メイド・ルーシェの新帝国勃興記 ~Neu Reich erheben aufzeichnen~

熊吉(モノカキグマ)

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第十章:「外交の春」

・10-7 第153話:「深淵」

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・10-7 第153話:「深淵」

 サーベト帝国の全権大使、ナッジャールの申し出には、大きな危険が隠されていた。
 講和と国交正常化の条件としてタウゼント帝国に引き渡されることとなる地域は、あまり開発が進んでおらず経済的な利点が乏しい、というだけではない。

 元々独立志向が強い地域で、常に反乱の恐れがある場所なのだ。

 もし、そんな場所を領土としてしまったら。
 反乱を抑え込むために、ただでさえ不足しがちな兵力を多数、割かなければならなくなってしまう。
 出費がかさみ、短期的には明らかにこちらの不利にしかならないことだった。

 では、長期的に見てどうかというと、こちらも、帝国にとってはマイナスの要素が大きい。
 しっかりと地域に投資を行い開発すれば、今は貧しくともやがては豊かな場所になるだろう。
 だがそれに必要な出費は多額であり、財政的な負担は軽視できない。

 そして、———長年の投資の効果をようやく回収できる、となった時には、サーベト帝国が巻き返しを図って来る可能性が高かった。
 なぜなら、彼らはここで、統治上の[お荷物]となって来た地域を賠償という体裁でそっくりと他国に押しつけ、浮いたリソースでこれから、自国の強化に本腰を入れるからだ。

 領土は、広い方がいい。
 一般的な理解としてはその通りなのだが、今回の場合は、特殊だ。
 先々を見すえた場合に、デメリットがあまりにも多い。

 かといって、無下に断るわけにもいかなかった。
 タウゼント帝国は今回の交渉で、あくまで「勝利者」という形を得なければならなかったからだ。

 もし、サーベト帝国側から広大な領土の割譲を申し入れられたのにも関わらず、それを断り、無理のない範囲のわずかな領土だけを得たとしたら。

 見る者にとってそれは、タウゼント帝国の[弱み]ととられかねなかった。

 それほどまでに相手に譲歩して、講和を急がなければならないほどに窮地にあるのか。
 タウゼント帝国の国力が弱まっていると見なされてしまう。

 特に、今は間が悪い。
 アルエット共和国による海上封鎖を受けている真っ最中で、諸外国はその事実を知っている。

 ムナール将軍が発した大陸封鎖令が、今回の講和交渉に影響を及ぼした。
 そういう風聞が生まれてもおかしくはない。

 いや、間違いなく出て来るだろう。
 この機にタウゼント帝国をさらに弱体化させようと、政治的なプロパガンダに打って出て来る勢力がいるに違いないからだ。

「……いったん、考える時間を作りたい」

 ナッジャールが示した対案に、どう応じるか。
 決めかねたエドゥアルドは、ヴィルヘルムとハインリヒにそう提案していた。

「ナッジャール殿は、ひと月の猶予を下さった。
 その間により熟慮し、どんな対応ができるかを検討したい」
「よろしいかと存じます」

 その言葉に、ヴィルヘルムがうなずいて同意する。

「同時に、帝都に早馬を送り、国家宰相のルドルフ様や、他の重臣、たとえばクラウス老などにも、ご意見をうかがうべきと存じます」
「左様でございますな。でしたら、早い方がよろしいかと。
 早馬を飛ばせばひと月の間には間に合うでしょうが、天候などによってはギリギリとなりましょう」

 ハインリヒも、判断を急がないことに賛成した。

「わかった。すぐに手紙を書くことにする。
 ルーシェ、すまないけれど、用意をして欲しい」
「かしこまりました」

 決断を先延ばしにできたことに少し安堵しながらエドゥアルドが頼むと、ルーシェは言われた通り、急いで紙とペンを用意しに向かってくれる。

 それから、それぞれ一礼をし、退出していくヴィルヘルムとハインリヒ公爵を見送った後、代皇帝は気難しそうな顔で腕組みをし、考え込んでしまう。

(外交というのは、戦争よりも難しいのだな……)

 様々な裏の事情や思惑が入り乱れた、武器を使わない戦い。
 その深淵(しんえん)を垣間(かいま)見たような心地がした。

────────────────────────────────────────

 ペンと手紙の用意はすぐに整い、エドゥアルドは急いで羊皮紙にインクで文章を書き記していく。

 宛先としては、ひとまず四人。
 国家宰相として頼りにしているルドルフ・フォン・エーアリヒと、オストヴィーゼ公爵・ユリウス、その父親のクラウス・フォン・オストヴィーゼ、そしてアルトクローネ公爵・デニス。

 ただ、ひと月の間に確実に返事を得られるのは、おそらくはルドルフとデニスからだけであるはずだった。
 というのは、エドゥアルドの現在地であるズインゲンガルデン公国の首府、ヴェーゼンシュタットからは、オストヴィーゼ公国はかなり遠いからだ。

 しかも、ある意味一番アテにしているかもしれないクラウス老は、公爵位を息子に譲ってからは割と自由にあちこちを動き回っている。
 諜報活動のためでもあるだろうし、純粋に物見遊山という側面もあるだろう。
 だから、手紙を送っても彼の下にたどり着くかどうか。

 早馬を飛ばしても、確実に間に合うとは限らない。
 ハインリヒ公爵がちらりと言っていたことだが、順調に行けば間に合うとしても、途中で天候不順や事故などがあればまず、時間切れになってしまうだろう。

 二人に宛てた手紙には、回答に時間制限が設けられているため、場合によっては意見を反映できないかもしれない、ということも書き加え、その点について謝罪しておかなければならなかった。
 せっかく意見を聞いたのにそれを取り入れられない、となれば、いい顔はされないはずだからだ。

(一瞬で遠方と連絡を取り合える手段があればなぁ……)

 心の底から、そう思わずにはいられない。

 代皇帝に就任して以来、痛感してきたことだが、この国は広い。
 軍を動かすのにも苦労するし、必要な連絡を取り合うのにも時間がかかる。

 まずは鉄道を整備することで人や物の移動は改善されていくのに違いないが、情報の伝達手段の方はどうだろうか。
 早馬よりも迅速な手段が見つかるのだろうか。
 これも、鉄道によって達成されるのか。

 将来の技術の発達に期待、というところだったが、今はまだそういったものは完成していないのだから、とにかく急いで手紙を書いて、早馬を出すしかない。

(斬新な通信手段を提案した者には、報奨金を与える、とか、やってみようか)

 エドゥアルドは以前の、甜菜(てんさい)糖の存在を知ったいきさつを思い起こしながら、帝国において科学技術の振興に力を入れる必要性について、あらためて思いを巡らせていた。
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