魔法のステッキ

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6 亜紀の夢

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「美咲、友里を公園に連れて行ってあげて」

「えー、なんでわたしが」

「だって、土曜なのにお父さんは仕事だし、お母さんは引っ越しの片づけ、まだ残っているんだもの」

 友里が、公園、公園とはしゃいでいる。

 リビングのサイドテーブルに置かれた鉢が、美咲の目に入る。

 ピンク色をした花は、窓から差し込む太陽の光を受けて気持ちよさそうだ。

 美咲はまだ、理央からもらったこの花の名前も花言葉も調べていない。

 亜紀が、バトン教室のことを図書館のインターネットで調べてくれたことを思い出す。家にもお父さんのパソコンはあるが、自由には使わせてもらえない。

(図書館に行けば、インターネットか図鑑で花の名前を調べられるかな)

 でも、調べるのは怖いような気もした。

(すごく嫌な花言葉だったらどうしよう)

 そしたら今度こそ、美咲の心はポキッと折れて立ち直れない気がした。きっと知らない方がいいことだってある。

「お姉ちゃん、早く公園行こうよ」

 友里が、美咲のTシャツのすそをひっぱって言う。

「だって、わたし、バトンの練習したいし、図書館にも……」

 美咲の声が小さくなる。

「バトンなら公園でやればいいでしょ」

 お母さんが、ダンボールからしわくちゃになった服を出しながら、きっぱりと言った。

「あー、これじゃぁ、もう1回アイロンかけなくちゃ着られないわ」

 お母さんがイライラし始めているのがわかった。これ以上ここでグズグズしていたら、怒られそうだ。

 はぁー、とため息をついて、美咲は左手にバトン、右手に友里の手をとった。

「やったぁ! 公園、公園」

 友里が、楽しそうに飛び跳ねた。

   ◇

 遊具で遊ぶ友里から目を離さないようにと、お母さんに何度も念を押されたから、練習とはいってもバトンに集中できなかった。

 適当にバトンをクルクル回しながら、すべり台の上から笑顔で手を振る友里に、手を振り返す。

 足元に、何かが当たった。

「いたっ」

 美咲は足をさすりながら、足元に目をやった。

 サッカーボールだった。

「あ、わりぃ、わりぃ」

 走りながらやってきた坊主頭の子が、ゴメンと顔の前に手をやっている。

 見覚えのある顔だった。

(だれだったかな)

 記憶をひっぱり出すように、頭の中をフル回転させた。

 やっと思い出して、美咲はパチンと手を叩いた。

「もしかして、亜紀ちゃんの……お兄ちゃん?」

 坊主頭の子が、はっとして、美咲の方を指さした。

「あぁ! 君、見たことある。転入生の子?」

 美咲がうなずいた。

「俺、亜紀のアニキの村田敦也。小6なんだ」

 そう言って、美咲のことをのぞきこむように見た。

「確かに、近くで見るとかわいいな」

「えっ?」

 美咲は、はずかしくなってうつむいた。

「いや、亜紀がさ、バトンクラブに、めっちゃかわいい子が入ったって騒いでてさ」

「亜紀ちゃん、そんなこと言ってるの?」

 顔が、どんどん熱くほてっていく。

「美咲ちゃんみたいにかわいい子がいたら、バトンクラブも人が増えるだろうなぁ」

「そんなこと……ないよ」

 美咲は遠慮がちに、顔の前で手を振った。

「そんなこと、絶対、あるある!」

 敦也が笑って言う。

「亜紀、バトンクラブがつぶれないようにって必死なんだ」

「亜紀ちゃん、そんなにバトンが好きなの?」

 美咲が聞くと、そういうわけじゃなくて、と敦也が続けた。

「まぁ、もちろんそれもあるんだけど、バトンクラブがつぶれちゃったら、あのヒラヒラの衣装、着られなくなるだろ?」

「亜紀ちゃん、あの衣装そんなに気に入ってるんだ」

 美咲は驚いて言った。

 さおりとちえみは、デザインが古臭いと言っていた。

「気に入ってるっていうか、あいつ、スカート1枚も持ってないからさ。バトンクラブに入ればスカートがはけるって喜んでて。あいつ、いつも俺のお古しか着させてもらえないから……」

 敦也の声が、だんだん小さくなっていく。

「敦也。早くしろよー」

 広場の方から、男の子たちが呼んでいる。

「今行くー!」

 敦也が振り返って叫んだ。

 美咲は首をかしげた。

 どういうことなんだろう。友里は妹だから、お古も着るけど、新しい服を買ってもらうこともある。

「なんで、お古しか着させてもらえな……」

 言いかけて美咲は、口をつぐんだ。

「うち、父ちゃんいないからさ。母ちゃんが頑張ってパートで稼いでくれるけど、つまり金がないってことだよ」

 敦也が、申し訳なさそうな顔をして言った。

「だから、バトンクラブがつぶれないように、亜紀のためにも頑張ってよ。俺からのお願い!」

 敦也は、パチンといきおいよく両手を顔の前で合わせた。

「おーい、敦也―」

 男の子たちが、待ちきれない様子で叫んでいる。

「今、行くってば!」

 敦也はクルッと向きを変え、ドリブルしながら走り去っていった。

   ◇

 月曜日。

 バトンクラブのメンバーが集まると、美咲は提案した。

「下級生にバトンクラブに入りたいって思ってもらうためには、この衣装じゃダメだと思うの」

 美咲は、紙袋から赤と白の衣装を取り出した。

「えー! これ見て入りたいって思ったわたしはどうなるのよ!」

 亜紀が、うらめしそうに美咲を見る。

「あはは。まぁ、一人くらいはいるかもだけど」

 美咲は、笑ってごまかした。

「やっぱ可愛くないもんね、これ」
と、さおりが白いスカートをひっぱった。

「もっとたくさんの子たちに、入ってもらいたいでしょ?」

 美咲が言うと、亜紀は、まあねと、素直にうなずいた。

「新しい衣装を買うのは無理かもだけど……」

そこまで言ったところで、
「絶対、ムリ、ムリ!」
と、亜紀が声を張りあげた。

「だから、リメイクしてみない?」

「リメイク?」

 亜紀とさおりとちえみの声が重なる。

「えっと、リボンとかお花とか、可愛いキラキラしたものを、衣装に縫いつけるの。胸のところでもいいし、スカートのところでも」

「わたし、ムリ。おこづかいもらってないもん」

 亜紀が、暗い顔をした。

「でも、リボンとかお花くらいだったら、100円均一のお店でも買えるよ」

「あっ、いいねぇ!」

「おもしろそう!」
と、さおりとちえみが顔を見合わせた。

「だ、か、ら!」

 亜紀が、怒ったように言う。

「100円だって、10円だってないものは、な、い、の!」

「そっ、か……」

 美咲は、亜紀を喜ばせようと考えたアイデアが、間違っていたことにとまどった。

(どうしよう……)

 美咲は、頭の中をフル回転させて、他にいいアイデアがないか考えた。亜紀の、嬉しそうな顔が見たかった。 

「じゃぁ、亜紀ちゃんの分はわたしが買うから。ね? それならいいでしょ?」

 美咲が恐る恐る言うと、亜紀は怖い顔をして美咲をにらんだ。

「ぜったいに、いや!」

 亜紀の目に、みるみると涙のかたまりがもりあがってくる。

「そんなことしたら、本当の友だちじゃなくなっちゃうよ」

 亜紀が、くやしそうに下唇をかむ。

 美咲はあわてて言った。

「わかった、わかった。今のは全部なし! 衣装はそのまま!」

「えー」

 さおりとちえみからは、不満の声があがる。

「こうなったら、衣装なんかでごまかさない! バトントワリングの技で勝負だ! 運動会まで3週間。今のダンスに、もう少し高度な技を取り入れようよ」

「うん、それならいいよ」

 亜紀が涙をぬぐって、目を輝かせる。

「技ってどんなの?」

 さおりが、不安そうな顔をしている。

「えっと、まずバトンを高く投げて」

 言いながら、空中にバトンを放り投げる。

「その間に、ワンスピン」

 クルッとターンして、落ちてきたバトンをキャッチする。

 さおりとちえみが、浮かない顔を見合わせる。

「今のままなら、間違わずに踊れるのに、そんなことして失敗したら、余計に人が入らなくなるんじゃない?」

「1回転くらいなら、3週間あればできるようになると思う」

「やってみようよ。さおりちゃん! ちえみちゃん! わたし、やってみたい」

 亜紀が、さおりとちえみの腕をつかむ。

「やるって言ってくれるまで、この手を離さないんだからっ」

「もうー。わかったってば、亜紀ちゃん」

 さおりが、苦笑いしながら亜紀の手を振りほどく。

「わたしも、やるってば」

 ちえみも、亜紀の手から逃れるように体をよじらせた。
 
   ◇

 その週は、ずっとワンスピンの練習だった。

 三人が投げたバトンは、あっちこっちに飛んでいく。

 スピンでよろける。バトンが上から降ってくる。三人とも、手や足があざだらけになった。

「投げてから回って! 投げながら回ると、右に飛んでいっちゃうから!」

 美咲は、必死で叫んだ。

「怖がらずに、もっと高く上げて! 軸足がぶれないように!」

 何度も何度も同じことを繰りかえす。

 あざができても、体中が痛くても誰も文句を言わずにバトンを投げ続けた。

 必死で叫ぶ美咲に、三人とも必死でついていく。

 バトンがクルクルと回転して、さおりの手の中におさまった。続けてちえみも、ワンスピンを成功させた。

「やったー!」

 さおりとちえみが、抱き合って喜ぶ。

 1回できたら、コツをつかんだようで、次々と成功していく。

「もう! なんでわたしだけできないの!」

 亜紀がイライラして、足をふみならす。

「失敗があるから、成功があるんだよ! 絶対できるから、あきらめないっ!」

 美咲は亜紀の前で、バトンを高く上げ素早く回ると、落ちてきたバトンを余裕でキャッチした。

「亜紀ちゃんは、なんでバトンやっているの? 亜紀ちゃんも、バトントワラーになりたいの?」

 亜紀は、首を横に振った。

「わたしは、みんなをハッピーにしたいだけ。バトンって、見ている人もやっている人も、幸せにしてくれるでしょ?」

 亜紀は、そこまで言うと、美咲から目をそらした。

「うん。わたしも、バトンの演技で、みんなを幸せな気持ちにしたい。だからバトントワラーになりたいんだ」

 亜紀は、美咲の方を見ようとしない。

「亜紀ちゃんは、バトントワラーになりたくないの?」

「わたし、美咲ちゃんみたいに、将来の夢とかは、まだわかんない」

 亜紀の横顔は、少し悲しそうに見えた。

「将来の夢、ないの?」

 美咲は、なんだか亜紀が、本当のことを言ってくれていないような気がした。

 いつも人の目を見て話す亜紀。元気な亜紀が、美咲のことをまっすぐ見てくれない。

「まだ、決まってない。だから夢に向かってまっすぐな美咲ちゃんが、うらやましいんだ」

 亜紀が、少し気だるそうに、バトンを空に放り投げた。

 銀色のバトンが、青空に向かってまっすぐ高く、上がっていく。

「今だ! スピン!」

 美咲が叫ぶと、はっとして亜紀が1回転した。

 回転し終わった亜紀の手に、バトンが戻ってくる。

 亜紀は、目をパチパチさせている。

「やった! できたじゃん! 亜紀ちゃん」

 美咲が亜紀に飛びつくと、
「イヤッホー!」
と、亜紀が美咲の両手を取って、グルグルと回った。

「うわー。目が回るー」

 二人はフラフラになって、アスファルトの上に倒れた。

 青空に向かって、仰向けになる。

「できたー!」

 亜紀が、大きな声を、空に向かって放り投げた。
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