上 下
7 / 28

しおりを挟む
「やっぱり昨日泣いていたのは、リナちゃんでしょ?」

 リナは目をギュッと閉じて、首を激しく横に振った。

「昨日じゃない。もっとずっと前。ずっと前にリナちゃんはお風呂で泣いたの」

「どういうこと? 前にも同じようなことがあったの?」

「リナちゃん、おもらしをしたの。だからいつもは入れないけど、お風呂に入れてもらえたの」
 
 リナの目が不安そうに揺れる。

「お母さんかお父さんがお風呂に入れてくれたの?」

「お父さん。嘘のお父さん」

「嘘?」

「本当のお父さんは、リナちゃんとママを置いて遠くに行っちゃったの。だから嘘のお父さんが来たの」

 嘘のお父さんとは、おそらくお母さんの再婚相手のことだろうか。

「お風呂で、なにか嫌なことされた?」

 瑞穂が聞くと、リナは目に涙をためた。

「リナちゃんはおもらしをしたから、お風呂に入ったの。リナちゃんはお風呂嫌いなの」

「どうして? お風呂に入ったら、さっぱりして気持ちいいでしょ?」

「だって、お風呂ってシャワーが熱すぎるでしょ? 熱すぎて皮膚が真っ赤になって、ヒリヒリ痛くなるもん。お姉さんはならないの?」

「シャワーを丁度よい温度にすれば、そんなに熱くないよ。温度を下げてってお父さんにお願いした?」

 リナは強く首を横に振った。

「リナの体は、ばい菌だらけなの。だから汚くなった皮膚がベロンってめくれるまで、熱いお湯をかけ続けなくちゃいけないの。お姉さん、大人なのにそんなことも知らないの?」

 瑞穂はリナに返す言葉が見つからなかった。お父さんのやり方は間違っているよと教えたところで、理解してもらえない気がした。

「それにあの日は、お湯にもつからなくちゃいけなくて……頭のてっぺんまで全部」

「頭のてっぺんまで? お湯に潜るってこと?」

 リナはうなずいた。

「息ができないからすごく苦しいの。お湯から顔を出そうとしたら、お父さんがリナちゃんの頭をギュって押さえつけたの」

 リナは間違いなく、父親から虐待を受けている。瑞穂は確信した。

「お母さんは? その時お母さんはどうしてた?」

「お母さんは、お部屋にいたよ」

「リナちゃんが泣き叫んでいるのに、心配して見に来ないの?」

「弟がまだ赤ちゃんだから、お母さんは弟のお世話で忙しいの」

「赤ちゃんは、今おうちにいる?」

 ひょっとしたら赤ん坊まで、育児放棄されているのだろうか。

「いないよ。おうちには誰もいない」

「昨日から、誰もいないの?」

「昨日じゃないよ。もっとずっと前からいない」

 リナの言っている意味が、瑞穂には理解できなかった。

 リナは4歳児だ。昨日、今日、明日といった時間の概念がまだないのだろうか。小さな子どもと接する機会のない瑞穂にはよくわからなかった。

「お風呂で頭まで潜って、リナちゃん大丈夫だった?」

 瑞穂は優しく労わるように言った。自然に涙声になってしまう。

「すごく苦しくて、目の前が真っ暗になった」

「気を失ったの?」

「わからない」

 瑞穂がリナの頭を撫でようとすると、リナがビクッと身体を震わせ、両手で頭をかばった。

「あ、ごめん」

 瑞穂は慌てて手を引っ込める。きっとリナは、日常的にお父さんから殴られているのだろう。おそらく条件反射で身体が動いてしまうのだ。

「気がついた時には、おうちに誰もいなくなっていたの。だから、リナちゃんは、お母さんが帰ってくるのをずっとずっと待っているの」

 リナは目を潤ませている。

「お風呂で火傷したところは痛くない?」

「もう治ったよ。気がついた時には治っていたの」

「そう、よかった」

 瑞穂はそう言いながらも、本当にそうだろうかと疑いを持っていた。見える範囲では大丈夫そうだが、服で隠れているところはわからない。

 もし本当に皮膚がめくれるほどの火傷を負ったのだとしたら、たった一日で治るはずがない。

 だが、赤の他人の瑞穂が、リナの服を脱がせて確かめるわけにもいかない。

 児童相談所はなにをやっているのだろう。今すぐにでもリナを保護してもらいたい。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

タクシー運転手の夜話

華岡光
ホラー
世の中の全てを知るタクシー運転手。そのタクシー運転手が知ったこの世のものではない話しとは・・

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

怪異語り 〜世にも奇妙で怖い話〜

ズマ@怪異語り
ホラー
五分で読める、1話完結のホラー短編・怪談集! 信じようと信じまいと、誰かがどこかで体験した怪異。

Catastrophe

アタラクシア
ホラー
ある日世界は終わった――。 「俺が桃を助けるんだ。桃が幸せな世界を作るんだ。その世界にゾンビはいない。その世界には化け物はいない。――その世界にお前はいない」 アーチェリー部に所属しているただの高校生の「如月 楓夜」は自分の彼女である「蒼木 桃」を見つけるために終末世界を奔走する。 陸上自衛隊の父を持つ「山ノ井 花音」は 親友の「坂見 彩」と共に謎の少女を追って終末世界を探索する。 ミリタリーマニアの「三谷 直久」は同じくミリタリーマニアの「齋藤 和真」と共にバイオハザードが起こるのを近くで目の当たりにすることになる。 家族関係が上手くいっていない「浅井 理沙」は攫われた弟を助けるために終末世界を生き抜くことになる。 4つの物語がクロスオーバーする時、全ての真実は語られる――。

虫喰いの愛

ちづ
ホラー
邪気を食べる祟り神と、式神の器にされた娘の話。 ダーク和風ファンタジー異類婚姻譚です。 三万字程度の短編伝奇ホラーなのでよろしければお付き合いください。 蛆虫などの虫の表現、若干の残酷描写がありますので、苦手な方はご注意ください。 『まぼろしの恋』終章で登場する蝕神さまの話です。『まぼろしの恋』を読まなくても全然問題ないです。 また、pixivスキイチ企画『神々の伴侶』https://dic.pixiv.net/a/%E7%A5%9E%E3%80%85%E3%81%AE%E4%BC%B4%E4%BE%B6(募集終了済み)の十月の神様の設定を使わせて頂いております。 表紙はかんたん表紙メーカーさんより使わせて頂いております。

意味怖しませんか?

ねお
ホラー
意味がわかると怖い話を 私のオリジナルのキャラクター たちでやっていきます! 怖い話が大丈夫な人は是非,見てくれると 嬉しい です。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ぬい【完結】

染西 乱
ホラー
家の近くの霊園は近隣住民の中ではただのショートカットルートになっている。 当然私もその道には慣れたものだった。 ある日バイトの帰りに、ぬいぐるみの素体(ぬいを作るためののっぺらぼう状態)の落とし物を見つける 次にそれが現れた場所はバイト先のゲームセンターだった。

処理中です...