世界で一番、可愛いおばけ

ことは

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1天国から地獄

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 亜紀の両親も孝之の両親も、今回は赤ちゃんを諦めろと口をそろえた。孝之までもが、同意見だった。亜紀の体を思ってのことなのだと、頭では理解できた。

 だが、亜紀の心は、それをすぐに受け入れることができなかった。

 決心できないまま、大晦日を迎えていた。

 リビングのテレビから、どっと笑い声が流れてくる。画面の向こう側では、紅白歌合戦が繰り広げられていた。亜紀はそれを眺めた。

「なんかみんな、楽しそうだね」

 ちっとも楽しそうではない声で、亜紀は言った。

 ダイニングテーブルで年越しそばをすする。味が薄かった。

 妊娠中は、塩分の取りすぎに注意しなければならない。赤ちゃんのためだと思えば、少しくらいまずくても我慢できた。

 先にそばを食べ終わった孝之が、ソファに腰かけて言った。

「赤ちゃんも、早くお空に返してあげた方が、楽なんじゃないかな」

 両親も孝之も、何度も同じことを言う。

 孝之が焦っているのがわかる。21週まで時間がないことは、亜紀にもわかっている。

 亜紀だって考えている。でも、今はまだ決められないのだ。心が凍りついてしまっている。

 亜紀は、そばを飲みこんだ。あれからもう、ずっと食欲はなかった。やっと悪阻が治まってきたと思ったのに、何を食べてもほとんど味がしない。

 でも、無理やりにでも食べなければならない。今はお腹に赤ちゃんがいる。亜紀が食べたものが赤ちゃんの栄養になる。

 亜紀はそばつゆでふやけた野菜のかき揚げを、箸で小さく切って口に運んだ。

 孝之が、リモコンをテレビに向ける。

 プツリと音がして、テレビの映像が消えた。真っ黒い画面に、亜紀の姿が映る。髪がボサボサだった。毎日、髪をとかす気力もなかった。

「なぁ亜紀。奇跡的に生まれてきたとしても、すぐに死んじゃうなんて、かわいそうじゃないか」

 静かになったリビングで、孝之の言葉が宙に浮いた。

 答えない亜紀に、孝之が苛立っているのがわかる。

「なぁ亜紀」

 亜紀の頭の中で、プツリと音がした。テレビの電源を切った時のように、頭の中が真っ黒に塗りつぶされた。黒い怒りが渦を巻いて、孝之に向かう。

「どうせすぐに死んじゃうから? だから赤ちゃんを殺すの? じゃあなに。わたしたちだってみんな同じじゃない。人はいつかみんな死ぬ。どうせいつか死ぬなら、今すぐ死んだほうがいい? ねぇ、そういうこと? わたしも死んだ方がいい? 今すぐ? じゃあ孝之も死んでよ、今すぐ死んだらいいじゃない!」

 亜紀は一気にまくしたてた。

「そういうことじゃないだろっ」

 孝之の声が大きくなる。

「そういうことでしょっ!」

 亜紀が怒鳴る。

 孝之が大げさにため息をついた。

「じゃあ、亜紀はこんな気持ちのまま、あと何ヶ月も過ごすの? 亜紀、耐えられるの? 赤ちゃん、産むの?」

 亜紀は、イエスと答えられなかった。喉の奥が焼けるように熱くなって、涙がこぼれてくる。

 本当は、亜紀はわかっていた。

 心の奥底では、すでに決断していた。亜紀は、人工死産を選択する。医師に宣告された時から、もう決まっていたのだ。

 だが、そういう決断をした自分がうしろめたい。赤ちゃんに申し訳ない。罪悪感はきっと、一生消えない。

 だって、今はお腹の中でちゃんと生きている。赤ちゃんは生きている。その赤ちゃんを、殺すのだ。愛しい我が子を。

 お腹の中で、ポコンと泡がはじけたような感覚がした。二、三日前から感じるようになった。胎動だった。

 亜紀はお腹を触った。亜紀が、このお腹の赤ちゃんを殺すのだ。最後の検診で、元気に手足を動かしていた姿を思い出す。

 どうやったって自分は救われない。

 そこまで考えて、亜紀ははっとした。

 自分が救われたいために、迷っているの? 赤ちゃんのためではなく、自分のため? 罪悪感から逃れるため? だとしたら、なんてひどい人間なんだろう。

 亜紀は両手で顔を覆った。

 亜紀は思った。覚悟ができている分、亜紀より孝之の方がずっと優しい。

「ごめん」

 孝之が、つぶやくのが聞こえた。
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