154 / 232
第十章:「外交の春」
・10-7 第153話:「深淵」
しおりを挟む
・10-7 第153話:「深淵」
サーベト帝国の全権大使、ナッジャールの申し出には、大きな危険が隠されていた。
講和と国交正常化の条件としてタウゼント帝国に引き渡されることとなる地域は、あまり開発が進んでおらず経済的な利点が乏しい、というだけではない。
元々独立志向が強い地域で、常に反乱の恐れがある場所なのだ。
もし、そんな場所を領土としてしまったら。
反乱を抑え込むために、ただでさえ不足しがちな兵力を多数、割かなければならなくなってしまう。
出費がかさみ、短期的には明らかにこちらの不利にしかならないことだった。
では、長期的に見てどうかというと、こちらも、帝国にとってはマイナスの要素が大きい。
しっかりと地域に投資を行い開発すれば、今は貧しくともやがては豊かな場所になるだろう。
だがそれに必要な出費は多額であり、財政的な負担は軽視できない。
そして、———長年の投資の効果をようやく回収できる、となった時には、サーベト帝国が巻き返しを図って来る可能性が高かった。
なぜなら、彼らはここで、統治上の[お荷物]となって来た地域を賠償という体裁でそっくりと他国に押しつけ、浮いたリソースでこれから、自国の強化に本腰を入れるからだ。
領土は、広い方がいい。
一般的な理解としてはその通りなのだが、今回の場合は、特殊だ。
先々を見すえた場合に、デメリットがあまりにも多い。
かといって、無下に断るわけにもいかなかった。
タウゼント帝国は今回の交渉で、あくまで「勝利者」という形を得なければならなかったからだ。
もし、サーベト帝国側から広大な領土の割譲を申し入れられたのにも関わらず、それを断り、無理のない範囲のわずかな領土だけを得たとしたら。
見る者にとってそれは、タウゼント帝国の[弱み]ととられかねなかった。
それほどまでに相手に譲歩して、講和を急がなければならないほどに窮地にあるのか。
タウゼント帝国の国力が弱まっていると見なされてしまう。
特に、今は間が悪い。
アルエット共和国による海上封鎖を受けている真っ最中で、諸外国はその事実を知っている。
ムナール将軍が発した大陸封鎖令が、今回の講和交渉に影響を及ぼした。
そういう風聞が生まれてもおかしくはない。
いや、間違いなく出て来るだろう。
この機にタウゼント帝国をさらに弱体化させようと、政治的なプロパガンダに打って出て来る勢力がいるに違いないからだ。
「……いったん、考える時間を作りたい」
ナッジャールが示した対案に、どう応じるか。
決めかねたエドゥアルドは、ヴィルヘルムとハインリヒにそう提案していた。
「ナッジャール殿は、ひと月の猶予を下さった。
その間により熟慮し、どんな対応ができるかを検討したい」
「よろしいかと存じます」
その言葉に、ヴィルヘルムがうなずいて同意する。
「同時に、帝都に早馬を送り、国家宰相のルドルフ様や、他の重臣、たとえばクラウス老などにも、ご意見をうかがうべきと存じます」
「左様でございますな。でしたら、早い方がよろしいかと。
早馬を飛ばせばひと月の間には間に合うでしょうが、天候などによってはギリギリとなりましょう」
ハインリヒも、判断を急がないことに賛成した。
「わかった。すぐに手紙を書くことにする。
ルーシェ、すまないけれど、用意をして欲しい」
「かしこまりました」
決断を先延ばしにできたことに少し安堵しながらエドゥアルドが頼むと、ルーシェは言われた通り、急いで紙とペンを用意しに向かってくれる。
それから、それぞれ一礼をし、退出していくヴィルヘルムとハインリヒ公爵を見送った後、代皇帝は気難しそうな顔で腕組みをし、考え込んでしまう。
(外交というのは、戦争よりも難しいのだな……)
様々な裏の事情や思惑が入り乱れた、武器を使わない戦い。
その深淵(しんえん)を垣間(かいま)見たような心地がした。
────────────────────────────────────────
ペンと手紙の用意はすぐに整い、エドゥアルドは急いで羊皮紙にインクで文章を書き記していく。
宛先としては、ひとまず四人。
国家宰相として頼りにしているルドルフ・フォン・エーアリヒと、オストヴィーゼ公爵・ユリウス、その父親のクラウス・フォン・オストヴィーゼ、そしてアルトクローネ公爵・デニス。
ただ、ひと月の間に確実に返事を得られるのは、おそらくはルドルフとデニスからだけであるはずだった。
というのは、エドゥアルドの現在地であるズインゲンガルデン公国の首府、ヴェーゼンシュタットからは、オストヴィーゼ公国はかなり遠いからだ。
しかも、ある意味一番アテにしているかもしれないクラウス老は、公爵位を息子に譲ってからは割と自由にあちこちを動き回っている。
諜報活動のためでもあるだろうし、純粋に物見遊山という側面もあるだろう。
だから、手紙を送っても彼の下にたどり着くかどうか。
早馬を飛ばしても、確実に間に合うとは限らない。
ハインリヒ公爵がちらりと言っていたことだが、順調に行けば間に合うとしても、途中で天候不順や事故などがあればまず、時間切れになってしまうだろう。
二人に宛てた手紙には、回答に時間制限が設けられているため、場合によっては意見を反映できないかもしれない、ということも書き加え、その点について謝罪しておかなければならなかった。
せっかく意見を聞いたのにそれを取り入れられない、となれば、いい顔はされないはずだからだ。
(一瞬で遠方と連絡を取り合える手段があればなぁ……)
心の底から、そう思わずにはいられない。
代皇帝に就任して以来、痛感してきたことだが、この国は広い。
軍を動かすのにも苦労するし、必要な連絡を取り合うのにも時間がかかる。
まずは鉄道を整備することで人や物の移動は改善されていくのに違いないが、情報の伝達手段の方はどうだろうか。
早馬よりも迅速な手段が見つかるのだろうか。
これも、鉄道によって達成されるのか。
将来の技術の発達に期待、というところだったが、今はまだそういったものは完成していないのだから、とにかく急いで手紙を書いて、早馬を出すしかない。
(斬新な通信手段を提案した者には、報奨金を与える、とか、やってみようか)
エドゥアルドは以前の、甜菜(てんさい)糖の存在を知ったいきさつを思い起こしながら、帝国において科学技術の振興に力を入れる必要性について、あらためて思いを巡らせていた。
サーベト帝国の全権大使、ナッジャールの申し出には、大きな危険が隠されていた。
講和と国交正常化の条件としてタウゼント帝国に引き渡されることとなる地域は、あまり開発が進んでおらず経済的な利点が乏しい、というだけではない。
元々独立志向が強い地域で、常に反乱の恐れがある場所なのだ。
もし、そんな場所を領土としてしまったら。
反乱を抑え込むために、ただでさえ不足しがちな兵力を多数、割かなければならなくなってしまう。
出費がかさみ、短期的には明らかにこちらの不利にしかならないことだった。
では、長期的に見てどうかというと、こちらも、帝国にとってはマイナスの要素が大きい。
しっかりと地域に投資を行い開発すれば、今は貧しくともやがては豊かな場所になるだろう。
だがそれに必要な出費は多額であり、財政的な負担は軽視できない。
そして、———長年の投資の効果をようやく回収できる、となった時には、サーベト帝国が巻き返しを図って来る可能性が高かった。
なぜなら、彼らはここで、統治上の[お荷物]となって来た地域を賠償という体裁でそっくりと他国に押しつけ、浮いたリソースでこれから、自国の強化に本腰を入れるからだ。
領土は、広い方がいい。
一般的な理解としてはその通りなのだが、今回の場合は、特殊だ。
先々を見すえた場合に、デメリットがあまりにも多い。
かといって、無下に断るわけにもいかなかった。
タウゼント帝国は今回の交渉で、あくまで「勝利者」という形を得なければならなかったからだ。
もし、サーベト帝国側から広大な領土の割譲を申し入れられたのにも関わらず、それを断り、無理のない範囲のわずかな領土だけを得たとしたら。
見る者にとってそれは、タウゼント帝国の[弱み]ととられかねなかった。
それほどまでに相手に譲歩して、講和を急がなければならないほどに窮地にあるのか。
タウゼント帝国の国力が弱まっていると見なされてしまう。
特に、今は間が悪い。
アルエット共和国による海上封鎖を受けている真っ最中で、諸外国はその事実を知っている。
ムナール将軍が発した大陸封鎖令が、今回の講和交渉に影響を及ぼした。
そういう風聞が生まれてもおかしくはない。
いや、間違いなく出て来るだろう。
この機にタウゼント帝国をさらに弱体化させようと、政治的なプロパガンダに打って出て来る勢力がいるに違いないからだ。
「……いったん、考える時間を作りたい」
ナッジャールが示した対案に、どう応じるか。
決めかねたエドゥアルドは、ヴィルヘルムとハインリヒにそう提案していた。
「ナッジャール殿は、ひと月の猶予を下さった。
その間により熟慮し、どんな対応ができるかを検討したい」
「よろしいかと存じます」
その言葉に、ヴィルヘルムがうなずいて同意する。
「同時に、帝都に早馬を送り、国家宰相のルドルフ様や、他の重臣、たとえばクラウス老などにも、ご意見をうかがうべきと存じます」
「左様でございますな。でしたら、早い方がよろしいかと。
早馬を飛ばせばひと月の間には間に合うでしょうが、天候などによってはギリギリとなりましょう」
ハインリヒも、判断を急がないことに賛成した。
「わかった。すぐに手紙を書くことにする。
ルーシェ、すまないけれど、用意をして欲しい」
「かしこまりました」
決断を先延ばしにできたことに少し安堵しながらエドゥアルドが頼むと、ルーシェは言われた通り、急いで紙とペンを用意しに向かってくれる。
それから、それぞれ一礼をし、退出していくヴィルヘルムとハインリヒ公爵を見送った後、代皇帝は気難しそうな顔で腕組みをし、考え込んでしまう。
(外交というのは、戦争よりも難しいのだな……)
様々な裏の事情や思惑が入り乱れた、武器を使わない戦い。
その深淵(しんえん)を垣間(かいま)見たような心地がした。
────────────────────────────────────────
ペンと手紙の用意はすぐに整い、エドゥアルドは急いで羊皮紙にインクで文章を書き記していく。
宛先としては、ひとまず四人。
国家宰相として頼りにしているルドルフ・フォン・エーアリヒと、オストヴィーゼ公爵・ユリウス、その父親のクラウス・フォン・オストヴィーゼ、そしてアルトクローネ公爵・デニス。
ただ、ひと月の間に確実に返事を得られるのは、おそらくはルドルフとデニスからだけであるはずだった。
というのは、エドゥアルドの現在地であるズインゲンガルデン公国の首府、ヴェーゼンシュタットからは、オストヴィーゼ公国はかなり遠いからだ。
しかも、ある意味一番アテにしているかもしれないクラウス老は、公爵位を息子に譲ってからは割と自由にあちこちを動き回っている。
諜報活動のためでもあるだろうし、純粋に物見遊山という側面もあるだろう。
だから、手紙を送っても彼の下にたどり着くかどうか。
早馬を飛ばしても、確実に間に合うとは限らない。
ハインリヒ公爵がちらりと言っていたことだが、順調に行けば間に合うとしても、途中で天候不順や事故などがあればまず、時間切れになってしまうだろう。
二人に宛てた手紙には、回答に時間制限が設けられているため、場合によっては意見を反映できないかもしれない、ということも書き加え、その点について謝罪しておかなければならなかった。
せっかく意見を聞いたのにそれを取り入れられない、となれば、いい顔はされないはずだからだ。
(一瞬で遠方と連絡を取り合える手段があればなぁ……)
心の底から、そう思わずにはいられない。
代皇帝に就任して以来、痛感してきたことだが、この国は広い。
軍を動かすのにも苦労するし、必要な連絡を取り合うのにも時間がかかる。
まずは鉄道を整備することで人や物の移動は改善されていくのに違いないが、情報の伝達手段の方はどうだろうか。
早馬よりも迅速な手段が見つかるのだろうか。
これも、鉄道によって達成されるのか。
将来の技術の発達に期待、というところだったが、今はまだそういったものは完成していないのだから、とにかく急いで手紙を書いて、早馬を出すしかない。
(斬新な通信手段を提案した者には、報奨金を与える、とか、やってみようか)
エドゥアルドは以前の、甜菜(てんさい)糖の存在を知ったいきさつを思い起こしながら、帝国において科学技術の振興に力を入れる必要性について、あらためて思いを巡らせていた。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

Sランクパーティを引退したおっさんは故郷でスローライフがしたい。~王都に残した仲間が事あるごとに呼び出してくる~
味のないお茶
ファンタジー
Sランクパーティのリーダーだったベルフォードは、冒険者歴二十年のベテランだった。
しかし、加齢による衰えを感じていた彼は後人に愛弟子のエリックを指名し一年間見守っていた。
彼のリーダー能力に安心したベルフォードは、冒険者家業の引退を決意する。
故郷に帰ってゆっくりと日々を過しながら、剣術道場を開いて結婚相手を探そう。
そう考えていたベルフォードだったが、周りは彼をほっておいてはくれなかった。
これはスローライフがしたい凄腕のおっさんと、彼を慕う人達が織り成す物語。

病弱少年が怪我した小鳥を偶然テイムして、冒険者ギルドの採取系クエストをやらせていたら、知らないうちにLV99になってました。
もう書かないって言ったよね?
ファンタジー
ベッドで寝たきりだった少年が、ある日、家の外で怪我している青い小鳥『ピーちゃん』を助けたことから二人の大冒険の日々が始まった。
[完結]異世界転生したら幼女になったが 速攻で村を追い出された件について ~そしていずれ最強になる幼女~
k33
ファンタジー
初めての小説です..!
ある日 主人公 マサヤがトラックに引かれ幼女で異世界転生するのだが その先には 転生者は嫌われていると知る そして別の転生者と出会い この世界はゲームの世界と知る そして、そこから 魔法専門学校に入り Aまで目指すが 果たして上がれるのか!? そして 魔王城には立ち寄った者は一人もいないと別の転生者は言うが 果たして マサヤは 魔王城に入り 魔王を倒し無事に日本に帰れるのか!?

冤罪だと誰も信じてくれず追い詰められた僕、濡れ衣が明るみになったけど今更仲直りなんてできない
一本橋
恋愛
女子の体操着を盗んだという身に覚えのない罪を着せられ、僕は皆の信頼を失った。
クラスメイトからは日常的に罵倒を浴びせられ、向けられるのは蔑みの目。
さらに、信じていた初恋だった女友達でさえ僕を見限った。
両親からは拒絶され、姉からもいないものと扱われる日々。
……だが、転機は訪れる。冤罪だった事が明かになったのだ。
それを機に、今まで僕を蔑ろに扱った人達から次々と謝罪の声が。
皆は僕と関係を戻したいみたいだけど、今更仲直りなんてできない。
※小説家になろう、カクヨムと同時に投稿しています。

幕末☆妖狐戦争 ~九尾の能力がはた迷惑な件について~
カホ
ファンタジー
御影 雫は、都内の薬学部に通う、手軽な薬を作るのが好きな、ごく普通の女子大生である。
そんな彼女は、ある日突然、なんの前触れもなく見知らぬ森に飛ばされてしまう。
「こいつを今宵の生贄にしよう」
現れた男たちによって、九尾の狐の生贄とされてしまった雫は、その力の代償として五感と心を失う。
大坂、そして京へと流れて行き、成り行きで新選組に身を寄せた雫は、襲いくる時代の波と、生涯に一度の切ない恋に翻弄されることとなる。
幾度となく出会いと別れを繰り返し、それでも終点にたどり着いた雫が、時代の終わりに掴み取ったのは………。
注)あまり真面目じゃなさそうなタイトルの話はたいてい主人公パートです
徐々に真面目でシリアスになって行く予定。
歴史改変がお嫌いな方は、小説家になろうに投稿中の <史実運命> 幕末☆(以下略)の方をご覧ください!
愛されない皇妃~最強の母になります!~
椿蛍
ファンタジー
愛されない皇妃『ユリアナ』
やがて、皇帝に愛される寵妃『クリスティナ』にすべてを奪われる運命にある。
夫も子どもも――そして、皇妃の地位。
最後は嫉妬に狂いクリスティナを殺そうとした罪によって処刑されてしまう。
けれど、そこからが問題だ。
皇帝一家は人々を虐げ、『悪逆皇帝一家』と呼ばれるようになる。
そして、最後は大魔女に悪い皇帝一家が討伐されて終わるのだけど……
皇帝一家を倒した大魔女。
大魔女の私が、皇妃になるなんて、どういうこと!?
※表紙は作成者様からお借りしてます。
※他サイト様に掲載しております。
【おんJ】 彡(゚)(゚)ファッ!?ワイが天下分け目の関ヶ原の戦いに!?
俊也
SF
これまた、かつて私がおーぷん2ちゃんねるに載せ、ご好評頂きました戦国架空戦記SSです。
この他、
「新訳 零戦戦記」
「総統戦記」もよろしくお願いします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる