メイド・ルーシェの新帝国勃興記 ~Neu Reich erheben aufzeichnen~

熊吉(モノカキグマ)

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第九章:「苦しい冬」

・9-8 第134話:「じわじわと」

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・9-8 第134話:「じわじわと」

 アルエット共和国のアレクサンデル・ムナール将軍の発案によって実施された、[大陸封鎖令]。
 タウゼント帝国を海上封鎖し、その経済力を削ぐことで抵抗力を粉砕しようという試みは、最初、表面的には効果を発揮していなかった。

 というのは、こういった経済封鎖はすぐに目に見える効果があらわれるわけではなく、じわじわと、真綿で首を絞めるように効いて来るものだからだ。

 たとえ輸入がストップしてしまったのだとしても、すぐに市場からその商品が姿を消すわけではない。
 なぜなら店頭や倉庫には在庫があり、民間の家々にも先に買い入れたものの残りがあるからだ。

 それらがある内は、影響らしいものは出てこない。
 人々はそれまで通りの生活を送ることができる。

 共和国による大陸封鎖令が発動され、帝国の海上交易は寸断された。
 そのことが新聞などによって大々的に報道され、国家の首脳部や影響をもろに受ける業種の企業経営者らが顔面を蒼白にして焦燥感を覚えても、一般の民衆の危機感がしばらく薄いままだったのはこのためだ。

 エドゥアルドたちが先手を打ち、既存の在庫の分について、急激な値上げを禁止する命令を発した、というのも大きい。
 商人たちは利益を最大化するために動くのが常であったから、この先輸入が途絶え商品が品薄になるばかりだと知れば、必然的に値上げに動く。
 そのことを察知してあらかじめそうすることを禁止し、物価の急騰(きゅうとう)を防いだために、一見すると人々の生活はこれまで通りのままであった。

 だがこれは、一時しのぎに過ぎない。
 市場に存在する在庫が枯渇し、販売したくとも商品がない、という状況になれば、否が応でも人々は事態の深刻さに気付くだろう。

 それまでの間に、欠品が予想される品々の輸入ルートを開拓するか、代替品を発見しなければならない。

 エドゥアルドたちは共和国の海上封鎖を迂回するルートとして、東の隣国であるオルリック王国を経由するルートをすでに開拓していた。
 これと並行して、もう一本の経路を確保するべく、南東のサーベト帝国に対してアプローチをかけている。

 だが、これで最低限の輸出入は可能となる見込みだったが、量という点についてはまったく十分ではなかった。
 長大な陸路を経由することとなるこうした迂回ルートでは、船舶で国内の港に直接乗りつけるよりも遥かに輸送効率が悪く、国家経済が窒息死してしまわないだけの量を辛うじて運ぶのが精いっぱいであったからだ。

 特に、こういったルートでは硝石の輸入が優先された。
 というのは、この物体は火薬の原材料として欠かせないだけではなく、農業用の肥料としても多く必要されていたからだ。

 これが不足してしまえば、国家を防衛するのにもこと欠くようになる。
 それどころか、食糧生産が低下すれば広範な地域で飢饉(ききん)が発生し、それこそ、国家存亡の危機に陥ってしまう。

 このために、純粋(じゅんすい)な嗜好品である煙草や茶、コーヒーなどは後回しにされがちであった。

 こうした状況で問題となったのは、砂糖の不足だった。

 多くの人間は、甘いものが大好きだ。
 古来においては果物や蜂蜜などを重宝し、時にはツタの樹液を煮詰めたりして甘味を追い求めて来た歴史がある。

 現代においては、主にサトウキビを原料として生成される砂糖を日常的に利用している。
 料理はもちろん、菓子に多く使われ、紅茶やコーヒーなどを楽しむためにも欠かせない。

 半ば生活必需品と化していた砂糖だったが、この入手法は、多くの部分を海上交易に頼っていた。
 というのは、原材料となる植物であるサトウキビはヘルデン大陸の気候ではうまく育たず、栽培に適したもっと温暖な地域で生産されているからだ。

 こうした砂糖は硝石と同様に船舶で大量に輸入されていたが、火薬と食糧生産の確保のために迂回ルートでは硝石が優先された結果、時が経つにつれて顕著に不足し始めた。

 日々消費されていくのに、十分な量が供給されない。
 このために市場での流通量が減り、エドゥアルドが指示したこれまで通りでの価格では販売されず、公の場ではなく闇取引によって、高価格で取引され始めてしまっていた。

 止むを得ず、代皇帝は不足した品々の値上げを許可する旨を公表するしかなかった。
 そうしたおかげで闇取引自体は収まったのだが、値段は高くなる一方。
 砂糖は庶民の口には入り辛くなってしまった。

そういうわけで、———代皇帝自身が口にするコーヒーも、甘くないものになっている。

(……こ、これはこれで)

 砂糖を入れず、ミルクだけを加えたコーヒーをルーシェに持ってきてもらうようにしたのだが、やはり味に違和感があった。
 たまにはこういう飲み方もいい、などと自分で自分に言い聞かせ、何食わぬ顔で口に運んでいるが、やせ我慢だ。

 コーヒーの風味だけをストレートに味わうのなら、なにも入れないブラック、という飲み方があるのだが、ヘルデン大陸上ではあまり一般的ではなかった。
 紅茶にミルクとコーヒーを加えるのと同じ感覚で、コーヒーでもそうするのが当たり前であったのだ。

「エドゥアルドさま。
 その、大丈夫でしょうか? 
 苦くはないのですか? 」

 主の要望だから無糖のものを持ってきたメイドだったが、ルーシェは信じがたいものを見るような目でエドゥアルドのことを観察している。

 いつも美味しいコーヒーを淹れてくれるのに意外なことではあったが、彼女はその焦げ茶色をした飲料を苦手としていた。
 砂糖もミルクもたっぷりと入れれば飲めるのだそうだが、普段は紅茶ばかりを飲んでいる。

 自分はあまり美味しいとも思わないのだが、主が好む味はこういうものだというのを、好きでもないものを何度も味わって学んでくれた。

(うん……。僕も、やっぱり砂糖があった方が好きだな)

 メイドの健気な努力にしみじみとありがたみを感じながら、やはり甘くないコーヒーの味わいに満足できなかったエドゥアルドは、この状況を一刻も早く脱しようと心の中で誓っていた。
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