神は細部に宿る

湯呑屋。

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第5話

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 店を出るといい時間だったので、そのまま映画館へと戻る。


「私、映画館でのポップコーンは食べない主義」


 ぽつりと藤がそう言った。


「俺も食べない。集中できない」


 軽い歯ざわりの音が隣からサクサクと聞こえてくるだけでも興が削がれる。ドリンクは問題ない。このMやLのカップに収まるためだけにカットされたようなサイコロ上の氷の角の削れ合う音は耳に心地よかった。それも藤に伝える。


「そう。私も同じよ。よかった」


「それも美学か?」


「嬉しがってるのか、茶化してるのかわからないんだけど」


 シアターに入り、席を確認する。当然のことだが席は隣同士だった。ホルダーにドリンクを入れ、スマホの電源を落とし、後は深く腰掛けて上映を待った。


 映画の内容は一つとして頭に入ってこなかった。ただ、彼女の存在に宿る神の存在だけをずっと、音響装置から出る音以外が静寂に包まれた幸せな空間で感じていた。


 眠ったわけでは決してないが、気付けば灯りがともり、人の波が一斉に立ち上がった。


「葉山君、ずっと硬直してたみたいだったけど、大丈夫?」


「実は腰から足にかけて痺れてる。もう少しここに居たい」


「じゃあ私、先にごみを片付けてくるよ、それ頂戴」


 彼女に空になったドリンクを手渡す。シアターから俺以外全員が捌けたタイミングで藤が戻ってきた。立ち上がる時に少しだけ手を借りる。


 柔らかさのあるカーペットに浮足立ったような感覚で劇場を後にし、エスカレーターへ向かおうと歩く。
瞬間、視界の端に警告ランプのような真っ赤な刺激が走った気がして、とっさに藤を覆うように壁に手をついた。


「悪い。いいって言うまでそのままで頼む」


「え……うん、わかった。もしかして岡田君がいた?」


 俺はゆっくりと頷く。振り返ることもできないので、藤に動いてもらうようにする。


「やり過ごすこともできるが……ちょっと、確認したいこともある。いま売店の方に向かってるから、こちらを見ることはないと思う。すぐそこの女子トイレまで、できるだけ目立たずに迎えるか?」
彼女は軽く頷いて、俺の腕をくぐってすぐに人波に紛れた。


「あれ、葉山君だよね。同じ学科の」


  岡田が俺に気付き声をかけてくる、俺もそれに合わせるように「岡田……だったよな。奇遇だなこんなところで」と返す。


「だね。俺は今日公開された映画を観に来たんだけど……葉山君もそれ目当てだった?」


 岡田が軽い世間話をする声がやけにキンキンと耳に響く。湧き上がるこの感情は正義感でも、下心が結びついたものでもないはずだ。それこそ、この肉体に宿った神の咆哮のような、根源的な怒りがそこにあった。対峙したからには、ここで是非を問わなければいけない。


「実は……俺、藤と付き合ってて、今日はデートなんだ」


 嘘の脆さが声に乗ってしまわないよう、岡田を正面から見据えるようにし、下腹に力を入れてそう言葉にした。何度かイメージしたように、いつでも拳を正面に出せるように力を込める。
岡田は虚を突かれたように目を丸めてから「へぇ、そうだったんだ」と言って周りを見渡し、おそらく藤の姿が見えないことを確認してからもう一度俺に向き直って、よくわからないというように首を傾げた。表情が「誤魔化せていただろうになんでそんなことを言ったの?」と訴えてきている。俺は、何かとんでもなく間抜けなことをした気分になって、拳から力がすっと抜けてしまった。


「そんな秘密……僕が聞いてよかったのかな?」


「あぁ……ちょっと、今のところ誰にもバレていないから気が動転した。すまん。忘れてくれは無理だと思うから、周りには黙っていてくれないか?」


 そう聞くと、岡田はにやりと笑って「いいよ。なんか、ちょっとドキドキするねこういう秘密を抱えるって」と言った。そのまま「あ、映画の時間が近いからまたね」と彼も人波の中にすっと消えていった。まるで、今日の俺と藤の物語には一切関係なかったかのようにあっさりと。


 藤に「もういいぞ」と送ると、彼女はすぐに戻ってきた。


「大丈夫だった? 何かされたりとかは」


「何もなかったよ。あと岡田のことは、かなりのくわせものじゃない限りはお前の勘違いってことで処理してもいいかもしれない」


 一応、所感ということでそう報告すると、藤は「ふぅん」と興味なさげに返事をした。


 岡田との接触で緊張の糸が一気に切れた俺は、ディナーは一緒にせずにそのまま藤と別れ帰宅した。もう必要がなくなった写真は、それでも後で藤がデータで送ってくれるとのことだ。


「これ、写真の公開はしなくてもいいんじゃないか?」


 俺はそう言ったが、藤は「別に岡田君に限ったことじゃないし、けん制はするつもりだよ」と言った。


「それに、初デートの思い出なんだから、ちょっとは浮かれて投稿してもいいでしょ」


 からかうように藤は笑った。まだこれを、からかわれていると認識しなければならない。決定的なことは何も起きてはいないのだ。彼女に宿ったのは、無数の天使と悪魔なのではないかと思う。誰も彼もがいたずら好きな、彼女に魅了された存在達。


 目を凝らしても、彼女の気持ちまでは暴けない。


 財布の中に仕舞った半券を手に取る。もう開かれることのない舞台の招待券のように、大事にしまった。
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