180 / 232
第十一章:「海の向こうから」
・11-15 第179話:「港」
しおりを挟む
・11-15 第179話:「港」
ノルトハーフェン駅でも思ったことだったが、この街の変わり様は、大きかった。
エドゥアルドが工業化を推進したことで工場が増え、それに伴って人口も増加した。
必然的に市域は拡大し、かつては存在しなかった建物の姿が数多く見られる。
乗合馬車の車窓から眺めていると、変化の巨大さを実感せずにはいられなかった。
(あ、この場所は……)
中でも衝撃的だったのは、———ルーシェがかつて暮らしていた、スラム街の変わり様だった。
つい数年前まで、自分が暮らしていた場所。
屋根もなく、まともな壁もなく。
二匹の家族と寄り添い、寒さに震え、飢えに苦しめられながら、息も絶え絶えに生きていた街。
面影は残っていた。
通りの形は、当時のままなのだ。
だが、そこにある建物は、様変わりしている。
すっかり廃れて、窓にはガラスもなく、吹きさらしか木の板が打ち付けてあるだけという有様で、浮浪者があちこちにうずくまり、掃除もされずにゴミが溜まり不潔だったのに。
今や、建物は修繕されるかきれいなものに再建され、ごく一般的な労働者たちが暮らしている。
ルーシェが二匹の家族と共に暮らしていたねぐらも、ちらりと車窓から見えた限りでは、新しく建物が作り直されて、影も形もない。
エドゥアルドの改革と、その政策を引き継いだヨーゼフの統治。
その影響だろう。
できるだけ多くの人々に生業を与え、困窮することがないようにという方針で職を作り、同時に社会全体で弱者を救済することのコストを負担するという方針が、スラム街を普通の街に変貌させた。
といってもこれは、市街の拡大によるところも大きいかもしれない。
かつてこの場所は街はずれであったが、今はもっと市域が広がり市の中心に取り込まれたため、土地の価値が上がり、以前よりも収入のある人々が移住して来て再開発が進んだ、という側面もあるだろう。
現に、新たに街はずれとなったかつての郊外には、貧しい人々が暮らす街があるのだという。
だがたとえそうであっても、過去にあったスラムとはまるで異なっていた。
その貧民街で暮らす人々は、節約をしなければならなかったが日々の食事はなんとかなっているし、病気になっても療養するために休息するだけの蓄えがあり、そして屋根も壁もある住居を持っている。
また、行政の側も、彼らが生活を立て直せるように支援を行い、職場を増やして生きる術を失うことがないように気を配っている。
明日には、人知れずに消え去っているかもしれない。
かつてルーシェたちが味わったような絶望感はなかった。
完璧ではないかもしれないが、エドゥアルドたちの統治下で確実に、改善はされている。
すっかり変わり果てた、それでも通りの形などに面影を残す街並みを通り抜ける際、メイドの内心は複雑であったが、それでも最終的に(よかった……)と安心することができたのは、自分は仕える人を誤っていないと実感することができたからだった。
そうしている間に馬車は港にまで到着し、三人は降り立つとさっそく、イーンスラ王国からの艦隊が停泊している岸壁に向かった。
アルエット共和国による海上封鎖の影響を受けて、港は活気を失っていた。
タウゼント帝国に所属する商船たちは行き場を失って停泊したまま途方に暮れていたし、倉庫には輸送先のない物資が積まれたままになっている。
平時であれば労働者たちがせわしなく荷役に働いているはずであったが、その姿はなく、閑散とした印象だ。
だが、賑やかな場所もあった。
ノルトハーフェンの港にはイーンスラ王国からやってきた艦隊が、ポリティークシュタットでの交渉が終わるまでの間停泊し続けており、その姿は壮観。
そしてなにより、これらの軍艦に乗船していた水兵たちが街にやって来ては、観光をしたり、買い物をしていったりしてくれるのだ。
タウゼント帝国とイーンスラ王国では、使用されている通貨の種類が違う。
しかしこれらの間には為替が存在しており、銀行や両替商などで交換することで、ノルトハーフェンで自由に買い物を楽しむことができる。
船上での生活はルーシェたちには分からなかったが、いつも同じ甲板上にいると段々、飽きて来てしまうだろうというのは想像できる。
それを証明するように、昼から飲み屋に出て酒と料理を楽しんだり、故郷へ持ち帰るお土産の品を吟味したり、街並みを見て回る水兵たちはみなハメを外した様子で、陽気だった。
彼らがいるおかげで、港周辺の商店にはやや活気があった。
料理などを売るために出店なども出されており、タウゼント帝国各地の料理などが提供されている。
「そう言えば、お昼を食べていなかったな」
「あ、そう言えば……」
急に出かけることが決まったので、まともな昼食を食べていない。
屋台で美味しそうに焼かれている串焼きなどを目の当たりにした三人は空腹を覚え、その場で食事にすることにした。
メニューは、サンドイッチ。
新鮮な野菜やハム、チーズを挟んだオーソドックスなものや、その場で焼いた肉類を挟み、特製ソースをかけたもの。
港に近い空きスペースを見つけて、ねじ込むように作られた小さな公園にあるベンチに三人で並んで腰かけて食べ始める。
「でも、アリツィア様、よろしいんですか?
こんな、庶民の食べ物で」
「庶民の食べ物だから、いいんだよ。
お洒落なレストランで、着飾ってお上品に食事をするより、気が楽でいい。
海と船も眺めていられるし、それに……。
うん、美味しい」
オルリック王国の王女がこんなありきたりなもので良いのか、とも思ったが、アリツィアもマヤも満足そうにサンドイッチにかじりついている。
「あ、ほんとに美味しい」
自分も口に運んでみるが、確かに美味しい。
パンはライムギの殻まで一緒にひいた安物でいわゆる黒パンだったが、バターを塗った後に表面がカリっとなるまで焼いてあり、暖かいだけでなく食感も風味も良い。
挟んである具材も一般的なものだったが、食べ飽きない味わいがした。
(そういえばエドゥアルド様も、こうしたお料理を好んでいらっしゃいますね)
ふと、いつも空になって戻って来るランチボックスのことを思い出す。
昔は、貴族と言えば毎日ごちそうばかりを食べているのだと思っていたのだが、実際にメイドとして働いてみるとそうでもない。
こういう料理も好まれるようだ。
やはり日常的に食べるには、手軽で素朴なものの方が良いのだろう。
毎日手の込んだごちそうばかりを食べていたら、逆に飽きそうだし、健康にも悪そうだ。
(コレ、真似してみたら、エドゥアルドさまも喜んでくださるかしら? )
カリッとなるまで焼くのは良いアイデアだが、しかし、朝作って、お弁当に持って行ってもらった時に、昼食までその食感が保てるのかどうか。
ルーシェはそんなことを考えつつ、サンドイッチを完食した。
ノルトハーフェン駅でも思ったことだったが、この街の変わり様は、大きかった。
エドゥアルドが工業化を推進したことで工場が増え、それに伴って人口も増加した。
必然的に市域は拡大し、かつては存在しなかった建物の姿が数多く見られる。
乗合馬車の車窓から眺めていると、変化の巨大さを実感せずにはいられなかった。
(あ、この場所は……)
中でも衝撃的だったのは、———ルーシェがかつて暮らしていた、スラム街の変わり様だった。
つい数年前まで、自分が暮らしていた場所。
屋根もなく、まともな壁もなく。
二匹の家族と寄り添い、寒さに震え、飢えに苦しめられながら、息も絶え絶えに生きていた街。
面影は残っていた。
通りの形は、当時のままなのだ。
だが、そこにある建物は、様変わりしている。
すっかり廃れて、窓にはガラスもなく、吹きさらしか木の板が打ち付けてあるだけという有様で、浮浪者があちこちにうずくまり、掃除もされずにゴミが溜まり不潔だったのに。
今や、建物は修繕されるかきれいなものに再建され、ごく一般的な労働者たちが暮らしている。
ルーシェが二匹の家族と共に暮らしていたねぐらも、ちらりと車窓から見えた限りでは、新しく建物が作り直されて、影も形もない。
エドゥアルドの改革と、その政策を引き継いだヨーゼフの統治。
その影響だろう。
できるだけ多くの人々に生業を与え、困窮することがないようにという方針で職を作り、同時に社会全体で弱者を救済することのコストを負担するという方針が、スラム街を普通の街に変貌させた。
といってもこれは、市街の拡大によるところも大きいかもしれない。
かつてこの場所は街はずれであったが、今はもっと市域が広がり市の中心に取り込まれたため、土地の価値が上がり、以前よりも収入のある人々が移住して来て再開発が進んだ、という側面もあるだろう。
現に、新たに街はずれとなったかつての郊外には、貧しい人々が暮らす街があるのだという。
だがたとえそうであっても、過去にあったスラムとはまるで異なっていた。
その貧民街で暮らす人々は、節約をしなければならなかったが日々の食事はなんとかなっているし、病気になっても療養するために休息するだけの蓄えがあり、そして屋根も壁もある住居を持っている。
また、行政の側も、彼らが生活を立て直せるように支援を行い、職場を増やして生きる術を失うことがないように気を配っている。
明日には、人知れずに消え去っているかもしれない。
かつてルーシェたちが味わったような絶望感はなかった。
完璧ではないかもしれないが、エドゥアルドたちの統治下で確実に、改善はされている。
すっかり変わり果てた、それでも通りの形などに面影を残す街並みを通り抜ける際、メイドの内心は複雑であったが、それでも最終的に(よかった……)と安心することができたのは、自分は仕える人を誤っていないと実感することができたからだった。
そうしている間に馬車は港にまで到着し、三人は降り立つとさっそく、イーンスラ王国からの艦隊が停泊している岸壁に向かった。
アルエット共和国による海上封鎖の影響を受けて、港は活気を失っていた。
タウゼント帝国に所属する商船たちは行き場を失って停泊したまま途方に暮れていたし、倉庫には輸送先のない物資が積まれたままになっている。
平時であれば労働者たちがせわしなく荷役に働いているはずであったが、その姿はなく、閑散とした印象だ。
だが、賑やかな場所もあった。
ノルトハーフェンの港にはイーンスラ王国からやってきた艦隊が、ポリティークシュタットでの交渉が終わるまでの間停泊し続けており、その姿は壮観。
そしてなにより、これらの軍艦に乗船していた水兵たちが街にやって来ては、観光をしたり、買い物をしていったりしてくれるのだ。
タウゼント帝国とイーンスラ王国では、使用されている通貨の種類が違う。
しかしこれらの間には為替が存在しており、銀行や両替商などで交換することで、ノルトハーフェンで自由に買い物を楽しむことができる。
船上での生活はルーシェたちには分からなかったが、いつも同じ甲板上にいると段々、飽きて来てしまうだろうというのは想像できる。
それを証明するように、昼から飲み屋に出て酒と料理を楽しんだり、故郷へ持ち帰るお土産の品を吟味したり、街並みを見て回る水兵たちはみなハメを外した様子で、陽気だった。
彼らがいるおかげで、港周辺の商店にはやや活気があった。
料理などを売るために出店なども出されており、タウゼント帝国各地の料理などが提供されている。
「そう言えば、お昼を食べていなかったな」
「あ、そう言えば……」
急に出かけることが決まったので、まともな昼食を食べていない。
屋台で美味しそうに焼かれている串焼きなどを目の当たりにした三人は空腹を覚え、その場で食事にすることにした。
メニューは、サンドイッチ。
新鮮な野菜やハム、チーズを挟んだオーソドックスなものや、その場で焼いた肉類を挟み、特製ソースをかけたもの。
港に近い空きスペースを見つけて、ねじ込むように作られた小さな公園にあるベンチに三人で並んで腰かけて食べ始める。
「でも、アリツィア様、よろしいんですか?
こんな、庶民の食べ物で」
「庶民の食べ物だから、いいんだよ。
お洒落なレストランで、着飾ってお上品に食事をするより、気が楽でいい。
海と船も眺めていられるし、それに……。
うん、美味しい」
オルリック王国の王女がこんなありきたりなもので良いのか、とも思ったが、アリツィアもマヤも満足そうにサンドイッチにかじりついている。
「あ、ほんとに美味しい」
自分も口に運んでみるが、確かに美味しい。
パンはライムギの殻まで一緒にひいた安物でいわゆる黒パンだったが、バターを塗った後に表面がカリっとなるまで焼いてあり、暖かいだけでなく食感も風味も良い。
挟んである具材も一般的なものだったが、食べ飽きない味わいがした。
(そういえばエドゥアルド様も、こうしたお料理を好んでいらっしゃいますね)
ふと、いつも空になって戻って来るランチボックスのことを思い出す。
昔は、貴族と言えば毎日ごちそうばかりを食べているのだと思っていたのだが、実際にメイドとして働いてみるとそうでもない。
こういう料理も好まれるようだ。
やはり日常的に食べるには、手軽で素朴なものの方が良いのだろう。
毎日手の込んだごちそうばかりを食べていたら、逆に飽きそうだし、健康にも悪そうだ。
(コレ、真似してみたら、エドゥアルドさまも喜んでくださるかしら? )
カリッとなるまで焼くのは良いアイデアだが、しかし、朝作って、お弁当に持って行ってもらった時に、昼食までその食感が保てるのかどうか。
ルーシェはそんなことを考えつつ、サンドイッチを完食した。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

幕末☆妖狐戦争 ~九尾の能力がはた迷惑な件について~
カホ
ファンタジー
御影 雫は、都内の薬学部に通う、手軽な薬を作るのが好きな、ごく普通の女子大生である。
そんな彼女は、ある日突然、なんの前触れもなく見知らぬ森に飛ばされてしまう。
「こいつを今宵の生贄にしよう」
現れた男たちによって、九尾の狐の生贄とされてしまった雫は、その力の代償として五感と心を失う。
大坂、そして京へと流れて行き、成り行きで新選組に身を寄せた雫は、襲いくる時代の波と、生涯に一度の切ない恋に翻弄されることとなる。
幾度となく出会いと別れを繰り返し、それでも終点にたどり着いた雫が、時代の終わりに掴み取ったのは………。
注)あまり真面目じゃなさそうなタイトルの話はたいてい主人公パートです
徐々に真面目でシリアスになって行く予定。
歴史改変がお嫌いな方は、小説家になろうに投稿中の <史実運命> 幕末☆(以下略)の方をご覧ください!

病弱少年が怪我した小鳥を偶然テイムして、冒険者ギルドの採取系クエストをやらせていたら、知らないうちにLV99になってました。
もう書かないって言ったよね?
ファンタジー
ベッドで寝たきりだった少年が、ある日、家の外で怪我している青い小鳥『ピーちゃん』を助けたことから二人の大冒険の日々が始まった。

日本は異世界で平和に過ごしたいようです。
Koutan
ファンタジー
2020年、日本各地で震度5強の揺れを観測した。
これにより、日本は海外との一切の通信が取れなくなった。
その後、自衛隊機や、民間機の報告により、地球とは全く異なる世界に日本が転移したことが判明する。
そこで日本は資源の枯渇などを回避するために諸外国との交流を図ろうとするが...
この作品では自衛隊が主に活躍します。流血要素を含むため、苦手な方は、ブラウザバックをして他の方々の良い作品を見に行くんだ!
ちなみにご意見ご感想等でご指摘いただければ修正させていただく思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
"小説家になろう"にも掲載中。
"小説家になろう"に掲載している本文をそのまま掲載しております。
月が導く異世界道中
あずみ 圭
ファンタジー
月読尊とある女神の手によって癖のある異世界に送られた高校生、深澄真。
真は商売をしながら少しずつ世界を見聞していく。
彼の他に召喚された二人の勇者、竜や亜人、そしてヒューマンと魔族の戦争、次々に真は事件に関わっていく。
これはそんな真と、彼を慕う(基本人外の)者達の異世界道中物語。
漫遊編始めました。
外伝的何かとして「月が導く異世界道中extra」も投稿しています。

月が導く異世界道中extra
あずみ 圭
ファンタジー
月読尊とある女神の手によって癖のある異世界に送られた高校生、深澄真。
真は商売をしながら少しずつ世界を見聞していく。
彼の他に召喚された二人の勇者、竜や亜人、そしてヒューマンと魔族の戦争、次々に真は事件に関わっていく。
これはそんな真と、彼を慕う(基本人外の)者達の異世界道中物語。
こちらは月が導く異世界道中番外編になります。
[完結]異世界転生したら幼女になったが 速攻で村を追い出された件について ~そしていずれ最強になる幼女~
k33
ファンタジー
初めての小説です..!
ある日 主人公 マサヤがトラックに引かれ幼女で異世界転生するのだが その先には 転生者は嫌われていると知る そして別の転生者と出会い この世界はゲームの世界と知る そして、そこから 魔法専門学校に入り Aまで目指すが 果たして上がれるのか!? そして 魔王城には立ち寄った者は一人もいないと別の転生者は言うが 果たして マサヤは 魔王城に入り 魔王を倒し無事に日本に帰れるのか!?

日本帝国陸海軍 混成異世界根拠地隊
北鴨梨
ファンタジー
太平洋戦争も終盤に近付いた1944(昭和19)年末、日本海軍が特攻作戦のため終結させた南方の小規模な空母機動部隊、北方の輸送兼対潜掃討部隊、小笠原増援輸送部隊が突如として消失し、異世界へ転移した。米軍相手には苦戦続きの彼らが、航空戦力と火力、機動力を生かして他を圧倒し、図らずも異世界最強の軍隊となってしまい、その情勢に大きく関わって引っ掻き回すことになる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる