脱出:1」

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・8-5 第180話:「脱出:1」

 ケストバレーの唯一の出入り口である城門に向かって、早くも人の流れができあがっていた。
 街の複数のか所で次々と立ち上る煙。それは他の建物に燃え移らないように調整された火だったが、そのことを知らない街の人々からすれば、これまでに経験したこともないような大火事が起こっていると思えてしまう。
 大急ぎで、できるだけの家財道具や財産と呼べるものを持ち出し、家族が離れ離れにならないようにしっかりと手を取り合って、建物のない安全な城外めがけ、着の身着のままの住民たちが向かっていく。
 人間はもちろん、ドワーフや、猫人(ナオナー)、犬人(ワウ)、鼠人(マウキー)。まだ源九郎が名前の知らない姿をした種族たちもたくさんいる。
 みな、焼け死にたくはないと必死の形相で進んでいく。
 一斉に人々が城門に殺到しようとしたため、通りは混雑していた。商人なのか、できるだけの品物を持って逃げ出そうと馬車で乗り入れて来た者がおり、そのせいで余計に交通が混乱してしまっている。
 悲鳴と怒号がいくつも折り重なり、途切れることなく飛び交っている。
 その中を、源九郎と珠穂、そして小夜風は、誰よりも素早く駆け抜けていった。
 そうすることが出来たのは、表通りを避け、裏通りを使ったからだ。珠穂の事前調査は入念なものであり、城門に向かって集中する人の動きをうまく回避するルートをしっかりと用意してくれていた。

「あっ、おさむれーさま! 巫女さまに、キツネさんも! 」

 居住区の裏路地に設定しておいた合流場所で、フィーナとセシリアが待っていた。

「ラウルは!? ラウルがいませんわよ!? 」

 源九郎の姿を目にして嬉しそうに駆けよって来た元村娘とは対照的に、お嬢様は不安と焦りの表情を浮かべている。
 サムライは、言葉に詰まってしまった。
 犬頭の獣人の安否をきちんと確かめずに逃げて来てしまったのだ。そのことをどう説明すればいいのかわからない。

「すまぬが、ラウル殿とははぐれてしまったのじゃ」

 淡々とした口調でそう告げたのは、珠穂だった。

「小夜風とは合流することが出来たが、ラウル殿がどうなったのか、詳しいことは分からぬ」
「そんな! 置いて来たっていうことですの!? 」
「そうじゃ。……そもそも、そういう手はずになっておったであろう? 」

 血相を変え、つかみかかるような勢いで詰め寄るセシリアのことを編み笠の下から鋭い視線がまっすぐに見上げる。
 その眼光に射すくめられて、お嬢様はたじろいで声を詰まらせた。

「行方はわからぬが、敵に捕まったとも限らぬのじゃ。案外、うまく逃げ出して、敵に気取られぬように城外へ向かっておるかもしれぬ。……それを、無理に探し回って、わらわたちが敵に捕まるわけにはいかぬであろうが」
「そ、それは、そうかもしれませんが……」
「念のために、城外で落ち合う集合場所も決めてあったであろう? 今はひとまずそこに向かい、どうするべきかはそれから考えるべきじゃ。案外、ラウル殿も直接、そっちの方に向かっておる可能性もあるからの」

 珠穂の言っていることは、希望的観測に過ぎないことだった。
 もしトラブルになって、散り散りにケストバレーから逃げ出さなければならなくなった場合に備えて、城外にも集合場所を決めてあるのは本当だった。少し離れた場所にここに来るまでの道中で休息に使った洞穴があり、そこならばみなが迷わずにたどり着けるだろうということで、もしもの時はそこに集まることになっている。
 ラウルのことについては、ほとんどなにもわからない。
 その安否も、どこにいるのかも不明。
 鉱山から逃げ出して、追手を逃れ、単身で安全な道で谷の外に向かっているというのは推測でしかない。
 ウソ、と言ってもいいほどのものに過ぎない。
 だが、それは必要なものだった。
 いくら犬頭のことが心配だからといってここで待ち続け、敵に捕まってしまうわけにはいかない。なによりも大切なのは、無事に逃げ出し、そしてことの顛末(てんまつ)をトパスたちに報告することだった。
 シュリュード男爵の悪事を暴こうとしていた、ということから、おそらくあの禿頭のドワーフの正体は、なんらかの捜査機関に属する人間なのだろう。
 贋金作りの決定的な証拠を持ち帰ることが出来ずとも、すでに鉱山では金の採掘が停止しており、貨幣の鋳造所も開店休業状態だということが判明している。
 それなのにノルマ通りに王都にこの谷で鋳造したと称する貨幣が納められている状況証拠だけでも、男爵を[クロ]と判断するには十分なものだ。
 まずはこの場を脱出し、安全な場所までたどり着く。
 そしてそこで待ってみて、ラウルが合流して来ればそでていい。そうならなかったとしても、王都まで戻って報告をするのが、最低限やらなければならないことだ。
 それに犬頭は、なによりお嬢様のことを心配している様子だった。
 彼女がこのまま谷を逃げ出すことを躊躇(ちゅうちょ)する気持ちはよくわかるし当然のものではあったが、無事に連れ出すということがラウルの願いだろう。
 言いにくいことを率先して口にしてくれた珠穂の胆力に感謝しながら、源九郎もようやく口を開く。

「お嬢ちゃん。辛いのは分かるけどよ、ここで男爵に捕まっちまうわけにはいかねぇんだ。なによりもまず、報告。そうすればきっと、男爵をとっちめてやるために動いてくれる人たちがいる。……なぁに、外に逃げた後でラウルと合流できなかったら、その時はまた二手に分かれて、なんとか助け出しに向かう組と、王都に知らせて援軍を頼む組に分かれればいいんだ。男爵の手下どもに殴り込みをかけなきゃいけなくなったら、俺が真っ先に飛び込んで行って、そんで、ラウルの野郎を連れ帰ってやるさ」
「……わかり、ましたわ」

 セシリアはまだ、すべてを受け入れることはできていない様子だった。
 しかし、自分たちがやるべきことは分かったのだろう。
 ぎゅっと両手の拳を強く握りしめたままだったが、それでも彼女はうなずいていた。
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