演じる家族

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 おばあさんが、すばやく春子の部屋に入り込む。すぐに未来も後を追った。

「あら、まぁ、ハルちゃんじゃないの」

 おばあさんが、すっとんきょうな声をあげた。

 未来は、おばあさんを追い越した。ベッドから起き上がろうとする春子のそばに駆け寄る。

 未来に支えられながら起き上がった春子は、
「この人、誰?」
と、未来に助けを求めるような目を向けてきた。

「わたしも知らないの」

 未来は春子にそう言って、おばあさんに、
「失礼ですが、どちら様ですか?」
と、聞いた。

 だが、おばあさんは、未来の方を見向きもしない。

「やだ、なつかしいわねぇ。ハルちゃんでしょ? しばらくぶりだけど、元気にしてた?」

「おばあさん、誰?」

 春子が、眉間に深い皺を寄せて訊ねる。

「いやだ、ハルちゃん、わたくしを忘れちゃったの? わたくしよ、わたくし。えっと、わたくしの名前、何だったかしら?」

 おばあさんは、あさっての方向を見ながら首をかしげている。

「困ったわねぇ。わたくし、最近物忘れがひどくってね。とうとう自分の名前も忘れちゃったわ。あははははは」

 おばあさんは大きく手を叩きながら、大爆笑した。

 未来と春子は顔を見合わせた。春子の顔には、恐怖の表情が浮かんでいる。

 おばあさんは笑いを堪えながら、しかし止まらない笑いに肩を震わせた。

「とにかく、わたくしと言ったらわたくしよ。ほら、小学校の時同じクラスだったじゃない。わたくし、記憶力だけは自信があるのよ。やっぱりハルちゃんに間違いないわ」

 言いながら一歩、春子の方へ近づいた。

「悪いけど、おばあさんのことは知らないわ。それに、おばあさんと同じクラスだなんて、あり得ない。だってわたし、まだ14歳だもの」

 春子は恐れながらも、毅然としていた。

「ねぇ、未来ちゃん。そうよね? 未来ちゃんからも言ってあげて」

 未来はおばあさんに早く帰って欲しかったが、傷つけるような言い方はしたくなかった。

「たぶん、人違いだと思います。おばあさん、ご自宅はどこですか? 送っていきましょうか?」

 おばあさんは、化け物でも見るような目つきで未来を見た。

「おかしな子ね。人違いのはずがないわ。それに、ここはわたくしの家よ。あなたこそ、出て行かないのなら、警察に通報するわ。子どもだからって容赦しないわよ」

 これは太刀打ちできない。未来は、母の今日子が、一刻も早く帰ってくることを願った。

「そういえばハルちゃん、清次郎さんは元気かしら?」

「そんな人、知りません」

 春子が迷惑そうに答える。

「またまた、とぼけちゃって。清次郎さんよ、清次郎さん。ハルちゃん、あなたの初恋の相手じゃないの」

 あの頃はよかったわねぇ、とおばあさんは次々と手品師のように色々な人の名前を出してくる。

「わたくし、記憶力には自信があるのよ」

 おばあさんが自分の頭を指差して、再びそう言った。

 いつまでも続く、おばあさんの話の餌食になっていた未来と春子に、
「ただいまぁ」
と、救世主の声が飛び込んできた。

「お母さん! 来て!」

 未来の切羽詰った声に、今日子が玄関に荷物を投げ捨てる音が聞こえる。

 今日子が部屋に駆け込んできた。

「ハルちゃんに、何かあったの?」

 言いながら、おばあさんを、見た。

 おばあさんも、今日子を、見た。

「突然、入ってきて……」

 未来は、どこからどう説明したらいいのか、頭が混乱した。正直に話せば、おばあさんを傷つけそうな気がした。

「あら、小松さんちのおばあちゃんじゃないの」

 今日子が、親しげな笑顔を見せた。

「あら。あなた、わたくしをご存知かしら? わたくしは、あなたを存じ上げませんがねぇ」

 今日子はそれには答えず、未来の方を見て言った。

「ほら、3丁目の角の魚屋さん、知っているでしょ? そこのうちのおばあちゃんよ」

「そうだったかしらねぇ。うちは魚屋だったかしら?」

 おばあさんが、首をかしげている。

 今日子はおばあさんに向き直った。

「そうですよ。お家の方が探していらしたわ。おばあちゃん、体が丈夫だから、いつも随分遠くまでお散歩に行ってるらしいじゃないの。本当に、お若いんだから」

 今日子が、子どもをあやすように優しく言う。

「まぁまぁ、お若いだなんて、めっそうもない」

 おばあさんは、嬉しそうに手首を上下にひらひらさせた。

「だけどね、丈夫なのは体だけじゃないのよ。わたくし、記憶力にも、相当自信があるのよ」

「それはお見それしました。おばあちゃん、お宅まで、送っていきますよ」

 今日子がおばあさんの肩に手を添えたが、
「いえいえ、一人で帰りますよ」
と、おばあさんは来た時と同じように、スタスタと歩いて行こうとした。

「じゃぁ、小松さんの家に電話してお迎えに来てもらうのはどうかしら。お迎えが来るまで、リビングでお茶でもしませんか」

「そういうことなら、話し相手ができて嬉しいわ」

 今日子は大丈夫よ、と未来に目配せしながら、おばあさんをリビングに案内しに行った。

「あんな風には、なりたくないね」

 春子は同情するような目つきで、今日子が閉めていった部屋のドアを見ていた。

「未来ちゃんも、そう思うでしょ?」

 未来は同意とも否定とも取れるような仕草で、あいまいにうなずいた。

「14歳のわたしが、あんなおばあさんと友だちなわけないのに、笑っちゃうわね」

 春子は肩をすくめた。

「友だちと言えば……」

 春子は突然思い出したように、枕の下からノートを取り出した。
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