愛するあの子は、わたしが殺した

ことは

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 翌日、瑞穂は買い物にも出かけず、隣の部屋に終始耳を傾けていた。
 
 だが、隣の部屋からは物音ひとつ聞こえなかったし、人が動く気配も感じられなかった。時々小さな子どもの笑い声が聞こえてきて、瑞穂はハッとしたが、それはアパートの外から聞こえてくる声だった。
 
 夕方になっても、児童相談所の職員が訪れてくる様子はなかった。児童相談所は通告を受けたら、48時間以内に現場に向かわなければならないはずだ。

 瑞穂が連絡してから、まだ24時間も経過していないが、子どもの命がかかっているのだ。これでは対応が遅すぎる。

 瑞穂はなんとかして女の子の安全を確認したかった。

 手遅れになる前に、なにかできることはないだろうか。

 瑞穂はお気に入りのマグカップにコーヒーを淹れながら思案した。

「隣の部屋を訪ねてみようか」

 瑞穂はマグカップを両手で包んだ。コーヒーを一口飲むと、口の中に苦みが広がる。

 新型ウイルスが流行してから、冠婚葬祭は小規模になり近所付き合いも希薄になった。単身者の多いワンルームアパートで、挨拶だけのために部屋を訪ねても、迷惑に思う人が大半かもしれない。

 訪ねて行っても、お互い嫌な思いをするだけかもしれない。

 だが、それしか隣の女の子の無事を確かめる手段が思いつかなかった。

 引っ越してきてから既に一週間以上経つが、引っ越しの挨拶だと言えばそれほどおかしくはないだろう。

 もしかしたら、玄関先で立ち話になるかもしれない。部屋の中は暖房が効いているが、外は寒いだろう。瑞穂は白いニットの上に、ベージュのダウンジャケットを羽織った。

 外に出ると陽が落ちかけていたが、わずかに残る夕日が外廊下を赤く照らしていた。

 瑞穂の部屋は、101号室。1階の角部屋だ。

 日当たりはあまりよくないが、上の階よりも家賃が安くて、瑞穂は1階を選んだ。防犯上は好ましくないが、失業中の身としては、少しでも節約しなければならない。

 瑞穂の借りている部屋は、入居者募集の前にリフォーム工事をしたと聞いている。扉も内装も全部入れ替えたらしい。だから、築25年とはいえ、部屋の中は新築のように綺麗だ。

 瑞穂は隣の102号室の前に立った。

 102号室の扉は、瑞穂の部屋よりも随分と錆びていた。この部屋はリフォーム工事が行われていないのだろう。

 表札はなかった。ここは賃貸のアパートだし、表札を出している人は少ない。瑞穂も同様に表札を出していない。

 ドア横のチャイムを鳴らす。数秒待ったが、反応はない。

 瑞穂はもう一度チャイムを鳴らした。ピンポンと部屋の中に響く音が漏れ聞こえる。チャイムが壊れているということはなさそうだ。

 だとしたら、留守か。または居留守か。

 訪問販売や宗教の勧誘だと思われているかもしれない。

「こんにちは。隣に越してきた佐伯です」

 怪しい者ではないことを伝えるために、瑞穂はよそゆきの高い声で呼びかけた。

 横から冷たい風が吹きつけてきて、自分の髪で視界が覆われる。上着を着てきてよかった。ニット一枚ではすぐに体が冷え切ってしまっただろう。

 瑞穂は寒さに身体を震わせながらも数分待ったが、102号室の扉が開くことはなかった。
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