愛するあの子は、わたしが殺した

ことは

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「妊娠初期の頃にね、彼に勧められて新型出生前診断を受けたの。まだ若いから、大丈夫だろうと気軽に受けたんだけど、医者からダウン症の疑いがあるって言われて」

 それは採血によって赤ちゃんの染色体異常症の可能性を診断するもので、非確定的検査だった。あくまで可能性であって、障害の有無を確定できるものではない。

 だが彼は、万一障害のある子が生まれてきたら育てることはできないと言った。どうしても産むなら離婚を考えると。

 瑞穂はもちろん、そんなに簡単には決められなかった。だから、確定検査である羊水検査をするまで待ってほしいと言った。羊水検査は妊娠15~16週以降に可能で、結果が出るまでに2~4週間かかる。

 妊娠12週未満の初期中絶であれば、母体にかかる負担は少ない。羊水検査をするとなれば、中期中絶となる。母体に負担がかかることはわかっていたが、瑞穂には簡単に命の選別をすることなどできなかった。

「結局羊水検査で、ダウン症でほぼ間違いないって言われたの」

 瑞穂の話に、菜月がため息を漏らす。

「ショックだったよね」

 瑞穂はうなずいたが、実際はショックという言葉で表せるような感情ではなかった。感情が麻痺して、思考停止状態だった。強い悲しみから心を守るための、防衛反応だったのだろう。

「でも、検査の結果を聞いても、中絶する気にはなれなかった。わたしは元々早く結婚して子どもが欲しかったから」

 うん、と菜月が静かにうなずく。

「もしも障害がもっと重いものだったら、生まれてきてもすぐに死んじゃうとかだったら、ここまで悩まなかったかもしれない。あの子は障害があっても、生まれて育って生きることができたのに……」

 あの子はわたしが殺したの。喉元まで出かかった言葉を、瑞穂はぐっと飲みこんだ。

「彼がネットで調べたのか知らないけど、羊水検査で染色体異常が確定した夫婦の9割以上が中絶をしているって言うの。そんなこと言われても知らないよ。他の人がどうしているかなんてどうでもいい」

 瑞穂は膝の上で両手をギュッと握りしめた。爪が手の平に食い込む。痛みは感じなかった。

「本当は生んで育てたかった。でも、それは彼と一緒だからできること。離婚して一人で育てることは考えられなかった。わたしはあの時、赤ちゃんよりも彼を選んでしまったの」

「うん」

 菜月が親身になって聞いてくれる。

「彼ね。1歳年下で、同じ会社の新入社員だったの」

 彼から猛烈なアプローチを受けて、去年の5月から付き合い始め、妊娠が発覚したのが7月。瑞穂は子どもを授かったことは嬉しかったが、彼がなんというか不安だった。

「けど彼、すぐに入籍しようって言ってくれたの。正直意外だった。でも本当は、結婚する覚悟も父親になる覚悟もできていなかったんだと思う」

 瑞穂は子どものように無邪気に笑う、彼の顔を思い浮かべた。彼の笑った顔がすごく好きだった。



 *****



――中絶手術を終えた後、病室で呆然と横になっている瑞穂に彼は言った。

『早く二人の元気な赤ちゃんが欲しいね』

 彼は希望に満ちた目でそう言った。

 優しく無邪気に、満面の笑みを浮かべて。

 産声をあげることなく亡くなった赤ちゃん。たった今愛しいわが子を産み殺したばかりの瑞穂に、彼は笑顔でそう言ったのだ。

『元気な赤ちゃん? 障害のある赤ちゃんはいらないってこと?』

 瑞穂は感情のこもらない声で、突き刺すように彼に言った。

 彼の顔からはみるみるうちに血の気が引いたが、それでもなお、ひきつった笑顔を張り付かせていた。

 瑞穂はこの時、離婚を決意した。




 *****



「そういうことかぁ」

 菜月はため息交じりに言った。

「ごめん、話が大分それちゃった。それで、一年前の事件って?」

 瑞穂は気持ちを切り替え、話を戻した。

「仕事の立場上、詳しいことは話せないんだけどさ」

  菜月はテーブルに腕をつき、瑞穂の方に顔を寄せた。

「これは、このあたりに住んでいる人なら誰でも知っている話。児童相談所の職員としてじゃなくて、このあたりの一般市民として知っていることを話すね」

 菜月は一般市民を強調するように言った。
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