愛するあの子は、わたしが殺した

ことは

文字の大きさ
上 下
9 / 28

しおりを挟む
「クリームシチューがあるの。夕飯の残りだけど、よかったら食べていかない?」

 瑞穂の提案に、すぐに飛びついてくるかと思ったのに、リナは「いらない」と即座に答えた。

「どうして? お腹空いていないの?」

 瑞穂の問いに、リナはうなずいた。

「リナちゃん、前はいつもお腹が空いていたの。でもね、すごく不思議なんだけど、お父さんとお母さんがいなくなってから、全然お腹が空かなくなったの」

 リナは自分のお腹に両手を当てながら言った。

 ガチガリにやせ細ったリナの体は、見ているだけで痛々しかった。

「お腹が空いていなくても、ちょっとだけでも食べてみたら? すごくおいしいよ」

「食べない」

 リナがはっきりと断ってきた。

「だって、毒が入っているかもしれないもん」

 申し訳なさそうな顔をしてリナが言う。

「あっ、そうか、そうだよね。知らない人が作った料理を食べるなんて、怖いよね」

 瑞穂は自分の善意が、押しつけがましかったかと反省した。だが、なにか食べさせないとリナの体が心配だ。

「手料理が不安なら、コンビニのおにぎりはどう?」

 リナは黙って首を横に振る。

「じゃぁ、チョコレートは? 昨日お店で買ってきたばかりだから、毒が入っているとか心配しなくても大丈夫だよ」

 リナはまた首を横に振った。

「手料理とか関係ない。食べ物は全部、毒が入っているかもしれないもん」

 これは手強い。

「リナちゃんは随分、慎重派なのね」

 瑞穂はため息をつきながら言った。

「食べ物に毒が入っていないか、いつもお父さんとお母さんが先に食べて確かめてくれるの。だからリナちゃんは、お父さんとお母さんが残したものしか食べないの」

「もしかして、お母さんとお父さんが食べ終わるまで、リナちゃんはご飯を食べられないの?」
 
 瑞穂は驚いて聞いた。

「うん。でも、お父さんが全部食べちゃって、ご飯が残ってない時もある」

「そんなのひどい」

 瑞穂は思わず強い口調になってしまった。

「しかたないよ。毒見をするのってすごく難しいの。だから全部食べないと、毒が入っているかわからない時もあるんだって」

 リナはまるで豆知識を披露するかのように言う。

「リナちゃんが毒入りのご飯を食べて死なないように、お父さんとお母さんは、自分を犠牲にして守ってくれているんだよ。すごいでしょ」

 リナは嬉しそうな顔をしている。

 瑞穂は即座にそれは違うと言いたかったが、それをリナに理解させるには相当時間が必要だと感じた。

「リナちゃん、もう帰る」

「待って。リナちゃんを安全な場所に連れて行ってくれる人がいるの」

 児童相談所に電話して、今すぐ家に来てもらおうと瑞穂は考えた。リナが瑞穂の部屋にいるうちに。

 このままリナを隣の部屋に帰してはならない。

 瑞穂はスマホの画面を開いた。

「どこに電話するの?」

 リナが早口で聞いてくる。

「もしかして知らないおばさんが来るの?」

 リナは不安げな顔をして後ずさった。

「大丈夫。リナちゃんを守ってくれる人だよ」

 瑞穂はできるだけ優しい調子で言ったが、リナの表情はみるみるうちに曇っていく。

「ダメ、絶対に電話しないで」

 リナが声を荒げた。

「それ、悪い人だよ。だってリナちゃんを守ってくれるのは、お父さんとお母さんだけだもん」

「違う、違うの」

 瑞穂は必死でなだめようとしたが、リナはどんどん呼吸を荒くしていく。

「いや。前に知らないおばさんが来て、リナちゃん、どこか知らない場所に連れていかれたことがあるもん」

 ああ、そうか。今日、児童相談所の職員が訪問してこなかったのは、そういうことか。

 既に児童相談所は、リナが虐待されていることを把握していたのだ。

 瑞穂はこのアパートに引っ越してきたばかりだ。瑞穂がこのことを初めて知っただけで、児童相談所はもうずっと前から対応してきていたのだ。

「リナちゃん、どこかに連れていかれたら嫌。お母さんが帰ってきた時、会えなくなっちゃうもん」

「ごめんね、電話はやめるね」

「絶対にしない?」

「うん」

「絶対に絶対に絶対に約束だよ。約束破ったらリナちゃん、許さないからね」

「うん、絶対に絶対に絶対しない」

 瑞穂はスマホをズボンのポケットにしまった。

「帰る」

 リナはくるりと向きを変えると、玄関扉を開けて出て行ってしまった。

「待って」

 瑞穂は慌てて追いかけた。扉を開けて、スリッパのまま外に出る。

「あれ? リナちゃん?」

 リナの姿はもうそこにはなかった。

 瑞穂は隣の102号室の玄関扉を見つめた。

「ちゃんと、部屋に戻ったよね?」

 まるでリナは一瞬で消えてしまったようだった。102号室に戻るところを見届けられなかった。

「リナちゃん、ごめんね」

 隣の部屋の扉に向かって、瑞穂は呟いた。なにもできない自分がもどかしかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

赤い部屋

山根利広
ホラー
YouTubeの動画広告の中に、「決してスキップしてはいけない」広告があるという。 真っ赤な背景に「あなたは好きですか?」と書かれたその広告をスキップすると、死ぬと言われている。 東京都内のある高校でも、「赤い部屋」の噂がひとり歩きしていた。 そんな中、2年生の天根凛花は「赤い部屋」の内容が自分のみた夢の内容そっくりであることに気づく。 が、クラスメイトの黒河内莉子は、噂話を一蹴し、誰かの作り話だと言う。 だが、「呪い」は実在した。 「赤い部屋」の手によって残酷な死に方をする犠牲者が、続々現れる。 凛花と莉子は、死の連鎖に歯止めをかけるため、「解決策」を見出そうとする。 そんな中、凛花のスマートフォンにも「あなたは好きですか?」という広告が表示されてしまう。 「赤い部屋」から逃れる方法はあるのか? 誰がこの「呪い」を生み出したのか? そして彼らはなぜ、呪われたのか? 徐々に明かされる「赤い部屋」の真相。 その先にふたりが見たものは——。

【完結済】ダークサイドストーリー〜4つの物語〜

野花マリオ
ホラー
この4つの物語は4つの連なる視点があるホラーストーリーです。 内容は不条理モノですがオムニバス形式でありどの物語から読んでも大丈夫です。この物語が読むと読者が取り憑かれて繰り返し読んでいる恐怖を導かれるように……

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

二人称・短編ホラー小説集 『あなた』

シルヴァ・レイシオン
ホラー
普通の小説に読み飽きたそこの『あなた』 そんな『あなた』にオススメします、二人称と言う「没入感」+ホラーの旋律にて、是非、戦慄してみて下さい・・・・・・ ※このシリーズ、短編ホラー・二人称小説『あなた』は、色んな"視点"のホラーを書きます。  様々な「死」「痛み」「苦しみ」「悲しみ」「因果」などを描きますので本当に苦手な方、なんらかのトラウマ、偏見などがある人はご遠慮下さい。  小説としては珍しい「二人称」視点をベースにしていきますので、例えば洗脳されやすいような方もご観覧注意、願います。

意味が分かると怖い話【短編集】

本田 壱好
ホラー
意味が分かると怖い話。 つまり、意味がわからなければ怖くない。 解釈は読者に委ねられる。 あなたはこの短編集をどのように読みますか?

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

奇談

hyui
ホラー
真相はわからないけれど、よく考えると怖い話…。 そんな話を、体験談も含めて気ままに投稿するホラー短編集。

怪異語り 〜世にも奇妙で怖い話〜

ズマ@怪異語り
ホラー
五分で読める、1話完結のホラー短編・怪談集! 信じようと信じまいと、誰かがどこかで体験した怪異。

処理中です...