世界で一番、可愛いおばけ

ことは

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4愛憎

4-6

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「ミルクも一応持って行こうかな。それからオムツ。汚したら困るから着替えも」

 亜紀は、花柄のトートバッグに葵の着替えを詰めた。

 今日は葵の1か月検診。葵を外に連れ出すのは初めてだ。

 亜紀はキッチンでミルクを作った。葵は哺乳瓶を嫌ったが、外出先で母乳をあげるのは気が引ける。

「葵ちゃん、ちょっと待っててねー」

 哺乳瓶を振りながら、リビングの布団で寝転んでいる葵に目をやる。

 葵はクリーム色のカバーオールを着ている。足をバタバタ動かし、握りしめた手を口元に当てていた。仕草の一つ一つが愛らしい。

 亜紀は視線の端で、なにか動くものを捉えた。

 亜紀はリビングの入り口の方へ顔を向けた。

 そらだった。

 出かける準備に慌ただしく、寝室のドアを閉めるのを忘れたのだ。

 そらは、すごい速さで葵の元へハイハイをしていく。

 亜紀は哺乳瓶を調理台に置き、葵の元へ駈け寄った。そらが葵に触れる前に、そらを抱き上げる。

「そらちゃん! 勝手にベビーベッドから出ちゃダメって言ってるでしょ」

 亜紀の怒鳴り声に驚いたのか、葵が泣き出す。

「あーもう、ほら泣いちゃったじゃない。葵ちゃんごめんね、ちょっと待っててね」

 亜紀はそらを連れて2階に上がった。

「そらちゃんは、ここ」

 ベビーベッドにそらを置く。

 夜も時々、そらはベビーベッドを抜け出し、亜紀と葵が寝ているベッドの方へやってくる。

 気づくたびに亜紀は、そらをベビーベッドに戻した。夜中の授乳に加え、さらに寝不足が重なっていた。

 そらが真っ黒い目で、亜紀を見上げている。まるでわたしも連れて行けと言っているようだ。

 どうしてそんなに亜紀を責めるような目をするのか。泣きも笑いもせず、ただ亜紀を責めるのか。

「なにか文句でもあるの?」

 そらはなにも言わない。ただ亜紀をじっと見つめている。

 じわじわと苛立ちが込み上げてくる。

「そらちゃんは、ダメッ!」

 亜紀はベビーベッドの柵を蹴った。

 ガタンとベビーベッドが揺れる。

 そらが動じる様子はない。ますます亜紀は苛立った。

「ダメって言ってるでしょ!」

 ベビーベッドを力任せに蹴る。もう一度蹴る。もう一度強く蹴る。足が痺れたが、亜紀は構わなかった。

 1階から聞こえる葵の泣き声が激しくなる。

「そらちゃん、うるさいっ!」

 亜紀は、ベビーベッドを両手で掴んでゆすった。

 そらはなにも言わない。

「うるさい、うるさい、うるさいっ」

 葵が泣いている。

「もういい加減にしてっ!」

 亜紀はベビーベッドをさらに激しくゆすった。

 ふと顔を上げると、鏡台の鏡に亜紀の姿が映っていた。

 髪は乱れ、目の下には黒い隈ができている。下がった口角と対照的につり上がった目は、恐ろしく殺気立っていた。

「あぁ」

 亜紀はその姿に愕然として、両手で口を押さえた。

 亜紀は首を振りながら、そらを見た。そらは四つん這いで、亜紀を見ている。可愛らしい目で見上げているではないか。

 1階で葵が泣いている。お腹が空いたのか、オムツが気持ち悪いのか。それともただ寂しいだけなのか。自分は一体ここでなにをしていたのだろう。

 口元を押さえる手が震える。

――精神科に行ってみようか。

 このままの状態では、亜紀はまともに葵を育てることができない。自然にそらが消える時を待つことはもうできない。

 亜紀はため息をついた。

 決断する時が来たのだ。

「ごめんね、そらちゃん」

 亜紀は、そらを優しく抱き上げた。

「なんとかしなくちゃ」

 1か月検診の後に、葵とそらを連れてそのまま精神科を受診してみようと思った。精神科に行くなら、そらを連れて行った方がいいだろう。

 亜紀はリビングに戻ると、寝ている葵の頭の下に手を入れた。そっと葵を持ち上げ、左の腕だけで抱いた。右肩にバッグをかけ、右手にそらを抱く。

 少し辛い姿勢だが、大丈夫だ。そらは軽くて小さい。なんとか検診を済ませることができそうだ。

 玄関から外に出ると風が強く、肌寒かった。亜紀はそらを見た。10月下旬に裸で外出させるのは可哀想だ。

 だが、これまでに何度か人形の服を着させようと試したが、ダメだった。

 亜紀はバッグから白いハンカチを出して、そらの体を包んだ。嫌がるかと思ったが、そらはじっとしていた。
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