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第三章:「課題山積」
・3-9 第28話:「国家再建:1」
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・3-9 第28話:「国家再建:1」
タウゼント帝国の皇帝の住まう場所であり、その政治の中枢でもあるツフリーデン宮殿。
そこへ向かう短い馬車の旅の間に、エドゥアルドはさっそく、パン籠の中を確かめていた。
開ける時まで楽しみにしておく、というのも考えたのだが、先になにが入っているのかを知っておいた方が自分のやる気が出ると思ったのだ。
まず目に入って来るのは、センメルという、丸い形の表面にお星さまの模様が入った、こんがりキツネ色に焼けた白パン。
表面はカリカリ、中はふわふわとしている美味なものだ。
帝都・トローンシュタットが存在する辺りでよく食べられているものだったが、代皇帝にとっては新鮮に思える。
ヘルデン大陸の中央部の広大な範囲を領有するタウゼント帝国では、地域によってけっこう食文化が異なっている。エドゥアルドが生まれ育った北のノルトハーフェン公国やその東、オストヴィーゼ公国などでは、緯度が高く冷涼な気候のため一般的な小麦がうまく育たず、寒さに強い品種であるライムギがよく栽培される。
このため、そこで食べられているのは全体的に黒っぽい印象のライムギパン、いわゆる黒パンで、少年もよくそれを口にしていた。
それに対し、白パンというのは小麦の、それも芯の胚乳の部分だけを用いて作られたもののことを指している。
白パンは高級品だ。最近では平民でもこういった白パンを口にする機会が増えて一般化しつつあったが、もっと前の時代には可食部を増やすために麦の実の表面まで一緒にひいて粉にしたものが広くパンの材料として用いられており、これらも黒パンと通称され、実の内側の美味しい所だけを粉にして使った白パンは貴族や金持ちだけの食べ物だったという時代が長かったし、今回サンドイッチに使われているものは、皇帝が食べるのにふさわしいような最上級のパンとして、カイザー・センメルなどと呼ばれている。
籠の中には、それを使ったサンドイッチが六つ。
エドゥアルドが普段食べる量からするとずいぶん多かったが、ルーシェはきっと、夕食や夜食の分まで、と考えて用意してくれたのだろう。
挟んであるのは、チーズやハム、新鮮なレタスに、野菜のピクルスなど。甘いジャムをたっぷりと塗ったものも入っている。
味に飽きてしまったりしないように、少しずつ具材が違っているらしい。同じハムやチーズでも、別の種類のものが使われている様子だった。
サンドイッチという料理なのも、忙しい合間に片手間で食べられるようにという配慮に違いない。
些細な工夫ではあったが、それがとても嬉しい。
そういう気づかいをしてくれる人がいる、と教えてもらえるし、それだけで頑張ろう、という気持ちが湧いて来る。
パン籠のフタを閉じたエドゥアルドは、背もたれに全身を預けて、ゆっくりと深呼吸をする。
(僕は、気負い過ぎているのかもしれない)
他愛のない[日常]を見て、代皇帝はそう思っていた。
彼は、焦りを覚えていた。
こうしている今も、国境地帯では数十万もの共和国軍がうごめき、国境を形成している大河、グロースフルスを渡河しようとしているのかもしれない……。
そう思うと、安穏としていられない。
その焦燥の原因は、情報がダイレクトに入って来ない、ということが大きい。
この時代の最速の連絡手段である早馬を最速で行き来させるために、タウゼント帝国は全土に駅伝制を敷いている。
主要な街道沿いに一定間隔で駅を置き、早馬を駆る使者はそこで疲労した馬を乗り換え、また全力で駆け抜けて行くのだ。
こうした制度を整えていても、情報の伝達には何日もの時間がかかってしまう。そのことがエドゥアルドの不安をかき立てる。
こうしている間にもなんらかの重大事が進展しており、手遅れになりつつあるかもしれないからだ。
だが、連絡を取り合うだけでも時間がかかる、というのはもどかしくてたまらないが、言い方を変えれば、考える時間を多く取ることができる、ということでもあった。
慌てて、前のめりになってあたふたともがいてみても、それで、自身のあずかり知らない場所で進み続けている物事をどうにかできるわけではない。
自分にできることを、一歩一歩、着実にこなしていく以上のことはなにもできはしない。
ルーシェの作ったありふれたサンドイッチは、そう意図しているわけではないのだろうが、そのことをエドゥアルドに気づかせてくれていた。
変に気負わずに、しかし、確実に前進する。
代皇帝がやるべき事業は、国家の再建というものだ。
旧態依然とした体制のままにあるこの国を刷新し、新しい時代に対応出来るように作り変える。
それは、もしかすると初めから国家を建国するのよりも困難なことかもしれなかった。
なにも無いところに基礎から国を作る、という大変さはあるのに違いなかったが、そこには自由に設計できるという利点がある。
エドゥアルドの場合は、すでにあるモノを破壊して、その上に新たに作る、ということをしなければならない。
その、破壊、というところが特に難しかった。
変な壊し方をして国が崩れて滅びる、などということが起きかねないからだ。
どこから手をつければ思い描いたとおりの形にできるか、慎重に検討し、よく観察して、手を加えて行かなければならない。
すでにあるものの中から応用できそうなものを見つけ出して使用することができれば、なにかと物事が早く進む、ということもあるだろうから、それもうまく見極めていかなければならない。
大きな制約も存在するだろう。それは、国家の基礎を成している物事について、あまり改変しすぎると、タウゼント帝国がまったくの別物になってしまう、という点だ。
エドゥアルドは改革を志してはいるものの、この国のすべてを消去したいわけではなかった。
伝統や文化、思想。
残したいと思えるものは、確かに存在する。
そういったモノまで失わぬよう。
良い部分は残し、悪い部分は取り除く。
それが彼の目指しているところであり、その目標の実現は、一般的な建国物語よりも遥かに複雑で困難な道のりになるのに違いなかった。
タウゼント帝国の皇帝の住まう場所であり、その政治の中枢でもあるツフリーデン宮殿。
そこへ向かう短い馬車の旅の間に、エドゥアルドはさっそく、パン籠の中を確かめていた。
開ける時まで楽しみにしておく、というのも考えたのだが、先になにが入っているのかを知っておいた方が自分のやる気が出ると思ったのだ。
まず目に入って来るのは、センメルという、丸い形の表面にお星さまの模様が入った、こんがりキツネ色に焼けた白パン。
表面はカリカリ、中はふわふわとしている美味なものだ。
帝都・トローンシュタットが存在する辺りでよく食べられているものだったが、代皇帝にとっては新鮮に思える。
ヘルデン大陸の中央部の広大な範囲を領有するタウゼント帝国では、地域によってけっこう食文化が異なっている。エドゥアルドが生まれ育った北のノルトハーフェン公国やその東、オストヴィーゼ公国などでは、緯度が高く冷涼な気候のため一般的な小麦がうまく育たず、寒さに強い品種であるライムギがよく栽培される。
このため、そこで食べられているのは全体的に黒っぽい印象のライムギパン、いわゆる黒パンで、少年もよくそれを口にしていた。
それに対し、白パンというのは小麦の、それも芯の胚乳の部分だけを用いて作られたもののことを指している。
白パンは高級品だ。最近では平民でもこういった白パンを口にする機会が増えて一般化しつつあったが、もっと前の時代には可食部を増やすために麦の実の表面まで一緒にひいて粉にしたものが広くパンの材料として用いられており、これらも黒パンと通称され、実の内側の美味しい所だけを粉にして使った白パンは貴族や金持ちだけの食べ物だったという時代が長かったし、今回サンドイッチに使われているものは、皇帝が食べるのにふさわしいような最上級のパンとして、カイザー・センメルなどと呼ばれている。
籠の中には、それを使ったサンドイッチが六つ。
エドゥアルドが普段食べる量からするとずいぶん多かったが、ルーシェはきっと、夕食や夜食の分まで、と考えて用意してくれたのだろう。
挟んであるのは、チーズやハム、新鮮なレタスに、野菜のピクルスなど。甘いジャムをたっぷりと塗ったものも入っている。
味に飽きてしまったりしないように、少しずつ具材が違っているらしい。同じハムやチーズでも、別の種類のものが使われている様子だった。
サンドイッチという料理なのも、忙しい合間に片手間で食べられるようにという配慮に違いない。
些細な工夫ではあったが、それがとても嬉しい。
そういう気づかいをしてくれる人がいる、と教えてもらえるし、それだけで頑張ろう、という気持ちが湧いて来る。
パン籠のフタを閉じたエドゥアルドは、背もたれに全身を預けて、ゆっくりと深呼吸をする。
(僕は、気負い過ぎているのかもしれない)
他愛のない[日常]を見て、代皇帝はそう思っていた。
彼は、焦りを覚えていた。
こうしている今も、国境地帯では数十万もの共和国軍がうごめき、国境を形成している大河、グロースフルスを渡河しようとしているのかもしれない……。
そう思うと、安穏としていられない。
その焦燥の原因は、情報がダイレクトに入って来ない、ということが大きい。
この時代の最速の連絡手段である早馬を最速で行き来させるために、タウゼント帝国は全土に駅伝制を敷いている。
主要な街道沿いに一定間隔で駅を置き、早馬を駆る使者はそこで疲労した馬を乗り換え、また全力で駆け抜けて行くのだ。
こうした制度を整えていても、情報の伝達には何日もの時間がかかってしまう。そのことがエドゥアルドの不安をかき立てる。
こうしている間にもなんらかの重大事が進展しており、手遅れになりつつあるかもしれないからだ。
だが、連絡を取り合うだけでも時間がかかる、というのはもどかしくてたまらないが、言い方を変えれば、考える時間を多く取ることができる、ということでもあった。
慌てて、前のめりになってあたふたともがいてみても、それで、自身のあずかり知らない場所で進み続けている物事をどうにかできるわけではない。
自分にできることを、一歩一歩、着実にこなしていく以上のことはなにもできはしない。
ルーシェの作ったありふれたサンドイッチは、そう意図しているわけではないのだろうが、そのことをエドゥアルドに気づかせてくれていた。
変に気負わずに、しかし、確実に前進する。
代皇帝がやるべき事業は、国家の再建というものだ。
旧態依然とした体制のままにあるこの国を刷新し、新しい時代に対応出来るように作り変える。
それは、もしかすると初めから国家を建国するのよりも困難なことかもしれなかった。
なにも無いところに基礎から国を作る、という大変さはあるのに違いなかったが、そこには自由に設計できるという利点がある。
エドゥアルドの場合は、すでにあるモノを破壊して、その上に新たに作る、ということをしなければならない。
その、破壊、というところが特に難しかった。
変な壊し方をして国が崩れて滅びる、などということが起きかねないからだ。
どこから手をつければ思い描いたとおりの形にできるか、慎重に検討し、よく観察して、手を加えて行かなければならない。
すでにあるものの中から応用できそうなものを見つけ出して使用することができれば、なにかと物事が早く進む、ということもあるだろうから、それもうまく見極めていかなければならない。
大きな制約も存在するだろう。それは、国家の基礎を成している物事について、あまり改変しすぎると、タウゼント帝国がまったくの別物になってしまう、という点だ。
エドゥアルドは改革を志してはいるものの、この国のすべてを消去したいわけではなかった。
伝統や文化、思想。
残したいと思えるものは、確かに存在する。
そういったモノまで失わぬよう。
良い部分は残し、悪い部分は取り除く。
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