メイド・ルーシェの新帝国勃興記 ~Neu Reich erheben aufzeichnen~

熊吉(モノカキグマ)

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第五章:「英雄VS代皇帝」

・5-10 第83話:「帝国元帥の憂鬱:3」

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・5-10 第83話:「帝国元帥の憂鬱:3」

 ルーシェが考えたことは、単純なことであった。
 押してダメなら、引いてみろ。
 ここの戦線が行き詰っているのなら、別のところで戦えばいい。
 共和国軍の総兵力は、三十万。
 ———そんなことを決めたのは、いったい誰なのか?
 それは、兵力でどうしても劣勢に立たざるを得ない状況となった帝国側の首脳陣が無意識のうちに作り上げた、[思い込み]であった。
 主力軍として動員できる十五万にとって、三十万という数は倍になる。
 これほどに苦しい戦況なのだから、これ以上悪い条件になって欲しくはない。
 そういう欲求が作り上げたのが、[共和国軍の総兵力は三十万である]という幻想であったのだ。
 ルーシェは、ただのメイドだ。
 エドゥアルドたちの話を近くで聞いていたものの、意思決定にはなんら関わったことがなく、当事者としてではなく中立的な第三者としての視点を持っている。
 だからそのことに気づくことができた。

「そうじゃ……。メイド殿の、言う通りじゃ」

 実際に指揮を取る立場の者として、共和国軍は三十万、という先入観に囚われていた内の一人であったプリンツ・ヨッヘムは、愕然(がくぜん)とした様子で何度も何度も、「言う通りじゃ。言う通りじゃ」と呟いている。
 段々と、険しい、恐ろしい表情になっていく。
 それは、ルーシェが少し心配になってくるほどの様子だった。

「あ、あの……、ヨッヘムさま? 」
「メイド殿! 」
「わひゃぁ!? 」

 メイドが身をかがめて顔をのぞき込むのと、ヨッヘム公が唐突に勢いよく立ち上がったのは同時だった。
 思わず少女は悲鳴をあげてのけぞり、その素っ頓狂(とんきょう)な声に、帝国軍の本営に残っていた人々の視線が一斉に集まる。
 帝国元帥はそんなことは一切気にせず、わっし、と両手でルーシェの肩をつかむと、有無を言わせぬ強い剣幕で言った。

「すぐに、代皇帝陛下をお呼びしてくれ! このこと、緊急に話し合わねばならぬ! 」
「かっ、かしこまりましたぁっ!!! 」

 これまで気のいいお爺さん的な目で見ていた相手から浴びせられた、武人としての圧倒的な威圧感。
 それに直面してしまった少女は大慌てで、ツインテールをなびかせながらパタパタと、休憩のために外に出ているエドゥアルドを探しに駆けて行った。

────────────────────────────────────────

 プリンツ・ヨッヘムの意向で急ぎ開かれた軍議の場で、「共和国軍が別方面から侵攻して来る恐れがある」という指摘を耳にした人々の反応は、———鈍かった。

(考え過ぎであろう……)

 というのが、大抵の第一印象であったからだ。
 そもそも共和国軍が三十万であるという情報は、帝国の諜報部門を引き受ける形となっているクラウス・フォン・オストヴィーゼからもたらされたものであった。
 そしてそれは、正しかったのだ。
 ムナール将軍が率いてきたのは実際に三十万であったし、直接交戦し、より詳細な敵状が報告されるのに従い、確実であると見なされている。
 先年には五十万を動員できたはずなのに今回はそれより少ない、というのにも、きちんと理由があると判明している。
 予備役を再招集すると言っても、これほど短期間の間に頻繁に行うことは国民感情の面で難しかったし、なにより、共和国の国内事情で、ムナール将軍にあまり強すぎる力を与えたくないという政治的な意図が働いているからだ。
 これもクラウスが構築した諜報網からもたらされた情報ではあったが、複数の筋から同様の報告が上がってきているし、帝国側で入手した共和国国内で読まれている新聞報道などから得られた内容の分析でも「確かである」と信じられている。

「それがしも、これまで共和国軍が動員可能な兵力は三十万であると、そう信じておった。実際に敵軍がその数で攻め寄せてきたことも、疑う余地のない事実だ。
 ……しかし、開戦からすでに二か月以上が経った。さらに時間が経過すれば、ここから状況が変化することは十分にあり得ると見なすべきであろう」

 周囲の反応が芳しくないことをひしひしと感じながらも、ヨッヘム公は引き下がらなかった。
 それだけ、彼が抱いている危惧は大きいのだろう。

「我が方のゲリラ戦によって、共和国軍側の補給線はダメージを受け、食料の配給すら滞っている状態だということは、ここにいる皆も承知のことであると思う。
 ……ここまでは、作戦通りであった。だが、それがしの見立てでは、ムナール将軍はとっくに攻勢に転じているはずなのだ。
 あの者は思い切りの良い、大胆な用兵をして見せる。なぜならば、戦えば必ず勝てると思っておるからだ」
「お言葉ですが、元帥」

 その時、珍しく口をさしはさんだのはアルトクローネ公爵・デニスだった。
 彼は気の強い性格ではなく、普段ならばこうして積極的に発言などしないし、戦争も苦手としていて、戦場にいる間はおどおどと自信なさげにしていることが多い。
 なにかを言うとしても、誰かの後に続いて、と、周囲の雰囲気を見ながら行う。
 そういった消極的な姿勢が基本なのだが、ここしばらくは落ち着いていて、安穏とし、自発的に意見を述べる様子が見られた。
 敵は大軍だと知って先行きに不安を抱いていたのだが、実際に戦ってみると戦況は帝国側の思惑通りに進み、大きな戦いにならないまま終わってしまうのではないかという観測も生まれる程であり、彼もあまり心配しなくて良くなって、気持ちが前向きになっていたのだろう。
 せっかく安心していたのに、今さら、そんなことを言わないで欲しい。
 そういう気持ちで、思わず発言してしまったのに違いない。

「単純に、ムナール将軍は我が方を攻めあぐねているだけなのではないでしょうか? それか、思いのほか将兵の士気が下がるのが早く、攻勢に転じる機会を逃してしまったのでは? 」
「その可能性も、ないとは言い切れぬ。しかし、先日得た、共和国内で新たな増援を計画しているのではないか、という報告。あれが、気になって仕方がないのだ」

 相手は帝国でも指折りの大貴族の一人ということもあって真っ向から否定したりはしなかったが、ヨッヘム公は自説を変えず、説明を続ける。

「確か……、共和国で新たに五万程度の部隊が編成されつつある、というお話でございましたな」

 デニスは視線を上に向け、思い出しながらそう言う。
 それは、共和国内で新たに一軍が形成されつつある、という、諜報網からの報告であった。
 帝国の諜報はクラウスが統括しているが、一度帝都に情報が渡ってからまた前線に、というのではタイムラグが大きくなってしまうので、第一報はまず帝国軍の本営に渡し、それからあらためて帝都に向かう、という構造になっている。
 その諜報員からもたらされた、最新の知らせのことだった。

「左様。……それがしが恐れておりますのは、その一軍がいずこへ向かうか、ということなのです」

 そのデニスのなんでもなさそうな危機感のない言葉に、ヨッヘム公は深刻そうに、重々しくうなずいてみせていた。
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