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:序章 「交通警備員・田中 賢二」
・0-9 第9話 「帰宅」
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・0-9 第9話 「帰宅」
賢二の自宅は、ここからそこまで遠くはない。
歩いて15分ほどの距離だった。
だが、賢二は気持ちよく酔っていた。
だから自宅に帰り着くまでに、普段の倍、30分ほどもかかってしまった。
タクシーを使おうかとも思ったが、賢二は思いとどまった。
丸一日分の労働の対価を景気よく浪費してしまった後で、あまり無駄遣いはできない。
賢二の中に残った、アルコールでも消し去ることのできなかったそんな世知辛い生活感覚が、賢二に躊躇させたのだ。
それに、少し歩きたい気分でもあった。
前へ、前へと、歩くことだけに集中すると、賢二の心の内側にある雑念が消え去って、心が軽くなって行くような気がしたからだ。
やがて賢二がたどり着いたのは、古い、2階建てのアパートだった。
1人暮らし向けの1Kと呼ばれる種類の部屋がずらっと敷き詰められるように並べられた建物で、その2階の1室が賢二の自宅となっている。
賢二は今日、40歳となった。
アラサーからアラフォーへと、また1つ、大台を超えたことになる。
だが、今も独身で、1人暮らしをしている。
賢二は、立花 源九郎となるために、すべてを賭けていたのだ。
それはもちろん、気になるような女性がいたこともあったが、賢二は結局自分の夢だけを追い求めることを選び、そして、誕生日だというのにそれを一緒に祝ってくれる人もいない、寂しい人生を送っている。
もっとも、賢二はこの独身生活が好きだった。
自分のことだけを考えていればいいので気持ちが楽だったし、自分の都合だけで暮らしているので、時間の使い方を自由にできる。
寂しいと感じることは確かにある。
自分の子供であってもおかしくないような年齢の子供と、自分と同い年ほどの親が、親子一緒になって楽しそうに歩いている様子などを目にした時は、特に強く寂しさを感じる。
それは、自分には手の届かない幸せだからだ。
今から相手を探すということもできるだろう。
賢二は誰もが思い描くようなイケメンではなかったが、その顔立ちは十分に個性的で、役者が務まるくらいには整っているし、役者を引退したのちも身体を鍛えることは止めていないので、身体つきも十分に魅力的なものだろう。
だが、賢二は財産というものを持っていない。
立花 源九郎として成功していた時にはかなりの収入があり、今でもその時に作った貯金が残っているほどだったが、しかし、将来もずっと安泰というほどではない。
そして今の収入は、心もとないと言っていい。
現実的に考えると、こんな状態で結婚をし、過程を築くのは、難しいとしか思えない。
家族が増えればその分食費や光熱費などがかさむし、家も広い場所に引っ越さねばならないし、なにより、子供でも生まれたら、その子供のためにたくさんのお金がかかる。
このまま、気楽なその日ぐらしを続けていくことが、今の賢二にとってはもっとも無理のない生き方であるように思われた。
(ま、あんまり深刻に考えないようにしましょーかね)
賢二は自身が暮らしている古ぼけたアパートを見上げながら街灯の明かりの下で立ち止まっていたのだが、そう自分に言い聞かせると、家に戻るためにアパートの階段へと向かって行った。
酔っていたのであまり気にならなかったのだが、気温がずいぶんと下がってきている。
今から風呂を沸かして入るというのはなかなか億劫な作業だったが、それでも入りたいと思うほど、身体は冷えてきている。
酒を飲むと、一時的に体温があがるのだが、それは血流が盛んになって身体の深部の血液が表面に流れて来るからで、実際に熱の発生量が増えているわけではない。
そして血流が盛んになって多くの血が身体の表面をめぐるということは、その分急速に体温が外気に吸い取られていくということで、酔いがさめるころにはすっかり身体が冷え切っているというのはよくあることなのだ。
酔っ払いが冬なのに路上で寝てしまい、凍死してしまう、なんてことが起こることがあるのは、これが原因だった。
「う~、さぶ、さぶ」
歩いている間に多少アルコールが分解され、酔いがさめてきた賢二は、寒さを感じながら自身の身体の前で両腕を組み、自分を抱きしめるようにしながら、アパートの階段を上っていく。
滑り止めのついた薄い鋼鈑で作られた階段を登っていくと、1段ごとにカン、カン、と乾いた音が響く。
夜もふけて来て人通りも少なくなっていたし、アパートの周囲は住宅街で表通りからは遠いから、本来であればさほど大きくもないはずのその音は、よく響く。
「おぅ、もう、10時かぁ……」
スマホを取り出して現在時刻を確認した賢二は、しまった、と言うような声をあげた。
まださして遅い時間とも言えないかもしれないが、賢二は明日も仕事をひかえている。
それも、けっこう早起きをして出勤しなければならない。
工事現場の朝というのは、早いものなのだ。
その日になにをやるかということは事前に打ち合わせして取り決められているが、作業の進み具合によって調整する必要が出てそのことをあらためて相談しなければいけないということもあったし、安全に作業をするために、現場を管理している現場監督からその日の作業内容に沿った安全注意事項の指摘を受けたり、ラジオ体操などをして準備運動をしたりしなければならない。
少なくとも6時には起きて、7時前には通勤を開始しなければならないだろう。
とすると、あまりのんびりもしていられなかった。
だが、賢二は階段を登りきろうかというところで、急に立ち止まらなければならなかった。
なぜなら、階段を登ったその先に、1人の男性が立っていたからだ。
このアパートには賢二以外にも住んでいる人がいるから、そういった隣人たちと出くわすことはよくあることだった。
しかし賢二が帰って来るのを待っていたような様子のその人物は、このアパートの住人ではなかった。
そして賢二は、その男性のことを知っていた。
その男の名は、早川 光明。
賢二が怪我の後遺症で引退せざるを得なかった後、賢二が主役となるはずだった作品の主役となり、賢二が立花 源九郎として出演した最後の作品を完成させた、元共演者だったからだ。
賢二の自宅は、ここからそこまで遠くはない。
歩いて15分ほどの距離だった。
だが、賢二は気持ちよく酔っていた。
だから自宅に帰り着くまでに、普段の倍、30分ほどもかかってしまった。
タクシーを使おうかとも思ったが、賢二は思いとどまった。
丸一日分の労働の対価を景気よく浪費してしまった後で、あまり無駄遣いはできない。
賢二の中に残った、アルコールでも消し去ることのできなかったそんな世知辛い生活感覚が、賢二に躊躇させたのだ。
それに、少し歩きたい気分でもあった。
前へ、前へと、歩くことだけに集中すると、賢二の心の内側にある雑念が消え去って、心が軽くなって行くような気がしたからだ。
やがて賢二がたどり着いたのは、古い、2階建てのアパートだった。
1人暮らし向けの1Kと呼ばれる種類の部屋がずらっと敷き詰められるように並べられた建物で、その2階の1室が賢二の自宅となっている。
賢二は今日、40歳となった。
アラサーからアラフォーへと、また1つ、大台を超えたことになる。
だが、今も独身で、1人暮らしをしている。
賢二は、立花 源九郎となるために、すべてを賭けていたのだ。
それはもちろん、気になるような女性がいたこともあったが、賢二は結局自分の夢だけを追い求めることを選び、そして、誕生日だというのにそれを一緒に祝ってくれる人もいない、寂しい人生を送っている。
もっとも、賢二はこの独身生活が好きだった。
自分のことだけを考えていればいいので気持ちが楽だったし、自分の都合だけで暮らしているので、時間の使い方を自由にできる。
寂しいと感じることは確かにある。
自分の子供であってもおかしくないような年齢の子供と、自分と同い年ほどの親が、親子一緒になって楽しそうに歩いている様子などを目にした時は、特に強く寂しさを感じる。
それは、自分には手の届かない幸せだからだ。
今から相手を探すということもできるだろう。
賢二は誰もが思い描くようなイケメンではなかったが、その顔立ちは十分に個性的で、役者が務まるくらいには整っているし、役者を引退したのちも身体を鍛えることは止めていないので、身体つきも十分に魅力的なものだろう。
だが、賢二は財産というものを持っていない。
立花 源九郎として成功していた時にはかなりの収入があり、今でもその時に作った貯金が残っているほどだったが、しかし、将来もずっと安泰というほどではない。
そして今の収入は、心もとないと言っていい。
現実的に考えると、こんな状態で結婚をし、過程を築くのは、難しいとしか思えない。
家族が増えればその分食費や光熱費などがかさむし、家も広い場所に引っ越さねばならないし、なにより、子供でも生まれたら、その子供のためにたくさんのお金がかかる。
このまま、気楽なその日ぐらしを続けていくことが、今の賢二にとってはもっとも無理のない生き方であるように思われた。
(ま、あんまり深刻に考えないようにしましょーかね)
賢二は自身が暮らしている古ぼけたアパートを見上げながら街灯の明かりの下で立ち止まっていたのだが、そう自分に言い聞かせると、家に戻るためにアパートの階段へと向かって行った。
酔っていたのであまり気にならなかったのだが、気温がずいぶんと下がってきている。
今から風呂を沸かして入るというのはなかなか億劫な作業だったが、それでも入りたいと思うほど、身体は冷えてきている。
酒を飲むと、一時的に体温があがるのだが、それは血流が盛んになって身体の深部の血液が表面に流れて来るからで、実際に熱の発生量が増えているわけではない。
そして血流が盛んになって多くの血が身体の表面をめぐるということは、その分急速に体温が外気に吸い取られていくということで、酔いがさめるころにはすっかり身体が冷え切っているというのはよくあることなのだ。
酔っ払いが冬なのに路上で寝てしまい、凍死してしまう、なんてことが起こることがあるのは、これが原因だった。
「う~、さぶ、さぶ」
歩いている間に多少アルコールが分解され、酔いがさめてきた賢二は、寒さを感じながら自身の身体の前で両腕を組み、自分を抱きしめるようにしながら、アパートの階段を上っていく。
滑り止めのついた薄い鋼鈑で作られた階段を登っていくと、1段ごとにカン、カン、と乾いた音が響く。
夜もふけて来て人通りも少なくなっていたし、アパートの周囲は住宅街で表通りからは遠いから、本来であればさほど大きくもないはずのその音は、よく響く。
「おぅ、もう、10時かぁ……」
スマホを取り出して現在時刻を確認した賢二は、しまった、と言うような声をあげた。
まださして遅い時間とも言えないかもしれないが、賢二は明日も仕事をひかえている。
それも、けっこう早起きをして出勤しなければならない。
工事現場の朝というのは、早いものなのだ。
その日になにをやるかということは事前に打ち合わせして取り決められているが、作業の進み具合によって調整する必要が出てそのことをあらためて相談しなければいけないということもあったし、安全に作業をするために、現場を管理している現場監督からその日の作業内容に沿った安全注意事項の指摘を受けたり、ラジオ体操などをして準備運動をしたりしなければならない。
少なくとも6時には起きて、7時前には通勤を開始しなければならないだろう。
とすると、あまりのんびりもしていられなかった。
だが、賢二は階段を登りきろうかというところで、急に立ち止まらなければならなかった。
なぜなら、階段を登ったその先に、1人の男性が立っていたからだ。
このアパートには賢二以外にも住んでいる人がいるから、そういった隣人たちと出くわすことはよくあることだった。
しかし賢二が帰って来るのを待っていたような様子のその人物は、このアパートの住人ではなかった。
そして賢二は、その男性のことを知っていた。
その男の名は、早川 光明。
賢二が怪我の後遺症で引退せざるを得なかった後、賢二が主役となるはずだった作品の主役となり、賢二が立花 源九郎として出演した最後の作品を完成させた、元共演者だったからだ。
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